32.決行
下っ端の朝は早い。今日も上から頼まれたことをこなすため子供たちに隠れて山を降りることになった。
部屋に入れば大きな麻袋が一つ。既に用意は出来ているようだ。
「全く、アニキも人使いが荒いぜぇ……」
朝早々に部屋に入って来たかと思えば神妙そうな顔で頼み事をしてきたアニキに愚痴を零す。この山には獣が出る他、滝等の水辺も多くありそれを避けながら山を下りるのはかなりの重労働だ。麻袋を担げばズシリと来る重み。
「重い…」
思わずそう呟けば突然肩に痛みが走り下っ端は飛び跳ねた。
「痛てぇ!?」
まさか……目を覚ましたというのか……!?
驚いて麻袋を両手で持ち上げてみたがぴくりとも動かない。右に左に揺らしても何の反応もない。
「なんだ……気のせいか……」
担ぎ方が悪かったのかなと思いながら麻袋を担ぎ直した下っ端は港へ向かうため施設から出た。
この後また何回かしばかれることを彼は知らない。
◇
「おにーちゃん、クロエおねーちゃんしらない?」
そう少女に問われフードルは辺りを見回す。確かにクロエの姿が見当たらない。朝からまだ一度も見かけていない気がする。
もしかしたら……
「まだ寝てるのかな?一緒に起こしに行こうか」
「うん!」
嫌な予感がして子供たちには気づかれないよう早足で隣の部屋に入ればベッドからはみ出した赤いドレスと呼吸に合わせて上下する薄い掛物。
どうやら自分の考えは杞憂だったようだと無意識に安堵の息を吐いた。
そろそろ起こさないと、そう思い頭まで掛かっている布に手を伸ばした。
「どうかされました?」
不意に後ろから掛けられた声に手が止まる。振り返ればいつの間にいたのだろうかクラージュが立っていた。
「やぁ、クラージュ。そろそろ起床時間だと思ってクロエを起こしに来たんだ」
この男、あの女といた時は随分わかりやすいと思っていたが顔を合わせなくなった途端どうだ、何を考えているのかわからなくなってどうもいけ好かない。
クラージュはあぁ、と納得したように頷くが困ったような表情を浮かべる。
「クロエ様は慣れないベッドでまだ疲れが取れてないらしいですよ。流石に可哀想なのでもう少しだけ寝かせてあげてください。僕が責任をもって起こしますので」
「いや、アルゴルもそろそろ来るだろうから……」
「おや、そうですか」
何となく彼女との親しい具合を見せつけられているような言い方が気に食わなかったのでだからやんわりと断りを入れてみればクラージュはあっさりと引き下がる。
「……そういえばナタリア様を見かけないのですが貴方は何かご存知で?」
ように見えたがそうではなかったらしい。意識の外からの問いかけて動揺を誘っていたのだろうか。この男、あの女の話題にはかなり鋭敏だ。平静を保ちながら知らない体を装う。
「いや…、僕もわからないかな」
その返事にクラージュは呆れたようにため息を吐いた。
一体なんだっていうんだ……。
「いやはや、ナタリア様には困ったものですね。いつも突飛のない方ですから。振り回されるこちらもか、な、り、苦労させられます」
なんでそんなに圧を込めてるんだ?こいつは?
「そうかな?素直な子だと思うけどなぁ」
「すぐに分かりますよ」
どういう意味だと問いかける前に子供たちに手を引かれ連れられる。意味ありげな笑みが随分気に触った。
「クロエおねーちゃんみつからないね」
祝福の効果で決められた範囲にしか行けない子供たちと一度離れれば勝手に適当な部屋を覗きに行った。
しかしこちらに戻って来たと思えばそう言うものだから不思議なことを言うんだなと思い、子供に視線を合わせるようにしゃがむ。
「クロエはさっき寝ていただろう?」
「あれナタリアおねーちゃんだよ」
「ん?」
「ナタリアおねーちゃんがクロエおねーちゃんとしょーぶしてるからあっちをさきにみつけてほしいっていったの!」
そんなはずはない彼女は朝、アルゴルが部下に頼んで……。
「!」
そこでようやく自分がしでかしたミスに気がついた。
音を立てて部屋に入れば窓が開いていた。急いで先程クロエがいたはずのベッドから掛物を剥ぎ取る。
しかし掛物の下には銀色の髪が一本残っているだけだった。
「やられた……!」
あの二人外に出やがった……。アルゴルの祝福はどうした?少なくともあの男には効いていたはず……いや、そんなことを考えてる暇はない。
すぐさま外に出ようとすればドンと腰に衝撃を受けてよろめく。見れば子どもがぴったりと引っ付いていた。
「だめ!」
「ど、どうしたの?」
「おおかみがでたからそとはあぶないっていってた!」
「誰がそんなことを……」
「いっちゃだめ!!」
こちらの話も聞かず泣き出した子供を皮切りに連鎖するように他の場所からも泣き声が聞こえてくる。
先程のきな臭い笑みを浮かべた男を思い出す。
「あいつ……!」
「いやぁ、子供は純粋で助かりました」
「子供たちに嘘ついて回るなんてよくやるよ」
クラージュの言葉に隣を走っているクロエの服を着た詩音が苦笑する。クラージュはジトッとした目で詩音を見つめる。
「元はと言えばナタリア様が子供に見つかってしまったからでしょう。まさかクロエ様がなさった提案で助かるとは思いませんでした」
「いや、まさか朝一番に布団を剥ぎ取られると思わなくて……」
「彼自身どんなに頭が良くてもおにも……見過ごせない存在がいればそれなりに時間は稼げるでしょう」
お荷物とは酷い言い様だ。クロエ様がいたらまた言い合いになってたんだろうなぁ……。
「………クロエ様の方は大丈夫かな?」
「さぁ、どうでしょう?……まぁ、魔法の扱いは優秀だと自負していましたし自分の役割の責任は持つでしょう」
◇
「私がその袋の中に!?正気なの!?」
「はい」
麻袋を手に持ちそう平然と返事するクラージュをクロエは睨みつける。
「ナタリア様は魔法が使えませんし、僕は小さくて可愛らしい魔法しか使えませんから」
「あんた前に言ったことまだ妬んでんじゃないわよ……」
「冗談はさておき、クロエ様の魔法が純粋に一番目立ちますから。これで袋に穴を開けて外を見ながら山を降りたタイミングで袋から出て直ぐに真上に火魔法を撃ってください。あの派手な魔法は目印になります。貴方のお付きの人かリアム様達が気づくはずです」
そう言って小型のナイフを取り出すとクロエに渡す。そんなものを取り出したことに驚くが恐る恐ると手に持つと訝しげにクラージュを見る
「随分用意がいいじゃないの」
「……あれだけ日頃から何かあれば備える物もありますよ。……まぁ……実際、使うことは出来ませんでしたが……」
アルゴルに捕まった時を思い出しクラージュは苦々しい顔をする。クロエはそれを収めると二人に問う。
「であんた達はどうするの?別ルートで山を降りるの?」
「そうしたいのは山々ですが……」
難しい顔で額を抑えたクラージュが詩音を見る。詩音は申し訳なさそうに眉を下げた。
「多分、あの人狼私を追いかけてくると思う……。なんでかは明確に分かってないし、クロエ様と鉢合わせて何かあったら困るから私は山を登って隠れながら時間を稼ぐよ」
「と、いうものですから僕らは山の上を目指します」
「え!?二人で!?」
詩音の驚いた反応にクラージュはむっとする。
「当然でしょう。一人にさせると碌でもないことになるのは目に見えてますから」
「クロエ様……」
どう考えてもこっちについてくるほうが危険なのに……。
流石にそれは……と思い助けを求めるようにクロエに視線を向けるがクロエは首を振る。
「私は私でどうにかするし、別にこいつがボロ切れになろうと構わないから良いと思うわ」
「クロエ様………」
「……やはり足でまといになりますか……?」
気落ちしたような声音で問いかけてきた。
違う。足でまといになるのは自分のほうだ。
魔法は使えない。凶暴さが増している人狼は自分を追って来るのだ。戦いを免れることは出来ないかもしれないのに……。クラージュくんに何かあったら……そう思うととても恐ろしい。
「………」
詩音は苦しげにクラージュを見た。
クラージュはその目をしっかりと見つめ返し頷く。
「大丈夫です」
不思議なことにたったその一言で詩音の心は少し軽くなる。本当に大丈夫だと思えるのだ。
縋っていいのなら頼っていいのなら……
「………じゃあお願い。でも危なくなったら絶対に逃げてほしい」
詩音の葛藤と切実な思いに気づいているのだろうか、クラージュはその言葉に素直に頷いた。
「じゃあそれで決まりね。それで!もしもの為に服を交換しておかない?その格好のままだと直ぐにバレちゃうかもしれないわ」
「なんでちょっとわくわくしてるんですか」
「一度だけやってみたかったのよね!庶民の服を着て身分を隠すの」
「……それ、お幾らなのかな……?」
「あら、汚しても良い物だから気にしないわよ」
「じゃあ……それなら……」
何がそれなら……なんですか絶対高価なものでしょう……。と呆れていたクラージュだがその場で着替え始めようと胸元のリボンを外す詩音にすぐさま顔を赤らめた。
「何してるんですか!?!?」
「あ、ごめん」
「騒がしいわよ二人とも」
◇
「まさかクロエ様と服交換をして窮地を乗りきると思わなかったよ」
「何があるかわからないものですね」
そう言いながら走り続けていると激しい轟音と共に遠吠えが突如聞こえ二人は肩を跳ねさせる。
「来た……!」
「思ったより早いですね」
アルゴルが人狼を眠らせたままにするかと思っていたがもうそうすることも出来ない状況なのだろう。
「クラージュくん、初めに言ったように何かあった時はすぐに……」
自身の足首に伸びる鞭に気付いた詩音は両手を地面に着いて一回転することで避ける。
「──私を置いて逃げて」
「貴方本当に今魔法つかえないんですよね……?」
着地した勢いで振り返れば鞭を振っていたのはもちろんアルゴルだった。人狼の脚でここまで来たのだろうか。人狼を傍にもう柔和な笑みはなく、怖い顔で二人を射抜くような視線を向ける。
「やってくれたわね……。一体どうやって祝福を防いだの?」
「どうやら私には聖女の加護があるみたい」
冗談交じりに言ってみたつもりだったがアルゴルはぴくりと眉を怪訝そうに動かすと深いため息を吐いた。
「やっぱり不公平よねこの世って」
瞼を伏せて苦しげに呻く人狼を哀れむように見つめ、その毛並みに手を添える。
「こんなに私達努力したのよ。子供の時から自由なんてなくてそんな地獄から人を蹴落としながら泥水を啜って生きてきた。誰かを騙して、誰かを手に掛けて……ようやく、ようやく手に入れた場所なのに……それなのに……まさか小娘たちここまでされるなんて思いもしないじゃない」
「アルゴルさん……」
「努力が必ず実るとは限りません。理想が高ければ尚更。綻びがあるほど小さな手一つで破綻しても可笑しくはありません。今の状況は遅かれ早かれなっていたことです」
「そうね……でも他より生まれ持ったものが少ないキミなら分かるでしょう。他の子が容易に手に入るものが自分には手に入らない憎らしさも妬ましさも……」
ほんの微かにしていた甘い匂いが消えた。それは人狼を止める箍が外れたということ。
「誰にも傷つけられない場所で私たちだけ静かに穏やかに暮らしていたかった。ただそれだけなのに一体それの何が悪かったというの?」
身体を押しつぶすような殺気に二人はせなかに冷たい汗が流れる。唾を飲み込んだのはどちらだっただろう。
「でも……もうその願いだって叶わない。彼も深淵に落ちてしまう。彼をこれ以上一人には出来ない……。私も共に落ちるわ。だから……それまでは少しでも穏やかな時を過ごしたい。だから……」
「お願い。消えてちょうだい」
自由になった人狼はただの獣となり、血走った瞳で二人に襲いかかった。




