二三
今回は番外編です。
私の名前は山川二三。桐生院家に一家でお仕えしている山川の娘です。父・三十四は従者頭、母・七三は草の者の頭領、兄の十三は紫朗さまの専属従者をしています。
私はまだ見習いなんです。私も早くお仕えしたいと思うのですが、まだまだ実力不足で……修行あるのみですね。
山川家は大変業の深い家系でして、生まれた子供は確実に面食いになります。私も例にもれず、面食いです。
なんでも、かなり前のご先祖が呪われたせいだとか。
でも、誰も呪いを解こうとは思っていませんね。桐生院家にお仕えする上で、この呪いは大変な祝福です。あの美しい主にお仕え出来ると思えば、毎日が幸せに過ごせるわけですから。
もし呪いを解くのなら、それは山川家が桐生院家から拒絶された時だけでしょう。あの美しい一族を知った後では、全てが凡庸。美から見放されて生きるなど、出来ない体ですもの。
そんな面食いの私にとって、兄は最高の兄でした。
紫朗さまのお顔を拝見するまでは、この世で一番美しい子供だと思っていたのです。
仕方がないと思いませんか?
小学校低学年以下の男児なんて、みんな『○んこ』が大好きじゃないですか。
もちろん、『○』の中身は『あ』ですよ? みんな大好きあんこ。甘くて美味しいですね。何だと思ったんですか? ……なんて、冗談ですよ。
さておき、取り合えず『○んこ』って言っとけば盛り上がる。意味もなく連呼する。そんな時の彼らのはしゃぎ方は、人間というよりも猿です。もちろん、そうじゃない子も居ると思いますが、当時の私の周りには居ませんでした。
更に、泥遊びで手も顔も真っ黒とか、私には地獄でしかありません。面食いなんですよ? 顔が汚れている状態に、耐えられるわけがないじゃないですか。でも子供って、その辺気にしないでしょう? 食べた後も、顔が汚れている事が多いし。
その点、兄は完璧でした。きっちり教育されていて、姿勢も良く、頭の悪い事も言わない。それはそれは美しい子供でした。
兄がここまで美しくなければ、私も普通に他の子と遊べたに違いありません。しかし、私の目は兄を見て美に肥えてしまった。幼児でもこれだけ美しくあれると、知ってしまったのです。もう引き返せません。
目の肥えてしまった私は、兄に遊んでもらうしかありませんでした。その時の兄は修行が始まったばかりで、幼子とは思えぬハードスケジュールだったのにも関わらず、私は甘えて追いかけ回しました。
今考えれば、あの時の兄は大変我慢強かったと言えましょう。
まだ五歳の子供が、ハードスケジュールに苦しみつつも、甘える妹の相手までしていたのですから。
でもある日、兄のストレスは限界を超えました。
私は兄に、突き飛ばすように追い払われたのです。
バランスを崩して転びかけながら、後ろに池があった事が思い出されていました。転んだところで止まればまだしも、場所はやや坂の状態。このままだと、転がって確実に落ちます。しかも私は泳げず、兄も泳げませんでした。周囲に大人が居ない事も分かっていたので、状況は絶望的です。
妙にゆっくりと感じる時間の中、倒れかけて空だけになった視界に、「死んじゃうのかな」と思いました。
その時です。
私の体が途中で止まり、空ばかりの視界の中にあの天使のようなお姿が現れたのは。
これが紫朗さまとの、衝撃の出会いでした。
紫朗さまは近くで私たち兄妹のやり取りを見ていたらしく、慌てて私を支えに来てくださったのです。
おかげさまで、私は池に落ちずに済みました。
「大丈夫?」
尋ねてくる声は、まるで小鳥の囀りのよう。視界を占めるそのお顔は、これまで見た事もないような美しい造形。天使がいるのならこのようなお顔に違いないと、誰もが思う事でしょう。
私は一言も喋る事が出来ず、ただそのお顔を見詰めるだけでした。
分かりますか?
支えられている私は、下から見上げる形でお顔を覗いている事になります。つまり、煽りのお顔です。通常は些か見苦しくなる角度なのですよ。
ですが、完璧でした。
美形は鼻の穴まで美しいのかと、新たな発見までしました。素晴らしい発見です。
自分のした事に気付いた兄が慌てて振り返り、そのまま茫然としていました。兄も面食いです。私と同じ気持ちでしょう。いえ、私の方が驚いていたかも知れません。世の中に兄よりも更に高みにいる美貌の幼児がいるとは、全く思いもしませんでしたから。
あの時の紫朗さまの美しさに比べたら、兄などその辺の男児と大差ありません。紫朗さまが美しすぎ、全ての基準が狂いました。もう戻れません。
紫朗さまは私をその場に座らせて、怪我がないか確認してくださいました。もう一度大丈夫か問われ、ようやく頷くと、私と兄にこう仰ったのです。
「仲良くね」
……以来、私と兄は一度も喧嘩をしていません。大変仲良しです。何かいがみ合うような事があったとしても、紫朗さまの事を思い出すだけで、一瞬で仲直りが可能です。
そんな兄は、中等部から紫朗さまのお付きになりました。羨ましくて堪らないですけど、兄は全てを投げ出して修行していましたから。納得です。
私も中等部より、メイド候補として修業を始めました。
実は、奥様も元メイドなんですよ。今も時々綺麗に気配を消して、周囲のお話を聞いているお姿を拝見します。あの気配消すの、難しいんですよね。奥様は天性のものをお持ちだったと、母から聞きました。私も頑張らないといけません。
中等部では、紫朗さまの従妹の千代さまとお友達になりました。
千代さまも大変お美しく、性格も真っ直ぐで、素晴らしいお方です。
私は従者側の人間という事で、最初は遠慮していたんですけどね。千代さま、そういう事は一切気にされない方でして。高等部に上がった今も、とっても仲良くさせていただいています。
そんな千代さまとの最近の話題は、『如何に紫朗さまをお護りするか』です。
私たちが高等部に上がったその時から、紫朗さまは一年の女生徒に執拗に付け狙われています。かなり常識はずれなアピールの仕方なので、紫朗さまが怯えてしまって、とても可愛……お可哀相なのです。
紫朗さまは人付き合いが苦手で、あまり知らない人とは会話されません。普段は兄が対応するので、声を出す事すら少なめ。表情も極力動かさないようにされていて、いつも周りの反応を恐れていらっしゃいます。
そこにあの女ですよ。
それはもう、怖くて怖くて仕方がないでしょう。こう言っては何ですが、同じ女から見ても意味不明で怖いです。
しかもあの女、母の部下すら手玉に取る腕前なのだとか。さすがにこれは、私や千代さまの敵う相手ではありません。
あの女が美しい人ならば、私はここまで悩まなかった事でしょう。それはきっと、千代さまも兄も同じだと思います。
至高の美を持つ紫朗さまの隣には、出来る限り美しい人に並んで欲しいのです。
その点、あの女は失格。
一般的には小動物のようで可愛い顔立ちかと思うのですが、纏う気配がいけません。どうみても野獣です。……これでも大分控えめな表現ですね。正直なところ、化け物と言っても差し支えないでしょう。
特に目が駄目です。ギラギラと光らせて、まるで飢えたケダモノのよう。
あんな女、紫朗さまの隣にはとても……とても、怯えて可愛い紫朗さまが見られるのでは……いえいえ、有り得ません。
今の私に出来る事は、怯える紫朗さまを励ます事くらい。残念ですが、それが現実です。後はお役に立てない事を謝罪するだけ。
時々メッセージをお送りして、その旨お伝えしています。
お優しい紫朗さまに逆に励まされてしまう事もあるのが、嬉しくも情けないところですね。
私も早く母のように強くならなくては。
そして戦えるメイドとなり、紫朗さまをお護りするのです。
修行あるのみですね!