第143話 東伐──猛攻
まず“警告”があった。
森に入った斥候が、あちこちに建てられた“柱”を発見した。
柱には呪いのような古文字が刻まれて。
警告だと気づいたときには、すでに遅かった。
斥候の消息が途絶え新たな斥候が森に入り、それを見つけた。
先の四人の首がかき切られ、警告の柱に頭部が吊るされていた。
ウルステウの本拠たる東海岸への道をふさぐ、冬でも葉の落ちぬ深く広大な森林地帯。
女王の大軍勢を相手にするなら、当然この地の利を活かすだろうが。
事態は予想をこえて深刻だった。
女王軍の先遣隊は“警告”を無視して森に入る。
そして浅瀬に出るまでの数日で、複数の部隊が壊滅した。
斥候と同様、全員が首をはねられていた。
“敵”は夜間にしのび寄り。
音も立てずに仕事をこなした。
現場には必ず柱が残され、“早くここから立ち去れ”とくり返していた。
早急に“敵”の位置をつきとめ、被害が広がる前に始末したかったが。
そう上手くはいかなかった。
軍団にはすでに、夜な夜な襲いかかる“影”の噂が広がっていた。
大軍であればあるほど恐怖の伝播は容易であり。
動揺が高まり脱走者が出てくれば、歯止めがきかなくなる。
あのまま潜伏と闇討ちをくり返されていたら、軍の士気にも響いていた。
少年が自分から姿を見せたのはむしろ、幸運だったかもしれない。
だからといって、今がそうというわけでもないが。
……。
突きだされた刃をかわし、すかさず放たれた横薙ぎを剣の腹で受ける。
ごきゅ、と腕の骨が軋んで。
勢いで体が浮きあがりかけた。
浅瀬をはさんで少年──セーダ・マクスァルダは追撃してこない。
まるでこちらが息を整えるのを待つように、余裕で肩を回している。
「おじさん、やるね!」
相変わらず子どものように、じつに楽しげに。
「一撃で倒せなかったのは、おじさんが初めてだよ!」
心底嬉しそうな笑顔を見せる。
「そうか」
口の中に滲んだ血を、足元に吐く。
たった数合の打ちあい。
どうにかすべてを受けきったものの。
鎧が意味をなさぬかのように、全身が痛んだ。
「どうせなら、敗北も覚えろ」
危機感と若干の不愉快を振りはらって。
ディニムは体内の魔力を解放する。
白銀の鎧が共鳴し、全身に加護の力が行きわたると。
痛みが遠のき集中が増していく。
「わぁ」
ほとばしる力に、少年が目を丸くする。
反応のいちいちが初々しい。
まさか本当に、戦場に出るのは初めてなのだろうか。
「よし、もいっかいやろう!」
物言いに挑発はなく。
ただ純粋に戦いを楽しんでいる。
自分の可能性を試すように。
自分に可能性があると、信じて疑わぬように。
──若さ。
いつか必ず失われ。
けれど誰もがいつか、必ず持っていたもの。
再び脳裏をよぎる、あの頃。
俺のあとにつき従った、彼らの眼差し。
眩しいのだろうか。
はつらつとしたその光が。
求めているのだろうか。
俺はまだ。
……。
「うわっ!」
打ちこむと、予想以上の衝撃だったか。
慌てた少年は武器の柄を両手で握り、かろうじて踏みとどまる。
ひと息に決めようと繰りだした、仕切り直しの一撃。
止められはしたものの、手応えがあった。
ここで押し切る。
体から無駄を一掃し、耀光剣の力を一気に引き出す。
刀身の輝きが強まり、包含した力で相手に圧力をかける。
「すっご!」
セーダ・マクスァルダの瞳が驚愕にふくらむ。
対峙してから初めて見せた表情。
ここで彼を倒さねばならない。
倒さなければ、女王軍に致命的な傷が負わされる。
そんな予感がする。
彼を自由にさせれば、女王軍の犠牲はさらに積み重なる。
数日続いた闇討ちと、首をはねられた百名近い兵士たち。
単独とは思えず周囲をあさったが。
“東”の兵士の姿は他になかった。
そして刃を交え、ディニムは確信した。
セーダはたった一人で女王の全軍を相手どるつもりで。
それを為しうる可能性を秘めていると。
──
「──!」
耀光剣が弾かれ、体が押し返される。
セーダの筋肉が一瞬、ふた回りほども膨れあがった。
「負けないぞ!」
己を奮いたたせるような叫びに、らんらん輝く赤い瞳。
力が湧きあがり。
押しつぶされそうな圧が放たれる。
まるで自身の才能の“核”をつかんだかのように。
少年の身体を爆発的な光が包みこむ。
そのあり様は、ディニムに旧い時代を思い起こさせた。
はるか昔、もっと自由で、すべてがおおらかだったあの頃を。
……。
耀光剣でなければ、剣ごと体を真っぷたつだったかもしれない。
振りおろされる細い刃が、まるで鉄槌のように重く。
「いくぞぉ!」
そして、すさまじく速い。
視認するのが精一杯。
いや、すでに目では追えない。
薙ぎ、払い、突いて。
刃をふるたびに速度があがっていく。
それは地に降りそそぐ雷雨のように。
海洋に吹き荒れる嵐のように。
あるいは地上に芽を出したばかりの若木の勢いで。
“番犬”の牙が、むき出しの猛威をふるう。
「でたらめだ──!」
ともすれば呼吸を忘れる。
わずかでも誤れば肉を裂かれ、臓物を貫かれる。
鎧など何の足しにもならない。
紙一重で受けるたびに後退し。
ついにディニムは浅瀬からはじき出された。
頬に降りそそぐのは川の水か自身の汗か。
ただ激しい動悸が、状況の切迫を伝えて。
「まだまだ!」
セーダが腕を高く、槍を振りあげる。
水を反射する赤い瞳は鮮血のように重く輝き。
手にした短槍は業物ではない。
たしかに“東”の冶金技術は高く、優れた武具が造られているが。
それはどこまでも、鉄をよく鍛えただけのもの。
神の祝福を受けし耀光剣に届くはずもない。
この強さはただひたすらに、少年自身の技量。
純粋に力で、セーダはディニムを凌駕していた。
「なるほど──」
不意におとずれる直観。
一撃一撃が鉄球のように重い猛攻を受けながら。
自分が今相手にしているのは、はたして“番犬”なのか。
いま女王が最も恐れること。
それはたった一人の人間。
カイル・ノエ──“竜の戦士”が敵に回ること。
力ある諸侯や貴族よりも、万の軍勢よりも。
女王はカイルを恐れている。
長い雌伏のときを我慢強く耐え、大陸の王へと頂きを昇ったように。
アイリーンはいかなる状況をも打破してみせる。
それだけの力と才、そして時機を見定める“眼”を、彼女は持っている。
その展望を覆しうるものがあるとすれば。
「そうか」
この世の理を越えた超常の一者。
その意思を継ぐ精霊とともに、大陸を歩む者。
その力が、自身に向けられることを女王は恐れている。
その恐れは実に正しい。
「これが──」
幻視。
たとえそこに“炎”がなくとも。
いまディニムが対峙しているものは。
「──カイルを相手にするということか!」
砲弾を撃ちこまれたような衝撃とともに、周囲の地面が削りとられる。
腕がまだついているのが不思議なくらいで。
「終わりっ!」
勝利を確信したセーダが、とどめの突きを放つ。
完全に体勢を崩したディニムの、埃で汚れた鎧の真中へと。
──
──届かない。
必殺の刃がすんでのところで地に落ちる。
「まあ急ぎなさんな」
現れたのは、にやついた初老の剣客と。
「間に合ったか」
法衣をまとう僧のような、坊主頭の槍兵。
ふたりの救援に




