第147話 東伐──めぐりあい
見たことがあるだろうか。
あまたの英雄が周囲にいた頃でさえ、これほどの武技の応酬を。
気が遠くなるような時間研鑽を積み、それでも先は果てしなく。
まるで深い霧の中に差しこむ一筋の光をたぐるように。
彼らのたどり着いた究極が、ディニムの前で弾けていた。
「あはっ!」
「なあっ!」
浅瀬に響く、少年と中年の声。
業火に焼け出されたように黒ずんだオーシャの刃が、水面を影で覆い。
セーダの放つ光の一閃が、その上から影を払う。
鳴り響いては消えていく鋼の音と。
その間を静かに、絶えず流れる川のせせらぎ。
およそ人に届きうる頂点に達したオーシャの剣技と。
人外じみた力を発揮するセーダの若い勢い。
水中に踏みこみながら、体勢を崩すことなく器用に立ち回り。
水上を舞台に舞を披露するかのごとく軽やかに。
一撃必殺の刃を互いに放ちつづける。
それはいまこの瞬間につむがれる、ひとつの“物語”のようだった。
あるいはいつか、だれかが目にし記憶し後世に語り伝えた、旧き神話の再現だろうか。
美しいと、思う。
素晴らしいと、感じる。
永遠に、その中にまどろんでいたいと。
……。
「硬ぇな!」
オーシャの最強をもってしても、セーダ・マクスァルダは崩れない。
むしろ強敵を相手に、さらに馬力を上げてくるかのようで。
「まだまだ!」
少年はいったいどこまで行くつもりか。
このまま人の限界を越え──竜の頂きにまで手を伸ばそうというのか。
「きっつぃねぇ!」
笑いで誤魔化しながらも、オーシャの疲労は明らかで。
やはり年か、ときおり攻め手を緩めて息継ぎをする必要があった。
「代わろう」
オーシャの影を舐めるように、カスバ・ヒューイットがぬるりと前に出て。
銀の長槍による超高速の突きが、追撃する少年を押し留める。
「頼んだ!」
にくいほどの的確な判断で、オーシャはためらわず浅瀬から後退した。
「おじさんも、これからだね!」
少年の興味は一瞬でカスバのみに集中して。
「うむ」
寡黙な槍兵が戦闘を引き継ぐと、透明な水面がざわめいた。
清流は彼の味方であるかのように、足元にまとわりついて。
一体どんな歩みを踏んでいるのか。
浅瀬に足を沈めながらも、水流の抵抗がまるで感じられない。
オーシャが水上を風のように翔けるのであれば、カスバのそれは泳ぐように。
まるで自身、水の流れになったかのように。
変化は剣戟の音にも表れる。
オーシャの極限まで切りつめた、鋭く裂くような風音が。
まるで山奥の岩場に流れる湧き水の、清らかな滴りへと。
「すっごいきれいだ!」
カスバの清澄な槍を受け、セーダの放つ音色までもが異なる響きを奏でる。
暴力的な狩りに飽いた狂犬が、いっとき清流に身をひたし血を洗い流すように。
少年と槍兵は、必殺の意思で互いの急所を狙う。
しかし響くのはどこか清涼な、美しい旋律。
カスバの槍は、水中を悠々素潜りするようにたおやかだった。
「水を味方につけているな」
ディニムが魔力で、オーシャが風で、それぞれ水の抵抗を打ち消していたのに比べて。
カスバはむしろ、水中に積極的に踏みこんでいく。
浅瀬の清流は彼の味方であり護りだった。
その中にいるとき、カスバの動きは少年を凌駕してさえいた。
彼はもともと漁師だったという。
西部の寂れた漁村で生まれ、海でそして川で日々魚を追い、その槍はかつては銛だった。
たしかにその動きは、絶えず動き続ける獲物を狙う狩人を思わせた。
「見えるよ」
カスバの動きに、ディニムは竜の戦士の姿を重ねる。
眷属との戦いでカイルの見せた、流麗な剣舞。
思い返せば、そこにはカスバの面影もうかがえた。
そしてそのもの水流のように滑らかな、武具の扱い。
それはカイルの、柔らかな手首の使い方に受け継がれている。
つねづね思ってきたことだが。
カイルはまったく、学ぶことに余念も抵抗もない。
あの若さであれだけの才があって、それでもなお貪欲に。
「いいものだな」
ため息のようなつぶやきがもれる。
カイルに技を伝え、受け継ぐことのできた者たち。
いつか命が尽きたとて、彼らはたしかにこの世界に“何か”を残した。
自分はどうなのだろう。
後ろで息を整える、オーシャを見る。
ディニムはオーシャに、剣を教えなかった。
生まれたときから、息子とは距離をおいていた。
オーシャはそれを意識していたかどうか。
物心つくころにはいつのまにか、父親よりも騎士団の連中に親しんでいた。
周りを見て剣を学び、自らの技を磨き。
気づいたときには、いっぱしの剣士に成長していた。
やがては誰もが認める最強の剣客へとなっていくが。
──息子。
確かにオーシャは、間違いなく奴は息子なのだが。
父親であるディニムとのあいだにはいつも、見えない隔たりがあった。
それはやはり、オーシャの出生によるものだろうか。
それとも“正しい出会い”ではなかったからだろうか。
正しいときに、正しいかたちでめぐりあえなかったからなのか。
愛さなかったわけではない。
けれど赤子のオーシャを腕に抱くたびに、ディニムは忸怩たるものに胸をかきむしられた。
自分は何もできなかった。
何もなせぬまま、ただ奪われたのだと。
最愛の妻を。
悪しき精霊に。
……。
ばしゃり、と波打つように水が飛び散る。
流水のように戦場をめぐるカスバの背中に、薄紅に瞬くなにかが映った。
「あれは──」
巨大な尾を上下にばたつかせ、無数の鱗を水面に反射させて。
カスバの周りにぴったりつき、半透明の体で防護の水流を生み出す精霊。
「──“鮭”か!」
なるほど、漁村で育ち魚に親しんできたのなら。
これほど彼と相性のよい精霊もないだろう。
人と精霊。
異なる種族が契約を結ぶという、偶然の奇跡。
けれどその出会いには、ある種の必然がある。
生まれ育った場所や環境。
培ってきた経験、人生そのもの。
その積み重ねが精霊との出会いを導く。
出会うべき時に、出会うべき互いを見出す。
カスバは領主に才能を買われ、漁村を出て騎士となった。
銛を槍に持ち替え、魚ではなく魔物を、そしていつしか人をも突くようになり。
それは戦士としてのあり方を、自身に問いつづける日々だったというが。
そのなかで彼は出会った。
己の精神を分かち合う存在との、最良の邂逅を果たした。
出会うべき時に、出会うべき相手と。
あるいはカイルが、竜精とめぐりあったように。
「おじさん、すごいなぁ!」
「そうか」
魚霊の加護を得たカスバの動きは、少年の超人的な身体能力でも容易にはつかめない。
刃は水を切るように手応えがなく、たとえ皮膚に触れようと肉までは届かない。
そしてカスバの槍は秋の時季、川を遡る鮭のごとくに力強くしなやかで。
水面に飛び散る泡沫を縫ってセーダを突く。
この神なき世界にあって、彼は内なる精霊と対話している。
心を通じ合わせ、互いを理解し、尊重し──
皮膚を突き破りそうなほどに高鳴る鼓動。
目の前の戦いに刺激を受けたのだろうか。
ディニムの内に棲む二頭の“獣”が、先ほどから毛を逆立てている。
「そうだな」
胸に手を当てると、彼らの繊細な毛並みの感触を思い出す。
ディニムと魂を分かちあった相棒。
正しい出会いではなかったかもしれないが、彼らはいまも最良の友だった。
「いくか、お前たち」
はたして“番犬”の牙に、ディニムの“猟犬”は食らいつけるか。
呼びかけに応えて




