第126話 大丈夫
小屋の外には村の子どもたちが集まっていた。
おひさ〜、とイアが声をかけると、いっせいに俺たちをとりかこんで。
精霊たちの手を引いて連れて行ってしまう。
イアとエリィ、小さな二人は子どもたちと一緒になっても違和感がない。
君たちは本当に精霊なのか?
その間に俺はディーネと村を回った。
王都からは流行の生地や装飾など、いろいろと土産をもってきたけど。
喜ばれたのは、刃物のような日常の道具だった。
そして予想できたことに、みんなが俺とディーネの関係を尋ねた。
新しいお嫁さんかい、って。
誤解を招く表現はやめてほしい。
ディーネは以前、アイリーン女王に俺の相手と勘違いされてえらく慌てていたけど。
“そんなことありませんよ”なんて、今日はとても落ち着いていた。
散々言われて慣れっこになってしまったのだろうか。
それはそれで物足りない。
そろそろ、はっきりさせたいとは思っているんだけど。
……。
村には魔除けの結界が張ってあった。
どうやら叔父さんが、結界術の専門家を呼んだみたいで。
おかげで最近は害獣も魔物も見られないという。
「うん、よくできてる」
結界の起点を調べて、ディーネが感心していた。
“このほうがいいんじゃない”とかダメ出ししていたのは、魔法使いとしての対抗心だろうか。
叔父さんが依頼を出したのは、“西”の冒険者組合らしい。
優れた結界にもそれなら納得がいく。
“西”の冒険者たちの実力は、今俺の近くにいる兵士や騎士たちにも劣らない。
そして貧しい人々のために、あえて厳しい環境に身をおく使命感も備えていた。
「ずいぶんと熟達してたな。歳に似合わずというか」
そのときの様子を聞かされ、心臓がとくんと打った。
「どうも、お前さんのことを知ってるみたいだったぞ」
もしかして以前同じギルドにいたのかもな、と。
……。
今でも心残りはある。
仲間に迷惑をかけたまま、償うこともできずに逃げてしまった負い目。
大陸の情勢を鑑み、“西”の諸侯もぞくぞくと王都に使節を送り、女王に従いつつある。
アイリーン女もは折を見て、大陸各地を訪問する予定だった。
俺もまた、“西”を訪れる機会があるかもしれない。
……。
□□□
夜にはささやかな宴が開かれた。
広場に焚かれた火の周りで、俺たちは秋の収穫物を食す。
叔父さんは酒で酔うと弦琴を腕に抱えて。
朗々とよく通る声で、村に伝わる古歌を歌った。
──
故郷を追われ長い放浪の果て、この地にたどり着いた。
仲間とともに、今までどうにか生きてきたが。
永遠にとどまることはなく、いつかまた旅に出るだろう。
──
昔からよく聴いた歌だった。
子供の頃は内容をよく理解していなかったけど。
改めて耳にすると、歌われているのはかつて村を興した“旧き人々”の、苦難の物語だった。
亡くなった婆さんもその末裔らしい。
日々祈りながら、時のかなたに響く彼らの“声”に、耳をすませていたのだろうか。
音楽に合わせ俺はディーネと焚き火の前で踊った。
村の祭装束に身をつつみ、ディーネは長いスカートの裾をつまんでぎこちなく体を揺らす。
「ごめん、ちょっと……慣れてない」
初めての踊りにさすがの天才魔女も戸惑い気味。
「まかせて」
俺は彼女の手を握り、腰に手を回してリードする。
夜闇に盛る焔に、赤らんだディーネの顔が映って。
間近にすると、やっぱりとても美しかった。
村の男女は宴で一緒に踊り、互いの気持ちを確かめあった。
昔と比べれば意味合いはだいぶ薄れていたけれど。
手のひらを通して、ディーネの温かな熱が伝わってくる。
彼女に触れている時間はやはり、俺にとって特別なものだった。
イアとエリィは村の子どもたちと踊っていた。
それぞれに鮮やかな装束をまとい、王都で学んだ華麗なステップを踏んでいる。
イアは楽しげに声をだして、相手といっしょにはしゃいで。
エリィの手を握る男の子は、しとやかな少女を前に緊張していた。
……変なことするんじゃあないぞ?
酒が入った大人たちは機嫌よく笑い歌い、子どもたちは夜が更けても騒がしかった。
変わらない村の様子に心はほっと落ち着くけれど。
考えなければならないことが、たくさんあった。
自分や仲間のことだけじゃない。
この世界──大陸の行く末についても。
天馬は言った。
闇が目覚めると。
はるか遠い昔、深い地の底に封じられた邪悪。
その封印が解けようとしていると。
その闇はまたたく間に、大陸全土を覆うだろうと。
……。
──流れ。
思えば俺が村を出たときから始まっていた。
すべてが一つの流れの中で、あらかじめ決められていたみたいに。
黒炎のせいで団を追われて、村へ逃げ帰る途中でイアと出会って。
そこからは怒涛だった。
ロンゴードでディーネ、ファーガスという仲間を得て、蛇の王を討ち果たし。
王都へと招聘され、アイリーン王女の戴冠を助けることになった。
“選定の儀”を迎え、祠の島で王女の真意を知り。
彼女の喚び出した眷属の王、銀碗王に相対し、そして──
俺は一度死に、そして蘇った。
思い出すたびにぞっとする。
自分が今生きていることが、偶然でしかないと。
たしかに俺は、竜精という最強の精霊の力を得たけれど。
強大な怪物たちとの戦いはいつも紙一重だった。
そう。
俺は、いつ死んでいてもおかしくなかった。
名も知れずに消えていった、数多の冒険者たちと同じように。
いまごろ死体を野に晒すか、獣の胃に収まっていたかもしれない。
偶然の出会いが俺を救ってくれたように。
偶然によってまた、俺は滅んでいたかもしれない。
細い糸の上を歩くような、頼りない道を渡ってきた。
何かをひとつ間違えただけで、すべてを失っていた。
そして今、俺は大陸の王の臣下として、いつのまにか無視しえない影響力を持つようになって。
少なからぬ人々の運命を、変えてしまう可能性がある。
これから本当に、“闇”が訪れるのなら。
俺は絶対に、間違えるわけにはいかない。
「カイル?」
気づくとディーネが不安げに見つめていた。
俺は、彼女の手を強く握っていた。
「ごめん」
慌てて離そうとするけれど。
「どうかした?」
ディーネはぎゅっと俺の手を握りかえし、体を寄せる。
赤い髪から、柔らかな香りがそよと薫る。
「……これからのこと、考えて」
怖くなったと、俺は正直に答えた。
ロンゴードの山で俺はディーネを失いかけた。
一瞬の隙が、彼女の生命を奪いかけた。
再び、あんなことになってしまったら。
怖くてたまらない。
自分がまたいつ間違いを犯してしまうか、不安でいっぱいで──
「大丈夫」
ディーネの吐息がふっと、首筋にかかった。
彼女は体をぴったりくっつけて、俺の肩に頭を乗せて。
「私がずっと、一緒にいるから」
村の装束に包まれた彼女の胸が、きゅうと押しつけられて。
互いの鼓動が、溶けあうようにひとつになって響く。
──大丈夫さ。
どこかから婆さんの声が聞こえた。
──お前さんは、大丈夫だよ。
村を出る前、最後に受け取った言葉。
巡り巡って、今まで俺を生かしてくれて。
大切な仲間たちと出会わせてくれた導き。
広場の隅に目をやれば、婆さんが今でもそこにいるようだった。
土に還っても変わらずに村を見守ってくれていた。
「ありがとう──」
彼女の細い腰に手を回す。
抱きしめている俺のほうが包みこまれていくみたいに。
柔らかな体はとても温かかった。




