98話 無情な貫き手
無言で黒い剣を振り下ろす悪魔のような黒騎士に対し、シュウは普通に回避した。あまりにも直線的なので、避けるのは容易い。
しかし、振り下ろされた剣が予想外の動きをする。
闇に染まった刀身がグニャリと変形し、鞭のようにしなってシュウに巻き付こうとしたのだ。流石に驚いたシュウは、加速魔術で上空に逃げる。
すると黒騎士は左手に闇のキューブを出現させ、瞬時に分割して放った。軌跡を描いて飛翔する小さな闇の弾丸が、シュウを貫こうとする。だが、シュウは死魔法で全て吸収した。
「いきなりか」
『お前こそ、不意打ちの魔術で凍姫宮殿を殺した』
「それもそうだが、残念ながらあの魔術は俺じゃない。俺の仲間の魔術だ」
『冥王に仲間とは笑わせる!』
「なんだ俺の正体も知っているのか」
なぜ知られたのかは不明だが、大まかな予想はできる。
恐らくは大帝国に付いた黒猫の幹部から漏れた情報だろう。シュウとしても冥王と『死神』が同一人物であることを隠すつもりはない。なので、この程度のことで動揺もしない。
『お前さえ殺せば戦争は大帝国の勝ちだ』
「なら、戦争は革命軍側の勝利だ。俺を殺せないのは、お前自身が分かっているだろう? 『王』の魔物は覚醒魔装士が一人で戦える相手じゃないことは承知だと思うが?」
魔物の中でも『王』は特別。
まさに覚醒した魔物だ。
同じく覚醒した人間である覚醒魔装士ですら、複数人でなければ太刀打ちできない。まさに世界が生み出した規格外の魔王とも言うべき存在が『王』の魔物である。
閻魔黒刃もそれぐらいは理解していた。
だから言葉では殺すと言っても、本音としては時間稼ぎができれば良いと考えていた。
『この身は魔装で生み出された仮初のもの。お前に私は殺せない……冥王』
「随分と饒舌だ。無言で斬りかかってきた割にな」
『言葉でお前の集中が僅かでも乱れるなら、それは利用するべき。私はそう考えた』
黒騎士は自在に変形する漆黒の剣を振るい、時に闇の弾丸を飛ばす。隙のない攻防一体、遠近両対応の攻撃がシュウを襲う。
その攻撃密度は凄まじく、普通の相手なら百回は殺せている。
だが、冥王たるシュウには届かない。
あらゆる攻撃を死魔法で無効化し、未だに無傷であった。
(こいつの本体はどこかねぇ)
シュウは攻撃を回避しつつ、本体の場所を探っていた。無系統魔術で巧妙に魔力を隠蔽しているらしく、シュウの感知力でも見つからない。近くに存在していることは分かるのだが、それがどこなのかは分からないままだった。
(アイリスの《龍牙襲雷》を喰らった様子もないから、範囲外にいるのは分かる。だが、どこだ?)
このまま戦っても埒が明かないので、シュウは試しに死魔法を使った。
勿論、その対象は黒騎士である。一瞬にして生を奪われた黒騎士は、死へと染まる。その全てのエネルギーを奪い取られ、崩れて消え去った。覚醒魔装士の眷属型魔装は、死魔法で消せる。この情報はシュウにとって有益だった。
だが、内心で喜んだのもつかのま。
新しい黒騎士がその場で生まれた。
「眷属型は本体である魔装士の近くからでないと生み出せなかったはずだが……」
『特殊なマーキングをしておけば、滅びた地点から再生可能。それだけの話』
「なるほど。セーブとロード機能を搭載ってわけね」
『何を意味の分からないことを言っている』
「いや、何でもない」
マーキングがどういったものかは不明だが、何かの手段でその場の復活が可能なのは確からしい。シュウとしては面倒極まりない。
(しかし俺に対して眷属型とはいえ覚醒魔装士が一人ってのはどういうことだ?)
まるでシュウを倒すつもりがないとでも言っているようである。
スバロキア大帝国にとって『死神』は脅威であり、覚醒魔装士を複数投入してでも倒したい相手のはずだ。しかし、その気概が見られない。
黒騎士の攻撃も、斬撃に加えて黒い弾丸を飛ばすというシンプルなものだ。
とても必殺とは言えない。
つまり、このようなことをするだけの狙いが別にあるのだと考察できる。
(狙いは俺ではなく、別の何か……つまり革命軍本隊か)
すぐに結論へと至った。
そして同時に、革命軍本隊がいる辺りで激しい魔力光が輝く。暗雲の消えた天に展開された巨大魔術陣を見て、シュウは全て悟った。
「俺をここで足止めして、神呪で革命軍本隊を潰すつもりか」
『お前に魔術や魔装を消しさる力があるのは分かっている。だから足止めした』
「なるほど」
意図がバレたからか、黒騎士を通して閻魔黒刃は本当の作戦を語った。確かに、シュウの目的は革命軍を勝利に導き、この大陸の支配者を神聖グリニアにすることだ。
逆に言えば、革命軍さえ潰せばシュウが生きていようと死んでいようと問題にならない。
シュウは冥王であると同時に『死神』だ。
理性を持ち、目的をもって動いていることがスバロキア大帝国側にも察知されていた。その目的を半分ほど看破されたがゆえに、このような足止め神呪作戦が決行されたのだ。
(この魔術陣……気体分子の移動魔術がメインだな。それに加重魔術も。風の神呪か)
大帝国の禁書庫を漁って魔術書を幾つも手に入れたので、風の神呪についても知っていた。
発動すれば間違いなく革命軍は全滅するだろう。
そして死魔法で発動前にエネルギーを奪い去ろうとすれば、黒騎士が邪魔をする。今も黒騎士の周囲には無数の黒いキューブが浮かび、いつでも射出できるよう準備を整えていた。
(なら、やり方は一つだ)
シュウは右手に漆黒の魔力を集めた。
死の法則が具現化した、死魔力である。概念すら殺す、冥王だけの特別な魔力だ。その死魔力を凝縮して指先に集め、黒く燃える蝋燭の炎のようにした。
黒騎士は警戒したが、もう遅い。
シュウは凝縮した死魔力を、天で輝く巨大魔術陣に向かって放つ。小さな小さな死魔力は、あっという間に見えなくなった。
『何をしたの?』
「……」
シュウは何も言わず、天を指さす。
すると、天空を覆っていた神呪の魔術陣は、一瞬にして漆黒の魔力に喰い尽くされた。魔術陣そのものが殺されたのである。
これには黒騎士も言葉を失った。
同時に、消え去った魔術陣の残滓から、一本の黒い線が北西に伸びる。
「なるほど、そこか」
黒い線は、魔術の発動者と魔術陣を繋ぐ概念的な線だ。
それは思念であり、精神であり、魔力。
意思を伝達する魔力を遠隔で扱うためには、概念的な伝線が必要となる。シュウの死魔力はそれすらも殺したのだ。本来は見えない思念の線が、死魔力で殺され浮き彫りになる。
シュウの調整された死魔力が、そこまで深い階層を殺したのだ。
『っ! 死ね!』
察した閻魔黒刃は、眷属たる悪魔のような黒騎士でシュウを襲った。だが、それを予想していたシュウは、再び死魔力を溜めていた。
指先から放たれた死魔力は黒騎士を殺し、思念の線が北西に飛ぶ。
「なんだ。同じ場所にいたのか」
閻魔黒刃の眷属が遠くまで移動し、その眼を通して万象真理が魔術を発動する。昔から二人の良く使う眷属自爆禁呪コンボだった。
そしてシュウからすれば、二人が同じ場所にいるというのは好都合である。
霊体化して空気抵抗を消し、加速魔術で瞬間的に音の速さを超える。
この世界で最も死に近く、最も死に愛された存在が、二人の魔装士へと迫っていた。
◆◆◆
死を錯覚した閻魔黒刃は慌てて叫んだ。
「早く! 逃げないと!」
「分かっておるわ!」
視覚を共有していたので、万象真理にも状況は分かっている。迫る黒い線は間違いなく触れると死ぬ。二人は思念を断ち切り、魔術と魔装から自分自身を切り離した。そのお蔭で思念を滅ぼしながら迫る死魔力は途中で途絶え、二人まで届いていない。
しかし、かなり近くまで迫られた。
言い換えれば、かなりの精度で冥王に居場所を特定されたのである。
「ふん。大帝国の切り札が二人そろって逃げ足とは、情けない限りだな」
「そんなことは分かってる。凍姫宮殿が殺された以上、私たちも危ない」
「これほどとはな……冥王アークライトめ!」
忌々しいとはこのことだ。
自分たちが世界最強クラスだと考えていた二人も、やはり『人間の中では』という前置きが必要なのだと再確認した。
なりふり構わぬ逃走は実に屈辱的だ。
しかし、大帝国の勝利を思えば我慢できる。
「閻魔黒刃よ。眷属に殿を任せられんのか?」
「ダメ。どういうわけか魔装が使えない」
「冥王が操ると言われる死の概念か」
万象真理は理解した。
冥王の魔力によって閻魔黒刃の魔装は殺されたのだと。少なくとも、復活にはかなりの時間がかかるだろう。死の概念という魔法を思い知った。
(こんなことならば転移の魔装使いを連れてくるべきだったな)
今更後悔しても遅い。
それに、大帝国の転移魔装使いは『鷹目』でもあるのだ。この場にいたとしても意味がなかった。
二人は溢れる魔力を身体能力に変えて走る。
それしか逃げ切る方法はない。
しかし、加速魔術で音速を超えるシュウに追いつかれるのは当然の理だった。
「無様だな」
ヒュン、と風が抜ける音と共に冥王の声が耳に届く。
同時に万象真理と閻魔黒刃は胸元に涼しさを感じた。それも当然である。左胸の心臓部に穴が開いていたのだから。
「なん……と……」
「うぷっ……」
二人は同時に血を吐きだし、地面に倒れた。
勿論、即死である。
シュウは振り返り、両手に纏った死魔力を解除した。
「これで三人。残る覚醒魔装士は一人か」
革命軍本隊を囮として覚醒魔装士をおびき寄せる作戦は無事に完了した。これで革命軍は帝都アルダールまで順調に進軍できるだろう。
そしてシュウも報酬である五千金貨を手に入れることができる。
圧倒的に思われたスバロキア大帝国の覚醒魔装士たちも、これで八割が死んだことになった。もう抵抗戦力はほとんど無である。
少なくとも、帝都での決戦まではシュウも特に役目はないだろう。
「あとは待つのみ。アイリスの所に戻るか」
シュウはその場から消えた。
そして案の定、アイリスが迷子になっていたのは別の話である。