639話 ラ・ピテル王の帰還
レべリウス号を旗艦とした船団は巨大な雲の前に辿り着いた。
艦橋から見える景色は実に壮大だ。見上げても見下ろしても圧倒されるほどの積乱雲。五百年の間、形を変えることなく世界を周回し続ける封印だった。
「閣下、聖石寮の船から光信号です。どうするべきか、と」
「追従せよと返答してください。それと隊列を縦列に変更するようにと」
四隻の飛行船団はレべリウス号の後ろに縦列していく。こうしている間にも積乱雲へ着々と近づいており、もう間もなく突入するだろう。しかし速度は緩めない。
気流も乱れ、船は大きく揺れ始める。
「閣下、どうか席に。ファイ大公殿下も」
船長の言葉に従ってロマノもファイも座席に着き、衝撃に備える。飛行船で積乱雲の中に突入するなど、自殺行為に等しい。激しい気流によって引き裂かれ、墜落する危険もある。
それでも無謀な命令に反発が起こらなかったのは、事前に聞かされていたからだろう。
「あ! 見てください!」
観測員の一人が叫び声を発しながら指差す。
積乱雲の奥に巨大な影が浮かび上がったのだ。それと同時に少しずつ薄くなっていく。雲に隙間が生じ、金色の輝きが夕日を反射した。
「おお!」
「あれか。稀に地上から見えるという空飛ぶ城」
「こんなに大きいのですね」
船長含め、船員たちは驚きの連続だった。飛行船の侵入に合わせて雲は割れていき、黄金の城へと道が作られている。まるで王の帰還を喜んでいるかのようだった。興奮も最高潮へと達しつつある。
そんな中、ロマノとファイは随分と落ち着いていた。
「風は歓喜、雷は喇叭。やはり城は王の凱旋を感じたのですね」
「随分と詩的だねロマノ」
「封印を解く鍵は陛下の眼です。ラ・ピテル王家における王権とは『眼』に他なりませんから。陛下の屋敷に保管されていた王家の日記の通りだ。これで興奮しないはずありましょうか」
王笏、王冠、玉璽など、王が王であると知らしめる秘宝は多々ある。プラハ帝国ならばゲヘナの鋲がそれだ。そしてラ・ピテル王家は物質的なものではなく、予言の眼こそを王の証とした。
封印された黄金要塞もまた、王の証に反応して自ずから道を開いたのだ。
もう少しで先祖の地に届く。その僅かな時間すら、ロマノには待ち遠しく思えてならなかった。
◆◆◆
黄金要塞への着艦は問題なく完了した。
飛行船を停めることができるだけの充分な広場もあり、今は荷下ろしをしているところだ。巨大な黄金の城と比較して、人数は随分と少ない。しかもレべリウス号にこそスウィフト家子飼いの者たちが乗船していたが、他の四隻には聖石寮や他の権力者が捻じ込んだ勢力ばかりだ。
「さて、飛行船での優雅な旅でした。休息は必要ないでしょう。いかがですかオリガ殿、バルリウス将軍」
「同意します」
「ふん。問題ない。王政府陸軍を侮るでないわ!」
苦笑しつつ、ロマノはもう一人へと目を向ける。
「ではサーリオ大神官殿は?」
「こちらも。ですが私たちはあくまで視察団です。ここを基地とするためのお手伝いに励みましょう。私たちが安全確認されていないところに同行したところで足手まといでしょうし」
「承知いたしました。お気遣い、痛み入ります」
聖石寮六聖の第六席オリガ、王政府陸軍バルリウス・ロザリス将軍、そして聖アズライール教会の大神官サーリオ。彼らがそれぞれの勢力が送り出してきた者たちだ。
黄金要塞を手中へ収めるにあたって、上級士官に叙任されたばかりのロマノではとても予算を確保できなかった。新設された空軍をよく思っていない者も多い。だから陸軍からの介入を許してしまったし、その上ロザリス家の関係者であるバルリウス・ロザリスを捻じ込まれてしまった。
(聖教会や聖石寮はいいとして、バルリウス・ロザリス殿の存在はやりにくい)
対赫魔の戦術として飛行船が有用であると示したことがよほど気に入らないらしい。飛行船団組織のため空軍が創設され、陸軍予算の一部が削られたことが一因となっている。また空軍の元帥として元下級士官家系のロマノが登用されたことも大きいだろう。
バルリウスを含めた軍閥有力者からすれば、ぽっと出の外来人に立場で上回られてしまったのだから。
「おい、ロマノ・スウィフト。我々は我々で城内を捜索させてもらう」
「しかしバルリウス将軍……」
「黙れぃ! たかが上級士官の分際で私に指図をするな!」
「……承知いたしました。ではご随意に」
鼻を鳴らし、バルリウスは己の軍を率いてさっさと探索に出かけてしまう。今回、陸軍は二隻の飛行船で百人ほどを連れてきている。整列していた調査団はごっそりといなくなってしまった。
(私の影響力は、所詮この程度ということですか)
こうなることは予想していたが、悔しいものがある。
だが慌てることはない。
(鍵となるファイ陛下はこちらの手の内。ならばバルリウス将軍の無礼も水に流せるというもの。最後に笑うのは、この私だからだ)
王政府陸軍が続々と黄金要塞の中へ入っていく。
残りは聖石寮と聖教会の一団だ。残ると告げた聖教会はともかく、聖石寮はどのように動くのか。ロマノはその意図を込めてオリガに視線を送る。すると汲み取った彼女はこう答えた。
「私たちは閣下に同行いたします。本部長のご指示ですので」
「分かりました。感謝いたします」
「相変わらず王政府軍は足並みが揃わないようですので」
「これは痛いところを」
「元より私は王政府軍などという組織に反対なのです。あんなもの、軍閥たちの寄せ集めに過ぎません。形ばかりの秩序で、何のまとまりもない」
事前に聖石寮本部長を味方としておいて正解だった。ただ人選はもう少しまともなものにして欲しかったというのが本音である。
六聖の一人を寄こしたことから、期待してくれているのは確かだ。
ただロマノは六聖の六席オリガという人物について、多少の噂を知っていた。
「私たちはじっくり、中枢を目指すとしましょう」
「承知しました。閣下に従います。私たちはどうすれば?」
「スウィフト家の雇い兵に先行させつつ安全を確保します。聖石寮は戦力を二つに分け、半分を私と、もう半分は聖教会視察団の護衛としてください。オリガ殿はどちらに?」
「ならば私は閣下に付き従いましょう」
「分かりました」
もうバルリウスの軍は要塞内部に入ってしまった。見上げるような黄金要塞を、たったの百人程度で完全制圧することはできないだろう。焦ることはない。
「シンク君、準備は?」
「こちらは終わった。ネロ社が野営装備は必要かと聞いてきたぞ」
「不要だと返しておいてください」
「分かった」
去っていくシンクの後姿を、オリガはじっと見つめていた。それから彼女はスウィフト家の私兵へと視線を向けていく。
「……スウィフト家の方々は随分と個性的なのですね」
そう口にした理由は、フード付きのコートで身体を隠す二人の人物に向けたものだった。二人とも全身を覆い隠し、防塵マスクのようなもので顔全体を隠している。体形から一人は女性、一人は男性だと分かるが、どう見ても怪しい。
勿論、ロマノとてそう言われることは織り込み済みだ。言い訳も考えていた。
「私の家というより、クローディア自治領の関係者です」
「ふん。異教徒ですか。まぁ今回はセシリアス家も出資しているという話は聞き及んでいます。若き大公が自ら出張ってくるというのは予想外でしたが」
少々の嫌味はあったが、それ以上はオリガも言わなかった。ロマノは表面で繕いつつも安堵する。シンクはともかく、アルネのことを探られるのは不味い。
(シンク君の特訓で翼だけでも消せるようになったのは大きいですね。身体の異変を隠すために怪しい恰好をしなければならない点は私が誤魔化すしかありませんか)
本音を言うのであれば、レべリウス号の中に置いて行きたかった。しかしファイがそれを許容しなかったのだ。ロマノは強く反対したかったが、ヴァルナヘル市で彼女を拾ったのはファイであったし責任を負うとまで言われてしまえば黙るほかない。
実際、彼女の後ろ盾になっているのはファイだ。
もしもアルネの姿が公になったとしても、ロマノは知らなかったと言い逃れる余地がある。
「ロマノ、そろそろ僕たちも行こうか」
「そうですね。バルリウス将軍も行ってしまいましたし、私たちも続くとしましょう」
スウィフト家および聖石寮も城の内部へと侵入を始める。だが王政府陸軍と異なり、その足取りは確かなもので、しかも隊を分けての虱潰しもない。
その理由はロマノが手にする手帳にあった。
(古文書を事前に調べた通りですね。これならばバルリウス将軍より先に管制室へと辿り着けそうです)
一つの都市にも匹敵する黄金要塞を、無闇に探索する必要はない。スウィフト家の祖先が残した記録を辿れば、バルリウスを出し抜くことなど容易いのだから。
◆◆◆
先に黄金要塞内部へと駆け込んでいった王政府陸軍はというと、あまりにも異質な内部に困惑を隠せなかった。金属質な通路が縦横無尽に広がっており、虱潰しに探索しても全く手が足りない。ただ扉には鍵がかかっているのか、開く様子はない。また扉にはノブも鍵穴もなく、抉じ開ける方法すら検討もつかなかった。
「何だこれは? どうなっている」
「分かりません。まさか扉が勝手に開くなど……古代の魔術でしょうか」
「扉も開くものと開かぬものがあるようだな」
「はい。今のところ、開ける方法も分からない状況でして」
「ふん。爆破しても構わん」
バルリウスはとにかく迅速さを求めた。できうる限りの人員を投入し、最速で手柄を上げるのだ。そうすれば黄金要塞における王政府陸軍の利権を強く主張できる。
また彼の狙いはロザリス家内での力を増すことにもあった。前当主だった父は赤い月に巻き込まれ逝去した。次の当主を巡る戦いは始まっているのだ。喪に服す期間が過ぎればその競争はより激しくなるだろう。
「何としてでも抉じ開けよ!」
唾を飛ばすほどに叫ぶ。
彼はロザリス家前当主の次男だ。その他、分家親族にも当主候補者がいることを考えれば継承権としては高い部類に入る。駄目押しとなる手柄さえあれば、当主の座は確実となるだろう。
今、ロザリス家は前当主の死によって荒れている。
文句などすべて黙らせるほどの圧倒的功績が、バルリウスには必要だった。
(そして次の王選では私が王となる。この天空城を使い、忌々しいプラハ帝国を滅ぼしてくれるわ!)
彼の野望はどこまでも膨れ上がる。
兵士たちは爆薬や魔術によって扉を破壊し始め、手段を選ばず探索を続ける。いや、これではまるで略奪者だった。
恥知らずな行いは、当然その身へと返ってくる。
『警告。侵入者を感知しました。外縁部隔壁の閉鎖を開始します。自動迎撃プログラム採択。殲滅兵を派遣します。侵入者の顔を認証。システム共有しました』
耳障りな音が鳴り響き、意味の理解できない古代の言葉が繰り返される。バルリウスたちは初め、それが言語だと分からなかったほどだ。
しかし騒がしい警告音に混じるその声を、バルリウスは危険なものだと直感した。
「将軍、先行していた隊から緊急通信です。突如として天井から壁が降りてきて、分断されてしまったと」
「何だと? ならば爆破でも何でもよい。壊せ!」
「それがどうにもならないのです。オリハルコンの扉のようでして」
「馬鹿な! あのような希少金属を壁に使ったとでもいうのか!?」
オリハルコンといえば迷宮でごく稀に発見される希少資源だ。プラハ帝国系列企業からの技術提供によってようやく加工量産できるようになった物資である。その代償として一定量をプラハ系列企業と取引しなければならない契約となっており、シュリット神聖王国としても忸怩たる思いを拭えないでいた。
(そうだ。よく考えればわかることではないか! この城の外観は黄金だった。つまり全てオリハルコンということか)
神秘的な古代の産物であるということに脳を占められ、すぐこの事実へと思い至らなかったことが悔やまれる。迷宮で稀に発見される貴重な物資であるという認識が邪魔をした結果でもあった。
しかし気付いてしまえば話は別である。
「将軍? 将軍!」
「……ん、何だね」
「この警告のような音といい、先行部隊の分断といい、危険な状況です。ご指示を」
「うむ。分断されてしまったものは仕方あるまい。部隊長に権限を預ける。現場の判断に委ねよう」
「承知しました」
面倒なことは現場判断ということにしてしまい、バルリウスは早々に皮算用を再開する。この作戦は彼にとって黄金の果実だ。大量のオリハルコンを入手できたともなれば、聖守をも超える英雄として聖都へ凱旋することも叶うだろう。
(ロザリス家当主の座は確実……王選も私の意のままだ! そして異民族共を平定し、邪悪なプラハ人共を殺し尽くせば私の人気は確固たるものとなる。そして私は世界の王だ! 赫魔も魔神も、薄汚い魔物共も、皆殺しにしてくれる!)
だが高揚するそんな彼へと、不意に冷や水が差された。
「将軍! バルリウス将軍!」
「今度は何だね!」
「……分断された先行隊と連絡が取れないそうです。先の将軍の命令を伝えるよう通信兵に依頼したのですが、その直前に何かあったようで」
「何か、とは何だ。はっきりせよ」
「破壊の音、悲鳴、助けを求める声、そして通信は途絶えました」
皆まで言われずとも、意味は理解できた。
所詮は浮いているだけの古代遺物だと思っていた。しかしそうではなかったのだ。
「通信兵は叫びの中、ある言葉を聞いたそうです。金色の蜘蛛、と」
「どういう意味だね」
「分かりません。この城に魔物が棲みついているということかもしれません」
悪い状況はさらに続く。
通路が激しく揺れて、バルリウスは体勢を崩す。そしてすぐ近くで怒号がこちら側へと迫ってくる。通路からは探索に進んでいたいたはずの兵士たちが我先にと戻ってくる。
「ッ! 何をしておるか! 命令違反だぞ!」
悪鬼の如き表情で怒鳴りつけても、兵士たちは雪崩の如く戻っていくのみ。その姿はまるで恐ろしい怪物から必死に逃げているように見えた。
再び怒鳴ろうとしたバルリウスは、そこで突如発生した巨大閃光により口を閉ざされる。目を焼かれるほどの光のため、彼は一瞬だったが視力を失ってしまう。
「何だ! 何が起こった!」
体に痛みはないが、強い閃光は未だに網膜を焼いている。あまりのことで平衡感覚を失い、彼は気付けば倒れていた。ようやく視力が戻ったとき、まず目に飛び込んできたのは煤けた天井。バルリウスは跳び起きて周囲を見回し、そして惨状に絶句した。
死者は一人もいない。
しかし先の閃光でほぼ全員が行動不能となり、軍隊の体を為していなかった。
「馬鹿者ども! 早く起き上がらんか! さっさと状況を報告せよ!」
檄を飛ばせど、立て直しは遅々としている。
そんな彼らに苛立ち、再び怒鳴り散らそうとしたバルリウスは、しかし次の瞬間言葉を失い固まってしまった。
「は?」
通路の奥から金色の巨大な蜘蛛が姿を現す。バルリウスが『蜘蛛』と思ったのは、事前の通信があったからだろう。だがすぐに彼の持つ知識がその存在を訂正した。
「ありえん。ありえんだろう……なぜここに黄金域の番人が……?」
単眼をせわしなく動かし、殲滅兵は侵入者を認識する。
先の閃光を引き起こした大魔術、《火竜息吹》が発動予兆を見せていた。
「撤退いいいい!」
ただそう叫び、規律もなく逃げることしかできなかった。




