9.ダイナマイトが走ってきた
詩音は衝撃の事実に震える。
まさか、まさかクラージュくんが悪役だなんて。確かに初めて会った時に胡散臭くて何か企んでそうとか思ったけど…。嘘でしょ?
ゲームではクラージュはマジスピにおいてサブキャラクターで悪役ポジションであった。ミストラル家とダルティフィス家を利用して王家の転覆を図ろうとしたがあと一歩というところでナタリアの告発により計画を台無しにされる。騎士に捕らえられるその瞬間、最後の悪あがきに学園に封印されている闇の呪いを解き放った。しかし呪いを解き放つためには大量の魔力が必要で近くにいたクラージュ、クロエ、ナタリアの命が奪われた。
それを思い出した詩音は今置かれている状況に青ざめる。クラージュとクロエの悪役二人が揃ってしまったことは悪い状況なのではないか。もしかしたら、これから私は──
「ナタリア様?」
考え込んでいた詩音はクラージュの声で我に返り、跳ねるように顔を上げた。
そして、詩音は後悔した。
クラージュは詩音を随分と探したようで額に汗をかいていて髪も乱れていた。彼は詩音と違ってインドアタイプだ。こんな天気の良く、人通りの多い中でたった一人、しかも子供を探し回るなんて彼の体力では苦痛でしかなかっただろう。しかし、彼は汗を拭うことも忘れて心配そうにこちらを伺っていた。
クラージュは良いやつだと詩音は知っていた。だからこそクラージュを少しでも疑った自分を恥じた。
「……ごめんね…。色んなところ探してくれたんだね」
ハンカチを取り出してクラージュくんの汗を拭けば、汚れた自分の格好に気づいたのか、ハンカチを持つ詩音の手から一歩逃れようとする。しかし詩音はすかさず左手でクラージュの手を握れば、クラージュは大人しくなった。詩音がしおらしくしている姿に弱いのだ。
その様子を後ろから見ていたクロエ様は訝しげに眉を顰めてふと不思議そうに二人に声をかける。
「ナタリア?子馬の名前はハーナーじゃ…」
「本当ですよハーナー様。随分探しました。いったいどこを走り回っていたのですか?ハーナー様」
「私の聞き間違いだったのかしら…?」
「ごめん…ほんとにごめんね」
すぐさま愛想笑いを浮かべ偽名を何度も口にするクラージュに詩音はただ謝ることしか出来なかった。
さすが私とお兄様がやらかしたときにお父様の相手して時間を稼いでくれるクラージュくん!切り替えの速さとカバー力は伊達じゃない!話さずして私の思考を読み取ってくれる!
「久々に肝を冷やしましたよ。それで…この方はいったい…?」
ずっと傍にいるクロエにちらりと視線を向け、そう聞いてくるクラージュに詩音はなんと言おうか迷った。
「えっと、この子…じゃないこの方は…」
クラージュを疑うことはないが、クロエと会わせていいのか、下手すればクラージュがクロエに目をつけられ虐められたり、利用されてしまうのでは。そのくらいな適当なことを言ってここで別れたほうが……。
「クロエ・ダルティフィスですわ!」
胸張って大声で名乗るクロエに詩音は二度見した。さっきも思ったが公爵の娘が一人で身分をひけらかしながら出歩いて大丈夫なところなのだろうかここは。
「え……」
その名前を聞いてクラージュは目を大きく見開いた。──しかし次の瞬間にはにっこりと笑みを浮かべていた。
詩音はその笑みよく知っていた。カモを見つけたと言わんばかりの輝く胡散臭い笑顔だ。詩音は一瞬だけ本当に彼を信じて大丈夫なのか不安になった。
「あぁ!まさか、まさか、あのダルティフィス家の!?どおりで隠しきれていない気品が溢れていらっしゃると思いました!」
「あら」
先程のナタリアとは正反対な反応を示したクラージュにクロエ様は目を丸くする。
「ダルティフィス家の者の前だというのにこのような格好でお恥ずかしい限りです…。まさかこのような奇跡的な出会いがあるとは思いもしなかったもので…大変申し訳ありません」
そう言い胸に手を当て片膝をつき深々と頭をさげる。その恭しい態度にクロエは満足そうだ。扇子で隠しながら気分良さげに口角を上げた。
「よくわかってるじゃない。そこの子馬とは大違いね」
「彼女は世間に少し疎いところがありますので。それにしても噂にはかねがね聞いていましたがこんなにお美しい方だとは…今の私には幸運の女神が微笑んでくださっているのでしょう。そうでなければこの出会いはきっとなかったはずですから」
「そうでしょうそうでしょう!私のような大貴族が庶民と顔を合わせる機会など千分の一の確立にも満たないのです。貴方のその幸運に感謝なさい」
「もちろんですとも」
クラージュの話術に詩音は流石だと舌を巻いた。クロエを褒めて好感度を上げておきながら詩音のフォローもいれて、詩音を蔑むような話題は遠ざける。感心はするが詩音はさっさとこの場から去りたかった。
「あー、クロエ様?そろそろ私たち用事があるので…」
「ハッ?貴方みたいな庶民に呼ばれるほどこの名前は安くないのだけど?」
「そうですよ!この方は王家に一番近いお方。そのように気安く呼ぶのは許されませんね」
お、お前……。
詩音はクラージュのことを信じてはいても、普通にイラつくのでこの場でクラージュにラリアットを喰らわせてやろうかと思い、拳を握ったがなんとか我慢した。
「ふふ、本当に貴方、気に入ったわ。名前は?」
「マルスラン・アビスです」
迷うことなく息をするように長男の名前を名乗るクラージュに詩音はもう感心しかしなかった。と同時に詩音は「この子何かあった時の責任を兄に押し付けようとしてます!」と叫び出したかった。
「ですが貴方の小鳥のような軽やかな響きのある声で呼ばれるには勿体ない名前。どうかお好きなようにお呼びください」
「じゃあ、マルスと呼ばせていただくわ」
「有り難き幸せ」
「……」
詩音はもう呆れて一つため息を吐いた。そろそろ本当に離れないとミラが探しているに違いない。見つけてくれたクラージュには悪いが先に行こうと詩音は二人にバレないように退散しようしたがクラージュは歩き出す詩音に気づき振り返る。
「おや、ハーナー様帰られますか?」
「…帰るよ。ミラも探してると思うし。クラ…貴方はお嬢様とお話続けといたらいいよ。ここにいれば後でミラと迎えにいくからさ」
「あら、子馬には珍しく物分りの良い発言をするじゃない。一応、気を利かせることもできるのね。じゃあ、マルス」
「そうですか。それじゃあ行きましょう」
そう言うとクラージュは詩音の手を取った。
「え?」
「?、メイドを探しに行くのでしょう?貴方一人でここを離れたらまた僕が探し回らないといけないでじゃないですか」
「そうだけど…ク、お嬢様はどうするの?」
「そうよ。貴方、まさかこの私を置いて行くというの?」
クロエは大層クラージュのことをお気に召したようだ。返答次第では許さないぞと言わんばかりにじろりと大きな瞳を向けるクロエにクラージュは困ったようなしかしどこか余裕をもって笑った。
「いえいえ、決してそのようなことはありません。私もまだ至福の一時に身を委ねていたいですが…貴方様の迎えがいらしたようなので」
「え?」
クラージュが視線を向けた方に二人は向くと、確かに必死な顔をした大きな使用人が一人走ってくる。
「お嬢様ぁ!」
その声を聞いたクロエから調子の良さげな笑みが消え、眉間に思いっきり皺を寄せていく。
「来たのね。あの鈍足。もっと離れた場所に行けばよかったわ…」
恐ろしい顔しているクロエに詩音はいつもミラが持っている鏡を渡してあげようかと思ったが詩音は走ってくる使用人を見た瞬間、その考えも、先程の目の痛みも今のイライラも一瞬で吹き飛んだ。
なんだあれ…でか………。
一歩大地を踏みしめるごとに彼女の持っている大きなものが揺れる揺れる。バイン、バインと聞こえるはずのない効果音まで聞こえてきそうだ。彼女がメイド服であることも相まり、正直な話、詩音とクロエと揉めた時よりもクロエが大声で名乗った時よりも、一番視線を集めていた。詩音も彼女しか見えなかった。
レンガ色の瞳に焦げ茶色のロングカールをお団子にした彼女はクロエの前で急ブレーキをかけると、大きく咳き込んで荒い息を整える。
「ハァ…ハァ、お、お嬢様ぁ!本当にふぅ、追いつきましたよぉ!一人で出歩くことがないようにと…ヘェ…あれほど申し上げたではないですかぁ!ハァ…」
「なぜ貴女の言うことに従わなくてはならないの?」
「従わせるとかそういうんじゃないんですよぅ…うぅ…」
走ってる時もあんなに揺れて目立ってたけど、呼吸を調える姿も、悲しそうに肩を落とす姿も……おっぱいでか……羨まし……いやいや!不躾に人をジッと見てるなんて失礼だよ!
己の心を叱咤して詩音は彼女から無理やり視線を外す。会話はクラージュに任せて詩音は熱心に地面の蟻を数えることにした。
「この度はお嬢様がご迷惑をおかけしましたぁ。しかしながらこのことはできるだけ他言無用でお願い致しますぅ」
「えぇ、もちろんですとも。お帰りの際は道中お気を付けください」
「はッ?私はまだ帰るとは一言も」
「お気遣いありがとうございますぅ。お二人も気をつけてお帰りくださいませ」
「えぇ、それではダルティフィス様お話出来て至極幸福の限りでした。行きましょうハーナー様」
「ちょっと!」
クロエの妨げを許さない無駄の無いスムーズな会話に詩音は感心する暇もなく手を引かれた。手を引いているのはもちろんクラージュだ。
クラージュは俯いたまま静かな詩音に先程の自分の態度を思い出して苦い顔をする。正直、彼女のことだから途中ではっ倒してくると思っていたが彼女は最後まで我慢していた。しかし怒っていないわけがない。
「ナタリア様」
「……」
「気分が悪いですか…?」
「……」
「いや、そうじゃないですよね。あの、ナタリア様……」
「……あの二人もういない…?」
「…はい、いませんよ。…あの…ナタリア様。さっきは…」
詩音はそれを合図に長く長く息を吐いて顔を上げる、その表情は興奮を抑えられないと言いたげだ。
「っはぁ~~!クラージュくん見た!?さっきのメイドさんめっちゃおっぱいでかかったね!」
「は?」
何言ってんだこいつとクラージュは言ってしまいそうなのを耐えた。
「クラージュくんはどう思った?クラージュくんも男の子だもんね!」
「いや別になにも」
「え~?ほんとかなぁ?私はほんとにびっくりしちゃった!あの大きさ羨まし…っと、違う違う言いたかったのはそれじゃなくて!クラージュくんすごいよ!クロエ様に好かれて良かったじゃん!もしかしたら玉の輿いけるかもよ?」
「……いや、それはないでしょう」
「いやいや、玉の輿は無理でもお願いを聞いてもらえる間柄になれそうじゃん!頑張れ頑張れ応援してる!ま、私は仲良くできなさそうだけどね!」
「……怒ってないのですか?」
「いや、まぁ、最初はすごいイライラしたけど。あのお姉さん見てたら全部吹っ飛んじゃった。すごい。これがダイナマイトボディの力……憧れちゃう……」
「……」
「さて、ミラを探さないと……はぐれちゃいけないしこのままで街見て回る?」
繋がれた手を握り返しながら振り返れば、クラージュは複雑そうな顔をしていた。
「……今まで療養していたのは病弱なのではなく強すぎる力を制御する為だと聞いたので、大丈夫ですか?僕このまま手を握り続けていたら捻りつぶされたりしませいたたたた!!」
「ほら!手の形が残ってるから大丈夫!」
「いたた、容赦が一切なかったですね。…まぁ、そのほうが僕もさっきのことでの罪悪感がなくなるのでいいですけど。あ、そうでした、ナタリア様」
「な~に?」
「可愛らしいブレスレットナタリア様に随分お似合いですよ」
「……」
「おやまぁ、照れてます?」
「照れてませーん。………え?もしかして私が一人でアクセサリー屋に行ったことクラージュくん怒ってる?」
「怒ってます」
◇
次の日、いつも通り、クラージュくんを家に迎え入れようと扉を開けた私が目の前の光景に思わず半目になってしまったのはしょうがないことだと思う。
「あら、子馬。昨日ぶりね」
「…」




