620話 アルザードの邪教
プラハ帝国において、皇族の血に連なるものは多い。しかし現皇帝から数えて三親等までが皇族として数えられることが慣習となっている。マリアンヌが皇帝となったことで皇族の見直しが行われ、宮内省は目を回すほど忙しくなった。
そしてこの影響で五代目皇帝候補とされていたエドリックは大公位を与えられ、プラハ第二の都市ともいわれるウルへイス市とその地方一帯を治めることになった。
「ふ、この私が大公か」
皇帝候補ではなくなったこともあり、エドリックはスレインの称号も失った。今はエドリック=ローグ・ノクス・ウルフェリアである。新しくウルフェリア大公家を起こし、その当主となる形であった。大きな権力を有する地位ではあるが、それもウルへイス地方に限ったもの。
とても満足できる結果ではなかった。
「いや、失礼。折角祝いの言葉を持ってきてくれたというのに」
「お気になさらず。私たちアルザード州としましても、エドリック殿下こそ皇帝に相応しいと考え支援しておりました。悔しい限りです」
「すまないとアルザード王に伝えてくれ。私の権力はウルへイス地方に留まるのみだ。赫魔被害を抑えるため、大きく動けそうにない」
「父も……王も残念がるでしょう。ですが仕方のないことです」
大公として少し落ち着いたところで、彼はアルザード州の大使を迎え対談していた。大使といえど、その実はアルザード現国王の子だ。大公と会談するだけの格は充分である。
「私も不本意だ。先帝の決定なのだから仕方ない……などと諦めるつもりはない。アルザード王は私が学生時代、留学時に世話になった。できることは全てやるとも」
「感謝します」
「赫魔は野放しにしておけない。豊穣の女神の力があれば、滅ぼせると思った。あるいは槍の力を解放することも視野に入れていた。できることを考えたいと思う。落ち着けばアルザード州を視察しよう」
「ありがとうございます。お待ちしております」
「マリアンヌ……陛下にもアルザード州の実態は進言しておく」
表向きには隠しているつもりだった。
だが燻る不満はエドリックの中で確かな火となりつつあった。
◆◆◆
マリアンヌ皇暦一年、プラハの国民は新しい皇帝に対して深い興味を示していた。皇帝の代替わりは百年以上ないため、生きているうちに経験しないこともある。また今回は初の女帝ということで注目度は段違いであった。これはプラハ帝国内で様々な報道媒体が発達したことにも起因していたが。
「セフィラ、ちょっと聞いてもよろしい?」
「何? どうしたの?」
「どうして私を皇帝に選んだのかしら」
「選んだのはアウレリアだよ」
「でも加護を与えてくれていたでしょう? 次の皇帝候補として。ローグと同じように」
皇帝の血族が多くなった現代では、セフィラも目を留めた者に等しく加護を与えている。そして次期皇帝候補としたあと、競わせるのだ。
加護を与えた後はセフィラの裁量で好きなように加護を取り上げることもできるため、脱落した者から加護は失っていく。そういう意味で、マリアンヌは最後までセフィラに気に入られていた人物ということだ。
「んー……マリアンヌは可愛いし」
「そ、それだけですの?」
「うそうそ。ちゃんと相応しいから選んでるよ」
揶揄うように笑うセフィラを見て、マリアンヌもホッと胸を撫でおろす。
「マリアンヌはね、ローランの思想に近かったんだ」
「もしや初代様のこと?」
「うん。ローランは私がいくらでも力を上げるって言っても、必要以上に求めなかったの。それどころか人の力を見せてやる、見返してやるって感じでね。だから気に入ったの」
「ウルへイスの誓いですわね!」
「なにそれ?」
「初代様とセフィラの出会いを歴史ではこう呼びますの」
「へー」
セフィラは全く興味がなさそうである。
ただマリアンヌからすれば歴史の生き証人だ。興奮もする。
「マリアンヌは自分たちの、国の内側を強くしようとしているよね。それって人の力を信じているからでしょ? 私はそういうのが好きなの」
「……ローグはセフィラの力を利用して世界征服しようとしています。私に加護をくれた条件と反していますわ」
「ん。あれはあれで面白い子だからね。私をしっかり利用して国を強くするつもりなんだよ。強かなところがローランと重なったの」
「複雑ですわ。初代様と比べて半人前と言われているようで」
「マリアンヌはこれからだよ」
慰めにもならない、軽い口調であった。ただセフィラはこういう性格なので、マリアンヌも諦める。これからは皇帝としての重い立場もあるのだ。全てを真に受けていたらやっていられない。
「エドリックもいいところ行っていたんだけどね」
「軍事や外交面では頼りになる人ですわ。アルザード州に留学経験もありますし、ほど近いウルへイス地方を上手くまとめてくれるでしょう。実力は確かですもの」
「そーだねー」
「私も法整備と内情固めに着手しなければなりませんわね!」
新しい皇帝の手腕は注目の的だ。休む間もない。
マリアンヌは再び、執務へと戻った。
◆◆◆
赫魔の活性化はおよそ四十年前から始まった。十代目聖守ネオンおよび隻腕の英雄ルークの活躍により、一度は姿を消した赫魔。しかし再び世に姿を現したとき、その力は以前と比べ物にならないほど増していた。
「みなさーん。お仕事ですよー。新しく発見された影の領域の破壊なのです!」
事務所に駆け込んできた社長の姿に、ネロの社員たちは溜息を吐く。
彼らの顔からは疲れが滲み出ていた。
「また影の領域ですか?」
「なのですよ!」
「嫌ですよ。いい加減その手の仕事を取ってくるのやめませんか? いつも思いますけど報酬に見合いませんって」
「傭兵会社なんですからどんな仕事でも危険は同じなのですよ。でもどうしても別の仕事がいいって話でしたら聖フィルの塔に近づく魔族の討伐任務、北の魔物討伐任務、蟲魔域の内部――」
「影の領域でいいです」
碌な仕事がない。
ほぼ全員が思ったことであった。
「あの、シュウ隊長」
「なんだ?」
皆が落胆する中、新人のアルネは己の上司に尋ねる。
「あまりいい仕事がないんですか?」
「どの仕事でも命の危険に変わりはない。それなら慣れた仕事の方がマシってことだ」
「世知辛いんですね」
「どちらにせよ、今回俺たちは外れる。前回の任務に出たからな」
「仕事は交代制、ですよね」
「それだ。精々、次の仕事でいい案件が回ってくることを祈っておけ」
「……それって星盤祖に祈ってもいいです?」
「信仰は人それぞれだ。好きにしろ」
傭兵会社に入ってきた割には真面目だな、などとシュウは感想を抱く。ただすぐに興味を失い、手元の紙束を眺め始めた。
(アルザード州側で赫魔の群れか。これまでと少し違う動きに見えるな。第一分室に詳細調査させるか。いや、管轄外だが第二分室に頼むか。今は皇帝が変わって第一分室も忙しいだろうし)
プラハ帝国は今やセフィラの領分だ。あまり手を出し過ぎても過保護になってしまう。ほんの少し考えて、調査の指示はしないことにする。
「赫魔って無限に出てくるのでしょうか。止めなければいつまでも戦いは終わりません。三百年前はどうやって止めたんでしょう……」
「今回は状況が違う。赫魔は進化している。奴らは三百年前に敗北し、学習した。より強くなって、人間を踏破するために深淵の底からやってきた」
「なんだか怖いですね。倒せなかったら強くなって戻ってくるなんて」
「人間だって同じだろ」
そう言われるとアルネも黙るほかない。特にシュリット神聖王国は敗北の歴史を幾つも積み重ねている。そもそもシュリットは敗北者の集まりだった。西グリニアという大国から追放された人々が作った国家である。その後も魔族や魔物に何度も敗北を繰り返している。
だが一方で、敗北の度に力をつけ、より大きく成長している。
「そう怖がることはない。この前の影の領域破壊作戦でも、新兵器を見ただろう? 今はまだ危険が伴うが、いずれ楽な仕事になる。その時、多くの実績を持っている方がいい。アイリスはそこまで見越している」
「しゃ、社長……!」
アイリスを見る目が尊敬を帯びている。
ただその寿命も精々三日程度だろうが。
「休暇中は訓練だ。ダレるなよ」
「はい!」
赫魔の活性化は今までにない混乱をもたらす。シュウもまた、大きな変革を予感していた。ただそれは思ったより早く、急激に訪れることをこの時はまだ知らない。
◆◆◆
アルザード州を視察することにしたエドリックは、戦場の凄惨さを目の当たりにした。赫魔は深淵渓谷から現れ、地上に影の領域を作り出す。そこで繁殖し、大群となって襲い来る。北より押し寄せる赫魔を防ぐため、アルザード州は常に疲弊していた。
「……留学していた頃よりさらに酷い。王都ですらこの有様とは」
「支援がなければとっくに戦線も瓦解しております。エドリック殿下には是非、この惨状をご理解いただけますと幸いでございます」
「ああ、よく覚えておく」
物価は高騰し、多くの物資が配給にとって賄われている。高貴な身分であろうと買い占めようという動きを見せれば罰せられる緊急法まで整備されたほどだ。
人々からはすっかり笑顔が消え、どこか湿度の高さを感じさせる。
少し街並みを見て回っただけだが治安が悪化しているようにも思えた。
「帝国本州からの支援は不足しているようだ。新しき皇帝にもご報告しなければ」
「感謝いたします」
「ああ、後でアルザード王とも面会する予定だ。正式なところはそこで決めよう。ところで、一つ不穏な噂を聞いた。邪教なるものが流行っているそうだな」
「……はい。お耳汚しを。大変申し訳ございません」
「豊穣の祈りを疑ってしまうのは私たちの不徳といたすところだ。女神の豊かさは国の隅々まで届けなければならないというのに」
アルザード大使、すなわち現王の息子は少しばかり驚くような仕草を見せた。というのも、エドリックは苛烈な男として噂を聞いていたからである。帝国の軍事方面で顔が広く、世界統一構想の提唱者でもあったからだ。このような細やかな気配りのできる人物だとは思わなかった。
「それで邪教とはどのようなものだ?」
「実は邪教というのは上層部の中での隠語のようなものなのです。実態は赫魔と戦う傭兵団の一つとなります。彼らは独自の神を崇めているらしいのですが、実力も民草からの信頼も非常に高いと評判です」
「なるほど。それで、独自の神とやらに目を奪われる民がいると」
「はっ! お恥ずかしながら」
少しだけ、エドリックは考えを巡らせる。
勿論、話題の邪教の件だ。
(あまり良くない流れだ。『本物の神』を知らしめなければ国家の分裂を招く)
思想の多様性、というものについてエドリックは懐疑的な立場だった。
確かに様々な思想はあって然るべきである。しかしながら、確かな柱となるものは一つでなければならない。大きさも形もバラバラの柱で、国家という巨大な屋根を支えることはできない。必ずどこかで綻び、そこから砕けていく。
(マリアンヌは甘い。皇帝になれなかったことは痛いが、ならばこそ目の届かぬところを私が締めねばならない。今や彼女こそが帝国の確かな柱。私が異なる柱を立てては……思考がずれた)
首を横に振って余計な考えを振り払った。大使には怪訝な顔をされてしまったが、それも何でもないといって誤魔化した。
「邪教の話は詳しく聞いておきたい。できれば当人とも直接会いたい」
「それは……危険では?」
「分かっている。しかし放置はしておけまい」
「承知いたしました。何か手を考えて手配しましょう」
かなり難しい話だったが、大公の頼みを無碍にすることはできない。
「頼みたい」
そしてエドリックもまた、予想だにしなかった。
この頼みが全ての転換点になるとは。




