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赤いカーテンの向こう  作者: 西松清一郎
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1 殺人者

 20xx年7月7日


 道を歩いていると、多くの「善良な人」とすれ違う。買い物袋をぶら下げる主婦。飼い犬を連れた老人。仲良さげな女子の二人組。

 ねえ、あなたたちの趣味は何?

 映画鑑賞、ガーデニング、ヨガ、盆栽、カラオケ、温泉巡り、あとは何がある?あげればきりがないか。

 殺人はどうかな。良かったら一緒にやってみない?この国元(くにもと)莉緒(りお)という殺人鬼と一緒に。


 あなたたちの趣味といったら、人に言える健全なものばかりだからなあ。それはそれで大いに結構。あなたたちには、健康で文化的な明るい未来が約束されているわけでね。SNSの趣味欄を見て、きっとお互いに「わあ、ガーデニングが趣味なんですね。私もなんです。いい園芸用品のお店知ってるんで、今度一緒に行きましょう」「うん、行きましょう、行きましょう」なんて、わいきゃい言いながらやるんだろうな。なんだか、(なご)やかで素敵そう。憧れちゃうな。


 ほら、また一人向こうから歩いてくる。絵に描いたような真面目な男の人が。

 清潔な短髪。確かにそれだと、一生誰かに(とが)められることはないね。感心感心。

「鈴木くん、君は真面目だけが取り柄だからな。今度の会議の資料作成は君に任せるよ」「はい、部長。かしこまりました」なんてやってるのかな。きっと、いい奥さんと子供に恵まれて、幸せな人生を送るんだろうな。心から祝福するよ、おめでとう。

 着てるそのTシャツに描いてあるアニメキャラクターもすごく魅力的。それはどこで買ったのかな?街の量販店で同じようなTシャツが山積みになってるのを見たことあるから、大体想像はつくけどね。つまり、あなたと同じような格好をした「善良な人」は全国にもっともっといて、日本はこれからますます平和に向かって邁進(まいしん)していくってこと。これって、泣いちゃうくらい素晴らしいことだよね。


 ただ、その平和はこの私が間もなく壊しちゃうんだけどね。死体に触れたときの感触って、どうしても忘れられないんだ。ごめんね、善良な人たち。あの複雑精緻(せいち)な人間の肉体が、スーパーでパック詰めで売られてるのと変わらないただの肉の塊になる。一回、変死者を間近で拝んでごらん。今まで目にしてきたどんな光景も、紙芝居程度にしか思えなくなるような強烈な刺激が、文字通り全身を貫いていく。あの刺激はね、人に言える趣味では到底味わうことはできないんだ。

 そう、だからやっぱり、あなたたちはこっち側に来ちゃダメだよ。


「こっち側」、か。

「こっち側」といえば、青人(あおと)。青人も悲しい人。なんて言ったって、こっちの()し難い欲望に火を付けたのは他でもない、あいつなんだから。あいつだって、「善良な人」からすれば十分万死に値するんだろうな。


 あっ、今日は車が停まってない。ラッキー。

ここの家の前にいつも停まってる車は、言ったら悪いんだけど邪魔なんだよね。誰の家かは知らないけど、ここの玄関のガラス戸はお気に入りなんだ。なぜなら、全身を映すことができるから。『そこで殺人鬼は立ち止まり、その曇りないガラス戸に映る自身の像を、惚れ惚れと眺めだした』なんて具合にね。

 いつ見ても美しい。完全無欠とは、まさにこのこと。八頭身のすらりとした体躯(たいく)。原宿のクレープ屋の前で友達と一緒に、スナップショットを撮られたことだってあるんだ。何ていう雑誌かは忘れたけどね。


 この誰もがうらやむ肢体に、本物の殺人願望が宿っているなんて、誰も思わないんだろうな。ハイブランドの高級バッグに、まだ血の乾き切らない臓物がぎっしり詰まっていたとしたら?そんな最高のシチュエーション、考えただけでぞくぞくしてくる。くっきりと別れた陽と陰をあわせ持つ、この唯一無二の遺伝子……


 遺伝子?

 そう。自分には遺伝子があるんだった。


 ある日突然、地面から生えるようにして生まれたかったのに。どんな系譜にも含まれない、どんな人間とも無縁の存在として。だけど……


 動悸は過ぎた。少しは楽になった?なった、気がする。

 ねえ、青人。自分のコピーがいるなんて、耐えられないよね?あんただって同じ感覚のはず。きっと、あんただけはわかってくれるよね。


 何をじろじろ見てんだよ、ただの通行人ふぜいが。うずくまって苦しんでる姿が、そんなに面白い?通り過ぎるんなら、さっさとそうしてほしいんだけど。それとも、声をかけてみる?かけられるものなら、かけてみれば?知らないから。殺人鬼に声をかけることがどういうことか、身をもって知ることになるんだからね。こっちの世界を覗いてみたいんだったら、いつでもどうぞ。きっと、あなたにもついて来れやしないんだろうけど。


「こちらはN市広報です」

 この辺鄙(へんぴ)な街に不定期で流れる防災放送。ああ、この声。助かった、立ち上がれそう。

「××に住む、八十四歳の女の人を探しています。特徴は……」

 残念だけど、その獲物を()ったのはうちじゃない。なんて。そんなことより。

 この無感情なアナウンス。

 心がある種の疲れ方をしたときは、こんな声を聴くのが一番だね。魂が共鳴する、とでもいうのかな。よし、どうにかまた歩けそう……


「すいません」

 今度は何?

 見ると、男の二人組。それにしても、同い年くらいの男って、何でこんなに幼く見えるんだろう。この人たちに限らないけど、この世のあらゆる「呑気さ」をなみなみに注いだバケツに、頭部を一晩中どっぷり浸してきた、そんな顔をしている。

 話を聞いてあげようか、どうしようかな。どうせ、退屈な話しか吐き出さないに決まってるし。

 せいぜい、殺人鬼に接触したことを後悔しないこと。



 そして夕方。

 やっぱり、死体を見た人の慌てぶりって最高。特にお父さんの驚き方といったら傑作だったな。動画にでも撮っておけば良かった。

 ああ、この後はどうしよう。近所の野次馬を相手にするのも馬鹿らしいし、風に吹かれて歩こうかな。このかけがえのない余韻がなくなるまで。

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