11.令嬢に捧ぐ思いと怒りの一発
「今日も一日大変でしたね。ほんとダルティフィス公爵のご令嬢には困ったものです……」
夜、詩音の就眠の準備を終えたミラは溜まっていた一日分の疲れを吐き出すように長く息を吐いた。疲労の原因が自分たちだと分かっているので肩身が狭い。
この四日間、ミラにもとても迷惑をかけてしまっている。クロエと殴りあいに発展していないのはクラージュ、マノン、ミラ三人のおかげだ。
苦労をかけてごめんって謝ってお礼を言わないと…。そう思い、背中を向けているミラの顔が見える位置へぐるりと移動する。
しかしミラの表情を見た瞬間、詩音はスンっと表情を無にした。
「……それにしては随分と楽しげだね。ミラ」
それはもう満面の笑みだった。ミラは詩音たちのやり取りをこの上なく楽しんでいるようだ。先程のため息も感嘆のため息かと気づいて呆れた視線を向ける。指摘されたことで初めて気づいたのか、あら、と言って頬に手を添えるがその表情は全く変わらない。
「申し訳ありません。でも、お嬢様が苦難に見舞われるたびに…どうしてでしょう……こう……気分が高揚します」
「こいつ……」
ある意味クロエよりも厄介かもしれない。もう少しこのメイドと距離をとるべきではないかと詩音は本気で考えた。
「でもお嬢様もなかなかの物好きだと思います!クロエ様に嫌われてるのわかってますよね?会いたくないのなら会わなければいいじゃないですか?クロエ様の目的はクラージュ様だけですよ?それなのにわざわざ顔を合わせるなんて」
「それは………何もしないわけにはいかないから……」
自分のものではない右手を見つめる。
クラージュとクロエに虐められた挙句、二人に巻き込まれて死んでしまうナタリア。今、詩音はその身体を借りている。この身体は借りものだが展開を知っている以上詩音は三人を見捨てることなどできなかった。だから少しでも二人との関係を改善して最悪な展開を回避したい。クラージュとは仲良くできたならクロエ様との関係だってどうにかできるはず…。まぁ、ナタリアがこの身体に戻ってきた後はナタリア次第だけれど…。
気弱で泣き虫なナタリアを思い出し詩音はこの身体にナタリアが戻った時苦労しそうだなと苦く笑った。
「……お嬢様……。逃げる訳には行かない!ダルティフィス公爵のご令嬢にクラージュ様は渡さない!みたいな!燃えますね!私、そういうのとても好きです!」
「恋愛小説の読みすぎなんだよなぁ」
いつも通りの恋愛脳に呆れたように返すがその反応が気に入らないのかミラは怒ってますと主張するように眉を吊り上げ詩音に顔を近づけてきた。
「ですが今回の一番の問題はお嬢様やダルティフィス公爵のご令嬢ではありません!クラージュ様ですよ!」
「え?」
いつも揉めているのは自分とクロエなのでクラージュの名前が出てきたことに小首を傾げる。
「クラージュ様のあの態度!僕にはお嬢様がいますから迷惑です!とはっきり言うべきではありませんか!?お嬢様はクラージュ様に甘いんです!それに甘えるクラージュ様もクラージュ様です!彼はいつもそう!」
「だけどクロエ様が怒ったら何をされるか分からないよ。ここはクロエ様が飽きるまで穏便に済ませたほうが──」
「だめですよ!そしたらまた二人が調子に……分かりました!やっぱり私がやります!」
「やめてやめて、なにするつもり?」
興奮したミラを何とか宥めて、明日も早いからと告げるとまだ不満げに呟きながら扉へと向かっていく。その背中を見つめ、何だかんだ世話焼きの彼女の名前を呼ぶ。
「ミラ」
「なんでしょう!やっぱりクラージュ様に一発ガツンと──」
「ありがとう」
ミラはその言葉に目を丸くするが眉間に皺を寄せて、
「……、……何があろうと私はナタリアお嬢様の味方です。それだけは覚えておいてください。何かあればいつだってなんだってします」
「うん、分かった」
詩音の返事にミラはようやく満足そうに微笑んで扉を閉じた。
◇
泣き声が聞こえる。
あの二人に虐げられてまたあの方が泣いている。早く取り除いてしまわないと、耳鳴りが止まないから。
◇
「またなのマルス?いい加減この家では無いところに行きましょう」
「いやぁー……勉学は後々に必要な事なので、行かない選択肢はちょっと……」
「ふん……真面目なのね」
クロエに苦笑いをしながら扉に手を伸ばすクラージュの後ろから庭掃除をしていたミラが飛び出す。
「ちょっとお待ちください!これ以上お嬢様を困らすのはお辞め下さい!お二人共出禁です!」
「え」
「……は?貴方、メイド風情が誰に容易に口を聞いてると思っているの?名乗りなさい。ダルティフィス家が直々に貴方の家を────」
「はいはいはーいナタリアいっきまーーす!」
ミラとクロエの間に素早く滑り込み。扉を開ける。
「ふん、相変わらず野蛮な動きね。早く持て成しの準備をなさい」
「はーい!!」
◇
「ほんっとに……どうしたらいいっていうんだよ!」
「おっと」
今日もストレスを全て発散するように放った詩音の渾身の右ストレートは相手の左手で軽く弾かれた。相手はその攻撃を往なした後、こちらを見て挑発するように笑うものだから詩音の鬱憤がまた一つと溜まっていく。
「こっちが下手に出てればっ!」
詩音が左脚を大きく振れば、相手は少し屈んで両腕で抱え込むようにその脚を受け止める
「いい気になって!」
軸足にしていた右脚で地面を蹴り上げそのまま相手を蹴ろうとするが、地面から右足が離れた瞬間、相手は詩音の左脚を持ったまま腰を捻り、ハンマー投げのように思いっきり体を投げ飛ばす。空中に身を投げ出される詩音は焦って風の魔術を使い、体勢を元に戻し着地。その様子を見て相手…リアムお兄様は嬉しそうに笑った。
「いやー、今のは危なかったな」
「全然そんなこと思ってないでしょ」
余裕そうな笑顔を浮かべるリアムにジト目を向ければそんなことねぇよと笑う。
「あ、でも体のバランスを失う攻撃の仕方はよくねぇよ。絶対当たるってときだけやれ」
「そうなんだ…」
「それを踏まえてもう一度いくぞ!」
「今日こそ、その綺麗な顔面に一発当ててやる!」
どうして今は令嬢である詩音がナタリアの兄、リアムと手合わせをしているのかというと…、それはクラージュの家を風の魔法で破壊した数日後のことだった。その時に気絶してしまったことがリアムの耳にも入ったらしい。ナタリアの部屋に急に飛び込んできたと思えばリアムは一緒に体を鍛えようと詩音に突拍子もなくそう言ってきたのだ。
リアム曰く、ナタリアはひきこもりだったから体力が極端にないのだと、また倒れてはいけないし、魔法が上手く使えないと後々困るから自分と一緒に軽い運動から始め体力をつけようと。…なぜか喜々としながら…。
その時安易に頷いた自分を詩音は今でも後悔していた頷いてからは早く、地獄の特訓はすぐに始まった。まずは怪我をしにくくするための柔軟体操。リアムが力ずくで体を曲げてくるので詩音は痛みで泣いた。体操の選手並に身体が柔らかくならなかったら骨を折り曲げられるようにするしかないと本気で考えた。
次は体力をつけるための持久走。リアムが走る距離を一緒に走るものだったが、リアム走る道はデコホコ砂利道なんて生易しいものではなかった。木の上、沼の中、詩音は絶対におかしいと思いながら走った。最後はいつもミラに抱えられて家に戻っていた。
反射神経を鍛えるために叩いてかぶってジャンケンポン。リアムは馬鹿力だ。必ず避けなければ一日中気絶していることもあった。他にもいろいろあったがこれ以上は詩音のトラウマなので割愛させてもらう。
そして出来上がった肉体。マッチョにこそならなかったがかなり鍛えられていることを詩音は実感していた。これで苦行も卒業のはずだった。しかし、リアムはそんなつもり全くなかった。
「そしたら次は魔法に慣れる訓練なんだが…俺は一切魔術は使えない…」
「あ、なら大丈夫で」
「だけど!お前の力になりたいと思ってる。だから実戦で!魔法の扱いに慣れよう。なに俺なら大丈夫だ!だから実戦だ!」
「…」
詩音は自分に言い聞かせた。
彼は善意で私にここまでしてくれたのだ。決して歳の近い手合わせの相手が欲しかった訳では無いのだ。いくらミストラル家の護衛を全員ぶっ飛ばしたことがあるといえ可愛い妹まで手を出すはずがない……。
そう思ってやってみたら初めから手加減なしでぶっ飛ばされた。………あのチート兄め………。
しかし、そのおかげなのか風の魔星を繊細に扱うことが出来るようになってきた。クラージュも特訓に参加させてみたらどうかとミラに言われたことがあるがあの地獄をわざわざ人にも勧めたいと思わなかった。
……でもクラージュくん、五日連続でクロエ様の相手して私のフォローまでいれてくれてるけど大丈夫かな。眩暈と吐き気と頭痛と腹痛と寒気、更に隈も出来てるから眠れてもいないみたい。いくら逆玉の輿狙いでもこのままでは倒れちゃう…。でもクロエ様、クラージュくんお気に入りだし、私の話聞かないから……。どうすれば……。
唸る詩音はふと一つの案が閃いた。
クロエ様がそれ以上に気に入りそうな相手を見つけて生贄にすればいいのでは……?
「お嬢様ァ!」
悲鳴のような声に顔を上げれば、眼前に拳が迫っていた。
「やっば!」
咄嗟に両腕をクロスさせてリアムの拳から自分の頭を守るが、勢いを殺せずに自分の腕を頭にぶつけて倒れる。
「っ゛だ!」
「ガードしたのはよかったが受け方が悪かったなー。大丈夫か?」
そう言ったリアムに女の子の顔を狙うのはどうかと思うと文句の一つも言ってやろうと顔を上げる。が、キラキラとしたオーラを垂れ流し、手を差し伸べる姿を見て何も言えなくなる。それはまるで物語に出てくる王子様のようだったからだ。顔だけは一級品のリアムを見て詩音の脳裏に電撃が走る。気づけばその手を強く掴んでいた。
「お兄様、明日は暇?」
◇
「ということで、私の兄のリアム・ミストラルです」
「よろしくな!えっとダルティフィス家のお嬢様」
「……クロエで構いませんわ。リアム様」
「お、本当か?お嬢様って礼儀作法に厳しいイメージあったんだけどクロエは懐の広い良い女だな」
「そんな……」
美しい顔で子供相応の輝かしい笑顔を見せるリアムをクロエは熱の籠った目で見つめていたかと思うと、慌てて赤くなった頬を隠すように手を当てて俯く。いままで見たことのないクロエの可愛らしい姿に詩音はひっそりと笑い、後ろ手でガッツポーズをする。
やっぱりお兄様を呼んでよかった。だってクロエ様がこんなにチョロ……気を許してくれるんだから。
「お兄様、クロエ様を庭に案内してあげたらどう?昨日綺麗に咲いた花があるの。あ、外で遊ぶのもいいかもしれないね」
「おっ!じゃあみんなで──」
「二人で行ってきて、二人で!」
「そうか!俺は構わないぜ!クロエはどうだ?」
「え!?……あ、ぜひ……お願いします……!」
「はい、じゃあ、どうぞごゆっくり~」
リアムはクロエの手を取ると元気に外へと向う。リアムに手を握られたクロエは顔を真っ赤にしてその後に続く。詩音とクラージュはそれをにこやかに見送る。
クロエはまだ知らない。自分が向かった先が地獄だと……。これから体力が尽きるまでリアムに振り回されるだろう。
詩音はクラージュからクロエ引き離すことができ安心するが同時にあんなに手こずったクロエがこんなあっさりと離れていったことでこの世の真理を知る。
「……やっぱり顔………」
「なんだか失礼なことを言われている気がしますねぇ」
「え!?いやいやクラージュくんも人によってはかっこいいんじゃないかな?ちょっと胡散臭くて自己否定気味なところあるけどそれ以外は上の上超えてるから大丈夫!!」
「ハハッ、貴方が僕のことをどう思ってるかよーーーくわかりましたよ」
え、なんかクラージュくん笑ってるけど怒ってない?なんで?
そんな様子に詩音が首を傾げていると、ずっと後ろに控えていたはずのミラが急にずんずんとクラージュに詰め寄り両腰に手を当てる。その表情はかなり怒っている。そんなミラにクラージュはたじたじだ。
「お嬢様にそんなこと言われてもしょうがないと思わないんですか!最近の自分の行動を自分の振り返ってください!!」
「う……」
ミラの言葉に更に罰の悪そうな顔をするクラージュに勢いよくミラは言葉を捲したてる。
「クラージュ様ったらダルティフィス公爵のご令嬢ばかりにかまけて!お嬢様に愛想つかされちゃっても仕方がないです!!」
「いや、別に好きでそうしてるわけでは……」
「またそんな言い訳して!人のせいにするんですか!?また逃げ道作るんですか!?恥ずかしくないんですか!」
「落ち着いてミラ。貴方いつもどこから話聞いてるの?」
感情が昂っているミラをなんとか窘め、ミラにリアムとクロエの様子を見に行くように頼む。心なしか落ち込んだクラージュくんの手を引き、ナタリアの部屋に連れていく。
「ほら、今日はお兄様がクロエ様の相手するから、いまのうちに寝なさい」
「え、少し話を」
「隈を作って疲れ切った顔をした人と話すことはないでーす」
今のクラージュの表情はまるでブラック企業で働く社畜のようだ。これはいけない。ぐいぐいとベッドに押しやれば初めは抵抗していたが、詩音の意志の強さにあきらめたのかそれとも疲れがピークに達しているのかのろのろとベッドに入っていく。それに満足そうに詩音は頷き部屋から退出しようとする。
さて、クロエは何時間リアム相手に持つか。一時間くらいだろうと目処をつけてクラージュに振り返る。
「じゃ、また起こしに来るから身体を休めてね」
「……ナタリア様……」
「ん?」
声をかけられてまた振り返ればクラージュは心配そうに詩音を見つめている。詩音はその姿になんだか母性が擽られ咄嗟に胸元を抑えた。
「……怒ってますか…他のご令嬢にかまけている僕を……」
ミラに言われたことを随分気にしてしまったようだ。なかなか答えない詩音にだんだんと眉を下げていく。
「ほら、そんなこといいから。早く寝なさい」
「ナタリアさ……ま……僕は…………………」
クラージュの問いに直ぐに答えずにそんなことを言って誤魔化したのは少なからず詩音にも思うところがあったのだろう。そんな詩音にクラージュは何か言いかけるがどんどん言葉は途切れ、寝息をたてはじめた。
ゆっくりと近寄ってクラージュの寝顔を眺める。額に掛かる髪を分け、手を当てれば熱は無いことにほっとするが子供にふさわしくない隈を見て詩音は眉間に皺を寄せた。
「怒ってないよ……クラージュくんはいつだって私のこと気にしてくれたじゃない。それよりもクラージュくんが無理して身体を壊したら困る」
いつもなら皆が起きてるのに人の部屋で寝ることなんて出来ない、自分の部屋があるから、などと言って抵抗していたであろうクラージュがこんなに簡単に人の部屋で眠りに着いたのだ。これは重症だ。
これは本当にどうにかしないと……。
「────ということでさすがに婚約者が倒れたら困るのでどうにかしていただいてもいいですか。返答次第ではクロエ様のご両親に頼みに行きます」
詩音は外に出ればクロエとリアムを見守っているマノンにそう告げる。クロエに伝えるよりこっちに圧力を掛けながら伝えたほうがいいだろうと思ったからだ。しかし、マノンはあら、と一言零すと微笑む。
「それは大変だったのねん。……私が頭を撫でてあげるわぁ」
伸ばされてくる手を右手で軽く払う。
「そうやって、私を甘やかしてことを有耶無耶にしようとする貴方の手はもう効きません」
「きゃ、やっぱりバレてた?」
てへぺろと言わんばかりに頬に手を当て笑うマノンに頬が引き攣る。
鎌をかけたつもりだがやっぱりこの人自分の魅力がわかっていて、それでクロエ様の傍若無人の振る舞いを無かったことにしていたようだ。詩音自身もマノンに可愛がられていたわけでなく、ハニートラップの相手でしかなかった事実に少なからずショックを受けた。
「まぁ、確かにあのクロエお嬢様に友達が出来たからといってテンション上げ過ぎましたねん。六日間も相手してもらうのは大変申し訳ないことをしたと思いますよぅ。でも今、ちょっと婚約者とも仲が良くなくてぇ、将来のためにここで友達の作り方を覚えてくれればと思ったんですよぉ」
「いや、将来のために正妃の勉強をしてください……」
「実は授業も何回か休んでいて私、沢山頑張って誤魔化してるのよねん……。一応注意はしているのだけど……。でも最近のクロエお嬢様楽しそうだったので私、とっても嬉しいわぁ」
「随分甲斐甲斐しいことで……」
「それはそうよぉ」
朗らかに微笑むマノン。詩音はその表情で本気であの横暴の塊であるクロエの幸せを本気で願っていることに気づいた。
クロエはマノンに対してだって苛烈で邪険な扱いをしていた。だからどうしてクロエにそこまで尽くすのか詩音には理解に苦しんだ。それに気づいたのかマノンは詩音に
「私、こう見えてクロエお嬢様に拾われたのよぅ?私にとって命の恩人なの」
「え……そうなんだ……」
意外も意外。そんなことをする人柄には見えないから。
「そう。だからあの方には誰よりも幸せになって頂きたいの」
きらきらと輝いた瞳でクロエを見つめるマノンにクロエ様も意外に優しいのでは?と一瞬心許しかけるが首を思いっきり振る。ここで自身の意思を曲げるわけにもいかないのだ。
「いやでも、会うの控えろって言ってるのに明日もクロエ様と来たら主従共々張り倒しますよ」
「えー!それは困るわぁ。えいっ!」
全く困ってないという表情でマノンは魅惑のダイナマイトボディを詩音に押し付けてきた。手を握って甘い声で耳元で語りかける。
「ねっ?明日も遊びに行ってもいいでしょう……?」
「駄目です」
しかし、その手はもう鉄壁の心臓を持った詩音には効かなかった。
「やぁん!すっかり融通聞かなくなってるわぁ。愛の力って怖いのねん。可愛いわぁ。よーしよーし」
「私のこと舐めてるでしょう。本気で怒りますよ」
「おーーい、クロエ!」
「…………」
「クロエ?」
一時間で戻ってくるかと思われた二人だが、なんとクロエはリアム相手に二時間持って部屋へ戻ってきた。その事に詩音は素直に感心した。
「貴方本当に不愉快だわ。消えてしまえばいいのに」
帰り際二人に隠れたところで凄い睨まれたかと思うと詩音に前に立ったクロエは詩音にだけ聞こえるようにそう言った。
何かに耐えるような声音で、しかし直接的な言葉に詩音は驚いた。クロエはいつだって大きな声で攻撃的に一応遠回しな言葉を選んでいたからだ。
クロエの真っ赤な瞳に影が差して血のように見える。クロエの怒りを向けられている理由がリアムの相手をさせたことだけではない気がした。
◇
とうとうクロエがこの家に来るのも一週間目になるが、今日はクロエはダルティフィス家から出さない。とマノンと口約束していた。本来なら来ないはずだ。
「ナタリア様お客人でございます。既に客室にお通ししておりますので」
「そうはいかないよね……」
しかし、現実は思ったよりも厳しい。
ならば主従共々、お兄様が鍛えたこの腕でラリアットの刑だ。仲良く退場頂こう。と詩音は意気揚々と部屋に飛び込むが詩音は部屋に入った途端違和感を感じた。
「あれ?マノンさんは……?」
いつもはクロエとクラージュの少し後ろに立っている彼女の姿がない。違う使用人だ。風邪でも引いたのであろうか?もしかして、ミラと同じで週休二日制なのだろうか?と考えるがそれにしてはクラージュの様子がおかしい。
なんだか嫌な予感がした。
それが正解だと言いたげに目の前の少女は笑った。
「昨日で解雇しましたの」
「え」
衝撃の一言に詩音は呆気に取られた。
「だってあんな役に立たないメイド、ダルティフィス家のお荷物にしかならないわ。だからこの私自ら手を打ってさしあげましたの」
「うそ……」
「前々からそう思っていたから丁度良かったわ。身体がちょっとでかいだけで役に立たない。主人の言うことは聞かない。昨日は誰に何を言われたかは知らないけど余計な口出しばかりと散々でしたから」
歯軋りをしてグッと拳を握る。詩音はマノンが解雇されたのは自身のせいかもしれないと気づいた。昨日クロエは自分たちを見ていて大嫌いな詩音の頼みを実行しようとしたマノンが許せなかったのだろう。
理不尽にマノンを罵る彼女に腸が煮えくり返るような思いだが、左手で右腕を抑える。クロエに手を出せばクラージュだってフォローをいれられない。今日はミラもいないから、自分を止めるのは自分とクラージュしかいない。
『あの方には誰よりも幸せになって頂きたいの』
落ち着いて
「主人に順従しないで手を焼かせるだけでは飽き足らず、他の人間に尻尾を振るなんて節操がない。まるで躾のない犬のような女、解雇されて当然────」
気づけば詩音はクロエの頬を叩いていた。




