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光秀の野望  作者: 柿津幡平八郎
1/1

その1 「本能寺の変」


 数々の英雄が覇を競いあった戦国時代。


しかし、たとえ戦国時代と言えども、ほとんどはお家の存続、地方の覇権を得んとする者ばかりで、実際に天下を意識した武将は数えるほどしかいない。


史実において「天下を意識した」と考えられる武将は、わずかに七人。



「東海一の弓取り」として上洛を意図した今川義元。


そしてそれを破った「第六天魔王」織田信長。


その信長を窮地に追い込んだ「甲斐の虎」こと武田信玄。


天下統一目前となった信長を本能寺の変で滅ぼした「三日天下」明智光秀。


その実力と天運を糧に、光秀を討って天下を統一した豊臣秀吉。


忍耐と長寿で戦国の勝利者となった徳川家康。


「独眼竜」と謳われる才覚を持ちながら、生まれるのが遅すぎた英才・伊達政宗。



この物語は、本能寺の変から始まる戦国時代の最終章。豊臣秀吉に味方した天運が明智光秀についたとしたら、というIFから始まる壮大な歴史シュミレーションである。









 ガラッ。

丹波・亀山城内のある一室。すでに室内に座していた四人の男たちが待ちわびていた人物が、ついに部屋に入ってきた。

その人物の名は、明智光秀。四人が主君と奉る人物である。


「待たせたな」


バッ。

上座についた光秀の言葉に四人は一斉に平伏する。全員一角の人物ではなさそうだ。そして、なかでも一番眼力と風格の鋭い男が面を上げて、情熱的な視線と共に口火を切った。その男の名は、斎藤内蔵助利三(さいとうくらのすけとしみつ)。世に謳われる明智四天王の一人だ。


「殿、織田信長の居場所を掴みました。京の本能寺に宿泊しているもようです」


「機は熟した」


光秀は静かに目を閉じた。ついに織田信長の首を取る絶好の機会を得た感慨に耽っているのだろうか。


現在、織田信長は天下統一への道を爆進中。しかし、そのために有力な武将は皆畿内を離れ地方で戦に従事しており、一万を越える兵力を有する光秀に対抗できるものはいなかった。そして、その軍勢をわずかな供回りしか連れていない信長のいる本能寺へ差し向ければ、その首級を上げるのは容易い。まさに天下に覇を唱える絶好の機会だと言える。


それは、居並ぶ家臣たちも重々承知していて、皆それぞれに覚悟を固めている。


「よいか、これより我らは後戻りのできぬ山道を頂上を目指して歩いていく。頂きに立つのはわし一人。そのためにお主らはわしの手となり足となり、身を粉にして尽くすことを期待している」


目を開けた光秀は、静かに、そして冷酷に言い放つ。しかし、彼らはそんな光秀に魅せられた者たちだ。ここに来て臆するものは誰一人としていなかった。


「それがしの忠節は、死ぬまで殿にだけ捧げる所存です」


「うむ、期待してるぞ内蔵助」


内蔵助利三が再び頭を下げた。そして、それに続き他の三名も誓いの言葉を口にする。


「俺は殿の槍に」


「わしは殿の足に」


「それがしは殿の馬になりましょう」


「秀満、庄兵衛、伝五、期待しているぞ」


「ははっ」


明智秀満(あけちひでみつ)溝尾庄兵衛茂朝(みぞおしょうべえしげとも)藤田伝五郎行政(ふじたでんごろうゆきまさ)ら彼らの忠義も疑いようがなかった。


光秀は、力強く立ち上がる。


そして、やはり静かに、だがその情熱をむき出しにして、


「天下を得に行こう」


そう言って、歩き出した。



 天正十年(一五八二年)六月一日。亀山城から吐き出された軍勢は京都へ進軍を開始した。





 翌六月二日、明朝。


「殿、本能寺が明智光秀の軍勢に囲まれております!」


本能寺から一キロほど離れた妙覚寺に宿泊する織田信忠(おだのぶただ)のもとに、明智光秀謀反の知らせが伝えられた。


「くそっ、皆を呼べ!」


寝室でその知らせを受け取った信忠は跳ね起きると、すぐに同じく妙覚寺に宿泊する側近を呼び寄せる。集まったのは斎藤新五郎利治(さいとうしんごろうとしはる)団忠正(だんただまさ)福富秀勝(ふくずみひでかつ)前田玄以(まえだげんい)。この五人による迅速かつ緊迫した今後の進退に関する討議が始まった。


「玄以、そなたは僧侶じゃ。三法師を守って清洲に落ち延びてくれ」


まず信忠は自身の息子・三法師のことを考えた。仏門に帰依している玄以ならば、まだ三歳の息子を守って逃げ切れる可能性は高い。父・信長、そして自分までもが生き残る保証のない現状、織田家嫡流の三法師をより確実に逃がすことには意味があった。


しかし、前田玄以はそこに打算ではない、ただ純粋な父としての愛情を受け取った。


「はっ、必ずや三法師様を守りきってみせます」


そうして部屋を離れる前田玄以の覚悟は並々ならない。信忠はそこに一抹の安堵を得たが、まだ討議は終わらない。今後信忠たち自身はどうするのか。父を助けに本能寺へ向かうのか、はたまた京都を脱出するのか。


だが、討議に一石は投じられていた。玄以と入れ替わりに入ってきた村井春長軒貞勝(むらいしゅんちょうけんさだかつ)だ。老齢の身ながら満身創痍で、肩で息をしている。


京都所司代である貞勝は、本能寺の前に自宅を構えている。おそらく本能寺の惨状を見てこちらに命懸けで来たのだろう。そうして全員の注目を浴びるなか、貞勝は切れ切れに言葉をひねり出した。


「信忠様、すでに本能寺は焼け落ち上様はやつらに討たれたようです。京の市中も明智の軍で溢れております。覚なる上は、御所に立てこもり、明智光秀に一矢報いるが最上かと存じます」


貞勝はどうせ死ぬのなら、華々しく戦って散ろうと言っている。武士としての誉れを大切にするならそれも立派な選択である。しかし、若い信忠の側近らは諦めていなかった。


「殿、村井殿はお年を召され気が弱くなっておられる。明智光秀だろうが誰だろうが、それがしが殿をお守りします。なればこそ、速やかに京から脱出しましょうぞ!」


若く血気盛んな団忠正は、貞勝の提案に反対した。


信忠はここで大きな決断に迫られることになる。光秀と一戦交えるか、はたまた逃亡するか。信忠の、いや織田家の運命を左右する大きな決断である。


そして、織田信忠はここに三ヶ月前の甲州征伐での武田勝頼を自身に重ねていた。


その父・武田信玄の代に大いに繁栄した武田家も、その凋落(ちょうらく)甚だしく、滅亡の一途を辿っていた。重臣に裏切られた勝頼は、一門の小山田信茂(おやまだのぶしげ)を頼り居城を捨て逃走。しかし、その小山田信茂にすらも裏切られ、彼は天目山で悲惨な末路を迎えた。


信忠は身震いした。武田勝頼の二の舞は御免だ。あれでは天下の笑い者である。そうなるくらいなら、いっそ華々しく戦って散った方がよっぽど良い。今や天下に覇を唱えんとする織田家の、名目上とはいえ当主である自分が織田の名に恥を塗るなど、あってはならないことだ。


「…春長軒の申す通りだ。御所ならば、その造りは堅牢。明智に一矢報いる助けとなる」


「殿!」


忠正が悲痛な叫びを漏らした。


「信忠様、ではこちらへ」


貞勝が促す。信忠がそれに従い、場を離れようとしたその時。


「殿、お待ちください」


斎藤新五郎利治が、静かに信忠の言葉を遮った。


「なんじゃ、新五」


信忠はこのときばかりは、自身のお目付け役を兼ねる利治を疎ましく思った。今は時間が惜しい。いつ明智光秀の軍勢がこちらに押し寄せてきてもおかしくないのだ。


しかし、(なじ)る信忠に対して利治は、一貫して落ち着いた様子で続ける。


「殿は織田家の御当主様です。命を粗末にしてはいけませぬ。ここは、御自身が生き残ることを第一に考えるが正しき道です」


「あの明智相手に、もはや生き残る道などあるわけがあるまい。わしは武田のように惨めな姿はさらしたくない。それに、やつは父の仇。一戦交えずしてどうする!?」


信忠は勇猛だった。戦国の英雄・織田信長を父にもち、彼はその信長の武勇をしっかり受け継いでいた。しかし、信忠に足りないのは逆境に対する経験値。彼が初陣を果たしたときはすでに織田家は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。そのために、逆境に対する経験が信忠にはない。父・信長の持つ粘りが欠けていた。


側近兼傅役として長年信忠に付き従う利治は、そんな信忠の弱点を理解していた。主君の弱点は家臣が補完しなければならない。利治は信忠の目を見据え、立て板に水が如く語りかけた。


「信長様は一番に自身が逃げることをお考えなされた。それは織田家の棟梁として、自分が一番重要だと分かっていらっしゃるからです。そして、信長様亡き今、殿は織田家にもっとも必要な人物。ここは、お命を大事に安全な場所に逃れ、そこで信長様の仇をとるため再起いたすが上策かと。それに、明智が軍勢はせいぜいが一万かそこら。そのような兵力では都を完璧に包囲するなど不可能です。必ず逃げる隙はありましょう。どうか、ご決断を」


この利治の冷静かつ的確な進言が、信忠の運命を決定付けた。


信忠にとっては冷や水をかけられたようだった。利治の言うことは尤もである。自身の務め、今後の成すべきことがはっきりと分かった。


「すまない、新五の言う通りじゃ。分かった。ここは何としても逃れよう」


「殿っ!」


団忠正が歓喜の声をあげる。


しかし、明智光秀の魔の手はすぐそこまで迫っていた。


「斎藤利三とその手勢がこちらにっ!」


側近の一人、猪子兵助が信忠らの輪の中に勢いよく駆け込んできた。どうやらもう猶予は残されていないらしい。しかし、信忠の英断が猪子兵助よりわずかに速かったことが、功を奏することになる。


「すぐに妙覚寺を脱出する。皆急げ!」


信忠の鶴の一声でその場は解散となり、皆寺の脱出のため離散する。信忠も新五郎利治、忠正、福富秀勝、村井貞勝らに囲まれて、寺の裏手へと移動する。


「さあ、殿。こちらへ」


利治が信忠を先へ促す。寺の裏口から外へ出ると、周りはひっそりとして反対側での喧騒は嘘のような静けさだ。さらに、信忠に続きその身辺を警護する忠正ら御供衆(おともしゅう)、秀勝ら母衣衆(ほろしゅう)が妙覚寺から裏口をくぐった。


「ここに織田信忠がいるはずじゃ! 信忠の首をとれば褒美は思いのままぞ! ものども、続け!」


斎藤利三と思われる雄叫びが寺の表の方から聞こえてきた。もう敵は目の前まで迫ってきている。しかし、貞勝は裏口をくぐろうとしない。立ち止まっている。


「春長軒! 何をしておる。早く!」


信忠は急かした。しかし、貞勝は決然とした目で信忠を見つめ微動だにしない。信忠も貞勝の意図を悟った。


「信忠様、ここはこの爺が引き受けまする。そのうちに早く遠くへ。」


「いや、だめだ。お主も来い!」


「この爺が、信忠様にそのように言っていただけるだけでも幸せでござる。しかし…」


貞勝は突然言葉を切った。斎藤利三の手勢が集まってきたようだ。


「新五郎殿、信忠様をお頼みもうした。そして、信忠様。御武運を」


貞勝は信忠に背を向け、裏口の戸を閉めた。信忠の目の前から貞勝の姿が消える。それと同時に、利治が信忠の腕を引いた。


「殿、行きましょう」


利治は貞勝の目を見た。彼の目には悲壮な覚悟が映っている。あまり貞勝とは面識のない利治だったが、織田家古参の重臣である村井貞勝が自分に後事を託したのだ。信忠を守りきり、織田家を貞勝の分まで支えねばならない。信忠は、そんな利治の目に負けその場を離れる。


「春長軒、そなたの忠義忘れぬぞ」


火の手が上がる妙覚寺を背に、利治にその腕を引かれながら、信忠は、そう呟いた。





 明智光秀は、焼け落ちた本能寺の前に立ちつくしていた。


もうすっかり日は上り、未明に始まった本能寺での戦闘は終わり、今は自身の配下たちが本能寺の焼け跡から織田信長の首を見つけようと躍起になっている。しかし、信長の首は見つかっていない。


寺を囲み、誰一人として脱出を許していないのだ。信長はここで最後を迎えたはずだった。だが信長が確実に死んだと言える証拠が、つまりその首が見つからなければ自身にも、また周囲にも大きな不安を残すことになる。光秀には信長の首が必要だった。


そんな光秀に、一人の兵士が駆け寄ってきた。


「妙覚寺の織田信忠は西に逃走。至急、援兵を送られたし。斎藤利三様より伝言でござる」


「そうか。ご苦労」


あわよくば信忠の首も一気に挙げたかったが、うまくいかなかったようだ。逃げる敵を追うのには時間がかかる。各地に散らばる織田家臣団が舞い戻ってくる前に、地盤を固め味方を増やさなければならない。信忠ごときに時間と労力を割きつづけることは避けたかった。


「お主、わしの言付けも頼まれてくれるか?」


光秀は先程の伝令に声をかけた。


「はい、何なりと」


「では、溝尾茂朝、明智光忠両名の下に行き、利三を助けて信忠の首をとって来るよう伝えてまいれ。しかし、明日には信忠の首が取れなくとも戻ってくるように、とな」


「はっ」


去っていく伝令を横目に、光秀は今後の展望に思考の裾野を広げる。


まず、京都の織田の残党を完璧に鎮圧し、治安を取り戻さなければならない。兵には、普段から軍律を厳しく守らせ、混乱に乗じて市民に危害を加えるなと言い付けてある。しかし、そこかしこで戦闘が行われている状態で、京都の市民は安心して生活できない。


また、京都の市民の支持を得られないことには、朝廷の支持も得られない。光秀には後ろ盾として、いまだ根強い権威を持つ朝廷の支持は不可欠であった。幸いにも、天皇の脇を固める公家連中は信長を嫌っていたものも多い。光秀の支持に回るものも少なくないと考えられた。


そして、最大の懸案事項は各地に散らばる織田家の家来衆だ。遅かれ早かれ彼らが弔い合戦を仕掛けに来ることは分かりきっている。特に、北陸を拠点としている柴田勝家が最大の障壁と言えた。織田家中での家格も高く、またその忠誠心も随一だ。そして、その軍団は精強で名高い。現在は越後の上杉景勝と対陣しているが、風前の灯の上杉家と和睦するのは容易かろう。


また、中国地方の羽柴秀吉も侮れない。農民の出ながらその才覚だけで成り上がってきた。人望があり、優秀な人材を多く抱えている。光秀は、どこか秀吉に自分と似ているところは感じることがある。だからなのか、光秀は秀吉が嫌いだった。


「殿」


思索の海にたゆたっていた光秀の意識は、自分を呼ぶ声で覚醒する。


声の主は、藤田伝五郎行政だ。隣に明智秀満もいる。


「どうした」


「織田信長、とおぼしき死体が見つかりました。しかし、焼けていて顔からは判断がつきかねていて、そばにあった刀から、信長だと推測されます」


「そうか」


本音を言えば、光秀は信長だと言える確証がどうしても欲しかった。光秀は恐れていたからだ。天才・織田信長を。


しかし、光秀はそんな自身の本音を握りつぶす。


「信長は死んだ。その死体が信長だ。晒せ」


「はっ」


行政が頭を下げる。


「伝五、お前は大和の筒井順慶の説得に行って参れ。あやつは優柔不断な男だ。強硬に押していけ。秀満、お前には近江平定の指揮を任せる」


「はい」


行政は力強く返事をし、秀満は微かにうなずいた。


信長の死を、確かとは言えないものの確認した今、やるべきことは畿内の平定だ。すでに、畿内近隣の諸将には協力を仰ぐ使者を送っている。若狭の武田元明、近江の阿閉貞征、丹後の長岡藤孝・忠興父子、同じく丹後の一色義定、大和の筒井順慶、摂津の高山右近、中川清秀など、光秀の与力として光秀と懇意な人物、またかつて信長に敵対しており帰参して許されたものなどが中心だ。


しかし、筒井順慶など、やはり味方になるか怪しい人物も存在している。そのため、弁がたち機転の利く藤田行政に順慶の説得を任せた。また、北陸の柴田勝家の抑えとしての機能、そして中国に出兵している羽柴秀吉の根拠地・長浜の存在から近江は一番に押さえなければならなかった。そこで、寡黙だが武勇に長け戦の上手い明智秀満の起用に繋がる。


光秀の采配は万全であった。


いや、明智光秀は信じていた。自分の采配は万全だと。





光秀にとって、激動の十日間が、




始まる。


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