表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/165

第153話 東伐──奸婦

空気を震わせた。


「控えなさい、下郎」


 周囲のすべてをねじ伏せるように。

 その“声”、その言葉には力があった。


 闇に映える長い黄金の髪。

 気だるげに首を回すその姿は、まさに()()


 とても美しい女だけれど。

 見惚れるよりも、憎しみが勝った。


 こいつこそが僕の敵。

 倒すべき()()()()()

 

 どすどすと忙しない音をたて、天幕から男が出てくる。

 “山のような”なんて言いかたが、まったく当てはまってしまう大男が。

 女の前に出て槍を構えた。


「君が、かの”少年”か」


 見上げるほどの巨人は、どうしてか僕にはとても()()()思えた。

 憎き女王のそばに立っているのが、不愉快なくらいに。


 男の登場に背を押されたのか、兵士たちが声を張り上げ一斉に襲いかかってくる。

 腰が引けて、どうにも情けない姿だったけれど。

 

「うるさい」


 女王から目を離さず、僕は彼らを一振りで一掃する。

 全員の体が腰のところで真っ二つ。

 しばらくは、自分が死んでいることすら気づかずに地面を舐めていた。




「何用ですか、無礼者」


 目の前で兵士が死体になろうと、女王は眉すらひそめない。

 不愉快な表情のまま僕に問いかける。


()()、だと!」


 その態度、口のきき方。

 すべてが癪に障る。


「他人の土地を荒らしておいて、その言い草は何だ!」


 戦車(チャリオット)の床板の上に長柄を叩きつけると、二頭の馬が激しくいなないた。

 ぶるるっと大きな鼻穴をふくらませ、焼けるような息をあたりに撒き散らす。


 衛兵たちはその勢いにおののいて縮み上がり、情けなく震えているけれど。

 悪しき女王はまるで意に介さず、腕を組み首を振った。


「いずれ我々の──私のものとなる土地です。何の問題が?」


 整った鼻筋からもれる息は、心底うんざりした様子で。


「邪魔をしているのはあなたたちです。早々に恭順し、土地を明け渡しなさい」

 

 理でも説くように、女王は言った。

 まるで明らかな真実を、あたりまえの事実を、ただ口に出しているかのように。


 まるでわるいのはこっちのほうだと、責めるように。

 出ていくべきはこちらだと言わんばかりに。

 己の言葉を()()とも疑ってはいなかった。

 

「お前は──」

 言いかけて、女王がさえぎる。


「この大陸は可能性そのもの。驚くほど豊かで、発展の希望に満ちた場所。“この世の果て”に位置しながら、世界をまるごとひっくり返す潜在力(ポテンシャル)を秘めている。時代の趨勢をとらえられぬ愚者に持たせるには()()()()()()……あまりに()()()()だとは思いませんか」


 橙に輝く瞳は、そばで焚かれた松明の火よりもまばゆくて。


()()()()()()()──?」


 その言葉はどこか別の世界の──別の時代のどこかから聞こえてくる気がした。

 少なくとも僕の頭の中に、そんな考え方はどこにもなかった。


 人が生きていくのに、()()()()()()だとか、そうじゃないとか。

 いったい、この女は何を言っているんだ?


「お前のわけの分からない考えのために、“東”のみんなが苦しむんだ」


 どうにか僕は自分を抑えるけれど。

 堪えきれない怒りが、声を震わせた。


「無駄を排除し、効率の最大化を推し進めなければ、この先の世界を生き残っていくことはできません。あるいは、そうなれなかった者たちから脱落していくでしょう。いずれ滅ぶか、いまここで私に滅ぼされるか、その違いにすぎません」


 そして、にぃっと、女王は。

 悪魔のような──“奸婦”は笑った。


「ならばここで彼らを()()()()にし、新たな民を()()()()ましょう。大陸の王として、私はその罪のすべてを引き受けます。そして消えゆく者たちを弔い、今を生きる者たちを先頭に立って率いていきます」

 

 びきり、とこめかみが鳴った。


「……なんなんだ」


 怒りで血管が膨らんで、ぶしゅりと頭から血が吹き出した。


()()()()()()()()!」


 女王の言っていることが僕にはわからない。

 ほんとうに、僕と同じ言葉を話しているのだろうか。


「私はアイリーン。アイリーン=ミレーシア・レスターン」


 その声は秋の空みたいに晴れ晴れと。

 その瞳はゆらぐことなく澄みわたって。


「この大陸を統べる女王。長く停滞したこの地を導き、天秤を傾け時代を先に進める使命を負う者」


 そして、と女王は前に進み出て。

 眼の前に広がる血の海に、細い足で踏み入る。


 僕が殺した兵士たち。

 その体から流れ出した血の上に、女王は柱を突き立てるように足をおろした。


「すべての罪を負い、それでも決して立ち止まらぬ者。いずれ時の裁きを受け地獄へ堕ちようとも、決して歩みを()()()()()()者」


 そのまぶしさに、僕は半分まぶたを閉じる。


 “闇”の──“わるいもの”であるはずの女王が。

 まるで夜明けに昇る太陽みたいに見えた。




 ……。

 頭が痛い。


 奸婦の、悪しき女王の声が。

 僕の頭にこだまする。


 理解できない。

 彼女の言葉の意味するところが、僕には分からない。

 それは僕のまったく知らない何かだった。


 こいつは。

 この女は。


 ()()()()()()()()()()()()


「自らの“悪”すら見定められぬ未熟者が──」


 顎に手をかけ、女王は地を見つめている。

 僕が殺した兵士たちが流す血に、自分の顔を映して。


「──いえ、むしろ“悪”を引き受けぬからこその“英雄”なのでしょうか」


 血の池の中でぶつぶつと、なにかを考えている。

 もう僕のことなんて目に入っていないみたいに。


 自分を守るために命を散らした兵士たちを見ても。

 彼らの流した血の只中にあっても、ぴくりとも動揺しない。


 氷のように、岩のように。

 太陽のような瞳を宿しながら、その内にあるのは冷たい塊。


 びきびきと、再びこめかみが脈をうつ。

 それはきっと、理解してしまったから。


 どれだけ声を上げても“王”には。

 この女には、自分の怒りが届きはしないんだって。

 僕には決して、この女の見ているものを見ることは出来ないんだって。


「お前ぇ!」


 どっと怒りを解き放ち、手にした槍を振り上げる。

 “僕を見ろ”と、声を張り上げる。


 けれどどうしてだろう。

 高まる怒りとともに、ぞわぞわと背中を()()()()が這い上がる。


 居心地がどんどん悪くなっていって。

 ひたいから汗が流れ落ちる。


 とても不快で。

 とても気持ちがわるい。


 まるで自分が、あるべきでない場所に居合わせてしまったみたいだった。


「これ以上話すことはありません」


 女王は僕に興味を失ったように、そっけなく横目で。


「疾く、失せなさい」


 言い放ち、くるりと背を向け未練なく。

 彼女の運命に、僕は含まれていないと確信したように。




 幕の向こうに消えていく女王の背中を護り、大男が前に出る。

 並の兵士よりはよほど強いだろうけれど、僕の敵じゃない。


 槍を投げれば。

 たった一本の投擲で。

 大男ごと、憎き女王を突き刺すことができるのに。


 ()()

 そのわずかな距離が、どうしてか果てなく遠い。


「……ああ」


 頭が痛い。

 僕の内側から、僕ではないものが溢れ出ようとしていた。


「君は、いったい」


 大男が僕に声をかける。

 敵ではなく、ひとりの子供を気づかうように。

 

 知っているんだろうか。

 僕はこの人を。


 きしむ頭の中で、歪んだ像が形を結ぼうとしたとき。


「ファーガスさん!」

 頭上で声がして。


 空から降ってきた魔女に

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ