2.美人には弱い
ショックで気絶してしまった詩音が目を覚ました時、銀髪男児に支えられ医者らしき人が傍にいた。美男美女は詩音が倒れたことでまた泣き出したのだろう。顔がぐちゃぐちゃなままである。先ほどまで祝いだと騒いでいた人たちは少し離れた場所に立っており、心配そうに詩音達を伺っている。
「ナタリア様お加減はいかがでしょうか?」
医者らしき人は目を覚ました私に優しく微笑みながらいくつか質問をし始める。
どこか痛いところはないか、気分は悪くないか、あの人の名前はわかるか、自分の魔法属性を覚えているかなど途中から詩音の意味の分からない質問ばかりしていた。質問を終えると医者は記入していた書類と詩音を見比べた。そして難しい顔をして近くにいた二人に診断結果を告げる。
「そんな記憶喪失だなんて…」
女の人は悲痛な表情で詩音のほうを向き、深い青色の瞳を潤ませた。
どうやらストレスによる部分的な健忘……、記憶喪失と判断されたらしい。しかし詩音は自分の家族の名前や友達の名前、姉が昨日学校の窓を割って謝りに行った先生の名前から昨日の朝ご飯までなんだったかも覚えていた。記憶喪失の線はないだろう。医者からの質問の中にあったいくつもの聞きなれない単語、そこから詩音自身が導き出した答えは……、
私は知らない子になっていること、ここは元々いた世界とは全く異なるということ。
なにを馬鹿なことをと詩音自身思ってはみたものの魔法属性、祝福、そしてこの国と都市の名前。物語にしか出てこなさそうな単語が当たり前のように医者の口から出ていること。そして、ちらりと母だという女を見つめた。女は今の詩音の姿と瓜二つと言っても過言ではなく、白みがかった金髪に青い瞳を持った日本人離れした美しい姿をしている。
この腰まで伸びた銀髪、染めているようにはとても見えない。周りにいる人たちも変わった髪の色をしているし、瞳の色も赤や青の人ばかりで黒が一人も見当たらない。
本当に寝てる間に私に何があったんだろう…
初めだけはかなり混乱していた詩音だが、近所では女子高生にしては肝が据わりすぎていると定評があった彼女である。すぐに冷静さを取り戻して状況整理に入る。昨日の夜に自分が何をしていたのか思い出そうとする…その前に一人の使用人が女性に近づいた。
「どうしましょうマリア様、このまま婚約を続けるというのは…」
「そうね……とても残念だけれどこんなことがあったんだもの…」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするんですけど。
「……は!?婚約!?」
思わず叫び、父親であろう男の人のほうを見ると、深く頷いた。
「あぁ……、……お前は婚約していて本当なら明日初めて婚約者に会う予定だったんだ」
聞く話によると昔、この身体の持ち主であるナタリア・ミストラルの曾祖父は婚約者の家の者に命を助けられたようで、お礼に貴方たちが困った時にすぐに助けに行くことが出来るよう異性が生まれたら結婚させ、繋がりを作っておきましょうと約束していたらしい。
私達の家の地位が婚約者の家よりも低ければそんな約束気にもしないだろう。しかし、ミストラル家の爵位は伯爵、婚約者の家は子爵とミストラル家のほうが上なのだ。更に婚約者の家は借金も少しあるようで婚約者家にとって婚約にデメリットはないだろう。
しかし両家とも男ばかりに恵まれて女は生まれてこなかった。もう約束はなかったことになるだろうと思った時に生まれたのがこの少女だったのだ。
「はぁ…そうですか…」
「だが、記憶をなくしていると言ってもこんなにしっかりと会話ができるなら…」
「親父」
「!」
詩音を抱きしめる力が強くなった。先ほどからずっと喋らなかった銀髪男児だ。男児はとても不機嫌そうに男性を見ている。
「さっき言っていることと違うじゃねぇか。ナタリアが記憶無くしたからってころころ自分の意思を曲げてんじゃねぇよ」
「リアム、そう言うな。私たちは庶民の家庭とは違うんだ。簡単に婚約を解消など…」
なにやら言い訳を始める父親に呆れた視線を向け、詩音にもその視線を向けてきた。
「お前は本当に何も覚えてねぇんだな。お前このまま婚約するくらいなら死ぬって言って急に部屋に閉じこもったんだよ」
「リアム!」
なるほど、さっき尋常じゃないくらい泣いていた理由はそれか。子供がしかもようやく生まれた女の子が死ぬと言って引きこもれば目を当てられないほど情けない顔になるわけだ。婚約解消させようとするためにそんなことを言ったナタリアって子もそうとう腹据わってる。
「婚約の話は相談してみるが……だが顔も合わさないまま婚約解消など我が家の品位が疑われてしまうんだ」
「……そう言って明日行って無理やりにでも婚約続けさせるんじゃねぇんだろうな?」
男性は黙った。約束はこちらから取り付けたもの。娘が嫌がるからという理由でこちらから婚約の解消してしまえばこの家の印象は最悪だ。もし、噂でも流れてしまえば世間体まで悪くなりこの家の地位が危うくなるだろう。
でもさ、この子まだ七、八歳くらいじゃない?せめて十歳とかさ、もうちょっと娘の成長を見届けてから婚約とかすればいいじゃん。
詩音もどうしたものかと頭を悩ませる。ふと視線を上げればナタリアの母親が困ったように頬に手を当て男性を、男児を、そして詩音を見た。
「…一度だけ会ってみない?」
「え」
「私、一度息子さんに会いに行ったの。大切な娘の婚約者ですもの悪い子だったら婚約の件はなかったことにしようと思ったのだけど…とても良い子だったわ。婚約を続けたくないと言うのなら続けなくてもいいのよ。でも、悪い子だと思わなかったら彼とお友達になってほしいわ」
白魚のように美しい手で詩音の両手を握り、澄んだ青い目でじっと見つめてくる。詩音はまるで何かを見透かしているようなその瞳に思わず顔を背けてしまった。
くっ、謎の敗北感…。でもここでオッケーを出してしまえば男の子の言う通り、無理矢理でも婚約を続けさせられてしまう…ここは醜い足掻きをみせるしかない
「まぁ、記憶がない私ではご迷惑をかけることしかできませんし…」
「…」
「…なのでそのお願いは…」
「…」
「ちょっと聞くことが出来ないんじゃないかなーって…」
「…」
「まあ、お相手様は私がどんな人物かわかってないですし、誤魔化すことは出来ますよね。まぁ、私の天才的な脳細胞次第ですけど。まぁ、天才ですからお相手様の胸をこう、ガッと、ギュッとしてハートを掴んでやりますよ。うん、いけるいける」
詩音は子供と困っている人間と美人にはめっぽう弱いと有名な女子高生であった。
ほっそい腕をやけくそ気味に叩いて振り回す。その荒々しい様子を見ても花が咲かんばかりの笑顔をぱっと浮かべて、両手を嬉しそうに握り上下に振る。
「ありがとう!私たちも最大限にサポートするわ!」
「ッお嬢様!お嬢様の覚悟に私たちも感動いたしましたわ!私たちもお嬢様をお支えいたします!」
「いらな……、お願いします…」
ぐっ…捨てられた子犬のような顔をされたらなぜか断れなくなってしまう…!
男の子は何をやってんだと言わんばかりに呆れた顔をしてる。自分が一番情けない結果になってることはわかってるんだから!
でも婚約なんてこの身体の持ち主が大大大反対してるなら私が勝手におっけー出来るわけないじゃん!それにいくらここで結託したとしても向こう側が記憶を無くした女の子を良いなんて思うわけないでしょ!絶対婚約は取りやめにしてやる!
詩音はこっそりと婚約を白紙にすることを固く胸に誓った。