第55話 王女との対話2
「ディニムから大まかには聞いているかと思います」
王女は茶をひと口啜ると、カップを音もなくソーサーに置いた。
「どうも私の命を狙う輩がいるようで、皆さんには護衛として私の身を守っていただきます」
淡々と依頼内容を説明する。
初夏は貴族の社交シーズンの最盛。
王都では日々様々な催しが開かれて、王女も外出が増えるという。
俺たちは臨時の守護騎士として王女に同行するのだ。
「ご存じでしょうか、この時期は亡くなる貴族が多いんです。病気になったりお怪我をされたりして」
さらっと恐ろしいことを言いながら王女はくすくす笑って。
「狩りが盛んになる秋もですけれど……どうしてでしょうね。みんな羽目を外してしまうのかしら」
どうやら彼女は俺たちとも違う、殺伐とした世界を生きているらしい。
ともかく夏の間、貴族たちは護衛や従者を連れて社交界を渡り歩く。
王女についていく俺たちは当然、最低限のマナーを身につける必要がある。
大丈夫かなぁ……おもに俺が。
「季節祭や社交パーティが数多く催されますが、最も重要なのが月末に控える“目覚めの夏”です」
王女は続ける。
「月を跨ぐ三日間の祭りの間、私たちは王都南の島に渡ることになります。そして島内の祠で、私は“選定の義”に臨みます」
王女の声が急に実体を持ったみたいに、肩にのしかかってきた。
「選定の……儀」
「この大陸を治める“王の資格”を、神より授かる儀式でしたか」
言葉を接いだファーガスに、王女はうなずきを返す。
それは神話の時代から続く伝統祭祀。
次代の王を決める、大陸の運命を左右するほどの大祭。
「でも、今はもう形だけだって……」
「その通りです」
ディーネのつぶやきに、王女はこくりとうなずいて。
「たしかに嵐の大戦以後、選定の儀において神授──王の資格を神に与えられた者は一人もいません。今代の王も先代も例外ではなく、儀式は形骸化して久しいのです」
“神の声”は絶えて久しく、王位は今や力で手に入れるものとなった。
己の才覚を頼みにするか権勢ある貴族の支持を集めるか、やり方は問わず。
けれど、と俺たち一人ひとりに視線を送り、アイリーン王女は言った。
「今年は違います」
体の芯に響くような重い声で。
「今回の儀式で、私に神授が下ります」
膝に置いた手がかすかに震えていた。
「私は王の資格を得るでしょう」
疑う余地のない運命であるかのように。
「それを快く思わぬ者たちがいます。私の王位継承を阻止するため、彼らは私の排除を目論むでしょう」
それが俺たちを呼んだ理由だと、アイリーン王女は言った。
□□□
奇妙な沈黙が流れる。
王女の言葉は断定と確信に満ちていて。
自身に神から“王の資格”が与えられると、本気で信じているようだった。
「それは……確かなことなんでしょうか」
王女が息を吐いたところで俺は問いかけた。
失礼は承知の上。
それでも彼女のために働く以上、状況を正確に把握したい。
“選定の儀”について俺はよく知らない。
ディーネとファーガスによれば、かつては本当に神聖な力が働いていたようで。
二人の知識が確かなら、現状の儀式は伝統として形だけ続いているのだろう。
おそらく大陸中の無数の祭りと同じように。
「不審に思うのももっともです」
王女は不快感を表さずに優しい視線を返した。
無知で愚かな民へ、精一杯の慈愛を向けるみたいに。
「あ、いえ……疑っているわけでは」
慌てて弁解するも声が震えてしまう。
「構いません。予想通りの反応ですから」
王女は再びカップを手にして茶を啜る。
仕草や物腰は上品で隙がなくて、話しぶりからも賢く理知的な印象を受ける。
そんな王女が次に発したのは耳を疑うような言葉で。
「“神託”を受けたのです」
神託。
反応に困る俺を見て、王女はまたくすりと笑う。
「にわかには信じられないでしょうが……まだ神は“声”を発しているのですよ」
神話の時代──幻想が人々にとってより身近であった頃。
眷属が地上を支配し、人間がひとつの無力な種に過ぎなかった頃。
神とその声はたしかな現実だった。
人々の祈りを聞き届け、救いと恵みをもたらす“力”だった。
「……聞こえているんですか、神の声が」
答えるかわりに、王女は首を傾けて俺に瞳を向ける。
光の加減か血のような赤は薄まって、夕暮れのような橙が瞬いていた。




