630話 ガレス検問市
車に揺られるアルネは、遠い目で景色を眺め続けていた。
東へ東へと進む道の先にはヴェリト王国がある。
(結婚……相手は神官長の息子。悪い噂も聞きません。夫になる人として申し分のない方なのでしょう。でも楽しみだとは思えない。最低の花嫁ね)
聖フィルの塔での研修を終え、聖都へ帰ってからは少しだけ平穏が続いた。しかし数日のうちに会社を辞めることになっていて、あっという間に家へと連れ戻されてしまった。
実家では既に嫁入りの準備は整っていて、後は車に乗せられるだけだった。
「お嬢様、ガレス検問市街に到着しました」
運転手に声をかけられ、視線を前に向ける。
かつて魔物から守るため作られた大きな城壁があった。シュリット神聖王国とヴェリト王国の間に存在する検問のための都市だ。都市を東西へと分ける形で内部にも城壁が積み上げられ、それぞれを二国が管理している特殊な都市だ。
「お疲れでしょう。今夜の宿へ行きましょう。お嬢様の夫となられる方もお待ちです。楽しみですね」
「……」
「こ、今回の婚約を仲介してくださったロザリス公もいらっしゃるそうです。最高神官様の代わりに立ってくださるそうですよ」
返事はしない。
運転手の彼には悪いと思っているが、そんな気分になれなかった。
◆◆◆
ロマノ・スウィフトは牽制に牽制を重ねられ、かなり動きにくい状況であった。黄金要塞を探し出し、手中に収めるという計画も上手く進まない。
黄金要塞はおよそ五年ごとに現れるため、今年を逃せば再び待たなければならなくなる。
「申し訳ございませんファイ陛下。聖都までお越しいただくとは」
「いいよロマノ。シュリットの王に自治領の領主となった挨拶をしなければならなかったし、丁度良かった。それにネロ社の人たちも良くしてくれたからね。あなたには感謝しているよ」
ここはスウィフト家の邸宅で、部屋にいるのは二人だけだ。
だからロマノは属領の領主でしかないファイに敬意を払い、王族として扱う。またこれは天空人の子孫としてこの場にいることを表明する意図もあった。
「計画が進んでいないみたいだね」
「星浄連盟会が動いているようです。あれを動かすロザリス公家は私たちの故郷を我が物にしようと企む簒奪者。必ず対処してみせます」
「いや、その必要はないよ」
意気込むロマノをやんわりを抑えた。
「ロザリス家の御老公は、今どこに?」
「……ヴェリト王国との国境に。ダンカン最高神官の御息女が婚約されるそうで、仲介役を買って出ておられます。それによってロザリス家と聖教会の繋がりを強く結びつけることが目的のようです」
「そう。問題ないよ」
「は? 何が?」
「その婚約は失敗に終わるから」
断言するファイの言葉から、何か未来視に反応があったのだと理解した。ただその原因までは語ろうとしない。その代わりにあることを告げた。
「これから飛行船を使ってヴァルナヘルまで行きたい。連れて行ってくれないかな?」
「は? ですがおそれながら陛下。私は謹慎の身です。容易には動けません」
「大丈夫。僕を信じて。それに謹慎とて自主的なものでしょ?」
「それは……そうですが」
「きっと明日の朝には君の謹慎など誰も気にしなくなるよ。そして計画の主導者に立ち戻れる」
ラ・ピテル王家の眼は絶対だ。ロマノもまたそれを確信している。ファイがそれで良いというのならば、間違いはないのだろう。
だがそう言い聞かせるロマノの中には、どこかもやもやとしたものが残る。
「分かりました。適当な言い訳を考えてヴァルナヘルへと発ちます。準備が整うまでおもてなしさせていただきますので、しばしお待ちください」
家臣たちへ連絡するため一旦応接室を出ようとする。だがそんなロマノに向けて、ファイは声をかけた。
「もう一つだけ。若い女性物の服を準備しておくといいよ」
「女性物……? 承知いたしました」
このもどかしさをかつての祖先も感じていたのだろうか。ロマノはそんなことをふと思った。
◆◆◆
シュウはネロ社警備部門の部長に昇進したことで、現場に出ることはほぼなくなっていた。仕事と言えば部下へのマネジメントがほとんどである。新鋭のスウィフト家が重用している軍事会社であることが広まったのか、最近では依頼も多く人も増やしたばかりだ。
だがこれらの仕事の合間に、シュウは調べ物をしていた。
「アイリス、最高神官のことを調べてきたぞ。面白いことが分かった」
昼休憩時間を返上し、社長室に赴く。
四年前から随分と業績を伸ばし、ハデスグループから独立したお陰もあって今の社屋はなかなか広い。演習地を確保する関係で立地は郊外だが、決して不便ではない。社宅を敷地内に設置し、食堂もあるためだ。
「面白いことですか?」
「あの男、意外に人間臭いぞ」
「あれだけ批判を集めていても全く動じないダンカン最高神官がです?」
「聖守を預言できず、赫魔を退ける方策もなく、それでも最高神官にしがみついていると言われているあの男がだ」
皮肉るような言い方にアイリスは違和感を覚えた。シュウはこんな言い方を滅多にしない。どこか芝居がかっているようにも思える。
「聖守を見つけた」
「……どういうことなのです?」
「二十一代目聖守は確かにいた。だから預言はあったはずだ。だが最高神官はあえて口にしなかった。己の中に秘めて、聖守の存在を隠した」
「もしかして……もしかしてなのですよ!」
ここまでもったいぶった言い方をされれば、アイリスとて気付く。
いないとされている聖守が、本当は誰なのか。
「アルネ・リンディス。あいつが二十一代目聖守だ」
最高神官の、二番目の娘アルネは現在十九歳。
そして二十代目聖守アロセスが没したのも同じく十九年前。確かに一致する。
「じゃあ最高神官は娘が聖守だと知って……だから隠した?」
「そういうことになる」
「気持ちは分からないでもないのですよ。聖守の死に様は大抵、悲惨なのです」
天寿を全うしたとされる聖守は歴代の中でも僅かに二人だけ。それを思えば聖守に幸福があるのか、疑問を感じざるを得ない。
「あの男はアルネを聖守にさせないため、徹底的に邪魔をしている。まず、そもそもアルネは洗礼を受けていない」
「そんなことあるのです?」
「ああ。アルネは魔装持ちだ。おそらく変身型の魔装だな」
「おかしいのですよ。洗礼を受けていたら魔装は消えてなくなっているはずなのです。もしかして儀式を細工したとか?」
「多分な。まぁ聖石が生成されないことはよくある。誰も疑わなかっただろうさ」
アルネの秘密を見抜き、彼女が最高神官の娘であるという知識と組み合わせることで真実は見えた。それがなければシュウも調べようとすら思わなかっただろう。
「分かっているなアイリス」
「アルネさんをこちら側に引き戻す、ですね」
「聖石寮が確保していない聖守だ。こんな都合のいい奴はいない」
何を言いたいのか、アイリスはすぐに理解した。
それはアルネという少女を弄ぶような、残酷で非道なやり方である。
「『アリアドネの糸』を使わせる。あれはその器になる」
傭兵という職業柄、アルネはただの社員というよりも家族のようだった。信頼を預け、命も預けて戦うからだ。そんな相手を騙すようなやり方は少し気が引ける。
ほんの少しだけ。
「……私も残酷で冷酷な女になったのですよ」
「長生きしすぎたな」
「せめてシュウさん……騙しきってあげて欲しいのです。何も気づかないまま終われるように」
「努力しよう」
シュウは足元に黒い魔術陣を浮かび上がらせる。それらは剥がれながら宙を舞い、折り重なり、幾何学模様を描き始めた。
「第四分室がアルネの居場所を突き止めてくれている」
「行くのですか?」
「いや、ただでは迎えに行かない。アルネには一度死んでもらう」
どういうことか、とアイリスは首を傾げる。
するとシュウはこう答えた。
「今夜、ガレス市に赤い月が昇る」
黒い術式が作り出した冥界の門を通り、シュウはこの世界から一時的に消失した。
◆◆◆
ガレス検問市街に到着し、宿で少し休んだアルネ。だが今夜は残念ながら、ただ休んでいるわけにはいかない。わざわざ今日のために仕立てたドレスを身に着けて、市内で最も格式高いレストランへと訪れていた。
その目的とは、婚約者となる男とのお見合いである。
「アルネ嬢、ようこそ。さぁまずは座って」
好々爺、とでも表現するべきだろうか。にこやかな顔で出迎えた老人が席を指し示してくれた。テーブルには真っ白なクロスが敷かれ、銀の輝きを放つカトラリーが並べられている。小さな花が幾つか活けられ、絶妙な華やかさを演出している見事な席だ。
そして指し示された席の対面には、既に一人の男性が座していた。
「お初にお目にかかります。アルネ・リンディスです」
「あなたがアルネさん。私は神官長ラルツォーネの子、イブリースです」
アルネとイブリース。この二人は婚約の関係にある。
そしてこの二人の間を取り持ったのが、今日の席の主催者であるロザリス公であった。
「お二人は婚約者とはいえ、今日が初めて会う日じゃ。緊張もあろう。故にまずは食事をし、会話をするのじゃ。お互い、きっと気に入るじゃろうと儂は確信しておる」
彼が合図を送ると、給仕たちが現れてグラスに飲み物を注いだ。それから平皿が次々と置かれていく。
野菜と魚のマリネを中心とした彩り豊かな皿、ローストした肉に甘いソースがかかった皿、色彩豊かな穀物が盛られた皿、香草の匂いが漂う丸焼きの魚、香辛料をたっぷりと使った煮物の皿など、豪華絢爛だ。
もてなしはヴェリト式らしい。
多種多様な料理を大皿で出すのが彼らの文化だ。
「アルネさんは今日、ガレス市に到着されたとお伺いしました。お疲れではありませんか?」
「いえ、少し休みましたので。お気遣いありがとうございます」
「我がヴェリト王国が同盟国とはいえ、緊張しておられるでしょう」
神官長の息子というだけだって、物腰は柔らかく丁寧な男だ。今のところ、好印象だった。
「イブリース様は何が好物でしょうか」
「私は魚を好んでいます。この丸焼きはガレス市の湖で採れたもの。香草を詰めて焼いています。私のことを知っていただきたくて準備させました」
「まぁ、ありがとうございます。ではそれをいただきましょう」
すると給仕が現れて、大皿の魚を切り分け始める。大きな骨をしっかりと抜き取り、食べる際に障らないよう整えてくれる。
付け合わせの蒸し野菜を添え、ソースをかけて仕上げとなった。
早速とばかりにイブリースが口へと運ぶ。咀嚼し、味わい、満足げに頷いた。
「さぁアルネさんもどうぞ。それにロザリス公もぜひ」
「うむ、いただこう。さぁアルネ嬢。味わってみなさい」
言われるがままに口へと運ぶ。確かに美味しい。
鬱屈とした気分が晴れていくようだった。
(我ながら単純なのね)
最初は会話もなく、ただ黙々と料理を口へと運んでいく。イブリースが自国の料理を紹介しながら、文化を交えて話を振ってくれるのだ。アルネはその知識量に感心し、舌鼓を打つだけでいい。次第に空気も弛緩していき、緊張もほぐれていく。
「イブリース様はシュリット文化にもお詳しいのですね。それにこちらの言葉も堪能で」
「これでも外交官ですので」
「そうだったのですか? 神官になられるのかと思っておりました」
「父には悪いのですが神官は肌に合わず。ですが弟が神官となり修行中ですので私は自由気ままにやらせてもらっています」
こんな結婚など気が進まなかったというのがアルネの正直な思いだ。しかしこうして会ってみれば、決して悪い人ではない。それどころか好ましい人物だとすら感じる。
(そうよね。落ちこぼれでも私は最高神官の娘。面子もあるロザリス公が下手な人を紹介するはずないもの)
気を張っていたのが馬鹿らしい。
しかしだからこそ、気が引けてしまう。
(でもだめ。早く逃げないと。私の身体の秘密が知られる前に)
アルネが抱える秘密は隠し通せるものではない。イブリースと結婚すれば、必ず肌を晒さねばならない時が来る。そして肌に張り付く鱗や背中の小さな羽を見て、彼は糾弾するはずだ。
(今逃げてもイブリース様やロザリス公に迷惑をかけてしまう。一応、父にも。でも私の秘密が明らかにされるよりはマシよ)
隙を見て逃げるしかない。
ずっとそればかり窺っていた。ここへ来るまでは父が付けた運転手の見張りが厳しく、ここも人の眼があり過ぎる。
今夜が最後の機会だ。
(すぐにヴァルナヘルに戻って南を目指す。ルーイン氏族連邦にさえ入国できれば、あとは簡単にプラハまで逃げられるはずよ)
表面上はにこやかに会話していても、アルネの中ではここから逃げることしか考えていない。
ただどうしても上の空であることが滲み出てしまったのだろう。イブリースの表情が曇る。
「……アルネさん。私の話は面白くなかったでしょうか。どうもすみません。話したがりなもので」
「あ、いえ……私こそすみません。ぼぅっとしてしまって」
「きっと疲れておられるのでしょう。どうですか? 今夜は晴れていて、月も星も美しい。このレストランの庭に出てみませんか? ただ静かに空を見上げ、心から休みましょう」
ロザリス公もまた、それが良いと口を出す。折角なのだから二人の時間があるべきだという老婆心からだった。
すると給仕も椅子を引いて席から立てるように取り計らってくれる。アルネは何も言わなかったが、そういうことになったらしい。ただ拒否してイブリースに恥をかかせるわけにもいかず、今は素直に従った。
「この個室は特別でして、専用の庭があるのです。さぁ、いきましょう」
ずっと締め切られていたカーテンが開かれる。
大きなガラス張りの窓、そして扉が現れ、そこから血のように赤い光が差し込んだ。
「は? え?」
イブリースは言葉を失い、その場で立ち尽くす。
爛れるような光は空に浮かぶ巨大な月より発せられている。鮮烈な赤は全てをその色で同化させ、澱んだ霧によって乱反射させられる。星々は全て赤に塗り潰されて消失し、ただ満月だけが夜を支配していた。
「嘘……なんで」
ガレス検問市街を深紅の月が照らす。
かつて二人の英雄により退けられた怪物の中の怪物。吸血種の始祖、厄災『赤い夜』が顕現した。
月が赤い……ッ!




