634話 暗黒の蠢動②
夜間を十六機の回転翼機編隊が進む。
輸送機四機、攻撃機十二機の構成でローラニア市へと急行していた。そして輸送機の一つにはマリアンヌ皇帝もいた。
「陛下、お疲れのところ失礼します。間もなく化け物の群れと邂逅します」
「そう。ありがとう」
仮眠を取っていたマリアンヌは起き上がり、軽く背伸びした。凝り固まった体をほぐし、侍女が渡してくれた水を口にする。この輸送機は皇帝専用のもので、マリアンヌが快適に移動できるよう配慮が重ねられている。
この輸送機は内部で幾つかの部屋に分かれており、その中の一つ、作戦指揮室へと移動した。
「お待ちしておりました陛下」
「リマ近衛兵長、状況は?」
「ローラニア州軍からの通信で敵はここ……ラーシア川を渡ったところに集結しつつあります。橋も船も使わず身一つで渡河しているようでして、意図せず時間を稼げました」
「ならその場所でゲヘナの鋲を解放するのですわね?」
「はい」
すべきことは単純だ。
ただ目的地へと移動し、そこで槍を解放するだけである。
「エルモ、あなたの魔装で感知できますの?」
「はい。私が陛下の眼となり、夜間の敵を明らかにしましょう」
「外す心配はありませんわね。ローラニア市の方は秩序の魔女様が終わらせてくださるそうです。ですわよねセフィラ?」
マリアンヌが問いかけると、近くを浮遊していたセフィラは首を縦に振った。どこか不機嫌なようで、いつもの呑気な雰囲気からはかけ離れている。まさしく神と呼ぶに相応しい威容を放ち続けていた。
宮廷近衛兵たちも緊張しているようだ。
「時間を置く理由もありませんわ。すぐに殲滅しましょう」
「はッ……各位、作戦開始だ!」
リマが通信機を使って編隊機全てに通達する。
輸送機一機を中心として攻撃機がそれぞれ三機ずつで囲み、四方に分かれる。マリアンヌは揺れる機体の中でゲヘナの鋲を支えとしつつある場所へと立った。
そこは円形の台で、周囲に近衛兵たちも同じく立つ。まず近衛兵たちは右の拳を胸に置き、祈るようにして目を閉じた。
「意識を合わせよ。《霊覚》と《心輪》を以て敵の姿を明らかにし、陛下へとお伝えするのだ。エルモは魔装によって感知した情報を《心輪》で共有せよ」
精霊秘術セフィロト術式の中でも、軍用として秘匿されているものだ。特に《霊覚》は第六の知覚器官を生み出し、遠隔地を感知するというもの。犯罪行為に応用しやすいという観点から、軍内部においても一部の部署でしか知られていない。
近衛兵たちの胸から淡い光が現れ、ゆっくりと足元へと沈んでいく。これこそが第六の知覚器官だ。物質を透過する性質を持つため、《霊覚》は輸送機の外へと出たことになる。これにより外の状況をまるで見ているかのように知覚できるようになった。
「マリアンヌ陛下、届いておりますか?」
「問題ありませんわ。しっかり見えていますわよ」
《霊覚》は知覚範囲が狭いため、幾人かで同時に観測。更には思考を共有する術《心輪》を用いて繋げる。この二つの術を組み合わせることで、遠隔地を広範囲にわたって観測できるようになるのだ。
更には透視の魔装を持つエルモという近衛兵により、確度を高める。
槍の解放は、座標を誤るわけにはいかないからだ。
「相変わらず見ているだけで怖気が走りますわね……」
「一匹残らず消してね」
「ええ、安心してくださいなセフィラ」
マリアンヌはゲヘナの鋲へと魔力を流し込み、鍵のように捻った。
月明りだけが照らす夜、闇の中に更なる闇が現れる。それは地を裂いて炎として顕現し、そこにあるものを尽く飲み込む大口となった。
北プラハよりやってきた怪物たちは瞬く間に黒い炎の中へと沈んでいき、あっけなく消失した。
「化け物どもの地獄送りを確認! 皇帝陛下専用機以外は掃討戦に移行せよ!」
リマが通信機越しに命令を飛ばす。
まだ一部の化け物は渡河中ということもあり、全てを地獄送りに巻き込めたわけではない。ローラニア市への脅威を一部も残さず消し去るため、殲滅戦を開始した。
こうなってしまえばマリアンヌの仕事はない。この場においては。
「宮廷近衛軍に新しい命令です。私をローラニア市まで護送していただきますわ。マルヴィース大公へ会談したいと連絡を」
「はッ! 承知しました」
仕事は一瞬だったが、どっと疲れた気分だ。マリアンヌは座席に腰を下ろし、深く寄りかかって目を閉じる。そんな彼女の傍でセフィラは心配そうに見つめていた。
「大丈夫?」
「少し休めば問題ありませんわ」
「ん。でも気にしているんでしょ?」
「……無関心にはなれませんわ」
「そうだね」
マリアンヌは両手を胸の前で組み、囁く。
「どうか冥界の王の目に留まり、彼らの魂に救済がありますように。地獄の永遠の苦しみから解放されますように」
その祈りを聞いて、セフィラは俯いていた。
◆◆◆
ローラニア市の動乱は翌朝にはすっかり静かになっていた。しかしながら被害は決して小さくない。六区は半分ほどが壊滅し、それ以外の区画でも多くの死傷者が出た。状況は危機的である。
復興どころか被害者の特定も進んでいない状況で、州総督のマルヴィース大公は皇帝との面会に臨んでいた。
(……私は死ぬのだろうか)
相手が皇帝だけならば、マルヴィースも落ち着いていられただろう。だが同席者として普通ならばあり得ない面々が揃っている。
冥界の王アークライト。
秩序の魔女シルバーブレット。
豊穣の女神セフィラ。
プラハ帝国の根幹を成す三神だ。
(セフィラ様は分かる! 皇帝陛下と共に在る女神様だ。だがどうして死の王と魔女が……?)
豊穣の女神は頻繁に人前に現れるが、他の二神は滅多に顕現しない。特に冥界の王は『死』を司る存在なので、不吉なものとして扱われることが多い。見えないことは良いことなのだ。
(私は死ぬのだろうか)
だからマルヴィース大公は同じことを繰り返し問答し、冷や汗を流す。
勿論、それらは全て彼の見当違いな妄想だったが。
「大公殿下、邪教の者たちを捕らえたと聞きましたわ」
「ぁ……はい。その、軍の者に尋問させております。ですが何一つ話さぬようで。勿論、《心輪》の応用を用いた情報の引き抜きはしておりません。陛下が禁じられたことですので」
「以前、心を繋げて尋問官が発狂死する事故が起きましたわ。ですので影響を除外する新術式が完成するまでは決して使わないように。次の被害者を出さないためにも」
「承知しております」
穏やかな様子のマリアンヌを見て、大公も少しずつ気を緩め始めた。決して緊張が解けたわけではないが、先ほどよりは饒舌になる。
「お礼を申し遅れました。ラーシア川を渡って迫りつつあった化け物を討伐してくださったとか。それも槍の解放によって。お陰でローラニア市は壊滅せずに済みました」
「いいえ。今回は最終手段ですわ。地獄送りは可能ならば使いたくありませんの。だってあれは――」
「――元は北プラハの民だから、ですな?」
「ええ」
会話は止まり、しばらくの沈黙が流れる。
エドリック=ローグ・ノクス・ウルフェリアが北プラハ帝国を宣言してから四年。近年になって虫にも似た怪物が群れを成して押し寄せるようになった。皮膚は鱗に置き換わり、頭部からは無数の触手、目や鼻は消失し、腰も老人のように曲がっている。鋭い爪や蝙蝠のような翼を持つ個体もあり、その膂力は人間の数倍もあるという。
化け物や怪物と呼ばれるそれらの正体は、少しずつ判明していた。
「北プラハ……あえてこう呼びましょう。北プラハ帝国は昼も夜も闇に覆われ、その大地すらも黒に染まっております。まるでこの黒こそが己の領地であると宣言するように」
マルヴィース大公は一瞬だけ、視線をシュウの方へと向けた。そこには畏れと共に、不興を買ったのではないかという純粋な恐怖も混じっている。
この世のものとは思えない化け物、黒の領地、太陽すら覆い隠す闇の世界、それらの要素はどうしても『死』を連想させるものだ。
「あれは俺とは無関係だ。本当ならすぐにでも潰してやりたいところだがな。色々あってあと……あと十八日は動けない」
「冥界の王よ、私はただ……」
「いや、そういう噂が流れていることは俺も知っている。俺の不手際が招いたことだ。咎めはしない」
シュウは手元に仮想ディスプレイを展開し、そこに昨晩の画像を表示した。それは六区の放送局に出現した歪な塔と黒い球体である。目に優しいようぼかしが入っていたので、多少鳥肌が立つ程度で済んだ。
しかしマルヴィース大公もマリアンヌもすぐに目を逸らしてしまう。
「こいつが全ての元凶だ。まぁ……ひとまず邪神と呼んでおく。ローラニア市に邪神の一部を召喚することで、この付近を北プラハと同じように変えようとしていた。それが邪教連中の狙いだった」
「シュウさん、その画像結構目に毒なのでそろそろ」
「ん? ああ、悪いな。俺も気持ち悪い。正直画像フォルダからも消去したいくらいだ」
そう言いながらディスプレイをひと撫ですると、別の画像が現れる。それは紋章に見えた。三角形の中央から触手のような線が渦を巻きつつ外側へと向かっている、そんな紋章である。
「ウィスイントルクロッコルという邪教連中の印だ。知っているよな?」
「存じ上げておりますわ。ですが北プラハに踏み込んで調べようにも、あの有様です。送り込んだ諜報部隊は全て連絡が途絶えました。かねてよりアルザード州で邪教が蔓延しつつあるという情報は掴んでおりましたが、その当時からほとんど情報は増えておりません」
「あまりこういうのは好きじゃないが、そうも言っていられなくなった。邪神と邪教についての情報は俺たちから渡そうと思う」
「……確かに。君臨すれど干渉することがほぼない神々が珍しいですね」
「それほど緊急事態ということだ。本来なら四年前の時点で手を貸したかったが、あの頃は俺たちの方も情報がなかった」
シュウは画像を消し、亜空間から書類を取り寄せる。
その束を魔術でマリアンヌ皇帝とマルヴィース大公の前まで飛ばした。
「今分かっている情報が入っている。邪神の名はユゴス。そして怪物の名はミ=ゴだ。ユゴスは土地そのものと一体化し、そこの住民を己の奉仕種族へと作り替える性質がある。そして人間でありながらユゴスに傾倒する集団がウィスイントルクロッコルだ。『闇の母に祈る者』という意味らしい。資料には邪教の拠点情報も入っている。すぐに襲撃計画を立てた方がいい」
「ッ! 我がローラニア州だけでなく本州までも」
「これは危ないところでしたわ」
今の南プラハ帝国にとって値千金の情報だ。これで敵は明確となり、その拠点も判明したことになる。もしも分からないままであれば、帝都でもローラニア市と同じ事件が起こっていたかもしれない。
「ユゴスはまだ完全顕現していない。ごくごく一部だけだ。奴らにとっての神をこの世に降ろそうと、連中は足搔くはずだ。こちらからも攻撃を仕掛けるべきだろう」
「しかしどのように? 黒魔術を用いた不死属召喚でも距離に限界がありますわ」
「これは皇帝の覚悟を問うものだ」
マリアンヌは息を飲んだ。
「……それはどのような?」
「国防省の魔力兵装開発部にエドリック=ローグ・ノクス・ウルフェリアが残したものがある。奴が皇帝候補だった時代に研究させていた代物だ。どういったものか調べれば、どうするべきかもわかる。そしてどのような覚悟が必要なのかもな」
「国防省、エドリック殿下……まさか!」
「ん? お前は知っていたか?」
ぶつぶつとマルヴィース大公が呟くのを耳にして、シュウは問いかけた。すると大公は酷く狼狽した様子で、視線をあちこちへと逸らす。
「その反応、知ってますねー」
「絶対知ってるね」
「ええ、どう見ても知っている態度ですわ」
女子三人からの追及も鋭く、マルヴィース大公は観念したように俯く。
そして言葉を選びつつ口にし始めた。
「あれは恐ろしい兵器です。その威力に限度はないでしょう。一度の使用で都市など消し飛びます。ですがそれは魔術ではなく、誰にでも再現可能なものです。これほど恐ろしいものがあるでしょうか」
「どういう意味?」
「私は専門家ではありませんので、国防省に話を通しておきます。どうぞ陛下の眼でご覧ください。その方が信じられるでしょう」
それ以上を大公は語らなかった。
◆◆◆
ヴァルナヘル市の早朝。市場は活気づいているが、まだまだ街の多くは静けさに満ちている。その裏路地の一つで、布を被って蹲る何者かがいた。隙間からは素足が見えており、酷く汚れている。
「……朝」
裏路地にも僅かながら光が差し込み始めた。
掠れているが女の声で呟いている。もぞもぞと動きつつ周囲を警戒するような仕草をする。布の隙間からほんの少しだけ顔を出して。
真っ白な髪と縦に割れた瞳孔、そして肌に張り付く鱗はまさしく異形。
彼女はガレス市から逃れてきたアルネだった。
「移動、しないと」
元よりヴァルナヘル市は壁に囲まれた都市ではない。中心地区こそ城郭の内側だが、拡張し続けた外縁部ならば簡単に入れる。治安も良いとは言えないが。
何より今のアルネは異形の姿だ。もしも姿を見られてしまえば即座に通報され、聖石寮の術師が駆けつけてくる。こちらの言い分など通してくれないだろう。
(日が出ないうちに移動するつもりだったのに眠り過ぎちゃった。急がないと)
もぞもぞと動き出した彼女に影が差す。
アルネは咄嗟に自身を布で覆い隠した。
(嘘、人が来ちゃった……)
今の姿を目撃されるわけにはいかない。乞食のふりをしてでも身体を隠さなければならない。だが気配は去らず、アルネのすぐそばで止まったままだ。
身を隠す布をぎゅっと掴み、身体を丸める。心臓は激しく高鳴り、息が苦しくなった。
(お願い。どこかに行って)
しかしその願いも虚しく、うずくまるアルネの背へと掌が触れた。その温かみはむしろ絶望的で、胸の内が強く締め付けられるような感覚すら覚える。
「怖がらなくていい。アルネ・リンディス。僕はあなたに会うためにここへ来た」
その手は優しく布を取り去り、アルネの姿を露とする。それで彼女は顔を上げ、声をかけた青年と目が合った。左右で色の異なるその目の内、右目へと酷く惹かれる。
彼は魔族とも見紛う異形の姿を持つアルネを見ても、決して取り乱さなかった。だからアルネも取り乱さずに済んだ。
「僕はファイ・セシリアス。いや、こう名乗っておこうか。ファイ・セシリアス・ラ・ピテルだ。このあたりもそろそろ人通りが増える。僕が君を匿おう」
青い右目の青年はそう言って手を差し伸べた。




