第105話 幸せな時間
食事のあとも余興が続く。
すでに王都で名の通った玄人から、我こそはと売りこみに来た素人まで。
演者が入れかわり立ちかわり登壇しては、磨いた芸で女王をもてなした。
歌や演奏、奇術に大道芸……。
どれももの珍しくて楽しかったけど、一番心に残ったのはやっぱり。
「それじゃあトリをつとめますのは……」
(なぜか)進行役のブリギッドが、指を丸めてサインをつくった。
合図をうけ、使用人が幕を引きあげる。
静まりかえる部屋に、紐の擦れる音がしゅるしゅると響いて。
「……」
現れたものに、目が丸くなった。
木壇の上に、きらびやかな衣装を着飾った二人の精霊──イアとエリィが並んでいた。
この日のために設えたのだろうか、イアは手足を露出した可憐な衣装、エリィはフリルがたくさんついた深窓のお嬢様みたいなドレス。
手には小さな杖を握っている。
先端に蒼い魔法石が装飾され、いつか街でみた“アイドル”と同じものだ。
頭上の照明が、壇上の二人を幻想的に浮かびあがらせる。
そしてブリギッドが宙に文字を綴るように指を動かすと、脇にひかえた楽団が軽快な音楽を奏ではじめた。
幸せな時間。
俺もディーネも、ファーガスもアイリーン女王もブリギッドも、この場に集まった臣下たちも。
なによりもイアとエリィが、本当に楽しそうだった。
可愛らしい衣装をひらひらと翻し、精霊たちはステージで歌い踊る。
小さな体をふりふり揺らすダンスはなかなか様になっていて、けれどときどきステップがもつれたりして。
しっとりと聞き惚れるような歌声を響かせるエリィに比べ、イアはときどき音程がどこかに飛んでってしまうけど。
どうしてだろう、声を聞いているだけで頬が緩んでしまう。
パフォーマンスの未熟さのわりに、二人の息はぴったりで。
ときどき視線を交わしてお互いの位置を確かめたり、ミスをカバーしたり……。
本当に二人は仲良くなった。
エリィは最初、イアのことをまったく相手にしていなかったのに。
「カイルたちが寝ている間ね、あの子ずっと“中”のイアに声をかけてたの」
浜辺で遊ぶ二人を見守りながら、ディーネが言っていた。
「何度も何度も名前を呼んでね、ときどき言ってた。“早く起きて、お姉ちゃん”、って」
そのことを指摘されると、エリィは顔を真っ赤にして首をブンブン回した。
イアは興奮して妹に飛びついて、頬をすりすりさせて。
エリィは否定しつつも振りほどきはしなかった。
アイリーン女王も、音楽に合わせて小さく拍手をしていた。
ときどきブリギッドの方を見ては、微笑みをかわして。
一度は別れを覚悟した王女姉妹。
けれど今こうして、お互いに笑顔でいられる。
本当によかった。
そんな姿を見ることができて。
本当によかったって、そう思えることが嬉しかった。
□□□
余興が一段落すると、政治家たちによる歓談が始まる。
休暇と言いながら、女王の目的はそこにあったのだろう。
これだけの高官や貴族が一堂に会する機会は少ない。
普段は話しづらい深刻な会話も、ほろ酔い気分で口にしあえる。
アイリーン女王は調停役を買ってそばで話を聞きつつ、ときおり気さくに言葉をはさんでは静かに笑う。
敵をためらいなく処刑する冷酷、恋人に捧げる純情、そして臣下の前で見せる愛嬌……。
時と場合とで移りかわる彼女の姿、そのとらえどころのない存在感に、誰もが知らずしらず惹きこまれていた。
……。
「楽しかったぁ」
俺はディーネと外に出て、夜の空気にあたった。
砂浜を一望できるテラスは海風が心地よく、少しの肌寒さに過ぎゆく夏が感じられる。
打ち寄せる波の引く先には、断崖みたいな暗闇が広がって。
はるか向こうの外洋にたたずむ、“大陸”。
これまで意識したことのなかった、ここではない別の世界。
今の俺を取りかこむ全てが、未知のことばかりに思えるけれど。
「二人とも頑張って練習してたから、うまくできて良かった」
ディーネの声が、まだ俺をここに留めてくれる。
ステージの間、彼女は息を呑んで見守っていた。
ドレス姿のエリィにうっとりするかと思えば、音を外したり振りつけを間違えたりすると、小さく息を漏らして。
「ね、エリィもイアも、すごく可愛かったでしょう?」
どきどきわくわく浮ついて、まるで娘を自慢する母親みたいだ。
幸福の粒子がきらきらと、周囲に舞って見えた。
「うん、すごく可愛かった」
二人の一生懸命さに、俺の心も終始あたたかかった。
最後まで歌い踊れるだろうかっていう緊張と、でも楽しくてしょうがないっていう笑顔と。
そんな精霊たちを見ているだけで幸せだった。
「……私ね、勧誘されたの」
不意に飛びこんできた言葉が、俺を現実に引きもどす。
スカウト?
「な、何に?」
「アイドル」
ディーネは恥ずかしげに目を伏せて、でもどこか嬉しそうで。
一人で街に出たときに、ディーネは演芸団体のスカウトマンに声をかけられたという。
“その美貌を活かしてみませんか”って。
ちっ……いい目をしてるじゃあないか。
瞬間、俺の頭にはひらひらな衣装をまとって歌ったり、女優としてきらびやかな舞台に立つディーネの姿が、凄まじい勢いでかけぬけて。
……あるいは、そんな今もあったのかもしれない。
魔法使いになることも、俺と出会うことも、冒険者として一緒に旅することもなく。
いまこうして隣りにいることも、なかったのかもしれない。
偶然。
無数に絡みあう偶然が、俺たちをここまで導いてきた。
「……それで、どうするの?」
聞き返す声に、不安が滲んでしまう。
「どうするって、もちろん断ったわよ」
冗談を真に受けられてしまったみたいに、ディーネは苦笑いして。
「私には魔法使いとしてやりたいこと、目指すべきものがあるんだから」
それに、とわずかに首を傾けて、上目に俺を見る。
「私はこれからもみんなと……カイルと一緒にいたいから」
きれいな髪が夜風にさらさらと揺れる。
テラスの柵にのった、つやつやした長い指がかすかに震えている。
「……ありがとう」
とくとくと、胸が弾かれるように鳴った。
俺も同じ気持ちだから。
君が一緒にいてほしい。
この先もずっと、俺の隣にいてほしい。
日焼けした肌に風があたって、ちりちりとくすぐったくて。
俺はなんとか言葉を紡ごうとするけれど。
「カイル」
銅鑼の音のような重い響きが背中で鳴って、振り返るとファーガスが立っていた。
酒で赤くなった顔をそれ以上に険しくして。
“北”からの報告が届いたと、俺に言った。
巨大な怪物と死霊の群れが出現し、周辺住民と駐屯兵の一部に被害が出た。
十中八九、目覚めた眷属だろうと。
続く言葉に、全身が硬くなった。
「奴らが現れたのは──古代遺跡だ」
必死に自分を抑えるように、ファーガスは拳を握って。
瞳の奥に、噴きあがる焔が映った。
宿命。
酔いが急激に醒めていく。
強く吹きつける風に肌が粟だつ。
幸せな時間に浸り続けることなんてできない。
俺たちも誰も、決して逃れることはできなかった。