第120話 闇の気配
ディーネの放った螺旋渦が、エリーシャを呑みこんだ。
そのまま墓王の脇腹へと刺さり、巨体が大きく傾ぐ。
竜の力で研ぎ澄まされた俺の目は、その隙を逃さなかった。
ひと息に距離を詰め、鎌をかわし懐に飛びこむ。
のけ反った墓王の首に飛びつき、黄昏の陽を深く突きたてて。
体の奥深くに、竜炎を注ぎこんだ。
断末魔をあげ、墓王は長い上体を地面にこすりつけるように倒れた。
体をつつむ暗幕が焼け焦げて、黒い塵が宙に舞う。
わらわらと蠢いていた骨の脚が力を失い、ばらばらと崩れおちた。
完全な沈黙を確かめ、剣を引きぬく。
刀身にはドロリと黒いものがまとい、竜炎の熱に溶けていった。
墓王に召喚された霊体も消滅したみたいで。
兵たちは残った死霊の討伐に向かう。
間もなく、戦いは終わるだろう。
「思った以上に円滑だったな」
ファーガスが兜を脱ぎ、周囲を見回して歩みよる。
戦う前よりもさらに、体から力が抜けてしまったように見えた。
「初めて会ったときから、君はさらに成長したようだ」
竜炎に焼ける墓王を見上げ、ふっと息をつく。
「ありがとう、カイル」
畏まる俺に、ファーガスは言った。
「これで、大きな区切りがついた」
仇である眷属の討伐と。
そして立派に成長したディーネ。
「君には確信があったんだろうな」
問われて、俺はうなずいた。
エリーシャが“槍”を放ったとき、俺は直感で悟ったのだ。
今のディーネなら、十分に打ち勝てると。
情けないことだ、とファーガスは首をふる。
「自分の“役割”がとうに終わっていたことに、気づかなかった」
消沈するファーガスの気持ちは、けれどなんとなく分かる気がした。
最愛の人から託されたものを、ずっと見守ってきたのだ。
大切に思うあまり、目が曇ってしまっても仕方ないんじゃないかって。
「エリーシャはだから、私をつきはなしてくれたのだろう」
彼女の痕跡を探すように、まだ暗い“夜”を見上げる。
墓王の光はきっと、人の心に強く刻まれた相手を、幻影として喚びだすのだろう。
けれどファーガスの前に、エリーシャは現れなかった。
死者の気持ちを推し量ることはできないけれど。
きっと彼女は気づいていたんだ。
もう先に進むべきときなのだと。
たとえ忘れられなくても。
その記憶が永遠に、脳裏に刻まれようとも。
残された人は、生きていかなくちゃいけないから。
「ファーガスさん」
たたた、とディーネが駆けてくる。
相当な力を消費したのか、まだ肩で息をしていた。
「素晴らしかったよ」
そう声をかけるファーガスは、まるで巣立ちを見送る親鳥のようで。
「ファーガスさん……」
ディーネは隣に膝をつき、そしてがばっと、ファーガスを抱きしめた。
「ありがとう、ございました」
煤けた鎧に顔を沈めて、細い体をふるふる震わせて。
声を上げ、そして泣いた。
「礼を言うのは私のほうだ」
君は本当に強くなった、とディーネの背を優しくさする。
抱き合う二人はまるで、本当の親子みたいだった。
「よかったね」
少し離れて二人を見ていると。
イアがぎゅっと、後ろから首に手を回してきた。
「ああ」
その小さな手に、俺はまだ竜炎に火照る手のひらを重ねた。
「ひと段落したようだな」
砂を引きずるような音をたて、ディニムがふらりと現れる。
腰のベルトがくたくたに緩み、剣が頼りなく揺れていた。
白銀の鎧も傷つき汚れ、相当な激戦だったのだろう。
相手は誰だったのだろう。
団長にとってやはり、大切な人だったのだろうか。
そしてあの剣。
燿光剣に黄金をまぶしたみたいな、神聖な輝きを放っていた。
騎士団長、ディニム・グレイオール。
関わるたびに謎と疑問が浮かぶ、不思議な人だった。
戦場はすでに掃討戦にはいっていた。
勢いをかった兵たちが、遺跡から死霊を追いはらう。
“夜”はまだ薄く広がっていたけど、墓王という中心を失った死霊たちは狩られるままだった。
それとも、統制なんてなかったのかもしれない。
地上に出た墓王の後ろに、彼らはただついて行っただけのような。
……。
「こいつらはどうして、地上に現れたんでしょう」
独り言のように俺はつぶやいて。
もともとが冥府に生きる存在。
こんなふうに一斉に溢れだすなんて、聞いたことがない。
「どうだろうな」
ディニムは思案げに、地面に潰れて横たわる墓王に目を落とす。
徐々に静寂を取りもどしていく遺跡に、乾いた風がふく。
細かな砂埃がさわさわと、予感のように薄闇に巻きあがる。
「カイル」
何か思い当たったように、ディニムは言った。
「兵たちを引きあげさせたら、竜炎でここを焼き払うんだ。跡形もなく、もう二度と、何も出てこられないように」
落ち着いた口調には、有無を言わせないものがあった。
この戦場に足を踏みいれた誰もが、密かに抱いていたのかもしれない。
自分では気づかないくらいの、ささやかな違和感。
──
それは黄昏に這いよる影のように現れた。
墓王の体を内側からめりめりと押し破り。
俺たちの前に、その半身を晒した。
ぶずぶすとけぶる黒い煙のむこうに、暗い色の甲冑姿が見えた。
身の丈をこえる長柄を握り、おぼろな闇にゆらゆらとたゆたう姿は、まるで夢が現実に溢れだしたみたいで。
──
戦いのあとで、緊張がほどけていたのだろうか。
長柄がゆっくりと掲げられる動きを、俺はぼぉっと眺めて。
柄に手をやるのが遅れた。
戦士としては致命的。
周囲の全てがゆっくりと動いて。
長柄が、俺の脳天へと振り下ろされた。
──
「カイル!」
叫んで、ファーガスが前に出た。
巨体を素早く動かして。
双刃槍で、刃を受け止めた。
金属がぶつかる高い音が、キンと耳を震わせる。
そしてファーガスの槍の柄が、木の枝みたいにあっけなく砕け散った。
「ファーガス!」
──斬られる。
あの刃はファーガスの鎧を、紙切れみたいに切り裂くだろう。
そのまま、全身をまっぷたつにする。
俺はようやく、剣を半分引きぬく。
イアのほうが先に、鞘の中の刀身に炎を走らせる。
一歩前に踏み出す。
けれど間に合わない。
ここまできて、ファーガスを死なせるのか。
叫ぶにすら足りない、刹那の間。
ファーガスの眼前に、クローガンが飛び出した。
岩の体を無数の礫に分かち、長柄の刃へとまとわりつく。
長柄がそのまま、ファーガスの体を袈裟に斬りつけた。
「ぐぅっ!」
鈍い衝撃とともに、ファーガスの体が地面に沈みこむ。
砂塵に混じり口から血が飛び散った。
「ファーガス!」
ようやく態勢を整え、俺は倒れたファーガスの前に出た。
「うぐ……」
岩礫で切れ味を奪われた刃は、鎧を深くへこませていたけれど。
肉体の両断をかろうじて防いでくれた。
ずずりと、長柄が重々しく引き上げられる。
そして俺は、墓王の体から現れた黒い影と向き合った。
「……“騎士”?」
ぽつりと漏らすと、黒い影がごぽりと音を立て、全身をあらわにする。
それは墓王をつつむヴェールにも似た、おぼろな闇をまとう。
黒い甲冑に身を包んだ騎士が、漆黒の鎧馬にまたがっていた。




