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「お兄様、私、ご相談がありますの」
昨日の今日でもういつも通りは早いな……と思ったら、千代なりに理由があっての訪問だったらしい。二三ちゃんはその付き添いだった。
いや、まぁ……このくっつき方をみると、それも紫朗に会う為の言い訳の一環な気もするけどね。メインがそちらだというのなら、ちゃんと聞きましょう。
私が聞く姿勢を見せると、千代は口を開いた。
「あの方……立石さんは、もしかして、二重人格か何かではなくて?」
あ、千代でも気付いたのか。
そうだよね……あれだけ行動に落差があると、何か二面性を感じるよね。ちょっと違うけど、強ち間違いでも無いからなぁ。なんて説明したらいいのか。
「おかしな行動やお兄様に迷惑をかけるのは許せないのですけれど……何か、時々可哀相に感じてしまって」
分かるわ、千代。そうなのよ。ベースの雫は決して悪い子ではなくて、むしろ好印象なの。だから前世さんの暴走の尻拭いしているのが可哀相で……。千代にもその辺、感じ取れたのか。嫌っていたのに、ちゃんと見ているんだなぁ。
内心うんうんと頷きながら聞いていると、千代が塩を振った青菜のようにしおれていく。
「その……あの……許さない自分が、彼女をいじめているように感じるのです……」
ああ……千代はいい子だなぁ……。
もし前世の私なら、何らかの連絡事項でもない限り、絶対口きかない相手なのよね。千代って。私が学校を休んでも誰も気付かないタイプだとすれば、千代は海外学園ドラマでスクールカースト最上級にいる部類だもの。
三つ子の魂百までどころか、転生してまで引きずっているせいで、私は千代と話すと気後れする。学校で輝いてた彼女たちと話す時と同じ気持ちが、どうしても消えてくれない。だから未だにこの子がぐいぐいくると怖いし、引いてしまう。
でもこの子、スクールカーストが上でも、ドラマみたいにいけすかないタイプじゃない。脳筋で紫朗の顔に対する執着が強い以外は、凄くいい子。
……脳筋なのはある意味真っ直ぐって事だし、執着も情の深さゆえって言えるもんね。
ああ、そうか。
そうだ、千代は真っ直ぐで情が深いんだ。だから嫌いな雫も、少しかかわっただけなのに……こんなに気にしてしまう。
私の手は、自然と千代の頭を撫でていた。
親戚の小さい子を、あやすみたいに。
「お兄様……」
千代が眉毛を八の字みたいにして、私を見ている。その色の薄い瞳に、優しい顔の紫朗が映っていた。
ああ、紫朗もこんな顔出来るんだ……。
ぼんやりとそんな事を考えて、ハッとした。
あれ……千代があまり怖くない……ぞ?
むしろ今、すごく千代が可愛い。頭撫で撫でが止まらんぞ?
「千代は、いい子だね」
心のまま、私は気持ちを口にした。
そうしたら、千代の眉毛が益々下がる。その千代の後ろでは、何故か鼻血を流す十三とルネを、二三ちゃんが介護していた。ぐふっとか断末魔みたいな声がしているけど、大丈夫かあいつら。
「お兄様、私……」
背後の惨事を無視して、千代は考え込んでいる。その眉毛は下がりっぱなしだったけれど、不意に、きゅっと上がった。
それは、何かを決意したような表情だった。
「私、立石さんと話します!」
ああ、千代はいい子だなぁ。
あんなに雫を嫌って、関わりたくないって全身で出していたのに、ちゃんとそこに辿り着くなんて。しかも、私は説明しなかった。私から状況を聞いてから判断する方が楽なのに、私が話す前に決断した。
元の雫も、十分にいい子。
二人は前世さんのせいで仲違いしちゃったけど、本当なら友達になれるんだよ。一緒に誰かを救う為の、素敵な会社を作るくらいにね。
私が同意を示すようににっこりすると、千代も一緒ににっこりした。そして、いつもみたいに飛び込む感じじゃなく、甘えるように抱き着いてくる。
「……お兄様の従妹として、恥ずかしくないように振る舞うわ」
同じ言葉を前に聞いた時、『大人しくしていれば可愛い』と思ったけど。
……千代はいつも可愛いかったんだなぁ。そりゃそうか、慕ってくれる親戚の子だものね。紫朗の顔が好きっていっても、十三ほどおかしくないんだし。
そうだよ! 良く考えたら、十三の方が怖いじゃないの! この子、十三に比べたら全然怖くないよ? 脳筋なだけで、腹黒じゃないし! 何であんなに怖かったんだろう?
一度千代の怖さが消えたら、なんか可愛くてしょうがなくなった。凄いぞ、親戚の情! ここに至るまで十年以上かかる辺りが、さすが私だけどね!!
甘えて満足したらしい千代を見送り、部屋に戻る二三ちゃんを見送り、私は応接間に戻った。
十三の淹れてくれた紅茶を飲んで一息ついてから、首を傾げる。
あれ?
千代に相談されたけど……私何もしていなくない? 頭撫でただけだよ? 聞かれた雫の状態すら、説明していないよね?
それなのに何だか、千代の相談は終わった感じがある。
いやいや、確かに千代の中では決断されたみたいだけど……え、紫朗何もしていなくない?
「さすがでございました……」
「……本当に、素晴らしい」
そんな私を、何故か讃えだす十三とルネ。全く意味が分からない。
二人は理解していない当人を差し置き、熱心に語りだす。
「悩む千代さまに、『いい子』の一言で方向性を指し示す……他の者では真似の出来ない、唯一無二の対応」
「あのように微笑まれては、覚悟を決めぬわけにはいかないですよね」
え。
何それ……と思いながらも、決意したような表情をした千代が脳裏に浮かぶ。
待って待って。私は単に千代はいい子だなって思ったのが口から出ちゃっただけなのに、二人の間ではどんな判断になっているの? その口調だと、まるで言外に脅したみたいな感じに受け取れるんだけど!
ドキドキしてきた私の脳裏に、続けて浮かぶのは千代のセリフ。
『……お兄様の従妹として、恥ずかしくないように振る舞うわ』
あ、あああ……あ……。
私は頭を抱えたくなった。
駄目だこれ。多分、十三たちの感想が事実だ。私は遠回しに、千代にプレッシャーかけちゃったんだ。紫朗の事が大好きな千代は、紫朗が望む方向へ行こうと考えたに違いない。
うわぁ……ごめん、千代。
そして、がっかりだよ紫朗。せっかく親戚が可愛い事に気付けたのに、直後にこれかよ……。もうちょっと言動に気を付けよう? 前世と違って、影響力が半端ないんだから……。
せめて次に千代に会った際には、もうちょっと甘やかしてあげよう。今までわりとそっけない対応だったから、そのお詫びも含めて。
そこまで考えた所で、十三のスマホが震えた。
スマホへ連絡って事は、雫かな? 大蔵からの接触があったのかしら。
無意識に十三へと視線を向け、私は戦慄した。
十三が、悪魔のような笑みを浮かべている。
こわっ!!
何なのその顔。どうしてそうなった!? いや、お前が腹黒なのは知っているけど、今の悪だくみの顔じゃないよな? むしろ人殺しとか、人を人と思っていないとか、そんな系列の顔だぞお前!
しかも下からスマホの液晶の光を浴びているせいで、ホラー感もある。下手に美形なのも駄目だ。悪役度が増している。
そんな顔になるなんて、何の情報なの……。
「立石雫の元へ、大蔵より連絡があったそうです」
情報自体は、予想通り雫からのものらしい。十三はスマホの画面を見せてくれた。
そこには、雫と大蔵のメッセージ画面のスクリーンショットが映っていた。
大蔵『婚約したって、噂だけど』
雫『うん……(しょんぼりしたスタンプ)』
大蔵『おめでとう』
雫『(ショックを受けているスタンプ)』
うわぁ……好きな相手からこれはへこむ……。
え、十三これ見て笑ったの? これを見て、あの悪魔のような笑顔なの?
ドン引きし始めたところで、一緒に画面をのぞき込んでいたルネが呟く。
「ざまぁ……」
いや、『君尻』にざまぁ展開なんて無いから。やめなさい。その顔もね。
ルネが人殺しの顔するの、シャレにならん。