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第146話 異界行──愛し子

ぱっかぱっかと少年を、浅瀬の向こう側へと誘う。

 水の上でも天馬(ウプア)の足取りは、空をかけるように軽快だった。


「……」

 少年は初対面でも親しみを見せる、黄金の馬に戸惑うけれど。


 安らぎを求める魂のように、ふらふらと後を追う。

 そして薄い緑の地面でついに力尽き、倒れこんだ。

 

《おとなり失礼しますね》

 ()()()()、とウプアは脚を折って。

 まるで自分の定位置であるかのように、少年の横にどっこいせと腰をおろした。


「その子を癒せるか?」

 訊くと、彼女はあいまいに首を傾ける。


《治癒力を高めることは可能でしょう》

 そう言って、黄金色の毛を少年にこすりつけた。


「……?」

 なにかを感じたのだろう。

 少年のこわばりが解け、ウプアの背に身をあずける。


「あんたは……」

《通りすがりのお馬さんですよ》


 ()()()()、とウプアは微笑んだ。

 少年は馬の笑顔をみたことがあるだろうか。


「彼を頼む」

 前を向き、俺は言った。


 馬女神には“力を与う力(リガニア)”がある。

 彼女のそばにいるだけで安らぐし、体力の回復も傷の治りも早まるだろう。




 川の向こうで音がする。

 叢にふせて、こちらをうかがっていた戦士たちが動き出す。


 姿を見せ、武器を構えるもの。

 木陰に隠れて矢をつがえるもの。


 そしてまだ姿を見せない無数の“影”が、森のなかに潜んでいた。

 多すぎて数えるのも面倒なくらいに。


「ずっと一人で相手してきたのか」

 大したものだと思う。


 一体何があって、こんな状況に陥ってしまったのか。

 どうして逃げずに戦い続けていたのか。

 今は知る由もないけれど。


《くるよ!》

 イアが力を送る。


 同時に森の奥から、いっせいに矢が放たれた。

 宙を突き破って飛んでくる矢は、少しの靄がかかったように輪郭があいまいだけれど。


 竜精(ドランシー)の助けがあれば問題ない。

 すべてを叩き落とすと、戦士たちが一斉に飛びだしてきた。


 俺は浅瀬の中ほどに陣取る。

 森は秋も深まって冬を迎えたころだろうか、水は冷たく、けれど心地よく。


 見えない何かが通り過ぎるように風が吹いた。

 どこかから飛んできた枯れ葉が、目隠しのように視界を塞いで。


 舞い散る葉っぱが、戦士たちへと変化する。

 ひとり一人の顔は、まるで夢の中にいるみたいにぼやけていた。


 ──


 ひと振りで数人を切り裂く。

 胴と足を切り離された彼らはそのまま雲のように散って、死体も残さない。


 刃を通して触れる感触も、いままで感じたことのない奇妙なものだったけれど。

 迷っているひまもなく敵は迫ってくる。


「……ふぅ」


 一度すべての疑問を頭から吹き飛ばして。

 俺は剣先だけに意識を集中した。




 倒しても倒しても、敵は次から次へと現れた。

 森の中に彼らを転送する門でも開かれているみたいに。

 それとも一度倒した敵が、えんえんと蘇っているみたいに。


 地上で戦っているのとは何かが違う。

 時間の感覚だけじゃない、体を動かすこと自体に違和感がある。


 もちろん剣を振ったり、イアから力をもらえば消耗するし疲れもするけれど。

 その疲労はどこか自分から少し遠い、()()()()()にある気がした。


《カイル、だいじょうぶ?》


 ぎこちない感じが伝わるのか、イアが気づかうように言った。

 彼女はしごく、いつもと変わらない様子だけど。


「……ああ」

 そう答えるものの、やはり違和感はぬぐえない。


 目の前に敵がいても、目の前にいる気がしない。

 敵を斬った瞬間に、もうずっと昔のことに思える。


 はじまりも終わりもない、()()()()()()

 入口も出口もない迷宮をさまよっているような。


 これが“異界”の感覚なのだろうか。

 すべてがどこか遠く、本物には思えない。


 けれど異物として押しやってしまうには、無視できない実感。

 ……。




 ときどき川向こうの少年にふり返る。

 馬女神のとなりで手足に薬を塗り、表情からは緊張が消えつつある。


 ウプアは……とくに何もしていないけれど。

 黄金の毛をしゃわしゃわこすりつけられ、少年はまんざらでもなさそうだ。


 ちゃんと休んで、癒やしを得られているだろうか。

 そう思うとふっと、少年と目が合った。

 彼はごまかすように顔をうつむかせ、足元の地面をつま先でこすって。


 ……なんだろう。

 その姿に、胸がほんのりあったかくなる。


 それはたとえば夜、イアと一緒に寝るとき。

 幸せそうな寝顔を浮かべる彼女を見て、こみあげるものにも似ていた。


 ──()()()()()


 そう語りかけたくなる何かが、少年にはあって。


《またくるよ!》

「ああ!」


 どこからともなく現れる無数の“敵”たち。

 正体も状況もわからないまま、それでも俺は剣をふった。


 それが為すべきことなのだと。

 大きな“流れ”のなかで定められた、必然なのだと。

 俺のなかにある()()()()()()がそう、ささやきかける。


 もう一度、少年を振りかえる。

 彼はいま馬の体に頭をもたれ、目を閉じていた。

 戦っている姿からは想像もできないほどに、あどけない表情で。


 胸の内にふつふつと滾るもの。

 そして暖炉の前にいるような優しい火照り。

 その両方が、かけがえのないものに思えて。


「……おやすみ、坊や」


 前を向き、俺は迫りくる“敵”を迎えうつ。




□□□




 日が沈み、また昇った。

 俺は一日中浅瀬で戦い続けた。


 途中から考えることもなくなって。

 ただひたすらに幻影のような“敵”を切り払った。


 木陰からは動物たちがこちらをひっそりうかがっていた。

 常緑樹なのだろうか、森はこの季節でも緑が多くて。

 地面に落ちた木の実をもとめて走り回る小さな影が、ちらちらと目の端に映る。


 戦士たちの一団をひと息に切り裂くと、森のほうでばさりと羽ばたくものがあった。

 見上げると、一羽の大きな黒い()が彼方へ飛び去っていく。


()()()()


 そして背後からかけられる声。

 見ると、一人の老人がこちらに駆けてきて。

 敵がひとまず()()()ことを俺に伝える。


「何も食べてねぇでしょう」

 老人の指さす先には火が焚かれ、その上に鍋がかけられていた。




 老人のもてなしで、俺はつかの間休息をとることができた。

 腹が減っていたわけではないし、疲労さえもそれほどなかったけれど。

 体はやはり、本来あるべき場所にないような()()を感じていた。


 温かなスープを口に含むと、体の芯に熱がはいる。

 たとえここが異界でも、その熱だけは確かなもので。

 食事は大事なんだって、当たり前のことに納得してしまう。


 そのままけっこうな量をいただいてしまった。

 まあ例によって、一番食ったのはイアだったけど。


 少年は一昼夜眠り続け、いまも目を閉じていた。

 ウプアもその場を動かず、まるで幼子を守るように少年に寄りそっている。

 ほんの少し先には戦場があるなんて、とても信じられない。


「強欲な()()()でさぁ」

 木の椀にスープを注ぎながら、老人が愚痴をもらす。

「自分の欲しいものは、何が何でも手にいれようとするんだよ」


 話をする老人は誰かに似ている気がしたものの。

 地上の記憶は、靄がかかっているように思い出せない。


「差し出すもんなんざ無いって突っぱねたら、大軍を率いて攻めこんできてさ」

 自身も喉をうるおし息をついて。

 馬によりかかって眠る、少年に目を向けた。


「それを今、()()()が食いとめてる。もう何日も何日も、たったひとりで」


 少年にそそがれる老人の視線。

 その優しさを俺も、いつかどこかで

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