50.そしてまた会える日まで (幼少編完)
「び、っくりした〜噛みついちゃうのかと思ったよ」
二人が落ち着いたところで、詩音が安堵した様子で声をかける。シリウスは埃を払いながら立ち上がると倒れたままのミラに向かって申し訳なさそうに手を差し伸べた。
「悪いな」
「いいえ、興奮すると姿が変わってしまうところ変わらないのね」
その手を掴もうとしたがその前に両脇に手が差し込まれてミラの体が宙に浮いた。
「?」
困惑したミラが上を見上げるとそこには機嫌の悪そうなアルゴルが。
「ちょっと!私を空気にしてるんじゃないわよ」
「あら、アルゴル」
鋭く響く声すら昔を思い出すようで、ミラの顔には優しい笑みが浮かんでいた。
「貴方も随分成長して」
「なになになに!?姉面しないでくれる!?いい?貴方達の名付け親は私!つまり私こそ母であり、長女でしょう!」
「訳の分からないところは変わらないのね」
「むきぃい!!」
「シリウスさんとミラは仲良くて、アルゴルさんとミラは喧嘩するほど仲がいいみたいな……?」
「いいようにあしらわれているだけでは?」
「このクソガキ共!」
ゴホン、今にも二人に飛びかかりそうなアルゴルをフードルは咳払いで制す。
「アルゴル。時間がないんだろう?船は?」
呆れたように促せばその一言でハッと我に返ったアルゴルは眉をひそめて舌打ちをしたがすぐに顎で道の向こうを示した。
「船はこっち!」
アルゴルに先導されたどり着いたのは大きな倉庫の影に隠れた静かな港。そこに帆をたたんだ商船が静かに停泊していた。作業員が少人数いるがここまで堂々としていると逆に指名手配犯だとバレていないのかもしれない。
船の前に立ったアルゴルが振り返り、いつもの勝気な表情に少しの寂しさを混ぜて言った。
「国境過ぎるまでは私達は外に顔は出せないわ。これが最後の挨拶よ」
「ミラ、お前は……」
振り返るシリウスが言葉を続けるより先にミラは微笑んで首を振った。もう答えは決まっているというように。
「私はここですべきことがある。だから……あ、アルゴル。ペンダント」
「あんなの捨てたわよ!!」
「アルゴルさん。首からチラチラ見えてますよ」
「しゃらくさいわね!!!!」
詩音に指摘されアルゴルは首にかけていたペンダントを乱暴に外すとミラが差し出した手に叩きつけるように渡した。それをミラは両手で大切そうに包み込み、温かな眼差しでアルゴルを見上げる。
「ありがとう。これを持っていたおかげでお嬢様を貴方達の元へ連れてこれた」
アルゴルは顔を逸らしながら、ぶっきらぼうに答える。
「……たまたま趣向にあって、後々お金に換えられそうだったからよ」
「それならよかった」
手を開けばペンダントのひび割れた部分が元通りになっていた。ミラはそれをアルゴルに返す。
「これを持っていればこの国に帰ってきたとき、すぐにわかる。そしたらまた会えるから」
まるで何も心配していないかのように、穏やかに微笑んだ。
「いってらっしゃい」
シリウスは迷いを振り切るように力強く頷き、アルゴルは照れ隠しのようにそっぽを向く。
そんな穏やかな別れの空気を切り裂くように、急に鋭い声が響いた。
「ちょっと待ちなさいよ!!!」
思いがけない声に皆振り返る。
「私に黙っているなんてあんたたちいい度胸ね!!」
そこに立っていたのは──
「ク、クロエ様!?どうして!」
「あんたたちがバージル殿下の邸宅からフードルを連れ出したってマノンから聞いて急いで馬車を回したのよ!」
違う。それならクロエ様達は研究所まで追いかけてきたはずだ。なら、マノンさんは敢えて私達が研究所から出た後にクロエ様に報告したということになる。それはつまり……
思わずマノンを見上げた。彼女はただにこりと微笑んでいる。
この人もクロエ様のお父様とあの場所で何かを約束している人間ということなのかもしれない。
音を立てて近づいてきたクロエは深呼吸をするとフードルに向かって声を張り上げた。
「……ったく、フードル!」
「はい!」
クロエの声に、反射的にフードルの背筋が伸びる。
「ん」
手渡されたのは数枚の書類だった。
「これは……」
「あんた達が面倒見てきた子供達が今、預けられている施設の住所よ」
「え」
詩音も驚きの声を上げる。困惑するフードルにクロエは少し表情を和らげて説明を始めた。
「子供達一人ひとり面談をさせてもらったの。身寄りのない子もいたけど家庭内に問題が子もいたわ。そういう子は一度家に帰すけど何度も訪問させてもらうつもりよ。子供の状態によってはこの一番上の名前の施設に連れていくわ」
フードルが書類を見つめながら呟く。
「これは……キミが一人で?」
「バカ言わないでちょうだい。子供の私一人で話がつくものですか。ほんとに癪だけどほんっっっと癪だけどお父様の力を借りたわ」
不服そうな表情だったがそれも優しくなる。相手を安心させるような穏やかな笑みだった。
「どの子も貴方達に会いたがっていたわ。私達にとっては悪党だったけどあの子達にとっては貴方達は大切な味方だったのね」
「……」
「私からはもうないわ。それじゃあ邪魔して悪かったわね」
クロエは手を緩く振ってその場から離れていく。フードルは書類を握りしめ、何か言いたそうに口を開きかけたが言葉が出てこない。感情が込み上げて喉が詰まっているようだった。
そんな背中を詩音は力強く叩いた。
「!?」
「流石クロエ様だな。クロエ様は優しいからこれからも私なんかとは違うやり方で誰かを助けてくれると思う。……いいの?もう話できなくなっちゃうかもよ?」
詩音の言葉に、フードルの肩がわずかに震えた。
彼は数歩歩きかけて止まり、それから静かに振り返った。その横顔には決意と苦悩が入り混じっていた。
「ナタリア」
「なーに?」
「確かに会ったよ。キミが言っていた少女に」
「!」
突然出された情報に詩音は驚きの表情を浮かべる。
「彼女はボク達が密航者であることを知っていた。それを脅しに船に乗せろというからボク達の仲間の船でひと足先にこの国を出た」
「え!?」
『おっと、大丈夫かい?』
『あ……ありがとうございます』
『キミ、顔が真っ青じゃないか。体調が優れないなら少し休んで────』
『いえ、今行かないと、私……ッ!』
『……わかった。君を気にかけるよう仲間には伝えておこう』
『あ、ありがとう。……貴方に月のご加護がありますように』
「あまりに切迫した感じの女の子だと思ったがまさか聖女だとは思わなかった」
「どうして急に教えてくれたの?」
詩音がフードルに尋ねる。フードルは一瞬クロエを見て、それから詩音に視線を戻した。
「彼女は何かから酷く脅えていた。それがキミではないとしてももし、彼女をどこかへ連れ戻すようであれば答えないほうがいいと思った」
「脅えて……」
「だけど少し考えが変わった。キミが彼女の知り合いというのなら、彼女を望まぬ場所に引きずり出したり、下手に干渉しないというのなら教えてもいい」
「しない」
「ははっ、随分向こう見ずなうえに考えなしの返答だが……嫌いじゃない。……この海を少し東のほうに渡った場所まで連れて行って欲しいと言われたんだ。だが、調べればその場所には特に目ぼしいものは何もなかった」
「……」
正直私もここに地理に詳しいわけではない。けれどそれは彼女も同じはず。適当に選んだ?だけど何も目的もなくわざわざリスクを背負って船に乗るだろうか……。
もし、ゲームをしていた彼女が行くとするのなら──
「ナタリア……?」
「フードルくん、お願いがあるんだけど……」
詩音はフードルの耳元に口を寄せ、小声で何かを囁く。その表情は真剣そのものだった。
「…………厳しいかもしれないな。だが、恩人の願いだ。なるべく叶えよう」
「ありがとう、連絡はここに。…………フードルくん、ううんレヴィン殿下」
「その名前、やめてくれない?」
「ううん。これは大切なことだよ」
詩音の声には特別な重みがあった。それは自身の名を一度忘れかけていた自分自身だからこそ言えることだった。
「名前を捨てて生きるってことはそう簡単じゃない。この世界では特に。それでもその名前で二人と外の世界に行くの?」
フードルは俯いて、すぐに顔を上げる。
「……それでも────」
目の前の瞳がまるで嵐の夜に空を走る閃光のように激しく強い光を放つ。
詩音は一瞬、その輝きに強く惹かれた。
「それでも俺はいつかあの国を、どんな手を使っても最良へ導く者になりたい」
「そっか」
詩音はほんの少し寂しそうに微笑んだ。
「なら、貴方のその輝きが道を照らしますように」
「ナタリア。これまでのこと本当に感謝している。皆を代表してボクが礼を言わせてもらうよ。この恩、いつか必ず返すと誓おう」
「気にしないで。お互い様だよ」
笑顔を見せる詩音に一礼するとフードルは一歩、また一歩と歩き出す。足音が石畳に響く度に、心臓の鼓動が早くなっていく。
「クロエ」
その声は思っていたより震えていた。
「なによ」
振り返ったクロエはそうそっけなく返したものの口元には笑みが浮かんでいる。腕を組んだまま、フードルからの礼を堂々と待ち構えていた。
「さっきは突然の事でうまく言葉にできなくてごめん。ありがとう。これを一番に伝えるべきだった」
フードルの言葉には普段の軽妙さとは違う、心の底からの感謝が込められていた。それを当然と言いたげにクロエは胸を張る。
「本当に感謝なさい。この借りは大きいからね」
「うん……そうだね」
「……なに辛気臭い顔をしているのよ。また、会えるわよ」
その言葉にフードルは目を丸くする。
「──いいのかい……?」
「なによ」
「また、会いたいと望んでもいいのかい?」
「は?」
「キミ達を傷つけて、あの子達を全て押し付けた僕がまた──」
ぺちん
クロエの手が音を立ててフードルの両頬を包み込む。その動作は強く、しかし優しかった。
「会いにきなさい。絶対に。待ってるわ」
その言葉には絶対的な約束の重みがあった。彼女は当たり前のように言ったが、それがどれほどフードルを救ったか、きっと知らないだろう。
目の前が眩む。思考が焼ける。ただクロエの瞳だけが世界の全てのように映っていた。
ああ、そうか。
この気持ちは何なのかが、ようやくわかった。胸の奥で燃える炎の正体が。今まで感じたことのないこの衝動が。
フードルはクロエの手を取る。
「ん?なによ」
その困惑した表情すら愛おしい。この瞬間を永遠に覚えていたい。彼女のすべてを心に刻み込んでおきたい。
ちゅ
「え?」
「はーーーーーー!?!?!?」
唐突な音とマノンの絶叫が場を裂いた。フードルがクロエの手の甲にそっと口づけたのだ。
マノンの叫び声を背後にフードルは軽やかに船に飛び込むと恭しく頭を下げる。
「それではクロエまた。次会うときはそこの騎士より強くなってボクの手を取ってもらうよ」
詩音とクラージュを指差して手を振った。その笑顔は少年のように無邪気で、希望に満ちていた。
「上等だよ!ぜーったいに後悔させてやるんだからねーー!!」
「ナタリア様落ち着い……いやそれよりもクロエ様、そこの使用人のレンガ投げるのを止めてください!」
「マノン!!壊れる!それ本当に当たってるから!!」
「この、このーーーーーーーー!!!!」
船が少しずつ、ゆっくりと港を離れていく。港に残された者たちは、風に髪をなびかせながらその背を見送る。
これからの彼らの未来を祈りながら呟いた。
「いってらっしゃい」
◇
騒がしさが眠りにつく頃、三人は目的地に到着し馬車を降りる。明かりの灯る家が目に入った瞬間、詩音の口元がふっと緩んだ。
「はー!やっと帰って来たって感じがする~」
「ほんとに、ほんとに……長かった」
クラージュは今日一日を振り返るように長く息を吐いた。肩からは力が抜けていて、ずっと背負っていたものを下ろしたようだった。
「ミラもクラージュくんもお疲れ様!ありがとうね!」
「私は別に」
素っ気ない返事ではあるがミラの歩調は前と変わらず詩音の後ろをついて来ている。
三人が玄関に向かって歩いていると誰かが扉の前に立っていた。
「あれ?誰かいる」
「早く怒られてください」
「クラージュくん!?あれ多分お父様じゃないよ!今日はちゃんと許可を取ってる!」
騒がしくしたことで気づいたのかその人は三人に輝かしい笑みを浮かべる。
「お!おかえり」
「────」
その笑顔を見て詩音は自然と走り出していた。一日の疲れも忘れて勢いよく足を動かす。
「わっ!」
その人──リアムは驚きの声を上げながらも突っ込んできた詩音を抱き止め、そのまま軽々と抱き上げる。
「会いたかった」
そう言った詩音はリアムの首に両手を回して顔を隠すように埋める。その珍しい行動にミラとクラージュは目を丸くした。
「どうしたどうした!怪我したのかよ!」
「してない。ちゃんと帰って来た」
「みたいだな。流石俺の妹!えらい、よくやった!」
そう言って体を下ろすとその頭をぐしゃぐしゃに撫でる。詩音はその動作に目を細め、くすぐったそうに微笑んだ。
「元気が有り余ってますね二人とも……」
クラージュは呆れたように息を漏らした。クラージュは立っているのがやっとというようで壁に背を預けるようにして体重をかけている。
「もしかして羨ましいのかクラージュ。ほら、お前も」
「違いますけど」
何を言ってるんだこの人はと言いたげなクラージュにリアムは唇を尖らせ、詩音は冗談半分に手を広げてにんまり笑ってみせた。
「しょうがないな〜!ほら、クラージュくんカモン!」
「絶ッッッッ対嫌です。というか逆なのでは?」
「えー?クラージュくんが私を持ち上げるのは無理だよ」
「…………」
「ちょっと!無言で寄りかかるのは違うじゃん!なんかすっごい力入れてる!ちょっとミラ~」
「嫌です」
「即答だ……」
「じゃあ、俺も!」
あっさりとした返事とどんどん増してくる二人分の重み、詩音は思わず笑みを零した。
今度こそ失わないように。今度こそ──
きっと大丈夫。
幼少編完結。ここまで読んでいただきありがとうございます。
幕間や番外編を一、二話更新して次回から学園編に入ります。物語の新たな展開をどうぞ楽しみにお待ちいただけると幸いです。




