第159話 円塔──手にしたもの
久々再会した両親は、町と同じようにそれほど変わりなかった。
父は少し白髪が、母も皺が増えていたけれど。
健康そのものだと知ってひとまず安心した。
憔悴していたのはしろ使用人──フィオネのお父さんのほう。
なにせ自分の娘が、主人の娘といっしょに出ていってしまったのだから。
その心労がどれだけのものか想像するだけで胸が痛む。
原因は私なのだから、心配する資格なんてないかもしれないけど。
私はフィオネのお父さんに謝り、フィオネが無事でいることを伝えた。
「娘は一緒でないのですか」
フィオネのお父さんは、娘が帰ってこなかったことに気落ちしていた。
「彼女は今、体調を崩していて」
この場では言葉を濁した。
良心は痛むけれど。
やっぱりそういうことは、本人が直接伝えたほうがいいだろうから。
……。
私が出ていってからも家業は順調だった。
屋敷で働く使用人も増え、家具や調度も美しく、広い庭は立派に刈りこまれていた。
港でも、うちの商会の船や倉庫をたくさん見かけた。
王都と比べ保守的な“東”にあって、この街には比較的自由な空気があって。
東の港をつなぐ大きな通商路を持ち、各地から船が出入りして賑わっていた。
そのなかでも父はうまく立ち回ってきた。
祖父が興した商会を受け継ぎ、ときに思いきった投資で周囲を驚かせながら、ときどきの機会をものにしてきた。
時流の変化への嗅覚は、今も衰えていないようだ。
「新しい女王陛下は、大したお方だな」
父はくり返しアイリーン女王を褒めていた。
「商売や商人のことをよく分かってるし、なにより思い切りがいい」
ベルファの領主が恭順すると、女王様はこの街の通商網に目をつけた。
多額の資金を投下して糧食や物資の調達を命じ、うちを含む街の商会を囲いこんで。
”東”を制圧したのちは、ベルファが中心となって地域一帯の市場を取り仕切ることになる。
今後は王都での販路拡大もみこめるし、北や西の開発にも噛むことを許されて。
ゆくゆくはウルステウの持つ外大陸との販路を引き継ぎ、大々的に貿易を展開するだろう。
「一気に時代が進んだのを感じるな……まさかウルステウがここまで凋落するとは」
父は言って、細長い棒のようなものを口に加えた。
軽く息を吐くと、棒の先端口から細い煙がふらふらと流れ出てくる。
どうも舶来の嗜好品のようだった。
私にはちょっと煙の臭いがきついけど、顔には出さないようにする。
「まあ中央でもやりたいほうだいだったみたいだしな。報いと言えばそうか」
恨みを買うなら徹底的に買うべきだ、と父は言った。
中途半端な情けなど後の禍根にしかならないと。
「エヴィレア妃は肝心なところで思いきれなかったんだろう。今の女王陛下とは正反対だ」
政権を奪うにあたり、世論を気にして義理の娘たちを生かしたエヴィレア先王妃と。
復讐の完遂だけでなく、敵の存在を大陸から根こそぎ消し去ろうとしているアイリーン女王。
私だって決して女王様のやりかたを肯定するわけじゃない。
けれど徹底的にやらなければ、憂いを断つことはできないのだろう。
思い描く理想があるならばなおさら。
もちろん女王様だって、何とも思っていないわけではない。
一見冷酷にうつる彼女に通う人の情を、私は知っている。
淡々と涼しげに命令を下しながらも。
内に渦巻く苦悩と葛藤を、女王様はときおり私たちにこぼした。
その苦渋をのみこみ、やるべきことをやっている。
その果てに手にするものが、大陸の未来だと信じているから。
……。
「思い切りといえば、お前もだ」
お父さんは言って、棒の頭にさらに細い棒を突っこんだ(どうやら火を消しているらしい)。
「ここぞというときに、やることをやった。大事なときに、本当に大事なものを見失わなかった」
俺と同じだ、とお父さんは言う。
少し無理をしたような、けれど穏やかな声で。
となりでお母さんも、そしてフィオネのお父さんも、優しい表情でうなずいて。
「お前はやるべきときにやるべきことをやり、そして結果を手にした。お前にはあの日、この家を出ていかなければならないと分かっていたんだよ」
お姉ちゃんの葬儀のあとしばらくして。
私は冒険者となるために家を出た。
お姉ちゃんと同じ境遇に身をおいて。
お姉ちゃんが何を求めていたのかを知るために。
それを本当に理解できたかは分からないけれど。
あの日家を出なければ、“今の私”はなかった。
「エリーシャもまた試練をとった。魔法使いとしてさらに成長するための賭けに出たんだ。お父さんが商売でずっとやってきたようにな。もちろん、得られる成果が大きければ……代償もまた大きい」
お父さんの指が震えていた。
お母さんとフィオネのお父さんも涙ぐんでいた。
同じように魔法を学び、同じように冒険者となった二人の娘。
私は運よく生き残り、そしてお姉ちゃんは命を落とした。
何かが違っていたら、立場は反対だったかもしれないのに。
「お前たちに魔法を学ばせたのが正しかったのか、いまでも迷っているよ。結果として大切な娘の、一方を失ったのだから」
だけどな、とお父さんは目元を優しくした。
「こうしてディーネ、お前が無事に帰ってきてくれた。苦難を選び、挑戦して、乗り越えて、最高の結果を手にした。商売と魔法と、分野は違っても理屈は同じなんだろう。お前たちはやっぱりお父さんの子で……自慢の娘なんだ」
家を出ていく前には激しく言い争った。
今じゃとても恥ずかしくて言えない、汚い言葉も口にしてしまったけれど。
それでもお父さんは私を信じていてくれた。
私が何を求めその先に何があるのか。
もしかしたら、私よりも分かっていたのかもしれない。
「……ありがとう、ございます」
私は頭をさげて、ぐしょぐしょになった顔を隠した。
ずっと言えなかった”ごめんなさい”と、その何倍もの”ありがとう”を。
こうして無事に両親に伝えることができた。
そしてその奇跡を私にくれた、愛する人のことを思った。
「まあ、これで良い人でも連れてきていたら、もっとよかったな」
王都には大金持ちがたくさんいるだろうから、なんて。
しんみりした空気をごまかすように、父はがははっと大げさに笑う。
「あ、そのことなんだけど」
場の雰囲気に絆されて、口がゆるくなっていたのだろう。
私は指輪を見せ、カイル──私の“婚約者”について話してしまった。
……。
お父さんは笑顔のまま固まって。
二本の指のあいだで、棒がばきりとへし折れた。
夕食の後もお父さんは心ここにあらずだった。
エリィがいなかったら、いったいどうなっていたか。
私の精霊──分け身のエリィを紹介されて、お父さんはまるで初孫に接したみたいに頬を緩ませて。
エリィを膝に抱いては、現実から逃避するように昔話を聞かせていた。
□□□
深夜に、伝令鳥が私の部屋の窓を叩いた。
極めて正確無比な術式で形作られた、魔法の鳥。
指先でふれると、中にこめられた伝言が頭に入ってきた。
──
作戦域内に奇妙な迷宮が発生した。
多数の魔物が徘徊しており、放置するには危険である。
攻略のため大魔女の助力を得たい。
──
どこかで予感はしていたけれど。
私の休暇はそれほど長く続かなかった。




