第45話 盾の奥儀
地に突き刺した盾に手をかけ、もう片方の手で槍を握り深く腰を落とす。
激烈な圧の中でもファーガスは落ち着いていた。
広い背中に薄い影が浮かんで見える。
精霊の姿かと思ったけど、違う。
きっともっと大きくて広くて、遠いものたち。
仲間を守り続けてきた“盾”がずっと背負ってきたもの。
ファーガスは今まで一体どれだけの命を守り、そして守れなかったのだろう。
──想像でしかないけれど。
あの人はきっと、その全てを覚えているんじゃないだろうか。
何もかもを体に刻み心に焼きつけて耐え難いほどの苦しみに苛まれても、歩き続けてきたんじゃないだろうか。
疑問に答えるように、ファーガスの周囲に三つの丘が隆起する。
盾のようにも石碑のようにも、あるいは墓標のようにも見えた。
「来るがいい、蛇の王」
ファーガスの大盾にひびが入り軋んだ音をたてる。
それは痛みに悶える呻きのようでも、これから生まれる赤子が世界に放つ生命の息吹のようでもあって。
「人の力、見せてやろう」
──
重しが取り払われたみたいに体が軽くなる。
体を押さえつける圧力が消えて力が戻ってくる。
「う……!」
零れ落ちていた竜の力が逆流して衝撃に頭が揺さぶられる。
周囲では、騎士団長や冒険者たちが立ち上がっている。
戸惑う皆の中でファーガスだけが微動だにしない。
盾と槍を構え三枚の石板を従えて蛇に向き合っている。
その石板の中へと膨大な力が渦を巻いて流れ込んでいた。
ファーガスは眷属の力の全てを一人で抑え込んでいる。
あの板が何なのであれ、間違いなく眷属からの負荷が無くなっていた。
「ファーガス!」
一瞬背筋を走った嫌な予感に俺は叫んでいた。
ファーガスは依然前を向いたまま、まるで何かを待ち受けているかのように耐え続けている。
「力を溜めろ、カイル。私が時間を稼ぐ」
振り返ることもなくファーガスは言った。
「でも──」
“生命喰らい”の圧力は収まったとはいえ蛇の頭上には巨球が依然留まっている。
球体の中に充満するエネルギーは離れた場所にいても肌をひりひりと焼く。
あれが落ちて来るまでに再び炎を灯すだけの余裕はあるだろうか?
「やるんだ」
有無を言わせない声にぴしゃりと頭をはたかれる心地がした。
「それが君の使命だ。君にしかできないことだ」
言葉の後ろに隠れた慟哭と苦悩が胸を激しく衝いて。
唇を噛んで俺は剣を握りしめた。
「団長、みなを退避させてくれ」
起き上がった騎士団長にファーガスは言った。
「騎士の中にも、気概のある者がいると知れてよかった」
揺るがぬ岩のように両脚で踏ん張るファーガスの背中に、騎士団長は剣を立てて礼を示す。
「共に戦えて光栄だった」
団長は言うと騎士たちを連れ素早く馬首を返した。
蛇が鳴く。
何度押しつぶそうとしても抵抗を止めない虫けらに、いい加減我慢できなくなったみたいに。
紫の球体が力の充填を止めて傾き出す。
狙いは地上──未だ立ちはだかる二人の男。
蛇が存在しない“眼”で俺を見ていた。
俺の中にいるイアに、憎しみと憧憬の入り交じる視線を向けていた。
かつて蛇と竜の間に何があったかなんて俺には知る由もない。
今俺がすべきことは一つ。
イアとともに蛇の眼を弾き返し、永遠の眠りにつかせること。
「もう一度だ、イア」
内の精霊を促すと心配そうな声が返ってくる。
《大丈夫、カイル?》
刻一刻限界の迫る俺の体を慮ってくれている。
「これが本当に最後だ。最後の機会。ここで決められなきゃお終いだ」
《……うん》
ファーガスが作ってくれた時間。
無駄にはできない。
宙の球体が振動し大地が揺れる。
とぐろのようなオーラを纏わせて、球体が全てを滅ぼすために落下を始める。
体が吸い込まれ、同時に弾き飛ばされるような眩暈に襲われる。
「く……」
炎が揺らぐ。
迫りくる脅威に体がすくむ。
一瞬先の死が俺を手招いている。
空が球体と同じ紫に染まる。
終わりの刻が近づいている。
──
「ここに解き放つ」
瞬間、音が消えて。
「私の全てを」
静かな声だった。
□□□
亀裂から漏れ出る光に槍を突き入れる。
長く私を守り仲間を守ってくれた大盾が、柔らかく溶けるように消滅する。
盾の中に眠っていた力が槍に収まり、柄を通じて体に伝わる。
思いのほか温かく、優しかった。
それは私が戦ってきた全て。
私を支えてくれた全て。
私が支えた全て。
私の、全て。
「行くぞ、クローガン」
呼びかけに精霊は無言で答える。
互いに長い付き合い、もはや言葉は不要。
腰を落とし腕を引く。
狙うはあの球体。
迫りくる滅亡の具現。
背後には膨大な力の気配がする。
竜の戦士が精霊とともに、必ずあの大蛇を葬るだろう。
私は憂いなく全力を傾けられる。
感謝しよう。
私の“盾”を信頼してくれた彼らに。
最後まで、私を“盾”でいさせてくれたことに。
今いくよ、エリーシャ。
──滅・反魂盾──
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