648話 大地震
虚無の世界は精神的で、物質の制約が存在しない。質量、空間、時間などに縛られず、虚無の王たちが各々の法則によって独自に世界を創り出している。
闇の雲の暗黒呪詛もまた、虚無世界の一部である。
そして虚無の世界は物質に依存しないが故に、概念に作用する呪詛ばかりだ。
「そもそも死魔力を届かせないということか」
闇の雲が受肉したエドリックは周囲に闇を広げ続け、死魔力はそこで吸い込まれるように消えていく。死の魔力も触れた直後は暗黒呪詛を滅ぼすが、すぐにその威力を失ってしまった。
「まるで底のない谷に投げ込んでいるような感覚だな」
「私は暗黒。最も深き星。生も死も私は飲み干し、受け入れる。暗黒の中で私と混ざり、一つとなる。暗黒は平等だ」
「奇遇だな。死もまた平等だ」
死の魔力が届かないということは、闇の雲によって領域支配されているということだ。だからこそ暗黒呪詛の優先度が上回り、死が届かない。
だからシュウは直接攻撃をやめて冥界による削り合いを仕掛ける。
(とはいえ強敵だな。世界の強度が強すぎる)
かつて戦った邪魅の化身や紡ぐ叛威と比較して、闇の雲は随分と強固に感じた。死魔力でこじ開けようとしても隙がなく、中々糸口が見えてこない。しかもこれで完全顕現ではないのだから驚かされる。
幽忘術式などで魂に直接干渉しようにも、暗黒呪詛によって上手く隠されている形だ。
「《死の鎌》、三重円環」
鎖のように術式を繋げ、軌道上を死魔力の刃が奔る。
しかし暗黒に満たされた空間はピクリともしない。
「まぁ、そうなるか。物質世界でも《死の鎌》が空間ごと破壊しているわけじゃない」
暗黒は奇妙だ。
時空としてそこに存在しているが、一方で存在していないように思える。近いようで遠く、浅いようで深い。それら全てを一か所に内包しているような感覚だ。いや、どう言葉を尽くしてもこの奇妙な感覚を伝えるのは難しい。
だが、これはシュウの魔法運用上の問題が生じさせるものだ。
「つまりは俺の認識を拡張し、死魔法の効果範囲を広げればいい。普段は無意識に抑制しているところまで、意識して殺す!」
忘れがちだが、この世とはルシフェル・マギアの魔法だ。あらゆる物質の根源となる光を操り、その力の方向性を定め、今の宇宙を形作っている。つまり世界そのものが巨大な魔法というわけだ。
したがってシュウがその気になれば、死の魔法によって世界を殺せてしまう。宇宙全体ともなると相当な出力が必要となり、尚且つルシフェルの邪魔も入るので現実的ではない。ただここで重要なことは、『そういうことも可能』という純然たる事実だ。
「その暗黒、押し流す」
ゆえにシュウは意識を切り替え、死魔力を手元に集めた。
それを使い、ここに冥界を一部顕現させる。
「零魂術式!」
鉄砲水のように死魔力が噴き出た。
冥界へと蓄えられた滅びそのものが暗黒呪詛をも殺し、押し流していく。空間を支配していた暗黒は根源量子へと還り、それどころか物質世界の空間すらも削り取られていく。壊れた空間を補填するため、世界は周囲の存在から魔力を奪い始めた。
そんな大災害の中でも、シュウは止まらない。
「これは……まさかこれほどの――」
「綺麗に暗黒呪詛だけを殺すってのは無理か。まぁいい。さっさと終わらせる」
死魔力が全てを押し流そうとする中、闇の雲は臓物を繋ぎ合わせたような触手を大量に生み出した。シュウが魔法の力で見通せば、それら触手が虚無たちの魂で編まれていることが分かる。
つまり果て矮の魂を使った魔力質量攻撃だ。『王』の視点からすれば貧弱な虚無といえど、やはり魂だ。触れるだけで魔力が削られかねない大質量を有している。
「また厄介なものを」
シュウは《死の鎌》を振り回して触手を切断し、死の滅びで消し去る。だが触手は新たに生成され続けており、暗黒呪詛の領域を埋め尽くすほど増えている。摩天楼のごとく聳える触手は一斉にシュウへと襲い掛かり、冥界を削りに来た。
零魂術式に阻まれてシュウまでは届かないが、死魔力の消耗は激しくなる一方だ。
「ミ=ゴの魂を使い捨てか」
「下僕どもは私のもの。私の一部。私の暗黒を受け入れた民。私の手足となることに歓喜する。たとえ滅びようと、永遠である。暗黒がそこにある限り、永遠なのだ」
「まぁ餌をくれるってなら貰うが」
魂を使った攻撃は厄介に思えたが、シュウからすればご褒美も同然だ。魔神術式第一層、凍獄術式を展開する。更には第二層・幽忘術式をも重ねた。
これによって肉体および魂の表層に刻まれた人格が剥がれ落ちていく。それらは魔力として変換され、冥界に蓄積されていくのだ。大幅に減ってしまった死魔力の補充に丁度良かった。
(暗黒呪詛は空間を掌握する側面が強い。迷宮魔法とも似ている。呪詛に触れると暗黒と同化し、ユゴスの所有物と化す。そんなところか……?)
一応分析はしている。
ただ虚無の『王』たちが使う呪詛は概念的で、理解しがたい。
「《暗黒塔》、起動」
またシュウは指を鳴らした。すると天より漆黒の柱が降ってきて、触手の一つを圧し潰す。また黒い柱は薙ぎ払うようにして周囲を嘗め尽くし、触手を引き千切った。
《暗黒塔》とは、宇宙空間上に設置した結界内部へと太陽光を蓄積し、鏡のように内側で反射させ続けて保存する魔術だ。必要に応じて光を取り出し、魔術的に収束させてレーザー砲撃として放つことを目的としている。光が散乱しないので、傍目には黒い塔が落ちてきたように見える。
「暗黒呪詛」
闇の雲が呪詛で保護をかけると、黒い柱は触手を破壊できなくなった。表層の暗黒へと吸い込まれ、その威力を失ってしまったのである。
だがこれでいい。
触手を守るため、呪詛を集中させてしまった。それが隙となった。
「《冥王の流禍》!」
冥府の底。
本当の『死』が渦巻く深奥を流れる大河を呼び出す。四つの本流がシュウを中心として顕現し、津波のように流れ始めた。渦巻く四つの大河から流れは分岐し、無数の支流が生まれる。支流は更に分離し、時に合流し、あらゆる方向へと流れていく。
摩天楼のごとく並び立つ闇の雲の触手は容易く『死』に沈み、果て矮の魂など欠片すら残らない。
「ちまちまと競り合いなんてしていられないからな。最大威力で終わらせる」
冥府の底を流れる大河を最大顕現などすれば、間違いなく星を滅ぼす規模となる。故に本当の意味での最大威力ではない。しかしながら闇の雲の闇など瞬時に飲み込むほどの奔流であった。
触手を薙ぎ倒し、暗黒を殺し、闇の雲の受肉体へと死の大河が迫る。ウルへイスは冥界によって塗り潰され、際限なく殺されていく。
「ちょっとばかり地表が消えるかもしれんが……これもコラテラルダメージってやつだな」
虚無の『王』を相手に加減などしていられない。特に空間を支配し、侵食するような存在は許容できない。対処を誤ればダンジョンコアの二の舞となってしまう。しかもこの世界にとって救いのない、まさしく暗黒の世界になってしまうだろう。
闇の雲が完全顕現する前に最大火力を叩き込み、終わらせる。
冥界の大河が暗黒呪詛の領域を飲み込み、遂に押し流した。
「――そろそろか」
次元すらも殺す死の奔流のため、空間が不安定になりつつある。限界を迎える前に《冥王の流禍》を解除し、冥界を世界の裏へと隠した。
ごっそり消し飛ばされた空間へと周囲の物質が吸い込まれ、世界の終わりにも見える。これほどの世界の大穴となれば、自然修復するのに相当なエネルギーが必要となるだろう。
「やり過ぎたな」
こうなることが分かっていたとはいえ、ここまでしなければ闇の雲の暗黒呪詛は攻略できなかった。空間に開けられた穴は周りの物質を飲み込み続けており、空気も恐ろしい勢いで吸い込まれている。
ここでシュウは嫌な予感がした。
直感に過ぎないものだったが、咄嗟に再び《魔神化》を発動した。その予感は正しく、次元の大穴すらも突き破って触手が現れる。臓物を繋げたような気味の悪いそれらは、間違いなく闇の雲のものだった。
『Uyus kCht!』
叩きつけるような思念が四方八方に放たれ、シュウですら目が眩んだ。
次元の大穴の内部に巨大な球体が出現した。それはよくよく見れば編み込まれた触手によって作られている。まるで毛糸玉のようだが、実態はそんな可愛らしいものではない。
「まだこちら側に執着するのかよ。これ以上の負荷は流石に厳しいぞ……?」
「そうだな。ここまでだ」
「あ?」
不意に後ろから聞こえた声に驚きつつ、振り返った。
「ルシフェル……今更か」
「これ以上は看過できんのでな。あの程度なら貴様でも対処できよう。だが俺の世界を必要以上に壊されては困ってしまう。まだまだ面白いものが見れそうなんでな」
「じゃあどうするつもりだ?」
「こうする。閉じよ、剥離せよ」
言葉だけで次元の穴は閉じた。傷口が縫い合わされるように、無尽蔵に物質を吸い込んでいた大口が閉じられていく。更には広域を結界のようなものが覆った。
シュウがそう気づいたのは、周囲に光の壁のようなものが立ち上がったからだ。しかも尋常な範囲ではない。
「これは……何をするつもりだ!?」
光の帯が揺らめきつつ一周し、結界は完成する。
ソーサラーデバイスによる広域地形取得術式《天の眼》によると、揺らぐ光の壁は驚くべき範囲を囲っている。北はアルザード州を超えて山水域に触れており、南はウルへイス地方にまでかかっている。
「地表に見えている闇の雲など一角に過ぎん。あれは地中深くに根を張り、受肉を進めていた。表面を少しばかり削ったところで無意味だ。貴様が遠慮などせず大陸ごと吹き飛ばせば事は済んだのだがな」
「いや……待て待て何をするつもりだ!」
「黙って見ていろ」
大地が剥がれていく。
それに伴い闇の雲の暗黒も浮き上がった。光の壁のため一帯は昼のように照らされ、よく見える。まるで大陸全体が浮上しているようだった。
(まさかユゴスを強引に引き剥がすつもりなのか!?)
もしもシュウの予想が正しいとすれば、恐ろしいことが起こる。如何に結界で区切られているとはいえ、アルザード州まるごとよりも広い範囲を抉ろうとしている。こんなことをして大陸が無事であるはずがない。
地中を支える様々な応力が変動し、あるいは解放される。
ただの地殻変動とは比較にならない大災害を引き起こすだろう。
「セフィラ! 聞こえているなら帝国内に根を張れ!」
『へ?』
「帝国が崩壊する!」
今から間に合うわけがない。
それでも怒鳴りつけるほどの声量で指示するしかなかった。通信の向こう側でセフィラは怯えたような雰囲気を見せるも、すぐに従う。
光の帯が夜空に現れ、世界がひっくり返るかと思うほど揺れる。この異常は既にプラハ帝国全土で発生し、衝撃は大陸全土へ伝播した。
「第二の月では趣がない。俺を楽しませた褒美もやらねばな」
引き剥がされた闇の雲は岩盤と共に圧縮され、球形へと近づいていく。かつて大地を抉り、エデ塩湖を生み出した神話の再現だ。虚飾王パンドラを封じて月としたように、闇の雲もまた星の一つとして封じられる。
ただ一つ違う点は、パンドラのように完全な封印ではないということだ。
「この俺が星の一つをくれてやる。泡沫の栄華を極めてみせよ」
大陸はまだまだ剝がされる。ウルへイス地方を中心として、闇の雲が根を張っていた全域が引きずり出され、封印の星へと注がれた。それは北のアルザード州にまで及び、山岳地帯すらも海底のように深く削られる。
これほどの地殻変動を無理に引き起こせば、地中に働く応力とて歪むというもの。
蓄えられていた力が次々と連鎖的に解放され、地震が発生する。各所で連発する地震が合わさり、大地震にまで発展する。あるところでは大地が裂け、巨大な断層を生み出した。
『これ、なに? プラハが壊れちゃう! どうなっているの!?』
セフィラは悲鳴を上げていた。
文字通り、大陸を破壊する規模の地殻変動だ。近くのプラハが無事であるはずがない。樹界魔法の根を張ることでどうにか繋ぎ止めているが、それがなければプラハ帝国の歴史はここで閉じていた。
「ルシフェル! このまま大陸を沈めるつもりか!」
「そうはならんさ。だがこの大陸の地下にはダンジョンコアの魔法が巡っている。あれがある限り沈みはしない。多少、地形は変わるかもしれんがな」
「ちっ! もういい。ユゴスを浮かせたなら俺が殺し尽くす。それで終わりだ!」
このままでは本当に世界が終わる。
もう闇の雲は引きずり出し、小さな星として封じられた。少なくともルシフェルの魔法が覆っている限り、外には出てこない。今の内に零魂術式へと沈め、全てを葬り去るしかない。
そのつもりで魔神術式を広げ始めると、不意に封印石は消失した。
同時に夜空の光帯も消失し、元の夜を取り戻す。
「滅ぼすには少し早い。もう少し楽しまねばな」
「どこへやった?」
「宇宙の少し、遠いところへな。俺と貴様が決闘した隣の星の、もう少し外側だ」
「分かっているのか? 虚無の奴らを放置すれば……」
「再び繁殖し、この星に来るかもしれん。だがそれがいい。それこそ俺の求める物語だ」
「……狂っている」
「平穏は退屈だ。俺はそんなもののためにこの世界を維持しているわけではない。この世の全ては俺のものだ。俺の作品だ。俺の最高傑作だ!」
ルシフェルは指を鳴らす。
すると星空がぐるりと回り、時が反転した。月の代わりに太陽が空へと昇らせ、世界を昼としたのだ。時を操ったのか、星を操ったのか、あるいは言葉一つすらなく世界を自由に組み替えられるのか。ただ彼は『神』に相応しい力を見せつけた。
全てが無意味なのだと、シュウに思い知らせるために。
「今の世も飽きてきたところだ。ここから、新時代を始めるとしよう。俺がそう決めた」
傲慢なる王。
だが始まりの光であり、世を統べる唯一の権能保持者。それがルシフェル・マギアという神だ。死の支配者になったシュウですら、その傲慢を止めることはできなかった。
地下迷宮がなければ大陸は沈んでいました。
つまりダンジョンコアのファインプレー……?




