第37話 盾の誓い
ロンゴードに戻るとすぐにディーネを治療師に診せた。
イアによって“聖化”された炎はディーネの傷を塞ぎ、かけられた呪いを少なくとも表面上は消し去った。
けれど、流した血があまりに多かった。
数日間ディーネは発熱と悪寒に震えて食事もろくに喉を通らず、食べても嘔吐を繰り返した。
俺は集められるだけの薬や聖水を彼女の元に届けた。
その甲斐あってかディーネ自身の精神力のおかげか、なんとか峠は越して回復に向かってはいるものの体はすっかりやつれ、まだ起き上がれそうになかった。
「おねえちゃん、大丈夫だよね?」
イアは繰り返し聞いて夜も眠れない様子だった。
ディーネの状態が落ち着いた頃に来訪があった。
フィオネという、ディーネと一緒に暮らしているメイド。
「お話があります」
俺の部屋のドアを開けるなり彼女は言った。
「これ以上、お嬢様を苦しめないでください」
俺がいなければディーネはこんな目に遭わなかった。
メイドは俺を非難して、今後一切ディーネに関わらないでほしいと、ほとんど命令に近い口調で言った。
そして返事を待つことなく背を向けて去っていった。
「お嬢様、か……」
その響きはディーネにぴったり合っているようでも、反対に酷い重荷にも聞こえた。
マクニース家のことは少しだけ聞いた。
地方の新興商家で最近特に勢いを伸ばしているという。
……そして、かつて天才と呼ばれた令嬢がいたことを。
ファーガスの話を思い起こす。
エリーシャ・マクニース。
ディーネの姉であり最大の目標であった魔法使い。
そしてファーガスが愛し、守れなかった人。
□□□
「私はかつて、ディーネの姉エリーシャと一団を組んでいた」
夕暮れ時に俺は街の片隅でファーガスの話に耳を傾けた。
「五人だけの小さな団だったが、みな優れた冒険者だったよ」
その声には遠い過去への郷愁と苦い悔恨があった。
「大陸各地で活動していたある時に我々は北方に向かった。ある魔法の秘術の噂を耳にしてね。当時エリーシャはすでに天才魔法使いと評価されていたが、貪欲に魔術を追い求めていた。私たちもさらなる成長のための試練を求めていた」
ファーガスは大きく息を吸い、それから魂ごと吐き出してしまうようなため息をついた。
「向かった先の古代遺跡で我々は異界への扉を発見した。その先に待ち受けていたのは眠りにまどろむ眷属と──エリーシャの死だった」
ファーガスの瞳の奥が揺らいだ。
悲しみや絶望、喪失感。
様々なものがないまぜになっていた。
「正直なところ記憶はあいまいだ。山で見た蛇と同じ、巨大な体と不気味な細部を持っていたと思う。確かなのは凄まじい力を持つ怪物だったということだ」
ファーガスは強く拳を握りしめる。
「あれが眷属と呼ばれる神話生物だと確信したのは、だいぶ後のことだ。成長と探求の熱意に駆られていた当時の私たちは、正体も分からない存在に手を出してしまったのだ」
そして、と長い沈黙を置いて。
「私たちは敗れた。私はエリーシャを守れなかった。完全に目覚める前でさえ、眷属の力は私の“盾”を易々と凌駕したのだ」
巨躯が力なく項垂れる。
それは数年前の出来事。
その頃すでに、物語は始まっていた。
「浅はかだった。私はこの世界のことを何も知らなかった。この世界のもう一つの側面──この大地の裏側にあるものを。薄い膜一つ隔ててそばにある異形たちの存在を」
握った拳が震えていた。
それはあるいは、恐怖だったのかもしれない。
「パーティは半壊したが私は生き残った。無力に打ちひしがれて冒険者を引退しようと思った。だが、エリーシャの願いが私を引きとめた」
息を引き取る前にエリーシャはファーガスに言い遺した。
妹──ディーネのことを頼むと。
一人前になるまで見守って欲しいと。
「ディーネは自分より才能があるとよく言っていたよ。にもかかわらず少し不器用で、考えすぎたり思いつめすぎたりしてしまうとも」
ファーガスは耐えるように声を落とす。
「ほんとうに死の瞬間まで、エリーシャは妹のことを案じていたよ」
ファーガスは身元を隠してエリーシャの遺品をマクニース家に送った。
それから絶えずディーネの動向に気を配り、彼女が冒険者となるため家を飛び出すと後を追ってロンゴードに向かった。
そして同じ団に入り、エリーシャの遺言通りにディーネを近くで支えてきたのだ。
「エリーシャさんのことがそれだけ大事だったんですね」
俺が言うと、ファーガスは握った拳をじっと見つめ、それから顔を上げて言った。
「そうとも。私たちは愛し合っていたから」
一瞬、その表情は穏やかになって。
「ともに旅をする中で私たちは惹かれあっていった。エリーシャは賢く気高く、そして美しかった。彼女と一緒ならばこの世の果てまでも行けると、私は本気で思っていた。それほど強く私たちは繋がっていたんだ」
荒れた肌が恥ずかしげに薄く染まる。
「だからこそ私は彼女の残した願いを果たすと誓った。その誓いだけが冒険者としての──仲間を守る”盾”としての私を支えてきた」
だが、とファーガスはうな垂れて無念に呻いた。
「私はディーネを守れなかった。またしても私は、“盾”の役割を果たせなかった。最愛の人の最愛の妹を、危険に晒してしまったんだ」
震えた声が静かな夕暮れに響いた。
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