第161話 円塔──孤島の迷宮
第一印象は、“あ、可愛い”。
魔法衣をまとった姿はまるでお人形さん。
「あれ、大魔女さま〜?」
駐屯地に入り、星のしるしを掲げた天幕をくぐると。
揺り椅子に腰かける小柄な女の子が顔を上げた。
「今回一緒みたいなんでぇ、ま、とりあえずよろしく〜」
立ち上がろうとする素振りさえ見せずに。
彼女は細い足をぶらぶらと揺らし、気だるげに首を傾けた。
その場には十人くらいの人がいて。
私を見ると、すでに席についていた半分ほどが立ち上がり、挨拶してくれた。
残りは軽く会釈したり、完全に無視したり。
いかにも“冒険者”って感じだった。
冒険者あがりはおおらかというか、要は失礼な人が多い。
家柄の良い兵士は、そういう新しい種類の人たちを嫌っているけれど。
そのほうが私はむしろ気が楽。
“大魔女様”なんて畏まられると、こっちが緊張してしまうから。
「こっちまで来て迷宮攻略なんてねぇ〜」
小柄な魔女は、首からかけた藁の束のようなものを指先で弄んでいた。
その声には、ねばっけを帯びた独特の抑揚があって。
けれど甘い蜂蜜酒のように耳に染みこみ、一度聞いたら忘れられない。
彼女──ネーリ・ネーサのことは、私も聞いている。
“西”からやってきた冒険者で、高位階の魔法をあやつる上級魔術師。
冒険者一団、“西の守護者”の一員で。
カイルの、かつての仲間。
……。
女王軍の魔術師隊に加わると、ネーリはたちまち頭角を現した。
私は女王様のそばにいたから、その実力を目にする機会はなかったけれど。
前線に立った親しい子たちがよく、彼女の話をしていた。
精確で強力な、卓越した魔法詠唱技術と。
衆目を集めるその可憐さ。
こうして眼の前にしてみるとよく分かる。
すっごい分かる。
歳は私と同じくらいみたいだけど。
見た目はずっと幼く、体型のせいか大きめのローブが少し不格好。
けれど着こなしはすごく決まってる。
ローブの裾を余裕をもってだらりと流したり、一部を切り詰めたりとこだわっていて。
そして冬なのにかなり大胆に肩を見せていた。
魔法使いあるある。
夏に厚着して、冬に薄着する。
熱と冷気を操り、夏は涼し気に、冬でも何食わぬ顔をして過ごす。
そうやって、“私この程度は朝飯前なんで”って、周囲に見せつけるのだ。
私は成長が遅かったぶん、あんまりしないけど(けっこう疲れるから)。
ネーリが特別なのは、華奢な細腕が“西”の辺境出身とは思えないほどに白いこと。
ちょっと羨むくらい肌がきめ細かい。
“西”の冷たく激しい波を思わせる濃紺の髪もよく整えられ。
腰のあたりで毛先がこだわりのカールを見せていた。
はすっぱな言葉遣いも不思議と不快感はなく。
幼気な容姿との齟齬でむしろ人を惹きつける。
この子が──とくに異性の──注目を集めるのも納得。
短い間とはいえ、カイルも彼女と一緒にいたんだなぁ、なんて。
思わずにいられなかった。
……。
「ディーネ様」
若い男性副官が私を先導して、ネーリに“しっしっ”と手で払う仕草をする。
どうやらそこは私の席だったみたいだけど。
「えぇ、めんど〜」
ネーリは胸の藁人形を触り、足をぶらんぶらんさせて動こうとしない。
兵士は腹を立て、私は思わず笑って。
空いていた席に適当に腰を下ろした。
「よろしくね」
声をかけると、彼女は少し表情を抑えて短い時間、私の顔を覗きこむように。
それから顔をそらし、“ん”とだけ言ってうなずいた。
私に興味がないようにも、視線を避けているようにも思えた。
副官は納得いかない様子だったけれど。
時間を無駄にしてもいられず、本題に移った。
「目標の迷宮は、ここから北西地点に発生しました」
机上に敷かれた地図を指し、副官は状況を説明する。
現在主戦場となっている東部湿地帯。
そこから北方に湖があり、その中央に“島”があった。
ひと回りするのにそれほど時間もかからない小島だけれど。
そこに迷宮が生まれた。
大陸に広く見られる地下迷宮ではなく。
石を高く積み上げてできた、円塔だという。
まるで要塞のように前線を見晴らしている。
「円塔は我が軍を横腹から狙える位置にあります。放置しておくには危険と判断され、元冒険者を中心とした攻略部隊が組織、派遣されたのですが」
結果は失敗。
半数が命を落とし、かろうじて帰還した兵たちも重症を負っていた。
「帰還者によれば塔内全体が魔法結界に覆われ、外からは想像できないほど広大でした。また生息する魔物も新奇なものばかりで、十分な対応ができなかったと」
並の冒険者ではとても太刀打ちできない高難度迷宮。
攻略には熟練者の力が必要だと。
「現在、“東”との戦は依然こちらが優勢ですが、ウルステウ領が近づくにつれ抵抗が強まり、前線は膠着しています」
“森”を抜けるのに予想以上の時を要し、その間に湿地帯を囲む敵の砦が強化されていた。
敗戦続きの東軍だったものの、その敗北がむしろ彼らの心を頑なにしたようで。
砦から絶えず放たれる弩や投石からは、怨念すら感じられるという。
ただでさえ足元の不安定な湿地帯には無数の罠や迎撃魔法が敷かれて。
解除と破壊に時間をとられ、遅々として先に進めない。
さらに戦場にたちこめる血の匂いに誘われて魔物が現れ、女王軍を苦しめた。
その上に敵の矢弾が加わり、いたずらに死傷者は増えるばかりだった。
そこにきての“迷宮”の発生。
不吉な気配を感じないわけにはいかない。
「塔の外には出てこないんでしょぉ? なら放置しちゃえばぁ?」
毛先を指でくるくる巻きながらネーリが言った。
たしかに、今のところ魔物が塔外に出てくる気配はない。
警戒しつつもまずは眼の前の敵に集中すべきではないかと。
それも一つの意見だと思うけれど。
「そこに明確に“敵”がいることが問題です」
若い副官はきっぱりと否定した。
頼りなさそうに見えて、意外と肝がすわっている。
「万が一塔から魔物があふれてくれば甚大な被害につながるおそれがあります。いまはこの戦の正念場。不確定要素は可能なかぎり除かねばなりません」
それに、と副官は一同をぐるりと眺めわたして。
「追いつめられたウルステウが、外法に手を染めたのではという疑いがあります。森で遭遇した戦士も、その顕れではないかと」
東軍が外法を使って魔物を味方につければ、迷宮の塔はかっこうの拠点となる。
未知の魔物が大挙して押し寄せれば、女王軍でもどうなるかは分からない。
状況は思っている以上に深刻なようだった。
「はいはい、分かりましたってぇ」
とうとうと返される正論にネーリは首を振って降参する。
私はというと、副官の言葉にでた“森の戦士”──浅瀬の少年のことを思い返していた。
私に似た赤い瞳を持ち、女王軍の精鋭三人を相手に一歩も退かなかった“英雄”。
あの子を前にして、けれど私が感じたのは不思議な親しさと心配と、そして──
「話はまとまったか」
よく通る声が響き、天幕に背の高い男性が足を踏み入れた。
外から差しこむ光に髪の薄い頭がてかりとして。
「だぁ〜んちょぉ〜!」
ネーリの表情がパッと明るくなった。




