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午後は移動教室がある為、お昼を終えたら教室を出る必要がある。
私は些か緊張していた。
今朝、何も無かったじゃない? あれが嵐の前の静けさみたいでさ、何だか怖いのよね。ヒロイン側にいのじゅうさん、こっちにはへのごさんがいるから大丈夫って、自分に言い聞かせて自分を保っている状態。不安で仕方ない。
「大丈夫ですよ、紫朗さま」
またも勝手に察する十三が、斜め後ろの定位置から声をかけてくる。見えてないけど、ドヤ顔してんだろう? くっそぅ。お前に察されるの、なんだか癪に障るわ。
私は若干イラつきながら、十三の先を歩く。お陰で少し恐怖が和らいだけど、悔しいので認めない。
目的の教室は、音楽室だ。
桜峰の特別教室は、大体校舎の西側に集中している。視聴覚室と音楽室が一階、理科室、理科準備室が二階、美術室、家庭科室が三階だ。その他もあるが、授業で主に使うのはこの辺。なお、図書室は無い。別に立派な図書館があるので。
一年の教室は一階だ。音楽室は同じ階なので、不安感が強い。せめて他の階なら、もう少し気が楽なんだけど。
ドキドキしながら一階に降りる。乙女ゲームの世界のはずなのに、何このときめきじゃない方のドキドキ。完全に別ゲームじゃねぇかよ。
音楽室のある方に視線を向けると、何人かの生徒が立ち話をしていた。その中に、印象的な赤味の強い茶髪がある。
あ、谷田良平(エムの人)だ。
……と思った次の瞬間、血の気が引いた。
背の高い谷田の前、彼と話している小柄な女生徒。
彼女の背に届くロングヘアの、毛先が緩くウェーブしている。
いやぁぁぁぁぁああ! もういる、ヒロインもう谷田攻略しているぅぅぅぅう!
待って待って、まだ一日しか経っていないよ? 何でもう攻略されちゃってんの谷田! 早すぎだろ? もっと耐えろよ! そして怖いよヒロイン! あんた昨日紫朗の方に来てたんじゃないの? いつ落としたの、そこのドエムを!!
滅茶苦茶怖いのに、足が勝手に動く。
校門前のあの時と一緒だ。怖すぎて、やろうとした動きを途中で止められない。ぎゃー! 助けてぇ!!
パニックになりかけた、その瞬間。
かなり先の方で、大きな音がした。
その音に驚いて、谷田とヒロインの視線がそちらに向く。その一瞬の隙に、ヒロインが窓の外にすっ飛んでった。
「え、雫さま?」
視線を戻した谷田が驚き、キョロキョロしている。
ヒロイン、やっぱりデフォルト名なのね……と思いながら、私も驚いた。
紫朗の優れた動体視力の中、窓の外からシュッと出てきた腕が、ヒロインを窓の外に引っ張り出したのが見えたから。
物理的におかしいよね? 人間にあんな動き、出来なくない?
アレか。ここがゲームと同じ舞台だからか。まさかと思うが、草の者って創作に出る系の忍者か。見たら「アイエエエ」とか叫んで恐怖でどうにかなっちゃうやつか。やばいな。
でも取り合えずありがとう! いのじゅうさんか、へのごさん!
「雫さま、雫さまどこですか?」
谷田が窓枠に掴まって下を覗き込んでいるうちに、私は後ろを通過した。少し十三が緊張したのが感じられたけど、特に何もなく通過する事が出来た。
ヒロイン、もう「さま」付けされてんな……人前でも関係なく「さま」付けされてんな……これは完全調教済みですね、さすがです。おっかないわ。
音楽室に入って着席し、ホッと息を吐き出した。ヒロインはどこかに連れていかれてたし、もう大丈夫だろう。
「『い』の十にしては珍しい失態です……変わってお詫びいたします」
十三が頭を下げてきたので、私は軽く手を上げる事で制した。
結局問題なかったのだ。終わりよければ全て良し、責めるつもりはない。
「寛大なご配慮、ありがとうございます」
十三によると、通常ならばヒロインが紫朗の視界に入らないようにするらしい。どうやら彼女は『い』の十を付ける前に谷田を攻略していたようで、予想外の展開に後手に回る事になったそうだ。
……って事は、ヒロイン……雫は、紫朗宅に攻め込む前に谷田落としてたのか。何それ、速攻が過ぎない……?
これは……もしかして、既に十三と紫朗以外は攻略済みなのでは……?
もしそうだとすると、十三を狙いに来たのも分かる。早すぎると思っていたが、残りが二人なら当然の結果だ。
まさかそこまで展開が早くないと信じたいが、状況が分からない。最悪、他が全員攻略済みの可能性を考えた方が良いだろう。今までが後手に回りすぎている。
雫が十三狙いで止まるなら良いが、それは考えにくい。ただの玉の輿狙いなら、別の生徒でも事足りる。谷田を落として止まらないのなら、確実に紫朗が最終目的だ。
ヒロインが違うタイプだったら、私だって、もう少し考えなくもない。
だが、あれは無かろう。どう考えても、ホラーな未来しか想像できないじゃないか。子供出来たら即座に始末されそうで怖いよ! 遺産目的で殺害とか、やりそうじゃないの……。
雫の動向を探る必要がある。
彼女の情報を得るには、紫朗だけではどうにもならない。草の者を使う手もあるだろうが、欲しい情報を得る為に、誰に何を言えば良いのか分からない。何せ、私はいのじゅうさんの手と思しきものを見ただけなのだ。へのごさんに至っては、近くにいるらしいのに見た事無いし。
ここで、不意に紫朗の頭脳が動いた。
今まで通り、十三に丸投げしてはどうだろう、と。
やだ、何それ名案。
十三に、雫が接触するだろう相手を告げれば良いじゃない? 恐らくこの辺に手伝わせるだろう的な感じで。それで、彼女らの動きを知れば予想が立てられるとか言っておけばさ、十三が勝手に草の者に指示出してくれると思うのよ。
後は私のゲーム内知識と紫朗の頭脳を使えば、もうちょっと何とかなるのでは?
そこまで考えたところで、音楽の授業が終わっていた。帰りはいのじゅうさんが頑張ってくれたようで、無事通過出来たよ。ありがとう、いのじゅうさん!
その後の授業も特に問題なく、下校時の校舎から校門までも大丈夫だった。千代は来てたけどね。まあ、千代がくっつくくらいは問題ない。あのヒロインに比べたら、千代なんて天使だよ。
そして、行きと同じく藤岡さんの運転で帰路につく。
私はここで、音楽の時間に考えた事を話す事にした。
「……つまり、あの者が紫朗さまに近付く為に、手下を増やすという事でしょうか?」
私の説明を聞いた十三の返事がこれです。
うん、大体あってるね。残念ながらその通りだ。普通に「情報を得るのに協力者として、この辺を選ぶと思う」って感じで説明したんだけどな。「協力者」が自動で「手下」って変換されてる。心の声が伝わっちゃったかしら。
取り合えず頷くと、十三は納得したような表情をした。
「では、従者頭に伝えて草の者を派遣いたします」
さすが十三、私への信頼が半端ないな。そのまま飲み込んだよ、少しは疑え?
だけど、上手く行った。これで攻略キャラたちの情報も入る。現状だけでも理解出来たら有難い。
あ、でも大事な事を忘れるところだった。
「……鈴原ルネには……気を付けるように。一人じゃなく、複数つけた方が良い」
鈴原ルネは、この後、園芸部に入る一年生。小柄なハーフ美少年だ。緑に縁どられた茶色の瞳と、金茶のふわふわヘアが可愛らしい。よく、天使のようだと言われている。お花に話しかけちゃうその姿が可愛くて、老若男女問わず人気だ。
だけどこの子こそ、「優しそうに見える殺人鬼」なのだ。
油断して無警戒になった相手を、殺意ゼロで殺す。法に触れる行為と知っているから隠すけれど、罪の意識が全く無いという化け物。
小柄なのに予想外な怪力で、掴まったら逃げられない。いざとなると親の外交特権で逃げるので、非常に厄介だ。
ルネのルートだけだと、彼はライバルキャラたちを殺し始める。十三と紫朗以外を落とすなら、ルネルートが一番簡単だ。何せ、ライバルが全滅する。後は落とし放題だ。
だが、紫朗ルートに入るには、ライバルたちを殺させないようにしつつ、こいつを手懐ける必要がある。
攻略済みならある意味安全ではあるけれど、草の者はライバルたちではない。狙われる可能性がある以上、気を付けた方が良いだろう。
それに攻略済みで無かった場合は、千代や二三ちゃんが危ない。どちらにせよ、見張っていた方が良いキャラだ。
「一年の……あの者が何か?」
ルネは無害の極みっぽい外見だが、あれは本能のままだからこそ、純粋に見えるだけだ。だから疑われないまま犯行を続け、たまたま目撃したヒロインと知り合う。
ちなみに彼を落とすには、その時に殺害方法を変える提案をするだけである。
……うん。
ゲーム内だけでも、充分狂っているな。ヒロイン。実在したら相当危ないわ。
「凄く嫌な気配がする。重々気を付けるように」
証拠もないのに殺人鬼とは言えず、私は言葉を濁した。
それでも、十三は頷いてくれた。
この調子なら、口酸っぱく注意を促してくれるだろう。少し安心した。
※音楽室の階を間違えていたので、修正しました