第166話 異界行──闇のもの
赤い衝撃波が焦土と化した大地を覆った。
烈風がほとばしり、空に稲妻の網をわたして。
激しい閃光の中で、ギアウの体は赤雷の熱で真っ赤に染まり。
巨体はさらにひと回りも膨れ上がっていた。
背面に生えた無数の逆棘にも赤雷が帯びて。
全身から蒸気のような光が立ちのぼる。
《おじちゃん、しゅごい……》
その威容にイアも圧倒されている。
抑えきれない憤怒に包まれたその異形は、もはや“人外”とか“魔物”とか、そんな形容では言い表せない。
今俺の隣りにいるのは、かつて世界を跋扈しこの大地を支配した、そして今もなお人々の信仰の中に生きている──
──“神”。
逆棘にまとう雷がギアウの背中で渦を巻いて。
まるで花が開くように、左右へと大きく広がっていく。
「……!」
巨体を呑みこむように伸びていく、赤雷の“翼”。
その姿に俺は、いつかの──遠い遠い何者かの姿を思い出しかけるけれど。
赤雷によって編まれた翼を羽ばたかせ、ギアウはふわり宙に浮かぶ。
肉体から激しく放たれる雷は、ギアウの鋭爪を剣のようにぶ厚くまとって。
片腕を掲げ、眼下の黒騎士をぎっとひと睨み。
そして一瞬、まるで世界のすべての音が失われたような静寂が訪れて。
──
黒騎士との距離が一瞬で詰まり、その体にギアウの爪剣が突き立てられた。
あまりに速すぎて、黒騎士は反応すらできなかった。
赤雷をまとった爪が黒騎士の甲冑を突き破り、体のど真ん中を貫いていた。
漆黒の鎧からあふれた黒炎がギアウの腕を焼こうとするけれど。
「二度言わせるな」
ギアウは意にも介さず、片手で黒騎士を高々と持ち上げて。
「わきまえろ」
黒騎士の体内で、雷電が弾けた。
──
およそ聞いたことのない、地の底から響くような叫びが空をつんざいた。
甲冑の穴という穴から黒炎が噴き出して。
その後を追うように赤い雷が細い光の筋を無数に伸ばす。
まるで鎧の中に満ちた悪しきものを、根こそぎ洗い出すかのように。
やがて黒騎士は動かなくなり、力を失った手足がだらりと垂れた。
ギアウが地面に放ると、黒炎を失った甲冑は驚くほど軽く乾いた音を立てた。
甲冑の隙間からのぞいてみると、真っ暗な穴が見えるばかりで。
その体には“肉”がまったく欠けているみたいだった。
「……こいつらはいったい、何者なんですか」
いまだ鼻息荒く、全身に帯電し続けるギアウに問いかけると。
「“闇のもの”」
崩れた黒騎士の残骸に目を落としたまま答えた。
「この大地と同じだけ長くある存在の澱。我ら眷属とは相容れぬものたち」
ふしゅぅ、とギアウの牙の隙間から雷まじりの吐息が漏れて。
「ようは、唾棄すべき糞どもだ」
精一杯の憎しみを込めた声でそう、吐き捨てる。
そこにはどこか、捨てようとしても捨てきれない何かへの苛立ちが感じられた。
まるで“糞”と断ずるそれが、自分と切り離せない宿命であるみたいに。
そしてその予感を裏付けるように、いくつもの黒い影が丘上に現れた。
「こいつら……!?」
一体どこに隠れていたのか。
揃いの甲冑を身にまとった黒騎士たちが崖上に並び立つ。
手にはそれぞれに異なる獲物を握って。
崖そのものを焼き尽くしてしまいそうなほどの黒炎が、灰色の空に溶けて集落を黒く包みこんでいた。
一人ひとりが俺と同じ、黒い炎をその身に宿し。
竜精の加護を得た俺を超える、膂力と技量を備えている。
ウプアの傷は治りきらず、支援は頼みにできない。
俺たちだけでこの数の黒騎士を相手にしなければならない。
撤退の選択肢が頭をよぎったとき。
「奴らは一匹残らず、俺が狩る」
ギアウが前に踏み出し、地面に転がった黒騎士の甲冑を踏み潰した。
鱗に覆われたふと足が、もはや力を失った鎧を粉々に砕いて。
「君はその馬と、己を守ることに専念しろ」
まるで俺との力の差を正確に測りとっているみたいに。
ギアウはそう言い置いて、再び赤雷の翼を開くと。
ひと息で、崖上へと飛翔した。
しばらく、時間は奇妙に静かに、ゆっくりと流れていった。
それは他ならないギアウの、超常の戦いのせいだったかもしれない。
赤い翼が雷電を迸らせ、陽のない空に光の網を敷いた。
上空から振り下ろされる雷爪の勢いで、崖の岩場が削り取られて。
黒騎士たちの体が宙に舞った。
──
黒騎士たちは言葉を発しない。
響くのはただ、怒りに渦巻くギアウの雄叫び。
崖の上で雷爪が宙を切り裂き、振り回される長い尾が激しい渦を巻いて。
口からもれる雷混じりの息が、熱い蒸気となって周囲を焼き包む。
そしてその熱気に着火するように、地に叩きつけられる爪が爆炎を起こした。
凶悪な牙爪で襲いかかるギアウに、黒騎士たちはそれでも恐れ知らずに黒炎をたぎらせ、集団で向かっていく。
刺剣、大剣、槍、斧、鉈、鎌、双刀……それぞれの刃に黒炎をまとい、甲冑の隙間から谷間に吹く風のような重い唸りを上げて。
相対する“敵”へと襲いかかる。
黒騎士の一人ひとりに、“意思”は感じられず。
ただ本能のまま刃をふるっているだけに見えた。
まるで他の“誰か”の意思のもとに動かされているかのように。
それこそが彼らの存在する理由であり、生まれ持った宿命であるかのように。
……。
ギアウに吹き飛ばされ、崖上から黒騎士が落ちてくる。
ぶすぶすと煙を噴き出しながら立ち上がろうとする彼らを。
俺は竜炎をまとった剣でとどめを刺す。
──柔らかい。
地上であれだけ苦戦したのが嘘みたいに、黒騎士の体に刃が通った。
竜炎で貫かれると、黒騎士は体をのけぞらせて体内の黒炎全てを吐き出し、もぬけの殻となって息絶える。
「……」
それはギアウの赤雷か、それとも鋭い爪や牙の力によるものだろうか。
崖上で暴れ狂う彼によって、黒騎士たちはいまも紙切れのように切り裂かれ、突き刺され、そして焼き焦がされている。
闇のものを蹂躙する圧倒的な、まさに神のごとき力。
……。
あれなのだろうか。
俺がこの異界で、求めるべきものは。
ギアウのもつ赤雷、あるいは黒騎士の甲冑を容易く貫く爪と牙。
あれをどうにか地上に持ち帰り、剣の形にすること──
「──おおや」
不意にその声が、俺の耳に届いた。
その声を聞いた一瞬、体が固まった。
なぜだろうと考えて、直観は遅れてやってきた。
まるでその事実を思い出したくないみたいに。
「また、こいつはけったいな、また」
俺はこの”声”を、いつか聞いたことがある。
いつかの俺に、その“声”が刻まれている。
「あの蜥蜴の仲間……いんや、なんとも、いんや……」
甲冑に包まれたその声は聞きづらく曇っていて。
けれど俺の耳にはいると、頭にじゅんと染み込んでいって。
「お前、何だいその炎は、お前」
まるで脳みそが腐り落ちていくような不快感と。
背筋を無数の蟲が這い上ってくるような悍け。
──
ふぁさりと、それが頭上から落ちてきて。
その姿に、意味もわからずぞくりとした。
それは黒騎士たちの甲冑と同じように、鈍い光を放っていたけれど。
姿形はまるで大きな袋みたいだった。
焦げた地面にかぶさる、ふかふかと膨らんだ黒い塊。
そこにはかろうじて、兜のような“仮面”が認められたけど。
はたしてそれは、“顔”と呼ぶにはあまりに異形で。
むしろ、かつて顔であったもののようだった。
「お前も、“混じりもの”か、お前……いんや」
そしてそこには“中身”があり。
他の黒騎士たちにはない“意思”を宿して。
「おもしろ……お前、面白いな……ややあ」
仮面がぐにゃりと歪み、不気味な笑顔を象った。




