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赤いカーテンの向こう  作者: 西松清一郎
17/21

4 呼び出し

 7月15日


 地元のシティホテルほど利用機会のないものはない。よほど後ろめたい事情でもない限り。

 N駅前のホテルのレストラン。そこは二階に位置していて、宇治に呼び出された私と正一は、大通りを見下ろせる窓際の席に、訳もわからず収まっていた。


 柳がいない分、正一との会話の密度は濃くなった。私は出来るだけ事件の話題は避け、滋養にもなりそうな世間話を選んだ。正一の血色はだいぶ戻っているようで、比較的穏和な時間が流れた。


 ティータイムのやたら凝ったコーヒーが運ばれたころ、ラフな格好の宇治が一人で現れた。宇治は席に着くなり、メニューを見ずにミネラルウォーターを注文した。


 宇治が来た途端、私と正一の口はあまりある質問ではち切れそうになった。我々はただこのレストランに来るよう、宇治から言われていただけだった。彼はそれを見てとったのだろう、飲み物が届く前に話し出した。

「もうすぐ一人ここに来るよ、犯罪者がね」

「犯人がわかったんですか」正一はもう少しで身を乗り出しそうであった。

「わかりました。事件の全貌も何もかも」


 落ち着き払った宇治と、目を丸くする正一との対比。私はその横で「莉緒」と言いかけたが、やめた。下手な技量で、宇治の用意した段取りを潰す権利は私にはなかった。


 私は持ちづらいアンティーク調のカップを口につけ、窓から往来を眺めた。すると、行き来する人々の中に、見覚えのある人物を認めた。


 国元莉緒であった。


 間違いない。今日は白のTシャツにスキニージーンズ、涼しそうなストローハットという、どちらかというと軽めの出立ちでいる。彼女は、見下ろす私の視線になど気付くはずもなく、ホテルに入って来た。


 何も言わず宇治を見ると、事件のおさらいでもするように、正一とこれまでの出来事について言葉を交わしている。


 ほどなくして、莉緒が我々のテーブルに近づいて来た。顔は青白く、ここまで来る途中、空気のやすりで生気を全て削ぎ取られたように見えた。


 置かれた状況に私の身は固くなり、口の端さえ動かすことが出来なかった。

「ご足労感謝します」宇治はそう言って、空いた最後の席を莉緒に勧めた。莉緒は「ありがとう」とも何も言わず、目を伏せたまま座席についた。


「さて」訪れそうな沈黙は、喋り出す宇治によってすぐに退けられた。

「あなたによって行われた犯罪を、もう告白してしまいましょう。観念じゃないですけど、すでに時は満ちたように僕には思えるんです。ね、庄司真奈美さん」


 地面が抜けて、頭を下に真っ逆さまに落ちていく心地がした。私は三人の顔に素早く視線を滑らせた。どうやら事情を飲み込めないのは私一人だけのようだった。


「この人は……莉緒さん」

 私がそう言うと、正一が平然と返した。

「この子は真奈美ちゃんですよ。前に言ったでしょう。青人の恋人ですよ。もっとも、青人はもういませんから、恋人だった、というべきでしょうけど。

 莉緒は男の子ですよ。青人とそっくりの双子の弟です」


 これまで見知った出来事のつながりが、私の脳内でことごとく切断されていった。そして、それらは様々な方向へ飛び散っていき、もはやつなぎ止めておくことは不可能であった。


「真奈美さん、あなたは」唖然とする私になど構わず、宇治が言う。「国元莉緒さんのクレジットカードを、本人に無断で使用していましたね。そこから話していただけますね?」


 莉緒、いや、庄司真奈美はしばらく手を膝に置いたまま黙っていた。しかし、自分以外誰も喋らないと悟ると、潤った赤い唇を(おもむろ)に動かした。


「謝って許してもらえるとは思ってません」真奈美は財布からカードを一枚抜き出し、正一の前にそっと置いた。その裏には確かに「国元莉緒」と手書きでサインされている。

 正一はそれを手に取ると、不審と戸惑いの視線を女に向けた。


 真奈美がさらに言う。

「ほんの出来心でした。責任をなすりつけるような言い方はしたくないんですけど、青人に勧められたんです。『莉緒は大体家に引きこもっていて、クレジットカードをほぼ使わないから』って。そう言って、それを私に渡してきたんです。私が青人と知り合った、大学二年生のときです」


「真奈美さんは、青人くんと同じ大学に通っている」宇治が器用に言葉を挟む。

「はい、二年ほど前、私は大学で青人と知り合って、交際を始めました。学生新聞の取材で、私が彼にインタビューをしたんです。彼は幼い頃から科学系の賞を受賞していて、有名でしたから」


「あなたも無名ではないですよね?確かカットモデルをされてたとか」

 宇治の指摘に、真奈美はわずかに照れるような仕草を見せた。ただし、それについて真奈美の反応は歯切れ悪く、宇治が話の案内でもするように言い足した。


「まあ、それはいいです。とにかく、あなたと青人くんは交際を始めた」

「はい。お金に困っていたわけではないんです。ただ、クレジットカードを自由に使っていいと言われて、誘惑に負けてしまったんです。最初は、飲み物代数百円くらいにしようと思って、少額だけ使っていたんですが、そのうち気が緩んでしまって、デパートなどの大型店でも大きな買い物をするようになってしまいました」


「それで」と宇治。「大学で柳くんに見つかったとき、あなたは国元莉緒の振りをせざるを得なかった」

 真奈美はこれには明確な返事をしなかった。帽子から見える彼女の小さな顎には、いつの間にか透明な水滴が付いていた。それが一滴垂れたとき、彼女が泣いているのだとわかった。彼女がそれを隠すのをやめると、声は震え始め、鼻からはぐずつく音が漏れた。


「何と、まあ」

 正一はカードを指の先でひっくり返しながら、そう言った。追い詰められた者を憐れむ響きが、押し殺した怒りを包み込んでいるようだった。


「莉緒さんと口論したのは、それが原因ですね」宇治の口調は変わらず、事実だけを求めていた。

「はい。今年の五月頃だったと思います。そのとき私初めて、青人に連れられて彼の家に行きました。その頃はカードを使うことに慣れてしまっていて、そのことを忘れていました。青人の部屋に二人で居たときです。三階に莉緒さんの部屋があったんですが、いきなり莉緒さんが怒鳴り込んできて、私のカード不正利用について責めてきました。当たり前ですけど、悪いのは私です。ですけど、売り言葉に買い言葉というか、突然口汚く罵られて、私もつい『カード使われたくなかったら、あんたもちゃんと大学行けば』なんて、言い返してしまいました。そのときからもうカードは使わなくなりましたけど、今思えば、とんでもなく未熟で愚かでした」


 ここまで努力して言葉を振り絞ってきたのか、真奈美の嗚咽が大きくなっていった。周囲にもただならぬ空気が伝わり始めていた。


 正一はカードをテーブルに置き、むせび泣く真奈美をじっと見据えていた。相手の罪に向き合う自身の適切な姿を、無言のうちに模索しているようだった。


「お金は」宇治が視線を正一に向けた。「正一さんが莉緒さんの口座に振り込んでいたんですか」

「ええ、そうです。親としては突き放すべきだったんでしょうが、私もつい弱さが出たと言いますか、毎日だらしなく過ごす莉緒の口座に、つい小遣いを振り込んでしまっていました。派手に使っている様子はないと思っていましたが、まさかこんな真相だったとは」


 ふと目を上げると、テーブルの脇に警官が二人立っていた。宇治があらかじめ呼んだのだろう、彼はその二人の到着に気付くと、声を改めて真奈美に語りかけた。

「話の続きは警察署でするといいでしょう。そして」


 このとき、先ほど私の頭の中で散り散りになった知識の断片が、いくつか戻ってきた。

 この目の前の女性は莉緒ではなかった。莉緒とは実は、青人の双子の弟であった。するとつまり、あのとき脱衣所にいたのは莉緒!


 私は立ち上がり、「待ってください」と言いかけた。しかし、宇治が警官らに言うのが一瞬早かった。

「警察の方々、こちらが連続殺人犯の国元正一です」

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