622話 原初の光
シュウは気が付くと、豊かな自然の中にいた。
風は少し冷たいが、どこまでも草原が広がっている。遠くに見える山脈には木々があって、山頂にだけ雪が積もっているのが見えた。
どこだろうか。
まずは観測魔術を使おうとして、背後から声をかけられる。
「気になるか。この場所が」
「ああ。やけに体が軽い。どういうことだ」
「隣の星に移動した」
「は?」
「丁度近くにあってな」
まさしく規模が桁違いの転移であった。
隣の星といえど、その距離は果てしない。
「この星はかつての失敗作でな。少し小さく創ってしまった」
「だから重力も弱いのか」
「ここには生物もいない。思う存分、魔法を使って構わん」
「そうか。なら遠慮しない」
シュウの足元で草が枯れる。大地は息絶え、全てが色褪せていく。死という法則が星を冒し、この地を塗り潰し始めたのだ。
それが始まりの合図となった。
「小手調べだ。光よ、あれ」
ルシフェルは言葉のままに事象を生み出す。彼の周囲に無数の光球が現れ、そこから一斉に熱線が放たれた。ただ光はシュウの周囲に到達した途端減衰し、届くより前に消え去る。死の領域に触れたことで全てのエネルギーを失ったのだ。
「大風よ、あれ」
続いて四つの巨大な竜巻が生じ、周囲の草木を巻き上げていく。いつの間にかそらは暗い雲に覆われており、その中で小さな閃きが幾つも生じていた。
「天より水降り、雷は叫ぶ」
全て、その通りになった。
見える範囲が制限されるほどの大雨と共に、無数の落雷が天地を結ぶ。言葉一つで天変地異を引き起こし、世界を支配する。それがルシフェルが『王』たる所以だ。
しかしシュウもまた『王』の一人。
「《冥府の凍息》、《冥府の劫河》」
世界が裂けて、二つの地獄が現れた。
片方は全てが静止する絶対零度。もう片方は世界が歪むほどの灼熱。嵐も竜巻もすり潰され、豊かな大自然は瞬時に滅びていく。その範囲はすさまじく、見渡す限りが消失していた。
「奪う魔法、よくぞここまで鍛え上げたものだ」
「加減の必要はないだろう?」
「その通りだ」
ルシフェルは空へと逃れ、そこで大量の岩を浮かべていた。これらは加速し、シュウへと迫る。
当然だがシュウとてただ見ているわけではなく、魔術を使って反物質を生成した。
「ああ、そうだ。その魔術は俺の力だからな。封じさせてもらおうか」
「ッ!」
突如として魔力が乱され、反物質は制御から離れた。不安定なそれらは早速崩壊し始めたので、死魔法で消し去る。ただこうしている間に一手遅れてしまった。
もはや空より落ちる岩石は目の前だ。
(もう使わされるか)
シュウが睨みつけると、岩石群は全て消失してしまった。
「ほう。もうこの星に冥界を作ったか」
「気付くのが早い」
「あの星と同じ感覚がした。気付かれないとでも思ったか?」
冥界が機能するのは元居た星に限る。その理由は、単に宇宙空間にまで冥界を広げていないからだ。やろうと思えば簡単にできるのだが、魔力の無駄であるし必要もなかった。まさか隣の星で戦うことになるなど、想定していない。
だから慌てて冥界を設置した。
「なら、隠す必要もないか」
「俺を楽しませてくれるのだろう?」
「そのつもりだ」
シュウの足元が黒く染まった。
そこから津波のように死の魔力が溢れ、ルシフェルへと殺到する。二千年以上も冥界で溜め込み続けた死魔力だ。その質量は星すらも覆い尽くすほど。しかもただ無作為に放つわけではなく、しっかりと手綱を握り、竜巻のように形態変化させた。
「なるほど。意趣返しというやつか。面白い」
迫る死の大嵐を前にして、ルシフェルは嗤っていた。
そして彼は原初の魔力を解放する。
「俺は始まりの者。全てを生み出した『王』の中の『王』」
万物を染め上げる白い魔力が解き放たれる。
二人の間でそれぞれの魔力が衝突し、激しく唸り、あらゆる物質が消え去った。創造と滅びが同時に引き起こされ、星の生命は急激に枯れていく。
「さて問題だ冥王。俺の魔力とは、俺の司る法とは何か?」
「指向性、だろ」
「正解だ。俺は無の世界で生まれ、そこで初めて世界に指向性を与えた。空間も時間も、物質も力も、全ては俺の手の中にある」
ルシフェルは右手の中に光を生み出し、それらは小さな煌めきとなって留まる。
「俺は全知全能。今この瞬間にも手の中に世界を作り出し、そして破壊することができる」
右の手をゆっくりと握れば、戯れに生み出された宇宙は潰され、再び無に帰った。しかもこれほどのことをしてルシフェルはまったく疲れた様子もない。ただ見せるつけるためだけに、これほどのことをやってみせたのだ。
まさしく桁違い。
世界の『王』と呼ぶに相応しい。
「さぁどうする? 俺がただ願うだけで『星すら歪む』」
大地が次々と裂けていき、まるで流体のように蠢いた。シュウが空からその様子を見下ろしていると、赤熱した地面の亀裂から大量の溶岩が噴出しているのが見えた。先ほどまでは大自然に包まれていた星が、今や生まれたての星も同然である。
もしも宇宙空間から星の様子を眺めていれば、歪んだ球体となった惑星を見ることができただろう。
「抗ってみせろ。俺は世界を従える真の『王』だ」
ルシフェルの放つ魔力は、雫となって雨のように降り注ぐ。そしてそれらの一粒一粒が、魔物となって星を埋め尽くし始めた。それらは天変地異の中にあっても問題なく活動できる驚異的な個体ばかり。
まず目を引いたのは鬼の群れであった。頑健な肉体と天を衝くような頭部の角が特徴的で、肉体能力のみならず異能すらも有する鬼系魔物の上位存在。絶望級の鬼系魔物が数千もの群れとなっていた。
また豚鬼、牛鬼、蟲、獣、竜など、さまざまな魔物が具現化する。当然のようにそれらの最低ラインは絶望級。
万どころか億に届かんばかりの魔物が崩壊しつつある星を埋め尽くそうとしていた。
「あいつおかしいだろ。言葉一つで星を砕いて、魔物の軍勢を作るって」
全て思うがまま。言葉一つでどうとでも世界を改変できる。ルシフェルという存在はシュウの想像を遥かに超えていた。
理解に苦しむ領域である。
だが同時に魔法という力の行きつく先を目の当たりにし、高揚していた。
「さぁ! どうする冥王! 俺の世界を殺せるか?」
「俺に殺せないものがあるとでも?」
シュウはただ放出していた死魔力を使い、世界を塗り潰していく。限定的な冥界の顕現を拡大し、死の世界によって星を侵した。
流動する漆黒の魔力は渦を描き、冥王の周りに集結していく。やがてそれらは四つの大きな流れとなり、シュウの周りで四重の大河となった。
「死の魔力で己を守ったか? 守るばかりでは俺に届かん」
そんな言葉でルシフェルは挑発するが、決して侮ってはいない。死の魔力は警戒に値する密度で、その証拠に黒い閃きが飛び散っている。これは魔力を極限まで圧縮した際に生じる余波現象と酷似していた。
防御の魔法なわけがない。
これこそ、シュウの辿り着いた『死』の世界なのだから。
「押し流せ。《冥王の流禍》」
円環を描く四重の大河は、弾けるようにして広がっていく。渦巻きながら外へ外へと死の川を広げ、無数の支流を生み出していく。その支流すらも新たな支流を生み出し、枝分かれした死の流れはあらゆるものを瞬時に殺した。
灼熱の溶岩も、浮き上がる岩石も、絶望級の魔物さえも。一つの人間文明が総力を注ぎ込んで討伐するほどの魔物たちが、一瞬の抵抗すら許されず死に沈められていく。その流れは当然、ルシフェルにまで迫ろうとしていた。
「これが死の法則が辿り着いた先か! 怖気が走るな!」
「気を抜くなよルシフェル。冥界最大の大河は……神すら殺しかねない。うっかり殺して世界を滅ぼしたくはないからな」
「言うではないか! だが確かにそうだ! この大河は俺を殺せる!」
押し寄せる無数の支流、そして四つの本流。
それらは触れるだけであらゆる魔力を滅ぼし、防ぐことなど許さない。ルシフェルは七対の巨大な黒翼を広げて飛翔し、死の川から離れて安全を取る。
大気圏すらも突破して上昇し、星の輪郭が見えるほどまで行ってようやく止まる。見下ろせば真っ赤に染まった星を侵食するように、黒い死の魔力が広がりつつあるのが分かった。
「面白いぞ冥王。俺を楽しませるという点でお前は合格だ」
ルシフェルは満面の笑みを浮かべていた。
そして夜空よりも黒い彼の翼が、少しずつ白く染まっていく。いや、これは戻っていると言うべきだ。
「我が名はルシフェル・マギア。世界の王。そして『始まりの光』である」
膨大な魔力が空間すらも歪めた。
あまりにも大質量な魔力のため、世界を支えるための魔力にすら干渉していた。ルシフェルの身体は少しずつ曖昧になり、真っ白な光そのものへと変質する。
「純粋な力こそが世界の礎となる。死が世界を侵すなら、俺はその全てを包み込む光となろう」
すっかり命が絶えた眼下の惑星を、強烈な光が包み込む。それは死の川とも接触し、どういうわけか侵蝕を押さえ込み始めた。
死の魔力はあらゆるものを根源量子に還元してしまう。
それをよく知るシュウはこの有様を見て驚かされる。
「普通の光じゃない。いや、俺がこの『力』を光として認識しているだけか?」
「その通りだ。俺は光の王。世界の始まりは光だった。それこそが世界を創った」
「……今度から光魔法とでも改名してくれ」
「冗談を語るとは、まだまだ余裕だな」
距離はもはや関係ない。
二人の魔力が接触しているので、声は届かずとも意思をぶつけることができる。シュウは初めてルシフェルという存在の魔法を知り、その本質がどこにあるのかようやく理解した。
「始まりの光ってのは万能の元素か」
魔物として生まれ変わる前、宇宙の始まりを説明する仮説にビックバンというものがあった。たった一つの大きな爆発が宇宙を作り出したという奇妙な仮説である。小さな一点から生じた強烈な光は素粒子を生み出し、素粒子が原子を生み出し、原子は核融合によって重さを増した。充分に重たい原子は互いに引き合い、やがて星々へと変わっていく。
ルシフェルの魔法とはつまり、そういうことだった。
『始まりの光』を用いて望むがままに世界を創造する。望むままに物質を生み出していく。死という終わりの事象を、新たに生み出すことで対抗している。
「俺は始まりにして生。そしてお前は終わりであり死。このまま質量勝負を挑むか?」
「……どう考えてもそれは勝てない。生きている年月が『王』の質量だ」
「その通りだ。質量勝負となったとき、俺に勝てる存在はない」
「なら、密度だろ?」
「正解だ」
シュウは死の川を手元で束ねる。
ルシフェルは始まりの光を右手に集める。
「少し遊び過ぎた。これで終わりとしよう」
「この規模で遊びかよ」
極限まで死の魔力を圧縮させ、その形を刃とした。冥府の王らしく、命を刈り取る鎌として。一方のルシフェルは極限の光を剣として具現化する。
それぞれ圧縮された魔法魔力は雷鳴のごとき閃光を放ち、ただの余波だけで空間を歪ませた。
動いたのはルシフェル。己を光とすれば、その動きはまるで瞬間移動。シュウはほとんど勘任せで死の結晶を振り下ろす。
白と黒が交錯した。
◆◆◆
シュリット神聖王国は星盤祖を信仰している。預言石によって啓示を受け、国家を運営している一方で、市民たちもまた占いのようなものをする。夜空の星を見上げ、一種の星占いをするのだ。天文学から派生した娯楽のようなもので、当たる当たらないは関係ない。
ただこの日の夜、星占いを嗜む人々は恐ろしいものを目にした。
「最高神官様! ダンカン最高神官様!」
「どうしたのかね騒々しい」
「どうか空をご覧ください」
丁度祈りを捧げている時間だったので、ダンカンは少々怒りを覚える。しかし祈りの聖堂に入室した神官はあまりにも焦った様子で、叱る暇もなかった。
何か悪いことでも起こったのか。
そんな嫌な予感がして空が見えるところへと出向いた。するとすでに幾人もの神官たちがいて、空を指差しながら騒いでいたのである。
「あれは……」
彼らに倣ってダンカンも空を見上げると、ひと際強い輝きを放つ星を見つける。それは驚くほど赤く、不吉な何かを示しているように思えた。
庶民の文化とはいえ、ダンカンも多少は天文の知識を持つ。
故にこそ、とある違和感を覚えた。
「あの星は美しい青の輝きを持っていたはず。二年に一度現れる幸運の星だと言われていたような」
「その通りです。ですが今はあのように真っ赤な色でして。それも突然のことです」
「何と不吉な」
そうして話している間にも注目の星は激しく点滅する。
だがそれが最後の輝きだったといわんばかりに、強い光は消え去り、落ち着きを取り戻した。一部始終を見ていたわけではないダンカンは、わけもわからず呆然とする。
「何があった……」
「分かりません。ですがあの星は青い光を失い、赤いままです」
赤は赫魔を思い出させる。
よく目立つこともあり、星占いの世界でも不吉の象徴と扱われることが多かった。青の輝きを放っていた星が、突如として赤く変わる。これほど不穏なものはない。
「いったい何が起こっているというのか……」
ダンカンはただ不安を覚えた。
己の中にある大罪を思い起こし、酷く胸が締め付けられた。
こうして隣の惑星は赤い砂まみれになりましたとさ
終焉級がちゃんと終焉級するとこうなります。
大事に丁寧に加減しようね




