十三
番外編です
私の名前は山川十三。代々桐生院家にお仕えしている山川家の長子でございます。
父・三十四は桐生院家の従者頭をしており、私はその補佐として、仕事を学んでいる最中。いずれは父の跡を継ぎ、同じく跡を継がれた我が主……紫朗さまのお役に立ちたいと存じます。
思い起こせば十二年前。
紫朗さまとの出会いは衝撃的でございました。
当時の私は、まだ五つの子供。既に主に仕えるべく修行の日々でございましたが、それに耐えるだけの精神をお持ち併せてはおりません。何で自分は他の子のように遊べないのかと、不満だったものでございます。
父は「いずれお会いする桐生院家の方々を拝見すれば、修行の必要性に気付ける」と申しておりましたが、お会いしていない状態でそれを分かれと言うのは無理というもの。不満は日々、溜まるばかり。
その不満は、ある日、愛すべき妹へ向けられました。
妹の二三は二つ下。兄の私が言うのも何なのですが、大変美しい妹でございます。可愛くて堪らない自慢の妹ですが、当時の私の不満は、それを超えてしまうものでございました。
兄を慕ってくれる妹を、鬱陶しく思っていたのです。
あの日……私は後ろから腕に縋りついてきた妹を、周りを見ずに振り払いました。中々離れないから、突き飛ばすように。
ですが、そこはお屋敷の庭の、立派な池の前。
そのままならば、二三は池に落ちるはずでした。
当時の私はまだ泳ぐ事が出来ず、より幼い二三も泳げません。近くに大人の姿は無く、状況としては、絶望的であったと言えましょう。
そこに紫朗さまがおられなければ。
ああ……思い出しただけでも心が震えます。
当時の紫朗さまは、まだまろやかな頬のラインがあどけなく、幼児期にのみ許される柔らかな肌が、そのラインを愛らしさの極みに押し上げておりました。そこにかかるやや明るい色の髪はサラサラで、動きに合わせて滑らかに揺れます。同じ色の長い睫毛にけぶる目元は淡い色の瞳が光を弾き、通った鼻筋から血色の良い唇まで、全てが天上の美。天使が間違えて降りてきてしまったのかと、思わず天を仰いでしまう美貌。幼くして既に完璧でありました。特に先述した長い睫毛から鼻筋が、この世の物とは思えない程のバランスなのでございます。
ご想像ください。
振り向いた時に、この天使がおわすのです。
お分かりいただけましたか……当時の私の衝撃が。
私が突き飛ばしてしまった妹は、紫朗さまが全力で支えてくださいました。おかげ様で池に落ちる事は無く、私と同じように、茫然と紫朗さまを見詰めておりました。
その時、紫朗さまが仰ったのでございます。
「仲良くね」
たった一言。
たった一言でしたが、私にはそれは、天からのお告げ。何においても遂行せねばならぬもの。全てを投げ捨ててでも成すべき事柄。
そう……私はそこで知ったのです。
この美しき人が、自らが不満を覚えたあの修行の末、お仕え出来る方なのだと。
私はその場で、紫朗さまへ永遠の忠誠を誓いました。そんな私に紫朗さまは困惑し、まだ早いと仰いました。
確かにその通りです。不満たらたらにしていた修行など、さほど身についておりません。この美しき主にお仕えしたいのならば、もっと己を鍛える必要があります。そうでなければ、この美貌をお護りする事も出来ないのですから。
その日から、私の人生は変わりました。
父の言う通りだったのです。主のお姿を拝見するだけで、私のモチベーションはいつもマックス、常にどんどん新しい事を学びたくて溜まらぬ状態。何をしても楽しく、充実した日々となりました。
父は私の様子にとても満足し、特に修行が進んだ時など、紫朗さまのお姿が見えるよう、こっそり食堂に入れてくれたものです。
紫朗さまはお美しさが極まっているせいで、普通に人と接する事が出来ません。その為、滅多にお屋敷のお部屋から出ない方でした。お庭を歩かれるのも稀で、お食事を覗くくらいしか、お姿が拝見出来なかったのです。
「良いかい、十三。紫朗さまはお美しさが徒となり、あの幼さで既に相当の警戒心をお持ちだ。お前はそんな紫朗さまを、お助けせねばならない」
父の言葉に、私は深く頷きました。
正直、私程度の顔でも、世間的には騒がれてしまいます。紫朗さまのお美しさならば、いっそ世界も傾きましょう。
私はその紫朗さまを、お護りするのです。
桜峰学園中等部になった頃に、私はようやく紫朗さまのお付きになる事を許されました。
その頃の紫朗さまは幼きあの日に比べて頬のまろみが取れたものの、成長途中の危うさが上乗せされ、儚げな印象も相まって、まさに禁断の果実。この後の成長を感じさせる長い手足はまだ華奢で、男性的な特徴は出ておりませんでした。相変わらず長い睫毛はけぶるよう。少し高くなった鼻筋から濡れたような唇まで、絵画のような完璧なライン。見たもの全てがドキリとする、背徳感を匂わせる中性的な美貌。こんなに美しくては神話の神々がさらいに来るのではないかと、心から案じてしまう程でございました。
この頃には妹の二三も修行を開始。私とは違い、メイドになる為の修行でございましたが、妹と共通の話題が出来て仲は大変良好。紫朗さまのお言葉通り、「仲良く」です。
三年の時には紫朗さまの影の護衛として、中々の働きをしてくれました。美しく成長しているだけでなく、大変頼もしい妹でございます。
物静かな紫朗さまのお陰で、それほど問題の無い中学時代でございました。ヤンチャをする主も多い中、大変ありがたい事です。
そして、それから。
桜峰学園高等部に進学された紫朗さまの美しさは、ついに頂点に達しておりました。
声変わりしたその声は、女性どころか男性まで魅了する美声。甘さを含みつつ、品のある声音でございます。儚さを感じさせるまま、男性的な輪郭になった頬。いつも伏目がちの視線が、長い睫毛に縁どられた色の薄い瞳に、その睫毛の影を落とすのです。ですが、たまに顔を上げられた時は、瞳に光が入って、上質の飴のような甘やかな色味に変わります。その変わる瞬間を見てしまうと、魂は紫朗さまの奴隷となりましょう。私は既になっています。ほんの少し右斜め後方に下がりますと、この長い睫毛と高い鼻梁が最高のバランスを描き、続く唇の柔らかなラインはまさに神々の手による芸術。至高の美。
女性陣は最近、紫朗さまの美貌に語彙力を失い、「顔が良い」と呟いているようです。お気持ち察するに余りあります。同意しかございません。
先述した通りに紫朗さまは大人しい方で、口数も少なめ、ヤンチャもなさいません。その為、私がお付きになってから、あまり問題は起きませんでした。大変素晴らしい主です。
ですが、長く付き合ううちに気付いた事がございます。
我が主は、とてもとても、お優しい。
紫朗さまはその美貌ゆえ、常に注目され続け、周りが勝手に想像し、動いてしまう。ご本人もそれにお気付きです。
だからあまり動かず、喋らず、目も合わせないよう努力されている。自分が周りに影響しないよう、幼い頃からずっと。
なんと涙ぐましい事でしょう。
結果、紫朗さまは人付き合いが苦手になってしまわれた。
これだけ周りが尽くせば、もっと傲慢な性格になって然り。実際、そんな主を持つ従者は何人も見ております。
ですが、紫朗さまはそうならなかった。全部自分で抱え込まれてしまわれた。
私はそんな健気な主を、お助けせねばなりません。
紫朗さまの一挙手一投足に注目し、主の考えを全て先読み出来るよう、心掛けました。幸いにも、それは功を奏したかと存じます。紫朗さまが時々嫌そうな表情をされると、先読み出来たのが良く分かってゾクゾク……いえ、わくわくしたものです。
このまま平和に過ごせるかと思っていた、ある日の事。
そう……それは紫朗さまが三年へと進級された後の、新入生入学式の事です。
その日、あの女が現れました。
いきなり私の傍に駆け寄ってきましたが、私と紫朗さまが居て、紫朗さまがターゲットでないはずはありません。そこを何とか凌いだ後も、ドローンまで使用して攻めてきて、呆れ果てた迷惑女です。
そもそも美しい紫朗さまを狙う女は、ご幼少のみぎりよりおりました。男もおりました。あれだけお美しければ当然でございます。
従者や草の者も、全員承知。最初から迎撃準備は万端でありました。
なのに、父は敢えて警報を鳴らしたのです。簡単に追い返せる相手に、わざわざ桐生院家の方々をパニックルームに移動させてまで。
あの女がそれほど危ないのか、私の判断に間違いがあるのかと、必死に考えました。
結果は散々。
わざと騒ぎにしたのは、私や紫朗さまへの判断力テストでした。
試されたのに、私は失敗してしまったのでございます。
あの女の本来の狙いは紫朗さまであるものの、先に私を狙っていたとの事。
確かに将を射んとする者はまず馬を射よとは言いますが、そもそも私は恋愛ですら、紫朗さまの判断に従うつもりでおります。紫朗さまに付き合えとご命令されない限り、あのような女に心動かされるはずも無いのです。自らが狙われるとは、露ほども考えておりませんでした。
そのせいで紫朗さまにまで迷惑をおかけしてしまうなんて……。
私は地の底まで落ち込みました。いつもなら紫朗さまのご尊顔を拝するだけで幸せになれるというのに、それでも復活出来ない程の落ち込みでした。
すると……なんという事でしょう。
紫朗さまが、あの無口で滅多にご意見を口にされない紫朗さまが、励ましてくださったのです。
「十三は自分より僕が大事だから、そう思うのは当たり前」
おお……このお言葉の素晴らしさよ……。
お分かりいただけましたか?
紫朗さまは、私の忠誠心を微塵も疑っておられないのです。私にとっての紫朗さまがどんな存在であるのか、良くご理解の上で仰ったお言葉なのですよ、お分かりいただけましたか? お分かりいただけましたか?
ああ、何と……何と素晴らしき主でしょう。この日はもう、私の紫朗さま記念日です。お屋敷中のカレンダーの全てに、この記念日を記しましょう。そうせねばなりません。隙あらば、働く者の手帳やスマホにも記しましょう。なに、ハッキング程度は嗜んでおりますゆえ。可能でございます。
あの女には腹が立ちますが、紫朗さまのお言葉を引き出す切っ掛けにはなりました。社会的に抹殺するのは止めておきましょう。
ああ、我が主は本当に素晴らしい。声を大にして言いたい。
一生お仕えいたします!! 紫朗さま!!