第130話 再会
「終わったのか」
宮殿の正面広間で出迎えると。
「ああ、終わったよ」
そう答えるファーガスはどこか清々しく。
体からは、かつてあった精霊の気配が消えて無くなっていた。
カイルやディーネ、精霊たちと別れを交わして。
ファーガスはわずかな護衛だけをつれ、“東”へと出立した。
民衆の支持を集める政権の要であり、まして女王との婚姻を控えた身ではあったものの。
今回ばかりは黙って送りだした。
故郷も近く、久々に顔を出すつもりだと言って。
その背中はまるで聖地におもむく巡礼者のようだった。
心配性な女王陛下も婚約者の意思を尊重し、口を挟まなかった。
長い時間をともにしてきた精霊との別れ。
水を差すことはできなかったのだろう。
ファーガスが相棒──岩鉄の精霊クローガンと出会ったのは、東部に多い鉱山のひとつ。
駆けだしの冒険者だったころ、鉱山に巣食った魔物の退治に出向いた際に、契約を交わしたという。
「揺るがぬ“盾”としてあること。それを、あいつが教えてくれた」
体に染みわたる岩と鉄の力が、ファーガスの極めるべき道を示した。
それからずっと、彼らはともに歩んできた。
長い歳月の中でどれだけの達成と喜びと、そして悲しみを共有してきたか。
寡黙なファーガスは多くを語らないが(クローガンもだ)。
彼らの気持ちを想像しても、許されるのではないか。
己の半身にも等しい相手との別れ。
俺とて、知らぬわけではなかった。
……。
「当時の坑道がまだ残っていてね。その奥に流れる霊脈へと、還っていったよ」
感慨はすべて吐きだしつくしたのだろう。
事実だけを淡々と、ファーガスは語った。
アイリーンと出会って──それ以前にカイルと出会って。
多くものごとに“区切り”がついたと、ファーガスは言った。
ここが終端ではない。
彼の人生はこれからも続いていく。
だが精霊との別れは間違いなく、ひとつの“終わり”の訪れだった。
まるで滾々と流れる河を、節々で分かつ滝のように。
……。
精霊の最期。
クローガンはこれから、永い眠りにつく。
失われた力を取り戻すため。
人の空気に汚れた魂を浄めるため。
次にいつ目覚めるかもわからない、果てしない眠りに。
精霊の時間は人の尺度とは全く異なる。
本来は交わり得ない両者の邂逅。
この切り詰められた人間の時代に、彼ら超常の存在がいまだあるということ。
それ自体が奇跡なのかもしれないが。
あるいは永き眠りの果てに再びの目覚めが来るとしても。
その節目にふさわしい、いっときの“終わり”を与えること。
それこそが、人に課せられた役割なのだろうか。
……。
“精霊殺し”。
いつかカイル・ノエが言っていたことを、ふと思い出して。
「途中である人と出会ってね。思うところあって連れてきたのだが」
向こうで待たせている、とファーガスは控えの間の方を指した。
宮殿の正面脇に設けられた、来客を一時留めるための小さな館。
古くは暗殺も多く、行われたというが。
ファーガスの太い腕についた、しるしに目がいく。
目立たないようにしてはいたものの、皮膚に貼られた護符は明らかに治癒魔術の痕跡だった。
「何かあったのか」
俺の視線に気づくと、ファーガスは、ああ、と目を伏せて。
「途中で賊の襲撃にあってね。だがこの通り、無事に切りぬけたよ」
どう見ても“無事に”、ではなさそうなのだが。
ファーガスはなんでもないように、護符を指でこすってみせた。
選択肢はあったのか、なかったのか。
恐れていた事態が起こってしまった。
女王が耳にすれば、顔を火球のように赤らめて怒り狂うだろう。
「すまない。やはり──」
「いいや、自分で決めたことだ」
ファーガスは首を振った。
相棒を静かに送るために、覚悟の上で出立したのだと。
ファーガスの一行は襲ってきた賊を撃退し、一名を捕らえたという。
相手は入念に準備と装備を整えていたというが。
「その“ある人”が、手を貸してくれたんだ。目を見張るほどの達人だった」
襲撃は鉱山から街道へ出る途中の、人気のない林道でおこった。
生い茂る木々でただでさえ見通しが悪いうえに、左右の岩壁は格好の待ち伏せ場所だったが。
その男は偶然、居合わせたという。
一人で諸国を歩き、霊脈の高い地域をめぐっていたのだと。
従者たちが負傷する中、男は奮戦するファーガスのとなりに音もなく寄って。
“手をかそう”と一言、剣を抜いた。
「彼が賊の一味だったら、そこで私は斬られていただろうな」
ファーガスの笑みの向こうには、隠しきれない疲れがあった。
自分で語る以上には危機的状況だったのだろう。
襲撃者たちは一行の前後を塞ぎ、射手や魔法使いもそろえていた。
屈強な“盾”といえど精霊のない身には分が悪い。
一時は死を覚悟したらしいが。
たった一人の援軍が、戦況をひっくり返した。
「すばらしい剣士だった」
わずかなためらいは、自分の記憶と感触を確かめるかのようで。
動と静が流れるように入れかわる、無双の剣技。
地に確かな足をつけながら、同時にこの世のものではないような、幽玄の気配。
「まるで、もう一人のカイルを見ているようだったよ」
団長にもぜひ会ってほしい。
ファーガスの言葉を聞き終える前に、俺は歩みだしていた。
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かかとが石畳に落ちるたびに、心臓が強くうつ。
高鳴りなどではない。
緊張と恐怖、郷愁と後悔。
決して名づけえない、感情の渦巻き。
激しく捻れたそれは、大蛇のように巨大な奔流となって。
時の壁を越え、どこまでも追ってくる。
そしてついに、その先端が俺をとらえた。
逃げることはできない。
全てはまだ、続いているのだから。
気配が近づいていく。
回廊を一歩進むだけ、時が巻き戻っていく。
唾を飲みこみ喉を鳴らし。
指の先を小さく震わせて。
体の半分は恐れおののいているのに。
前に進む足を止めることができない。
石畳がざらざらと砕けて、砂埃をたてて吹きあがり。
俺の体を深く深く包みこむ。
まるで邪悪な魔術師が唱えた、呪いの霧のように。
その向こうにあるのは、逃れえぬ過去だろうか。
それとも、この世ではない異界だろうか。
あるいは見ることも叶わずに崩れおちた、はかない夢の残骸だろうか。
扉を開ける。
部屋の中では一人の男が手を背中に組んで。
四方に目をやり、装飾を眺めている。
中に足を踏みいれると、男は振り返る。
若々しいその姿は別れたあの日──最後の日のままだった。
「これは、どうも」
そして俺を前にして、驚くこともなく。
「ずいぶんと、ごぶさたしてしまいました」
待っていたかのように。
ずっと、待ちかねていたかのように。
「再び会えて、光栄です──」
そう言って、片腕を胸の上に当て。
懐かしい──ああ──懐かしい。
「──父上」
騎士団の礼を、オーシャは示した。




