屋上の祠(ほこら)には
この作品には、流血描写およびそれを描いたイラストが含まれています。グロ描写がお嫌いな方、イラストでイメージが固定されるのが嫌な方は、イラスト非表示にしてお読みください。
拙い作品ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
ではどうぞ。
【古墳か、病院の建設予定地に巨石】
県立比良坂病院の新家屋が建設されている市内宵待区岩戸町の現場にて、巨石を用いた石組みの建築物様のものが出土し、古墳時代の遺構ではないかとして注目が集まっている。
比良坂病院は、施設の老朽化から新家屋の建設と来年中の機能移転を計画していたが、今回の発見により考古学調査が実施されるため、今後の移転計画の進捗は不透明となった。
(平成八年七月八日 比良坂新報)
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【歴史のミステリー、発掘中の巨石群に新展開】
発掘調査が行われていた岩戸町の巨石群について、出雲大学考古学部の竹谷和彦教授(六一)の研究チームによる発表が十二日にあった。
研究チームによると巨石群は人工の建造物ではなく、自然石が組みあがった天然の岩屋であると結論付けられた。同時に、発掘中に奥の閉ざされた空間から多数の人骨が発見された事も発表された。
人骨の数は一〇〇人分以上と大量で、古墳時代から断続的に岩屋を住居として使った人々の墓だったと推測されている。
人骨は出雲大学の研究室に運ばれ、調査が続けられる。
(平成八年十二月十三日 比良坂新報)
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鳥居の前で一礼。
ぱん、ぱん。
社殿の前に進んで、二礼二拍手一礼する。
時刻は朝の七時半。薄曇りの空はもう明るいが、空気にはまだ夜気の名残りがあった。
私が勤める比良坂総合病院の屋上の片隅には、祠があった。小さいが人がくぐれるサイズの鳥居があり、木造のしっかりした社殿の一辺が一メートル以上ある、立派なものだ。
院内のきまりで、看護婦が輪番制で毎朝この祠の清掃をすることになっている。
礼拝を終えた私は、傍らに置いた籠の中から短い箒を出して、まず周囲の掃き掃除に取り掛かる。
「めんどくさいっすよねえ、朝からこんなこと」
背後から声がかかった。
白衣の上にくすんだピンク色のカーディガンをひっかけた、けだるそうな立ち姿。頭にはナースキャップ。同僚の杉野圭子だ。
歳は私とほんの二歳差なのだが、若いんだからもうすこししゃっきりできないものか、などとつい思ってしまう。
「なぁんで病院の屋上に神社なんてこしらえたんですかねえー」
眠たげな調子で杉野圭子がぼやく。
私たちがいってもしょうがないでしょ。それと神社じゃなくて祠ね。
いまから四年前、病院は建物を一新した。それまでの病棟は造りが古く、大電力とスペースを要する新しい検査機器を導入するのに障りがあったという。平成七年に起きた阪神淡路大震災をきっかけに、耐震改修促進法が制定されたことも影響したらしい。
地域の医療拠点が仕事を休むにもいかないので、旧病棟は通常通り運営されたたまま、駐車場の一部と新しく買い増した土地に新病棟を建築した。そのときに、ただの丘だと思って整地した場所から遺跡っぽいものが出てきたり、いろいろあったらしい。
結果として、予定より半年ほど遅れて出来上がった新病棟の屋上には、祠が祀られた。
「ご利益ないんじゃないですかねえこんな神社。だってウチの病院、怪談だらけじゃないっすか」
五階建てのビルディングの屋上とあって、毎日掃き清められている祠の周囲には普段ほとんどゴミがない。が、今朝は周囲を囲む森から飛んできたと思しい木の葉が散乱している。昨夜は風が強かったのだろう。
三つ手塵取りの口に、集めた葉を私が掃きこんでいる間も、杉野圭子はだらだらとしゃべり続ける。“夜中に病室を窓の外から覗き込む影”、“その日死人が出る病室に一番近いトイレの蛇口から血が噴き出す”など、ここに勤めて半年もしたら聞き飽きるような、使い古しの噂話を。
あんたは新人の時から、ひとに仕事を押し付けて手を動かさずに舌ばかり回してたよね。ずっと。
いってやりたいわー。不毛だからしないけど。
「そもそもアタシ、怖い話も血もすげー苦手なんですよねー。採血もできたらしたくないぐらいでー。小児科に大怪我した子が来たときはこっちがひっくり返っちゃったし、外科勤務とかぜったいムリっすよー」
いや、じゃあなんで看護婦になったの。いまくだらない話をしてるの。わけわからんよ。
「だからこんな心霊病院、アタシには向いてないんですよー」
箒を手箒に持ち替え、社殿の平面部分を掃く。木の葉は落としてあるので、埃を払う程度だ。
「ここの病棟のカド、一階は霊安室ですよね。でも神社の真下にある第一霊安室、いまは患者さんが亡くなってもぜんぜん使われないじゃないですかー。ワケ知ってます?」
杉野圭子は数歩、私との距離を詰めた。
私は構わずに掃除を続ける。社殿のぐるりを一周する私に後輩がついてくる。
ここで病院トリビア。霊安室と一口に言っても、病院・警察病院・葬儀施設、それぞれでご遺体の置かれる状況はぜんぜん違う。ドラマや映画で見て、なんとなく混同してイメージしているひとも多いと思う。
刑事ドラマにときどき出てくる、大きなガスオーブンのような金属の扉の奥に、引き出し式のトレイに乗ったご遺体が一体ずつ冷蔵されているのは、保管中にご遺体の腐敗が進まないようにしなければならない警察病院や、警察から司法解剖の嘱託を受けている大学の医学部の施設だ。
ご遺体が棺に納められているのは、葬儀に向けて自宅や葬儀施設に一時的に置かれている状態。
いっぽう病院の霊安室は、院内で亡くなられた患者さんを葬儀業者に引き渡すまでの仮の置き場に過ぎない。ご遺体は冷蔵されないし、棺にも入れられないし、セレモニーの類もない。霊安室そのものがない病院も多い。
比良坂総合病院には霊安室があるが、ただの窓無し・冷房付きの殺風景な部屋だ。葬儀業者専用の裏口がすぐそばにあり、ご遺体はたいてい数時間のうちに、それぞれのご遺族と契約した業者によって運び出される。
「第一霊安室にご遺体を置いとくとですねー。ヘンなことが起きるんだそうですよー。ご遺体しかない室内から物音がしたりはよくあることでー。滅多にないことですけど、ひと晩ご遺体を置いておいたら、霊安室の扉に内側から血みどろのひっかき傷がついてたって。それも一度じゃないって」
ニマニマと笑いながら杉野圭子が話す。
「いまどき、“実は患者さんは亡くなってませんでした”なんてまずありえませんよねー。ドクターが死亡を確認して、そのあと体中の穴に脱脂綿ぎゅうぎゅう詰められてから霊安室にくるんですから、ご遺体は。
じゃあ、ばっちり死んじゃってるご遺体はなんで外に出たがるんですかね?
なんで第一霊安室でだけ、そういう事が起きるんですかね?
だれが外に出たがってるんでしょうねー?」
祠の前には白木の三方が置かれ、その上に、左から順に蓋つきの陶器の水入れ(水玉と呼ぶらしい)、生米を盛った小皿、塩を盛った小皿が乗せられている。これらのお供え物は毎朝、器ごと交換するきまり。三方の奥まった左右にお酒を入れる瓶子がふたつ並んでいるが、瓶子には毎月の一日と十五日にだけお酒を供える。
交換にも順番があり、
「ねえ、聞いてるんですかー」
いつの間にか、彼女は私のすぐ背後に立っていた。
す、と私の肩越しに腕を伸ばして、祠の扉を指さす。上半分が格子になった観音開きの扉は、よく見ると社殿の他の部分より木材の色が新しかった。
「この中身、なんだと思います? 見たことあります?」
格子の向こう側には、陽に灼けてうっすら黄色くなった白布が垂らされていて、のぞき込んでも内は窺えない。扉の召し合わせには大きな南京錠がかかっている。
「だれに訊いても教えてくれないんですよー。婦長の池井さんなんて、この話を出したら血相を変えて『そんなこと尋ねまわっちゃ駄目よ! 噂するのも絶対に駄目!』ってめちゃめちゃ大げさに叱ってきてー」
けれど、視線を遮っているのはしょせん布だ。格子はガラスも嵌っていない素通し。
「ダメだダメだっていわれると、逆に知りたくなっちゃいますよねー、なんでも。知りたいでしょ?
ねー知りたいですよね、この中?」
病棟の屋上は、高さが三メートル以上ある転落防止の柵で囲まれていた。だが、北側三分の一くらいは囲いの外で、セントラル空調の大きな室外機や貯水タンクが並んでいる。そして祠もこのスペースにあり、私たち看護婦は、柵に作りつけられた通用口の鍵を開け閉めして出入りする。
患者さんやお見舞いの方には近付きようもないが、朝に掃除にくる看護婦のひとりが、もし好奇心を膨らませたならば。
「中身はぁ、石なんですよー。
あはは、拍子抜けですよねー。でも、ただの石とは違うんですー」
生米が乗せられた小皿を籠に入れる。手元が狂って、バラバラと米粒が散らばる。大丈夫、落ち着いて新しい米の皿を出して、かけられたラップを剥がして三方に、落ち着いて。
「ここの御神体の石は、病院を建てるときに取り壊された遺跡の、この祠の場所のちょうど真下の土の中から掘り出されたんです。こぉんな、一抱えもある水晶の原石ですよ。わかります?
一トンもありそうなサイズで、普通の石から水晶の柱が沢山にょきにょきって生えてるみたいな形で、しかも」
知ってる。
「色が‥‥‥。
アタシにはわかるんです。アタシ血が嫌いだから。嫌いなのについ見ちゃうから。どうしても見ちゃうから。
あの石の色は血の色です。それも鮮血の、動脈の中を流れている生血の色」
調べたことがあるのだが、水晶に鮮紅色はない。紅水晶と呼ばれる色付き水晶も、薄いピンク色がせいぜいで、それも光に弱くて容易に退色してしまう。
血の色をした水晶なんてない、はずだ。
「‥‥そして、御神体を目にしてしまってから、始まったんです。
石の深い赤色が脳味噌の芯に染み付いたみたいになって。また見たくなるんです。どうしても」
うわごとのように彼女の声は続く。高くなり低くなって、けして途切れようとしない。
杉野圭子の手が小さく旋回して、屋上の、祠の設けられた一角を示した。指先から粘ついたなにかがコンクリートの上に飛び散った。
「ここに入る鍵を持ち出して複製して、人目を盗んで入り込んで。二週間か三週間かもしかしたらひと月、繰り返し見ているうちに、大嫌いな血の赤がなんだか別のものに変わってくるのがわかりました。
───赤が、澄んで、深くなって、甘くなっていくんです。
熟れて柔くなって香ってくるんです。
あれは、崩れて溶け落ちそうなほど実った桃の色です。張りつめて汁が滴る剥き出しのお肉の色です。
おいしそう、おいしそう、おいしそうぅぅぅうううう。
ほおばって、かじって、破って、命が通った内側にぎしぎしと歯を立てて食い込ませてやりたい」
ぴちゃぴちゃ。ぽたぽた。
私の肩の後ろにある杉野圭子の頭部から、屋上の床面に液体が滴り落ちていく。
言葉といっしょに、ひどい硫黄の臭いを含んだ冷気が背中を撫でる。
「おにく、くだもののおにく、いきもののおにく、たべたい、
かんじゃさんの、ケガしてびょういんにきたおとこのこの、ざっくりきれてちをながしてるすねを、ちをすって、きずぐちから桃みたいにかわをむいて、むぢぢって、おにくを、めりめりっって
いきていル コドモノ クだモノノ おいしイ
ひめイヲ
でモ」
「ドウシてモ イちばんサきニ アノ まっかナ 」
振り向かなかった。私は、振り向かなかった。
だけど、祠の前には小さな丸い鏡が置かれていた。
鏡の縁で小さく丸く切り取られた杉野圭子の───ソレの顔。
ナースキャップを乗せた頭部は左側が大きく陥没して、首から上は血をかぶったようになっていた。ピンクのカーディガンも間違いなくいまは血みどろだろう。彼女だったモノが屋上からの転落死体として発見された朝のままに。そして、口。
杉野圭子が喋れたはずはない。喋れるはずなどない。
彼女の、ばっくりと両頬が裂けて開かれた大口には、熟した桃の色に光る水晶の塊がいっぱいに詰め込まれていたのだから。
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───特異な点として、発掘された二〇〇体以上のアジア系女性の人骨のうち、一五〇体以上の骨の頭蓋骨と下顎骨の間、つまり口の中に、石英らしき結晶が確認された。この結晶は、巨石群の最奥部で発見されたより大型の結晶から削り取られたものと考えられ、共通した特徴的な色を持っている。結晶の詳しい成分および産地については現在分析中である。
古いグループに属する約五〇体の頭蓋骨の周辺からは、弥生時代後期以降の栽培種と思われる桃の種子が見つかっている。
巨石群で発掘された人骨の状態を全体としてみると、特定の宗教的手順にのっとった供犠が長年の間、継続して行われていたという推論が浮かんでくる。
しかし日本の歴史において、難工事や災害時の人柱ではなく、特定の場所で人身供犠を繰り返したという史料は多くはない。それも、遅くとも明治までにはことごとく廃されている。
加えて岩戸町の周辺には、人身供犠に関係した史料・伝承・民話はまったく伝わっていない。弥生時代から戦後にいたるまでの期間、時には国家の目を逃れて人間を生贄に捧げていたとすれば、極めて隠密性の高い集団が長期にわたって活動していなければならないが、実在については疑問を持たざるを得ない。
(原稿用紙の余白部分にあった、走り書きのようなメモ)
桃の実・女性・古墳時代というキーワードからは、日本神話の伊邪那岐尊の黄泉降りが容易に連想される。
古来、生命を産み出す女性は同時に死者の世界との強い繋がりをもつと考えられてきた。
いっぽうで、桃は栄養不足の時代には薬として栽培され、転じて死を遠ざけ不老長寿をもたらすものとされた。黄泉から伊邪那岐尊を追いかけてきた化怪たちが、桃を投げつけられて退散したのも、死の穢れを祓う桃の効能を象徴している。
岩戸町の遺跡における供犠は、伊邪那岐・伊邪那美の国造り神話、もしくはその原型となった出来事を基盤にして行われていたのではないだろうか?
長く続く、特定の現象があったのではないだろうか?
これほどの数の女性を定められた場所で死なせなければならない現象とは、あるい
(出雲大学で講師を務める竹谷和彦教授の書斎で発見された未発表の論文原稿より抜粋。
竹谷教授は平成十一年八月に自宅から失踪し、親族から警察に捜索願が出された。教授の安否は現在も不明である)
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思わず。
祠の三方から下げたばかりの皿に盛られた塩を掴んだ私は、手の中のそれを杉野圭子の血まみれの顔面に叩きつけていた。
「あハ、あははははハハはあハー」
杉野圭子が嗤う。
鮮肉色の結晶を頬張ったまま嗤う。屋上から落下した時にどこかにぶつけて脱臼したのだろう、左腕があり得ない方向へねじれて垂れ下がり、右膝が外側を向いて、あちこちが歪んだ血みどろの姿のまま嗤う。
「見タんだ、やっぱり。もシ御神体を見てイナかっタら、もウ死んでいるアタシが見えるハずガないんだかラ。
せんぱイガ、つぎ。
あハ、ハハハハハ。
アタシたちハ、贄なんですよお。こォこに、大昔からあイた地獄へ繋がル穴。そこカラときドき、生キたにんげんを食べるモノが這いあガってくるんです。
そんなモノが外にデタら タァいへんですよね ダカラ ここに餌を置いタんです 昔のヒトが
──甘イ、あまぁぁァあい桃ト 器にナル女、と
這イあがってキたモノを納メて 堕ちテ 地獄に還す 贄の候補がこの屋上に寄越ザれて祠の世話ヲ シでヴぃル
あハ、おがシい、あがは」
喉の皮膚にぽつぽつと穴が開いて、声が濁っていく。一晩、祠の前に置かれた塩は、煙を上げて死者の皮と肉を侵食していた。
足元が揺らぎ始めたが、彼女に苦痛の色はなかった。濁った眼球にはっきりとした喜悦が浮かび、嗤い声を上げながらひしゃげた立ち姿が傾く。
先輩が、つぎ。
二度目の転落死を遂げながら、杉野圭子はもういちど念押ししていった。
震えながら塩と水を交換した。
杉野圭子が死んだとき壊されていた祠の扉。いまは錠前と共に新しいものに交換されている。
扉の手前に置かれた小さな鏡に、蝋のように血の気が引いた私の顔が映っている。
扉の向こうには、御神体がある。
思いついて、私は回収したお供えの塩をハンカチで包みポケットに隠した。この塩は杉野圭子を追い祓った、と思う。持っておくべきだ。
屋上のコンクリートの上に滴ったはずの液体やらは、きれいに消滅していた。地面を見下ろしても、半年以上も前に亡くなった看護婦の死体など、どこにもないに違いない。
扉の向こうには、御神体がある。
身についた習慣で鳥居の外側で一礼する。まだ朝は早い。これからナースステーションで各種の申し送り事項を確認して、一日の業務が始まる。
祠の扉の向こう。そっけない白い布の目隠しの向こうに、濡れたように輝く甘い桃色の結晶が座している。たった一度ちらりとのぞいただけなのに、その姿は私の瞼の裏から決して消えずに日に日に鮮明になっていく。
恍惚の桃色に。
永い永い冥い坂を這いあがってくるモノたちの声がする。
祠に背を向けて、私は昇降口へ向かって歩き出した。
私は逃げられるだろうか。
私は逃げたいのだろうか。
お読みいただきありがとうございました。