第108話 そのとき
「目が覚めてなによりだ」
街の門前で出迎えた領主の男は、そう言って俺の手を強く握った。
騎士家の嫡男で、若い肉体からは溌剌とした活気があふれていた。
それはアイリーン女王が不遇の時代にあっても、つき従った者たちに共通する特徴だった。
前政権打倒の達成感や、出世の道がひらけたことへの万感だけではなくて。
彼は自らの戴く女王に心酔していた。
なぜアイリーン女王を支持するのか。
問われると、彼らは口をそろえて言う。
そのほうが面白いから、と。
彼らは女王が、古い世界をことごとく破壊していく姿に興奮し。
そして彼女が創る新たな世界に期待していた。
打算や保身はもちろんあっただろう。
けれど、それ以上の何かを彼らは求めていて。
アイリーン女王が、その先を見せてくれると信じていた。
たとえその激流がいつか、彼らまでをも呑みこんでいくとしても。
むしろその流れに溺れることさえ、望んでいるのかもしれない。
街奥の館に着くまで、領主は新女王の素晴らしさを(じつに)熱く語ってくれて。
アイリーン女王の威光は、ますます輝きを増しているようだった。
□□□
「最初は遺跡近郊の農民たちだ」
領主は酒を杯についで、俺たちにも勧めた。
処刑された前領主の執務机にゆったりと腰を下ろし、首をぐいっと後ろに傾けて。
騎士というよりも、冒険者あがりの雰囲気だった。
「おおかた戦場漁りだろう。かき集めた物品の隠し場所を探していたみたいだな」
“収穫”を得た人々は、荷馬車を引いて遺跡に向かった。
ずいぶん前に魔物が出現したという噂があったものの、最近は静かなもので。
大量の荷を置くには格好の場所に思えたのだ。
「十人ほどいたらしいが、生き残ったのは二人だ」
怪物に襲われたと、農民たちは駐屯軍に訴えてきた。
今までに見たこともない、巨大で不気味で、おぞましい化け物だったと。
話を聞いて警備兵の一部が遺跡に向かい、消息を絶って。
「ようやく俺のもとに報告がきて、調査団を編成したんだ」
そして遺跡に死霊の群れを確認し、領主は即座に女王へ伝令を送った。
魔物被害は珍しくないし、領民が数名消えたくらいで領主は指先ひとつ動かしはしない。
少なくとも、これまでは。
“いかなる小事であれ、目に映る全てを報告せよ”。
怠惰には相応の罰が下る。
女王の命に、新領主は忠実だった。
「現在昼夜を問わず、遺跡の監視を続けている。今は目立った動きはみられないが……」
監視隊の魔術師によると、遺跡には強い魔力が滞留し、迂闊に近づけないという。
「死霊なら、陽が出ているうちに浄化するとか……」
俺は短絡的にそう考えるけれど。
「奴ら──おそらく中心にいる化け物が、夜を作りだしている」
光のもとでは活動できない死霊たち。
けれど遺跡の周囲は昼間でも闇に覆われて。
強力な領域が、太陽光すら遮っていた。
「人知を超えた怪物さ」
領主はまた酒をあおり、やれやれと首を振った。
「だが女王は、切り札を遣わした」
ディニムが俺のほうを見る。
「この世ならぬ存在を狩る、最強の戦士を」
部屋にいるみんなの視線が俺に集まった。
責任の重大さに、背中がぴきぴきと固くなるけれど。
「イアたちに任せて!」
緊張する俺の隣で、イアは腕組みをしてふんすと鼻を鳴らす。
尾の先をひゅんひゅんと回し、頭の角も自信たっぷりに天をついていた。
領主は竜精に最初こそ驚いていたけど、すぐに慣れてしまったみたいで。
頼りにしてるぞ、とイアにも酒を勧めてくる。
こら、受けとろうとするんじゃない。
「二枚看板も揃いぶみとあって、兵がざわついているよ」
領主の言葉に、騎士団長はうなずくけれど。
ファーガスは考えこむように、視線を落としたままだった。
「ファーガス?」
「……あ、ああ」
声をかけると、ファーガスは領主にこくりと首を傾けた。
珍しく、愛想笑いなんて浮かべて。
気負う気持ちは理解できる。
なにしろこれから相手にするのは、最愛の女性の命を奪ったかたきなのだから。
……。
出立前にブリギッドと話をした。
どうやらアイリーン女王は、ぎりぎりまでファーガスの同行を渋っていたみたいで。
とても、不安な様子だったと。
ファーガスの過去をどれだけ把握しているのか。
分からないけれど、彼女なりに直感するところがあったのだろう。
「パパのこと、よろしくね、カイル」
ブリギッドは俺の手を、両のてのひらで包んで。
あたたかな“聖女の祝福”を施してくれた。
体の中にすっと入りこむ、吐息のような温もり。
異界の化け物を相手にするにあたって、これほど心強いお守りもなかった。
□□□
宿舎に向かうころには夜はすっかり更けて、月が薄曇りの空に隠れていた。
行軍の疲れとわずかな酔いで体が重かったけど。
「ディーネ」
外廊下にたたずむ彼女に気づき、声をかけた。
山越えのあいだはなかなか話す機会がなくて。
俺の中のディーネ分が足りなかった。
振りかえる彼女はどこか上の空だった。
疲れているのか、それとも具合でも悪いのだろうか。
「ファーガスさんのこと。なんだかすごく……思い詰めてそうだったから」
いつも以上に口数が少なく、まるでひそかに怒りを溜めこんでいるようだと。
ディーネはそう、力なく首を振った。
「出発前にね、一度反対されたの、ファーガスさんに」
今回の遠征。
当然一緒に行くとディーネが言ったのを、ファーガスは止めようとした。
女王の身辺を守る者が必要だ、というのが理由だけど。
少数精鋭かつ実戦経験を考えると、やはりディーネ以上の魔法使いはいない。
魔術師隊からの意見もあり、ファーガスは折れざるをえなかった。
「エリィも、なんだか落ち着かないみたい」
自身の分け身をいたわるように、胸に手をおいて。
「ほら、私には伝わってくるから……いろんなこと」
目の前の美しい魔女は、出会ったときとほとんど変わっていなかった。
くたびれたとんがり帽子に、使いこまれて柄が古び、先端の魔法石も煤けた杖。
亡くなった姉──エリーシャ・マクニースの形見。
遠征にあたり、女王はディーネにも様々な魔道具を提供してくれたけど。
ディーネが装衣を変えることはなかった。
まるで姉の思い出をずっと、そばに残そうとしているみたいに。
……。
扉が開くように、雲がわずかに切れ間を見せた。
弱い月明かりがぼぉっと、ディーネを包んで。
光の中で、彼女の輪郭がゆらいでいた。
まるで、ここではないどこかに誘われているみたいに。
「ディーネ」
気づくと俺は口を開いていた。
どこか遠くに消えてしまいそうな彼女を、引きとめるように。
“そのとき”は、いつか必ずやって来る。
誰かにとっての、大切な転機。
“いつか”がいつなんて、わからないまま。
俺たちはただ、目に見えない流れのなかにいた。




