第117話 死者たち
圧倒していた。
戦う前には想像もできなかったくらいに。
墓王の黒い妖光を吹き飛ばし、宝剣で切りこむ。
体に触れても、霞を払うような感覚しかないけど。
「──」
墓王の上体が激しくざわめき、地の底から鳴るような重音を響かせた。
確かな手応えを感じ、攻めの手を緩めない。
後方や側面から、ディーネの火炎魔法が援護してくれる。
威力と手数を兼ねそなえた魔法が、墓王の動きを抑えてくれる。
経験を重ね、俺たちは確実に強くなった。
相手が眷属でも怯みはしない。
「攻めきるぞ!」
イアとともに前に出る。
墓王の死の熱息は、竜炎ですべて薙ぎはらい。
ガイコツの密集した胴体へと、黄昏の陽を突きたてて。
──
光が見えた。
墓王の黒い霧のような体表に、亀裂が走って。
漏れ出した光が、周囲を白く染めていく。
光の膜の上には、砂嵐のような不鮮明な映像が滲む。
まるで心の奥底の記憶が、封印を解かれるように。
それは、致命的な何か。
「──!」
危機感が胸を突風のように吹きぬけて。
考えるより先に、俺は光を炎で断ち斬った。
浮かびかけた映像が燃えあがり、黒い塵となって消えていく。
けれど再び墓王の姿が現れるまでに、その断片が見えて。
──
「……スクゥア?」
ぼやけていたけど、確かにそれは彼女だった。
けれど俺の知る彼女とは、少し違っていて。
美しい肌はゆったりとしたローブに隠れ、まるで古い祭祀のような姿。
そして、俺がいる。
体はずいぶん小さいけど、間違いなく俺だった。
地面に倒れて、空を仰いで。
細い喉から苦しげに息をもらし、薄い胸を上下させる。
周囲には黒い炎がごうごうと燃え盛って。
おぼろげな暗い壁が二人を、押しつつもうとしていた。
そしてスクゥアは槍を両手で握りしめ。
俺の胸に、深く突き刺していた。
フードの下で表情は見えない。
けれど、俺は彼女に微笑みかけていた。
全てを赦すように。
なにもかもを、受けいれるように。
頬に、涙が落ちて。
──
なにが起こっているのかまったく分からないままに。
目の前がふっと暗くなる。
奈落に落とされたような不安に包まれ。
闇の中に、何かが瞬いた。
まるで地下水が染みだすみたいに、浮かびあがる。
深い深い地の底で
長い長いときを経て。
よみがえろうとしている。
巨大な、単眼の怪物。
──
すべては遠い、いつかの記憶。
□□□
予感はあった。
私は、向きあうことになるって。
カイルが話してくれたから。
ファーガスさんのこと。
どうして、私のそばにいてくれたのか。
今までずっと、私を守ってくれた。
気持ちを押し殺して、そばにいてくれた。
すり減って、ぼろぼろの心と身体で、ここまで一緒に来てくれた。
ファーガスさんがいなかったら、私はずっと前に魔法使いを諦めていた。
冒険者を続けていたとしても、きっとどこかで死んでいた。
カイルにも、エリィにも会えなかった。
ファーガスさんが、私を導いてくれた。
……。
だから、もう。
もう、休んでほしい。
女王様のそばで、傷ついた体を癒やしてほしい。
今女王様にファーガスさんが必要なように、ファーガスさんにも女王様が必要な人なのだ。
それぞれの傷がぴったりはまって、ひとつになれる相手。
寄り添いあい、互いを癒やしあえる、そんな存在。
ファーガスさんは引退を決意したみたいだけど。
このままじゃ、きっとわだかまりが残ってしまう。
だから私が──私たちが、きちんと終わらせる。
墓王は、カイルが必ず討ってくれるから。
私は証明するんだ。
もう大丈夫だって。
もうちゃんと、一人で歩けるって。
「そうだよね──」
目の前にたつ、とんがり帽子の魔女に。
私がずっと憧れてきた、大好きだった人に。
「──お姉ちゃん」
杖を掲げ、私は挑む。
□□□
墓王に対するのは初めてだが、死を操る力というのは聞いたことがある。
ならばこの状況も十分、想定の範囲だろう。
彼方の異界より、死者の幻影を喚びだす。
実に、“冥府の使徒”らしいじゃあないか。
「そうは思わないか」
馬を降り、目の前の男に問いかける。
端整な顔立ちは、暗い靄に覆われているものの。
今の世でも十分に通用する、美しい男だった。
かつてともに大陸をかけた、忠義の騎士。
長槍と剣を携えた、二刀の戦士。
騎士団の礼を愚直に守っているのか、他に獲物は見当たらない。
あの頃と変わりない、バカ正直なやつ。
誰が来てもおかしくはないと思ったが。
あまりにも順当にすぎて、つまらないくらいだ。
「戦もずいぶん変わっただろう」
周囲の兵たちを眺めわたす。
戦士たちは吹きすさぶ風のように、流れ落ちる瀑布のように戦場をかける。
人を魂なき駒ととらえ、合理による戦術の欠片と置き、冷徹な差配の元で動かす。
己の名誉と誓約にかけ、互いに名乗りをあげ好敵手と武を競いあった、かつての戦場はどこにも無い。
「ここはもう、お前のような生粋の騎士が生きる場所ではないんだ」
上滑りする言葉に、笑い出したくなるのをどうにか抑えて。
「だからおとなしく還ってくれないか。今、お前がいるべき場所に」
影のようにゆらめく騎士は答えない。
幻影に意思があるかは知らないが、気持ちは分かる。
他ならぬ俺が、お前を踏みにじったのだから。
二刀を手に、騎士は腰を落とす。
隙のない美しい構え。
かつて豊潤な魔力と、煌く聖性にまばゆかった刃。
永い死と腐りをへて、黒く薄汚れていた。
刀身を包む闇を見て一瞬、斬られてもいいと思う。
奴にはその資格と、そして誓いがある。
死の間際、無念とともに自身にかけた呪い。
それで許されるのなら、安いものだ。
「そうは言っても」
剣にこびりついた骨片と、土色の煤を払う。
「ここで倒れるわけにもいかんのでな」
胸に手を当て気配を探る。
いつもは眠ってくれるよう言い聞かせているのだが。
都合の良いものだ。
「精霊というのはどうにも苦手だな」
だが好き嫌いなど言ってはいられまい。
「頼むぞ、お前たち」
遠い日をともに駆けた相棒たちを、揺り起こす。
体に流れていく異様な力。
これを快とする者もいるが、俺には理解できない。
“精霊”。
本来人と混じり合うはずのなかった、異界の住人。
だが一人の男が──“最初の契約者”が、それを成した。
成してしまった。
夢を抱き希望を信じ理想を掲げて。
それが虚しく砕け散るなど、思いもしなかった。
「すべては、神の采配か」
燿光剣に、二つの精霊の力が流れていく。
光の筋がまるで螺旋のように絡みあい。
巡り巡って繰りかえす生命と運命と。
まるで今の俺自身のように。
「俺は、その先が見たい」
あらわになった聖刃を構える。
偉大なる女帝、眷属の目覚め、そして竜精を宿す者……。
大きな流れがこの大陸を動かし始めている。
たとえこの地に、どれほどの血と悲劇が滲んでいようと。
未来に期待せずにいられようか。
「退いてもらうぞ、ヤーミア」
聖剣の光が、“夜”に白線を引く。
背中では、二頭の獣が唸りをあげていた。




