P.11 「Run Run Run」
森林の中、身体をゴブリンの血で染めた怪物はのそりのそりと村の方へと進みを続けていた。
いつもなら鳥の鳴き声が絶えない森だが、クリムゾンベアに恐れ慄いているのか辺りは静まり返っている。
その野生動物ですら逃げ出すクリムゾンベアを木の陰から伺う影が1つ。
「…………いやがったな」
クリムゾンの嗅覚に捉えられないギリギリの距離から動向を窺っているのは、ハジメであった。
その片目にはモンスカウター、ではなかった、トライエムが装着され、クリムゾンベアの姿を観察すると敵の情報が映し出された。
─────────────
【クリムゾンベア】
非常に獰猛な巨大肉食獣。
分厚い毛皮は攻撃を通さず、その4本の剛腕で敵を粉砕し、捕食する。
ベテランの冒険者でも、その剛腕から繰り出される攻撃をモロに食らうとひとたまりもない。
血のように赤い毛皮は今まで喰らってきた獲物の血で染まったと言い伝えがあり、高値で取引される。
ハジメを一瞬で肉片にできる程の強さ。
※状態:飢餓
─────────────
説明文を繰り返し見れば見るほど力の差を突きつけられ、「勝ち目がないぞ」と再三に言われてる気がする。
いやまあ、そんなの説明文読むまでも無く見ただけで分かるけども。
だが、戦力差を改めて確認する為にわざわざ危険を犯してるんじゃない。
重要なのは別。
「見たところテイムされたモンスターじゃないか……」
情報の始まり。名前の部分。
シオンの教えでは、テイムモンスターを【鑑定】した場合、契約主とモンスターの個体名が表示される。
しかし、トライエムで覗いてみたが、そのどちらも表示はない。
つまり、テイムモンスターではなく、野生のモンスター。
クリムゾンベアが野生なのか、使役されているかで、これから行う作戦は変わってくる。
もしも、使役されているのならば、それを操る使役主を拘束するなどでして、クリムゾンベア本体撃破以外の対策が考えられる。
わざわざあんなバケモンと真っ向勝負するハメも無くなるというわけだ。
………もっとも、もしクリムゾンベアを使役している奴がいたと場合、使役してるのだからクリムゾンベアよりも強い可能性がある訳で。
どちらとしても厄介なことに変わりないというか、むしろ助かったのかもしれないというか。
ま、今はどうしようもない事に悩むのに割く時間はない。
クリムゾンベアに使役されている形跡はなし。
「つまり、プランAってことだ」
装備していたトライエムは外し、代わりに右腕にはダブルエッジを装備する。
そして腕を大きく十字に何度か振る。
彼の周りにはケールだけでなく、相棒であるコボルトの姿も見当たらない。
文字通り、ハジメ一人だけである。
『もう一度確認したが、やっぱり村に向かってやがる。だが、何でか知らないが不幸中の幸いにも移動スピードは遅いようだ』
先程まで一緒に居り、クリムゾンベアを観察していたケールが言っていたことを思い出す。
その言葉の通り、落ち着きを持って観察してみると確かに移動がスムーズではない。
いや、ノロい訳ではないが、なんと言えばいいか。
……情緒不安定……?
大まかに言えば村の方向を目指しているのだが、右へ左へと顔を動かし、心ここにあらずといった感じで移動している。
その姿は夢遊病を彷彿とさせる。
まあ、そのおかげでこうして準備が整ったのだから、ありがたい話だが。
プランA。
ケールが考えた作戦は、俺が上手くいかせなきゃ失敗する。
チャンスは一度きり。
覚悟は既に決めてきた、
「………と言っても、やっぱ怖え」
筈であったが、やはり実物を目にすると分かってはいても足がすくむ。
ガサガサッ
「ヒッ!?・・・なんだよ、鳥か」
クリムゾンベアに気を取られていたハジメ。
頭上からした突然の物音に驚く。
しかし、よく見れば一羽の黒い鳥が木が飛び立っただけであった。
音の発生源が分かり、ほっと息を吐き冷や汗を拭う。
その鳥は烏のような黒い羽に、赤い瞳。
こういう時に『黒』とは、なんとなくであるが不吉な気分にさせる。
黒猫然り、死装束の色然り。
あ、いや、死装束は白か。間違えた。
ともかく、不吉な気分だ。しかも、1羽だけというのがなんとも。
もっと縁起の良い色で来いよ、鳥。
または、鳩か鶴的な吉兆ならぬ吉鳥ならば良かったのに。
「まったく、驚かせ────」
「Garaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」
「やっ………?!」
ヤバい、バレた!
少しでも、鳥に意識を移したのが仇となった。
クリムゾンベアがハジメに気付いたのか、それとも鳥の飛び立つ音に気づいたのか。
だが、そんなことはどうでもいい。
先ほどの心ここにあらずな移動スピードはどこにやら、鈍い唸りをあげてこちらへ向かって猛突進してきた。
急いで身を潜めていた木から離れるハジメ。
クリムゾンベアは突撃の威力を殺すことなく、そのままハジメが身を隠していた木へと突っ込み────
ドンッ、メキメキメキ!
身を隠していた大樹など気にも留めないとばかりに突進を止めず、木はクリムゾンベアの突進を受け大破した。
実はあの木だけ発泡スチロール製でしたとか無いかね、無いよな!そりゃそうだ!
「どんだけだよ、クソッ!」
あの木はハジメの胴より二回りほど太く、それに肩からぶつかった。
だというのに、少したりともダメージを食らった様子がない敵にたまらず悪態を吐くハジメ。
慌ててその場から離れていたハジメは、間一髪で回避し難を逃れていた。
だが、クリムゾンベアに完全に捕捉された。
唸り声と共にクリムゾンベアはハジメを追いかけてくる。
「………ッ、"我が道を照らせ"【ファイヤーボール】ッ!」
必至に逃げながらも、こちらに向かってくるクリムゾンベアに向けハジメは火の弾を放つ。
初級の魔法と言えど急所に当たれば効果がある筈。
このPWでは、己を含めた全ての生物に急所が存在する。
そして、ハジメの手から放たれた魔法は、昨日の訓練の甲斐あってか見事クリムゾンベアの頭に当たり、痛手を────
「Gra!GAAA」
「やっぱ効くわけねェですよね畜生!」
そんなうまい話はありませんでした。俺の昨日の強制ハード特訓の時間を返せ!
クリムゾンベアに意に介した様子など微塵も伺えない。
効果と言えば毛が少し焦げた程度。
自信無くすぞコンチクショー!
「普通、獣は火を恐れるもんだろうがあ!」
悪態をつきながらも、ハジメは足を止めない。
ただ直線に動くのではなく、木々の合間を縫うように走る。
例え大木でさえクリムゾンベアの突進を止めることはできない。
だが、それは決して「減速しない」というわけではない。
それが些細であろうとも、障害物に衝突した分のエネルギー消費は生まれる。
クリムゾンベアは繊細という概念を進化の過程で落としてしまったのか、ただ獲物を喰らわんと最短距離で追いかけようとする。
故に。
当然の帰路としてクリムゾンベアは減速し、ハジメは未だ追いつかれずに逃げることが出来た。
しかし、両者には明確な力量差が存在する。
例え減速しようとも両者を分かつ距離は徐々に詰められていく。
その上、
「木々が………開けて!」
ハジメが逃げる先は、密集していた木々がなくなり開けた場所が。
つまり、これまでのように減速させることは不可能。
だからといってハジメは止まるわけにはいかない。
怯えは一瞬。
だが、次の瞬間には、ハジメの目に怯えの色は消えていた。
既に覚悟は決めている。
「─────行けっ!」
一歩を、力強く踏み込む。
体を倒すことで更なる加速をし、木々を抜けた。




