619話 プラハ帝国五代目皇帝
かつてプラハ・シュリット・封魔三国会談が催され、特にプラハ帝国とシュリット神聖王国は赫魔を討つための同盟関係を結んだ。一時的とはいえ手を組んだ二国は、赫魔を積極的に討伐していく。協力して深淵渓谷を囲む戦線を作り上げ、包囲しつつ殲滅していったのだ。
それによって赫魔は大きく数を減らし、追い詰められていく。
プラハ帝国において、三代目皇帝イシュヴァル=ラー・ファルエル・パルパティアの最も偉大な功績の一つであると言われた。
「残念なことだ。先代の偉業を私がなかったことにしてしまうとは」
「陛下、そのようなことはございません」
「いいや。私の力不足ゆえだ」
当時からおよそ二百七十年経ちプラハ帝国の皇帝も次代に引き継がれている。イシュヴァルは武力を示した強烈な皇帝という印象であった一方、次の皇帝の治世は穏やかなものであった。
国内開発、外交、経済的な国際進出など、地味ではあるが細かな成果を積み上げた皇帝。
それが四代目、アウレリア=クルス・ファルエル・パルティアである。
「セフィラ、いるかね?」
「ん? どうしたの?」
「今日、次の皇帝を決めようと思う。長く……本当に長く悩んでしまった」
「そうだね。アウレリアほど優柔不断な皇帝は初めてだったかも」
「はは。君は厳しい」
床に伏せていた皇帝、アウレリアは弱々しく自嘲する。
彼はもう長くない。決して病に臥せっているわけではなかった。今がアウレリア皇暦二二三年であることを鑑みれば、実に健康的な皇帝であったと言えるだろう。歴代と比較して圧倒的に長い皇暦を保持しているのだから。
ただ如何にセフィラの加護があっても、老衰はいずれやってくる。
アウレリアに訪れていたのは、抗いようのない終わりだった。
「私が次の皇帝を決めかねていたがゆえに、私の代は無駄に長くなってしまったようだ。床に臥す私は、もはや実務などしていないというのに」
「でも慎重な君らしいよ。平和な時代にはアウレリアみたいな人が相応しいって、イシュヴァルも君を皇帝に指名したんだから」
そう慰められてもアウレリアの気は晴れなかった。ここ二十年は目立った成果もなく、経済的な停滞も見えつつある。外国の動向に影響を受けてしまったという理由もあったが、そんなものは言い訳にならない。アウレリアは自分が無能な皇帝だと酷く卑下していた。
せめて次の皇帝は最上の人物を選ばなければならない。優秀な皇族に幾つか仕事を与え、その適正を見極めさせ、長い時をかけて候補を絞り込んだ。
「セフィラ、あの二人を呼んでくれないか」
それが誰と誰を指すのか、セフィラもよく知っていた。
◆◆◆
プラハ帝国の歴史は長く、それに伴って社会的な発達は最も進んでいる。人々は豊穣の祈りによって豊かな生活を送り、飢えや渇きを恐れる必要がない。子供たちは一律の教育を受けることが可能となって、国力の底上げが叶った。
だが民衆の教育が進むということは、国家の未来や政治について興味を持ち始めるということでもある。
したがって初代皇帝の頃とは異なり、次代の皇帝選定には民意とて無視できないものとなっていた。
「久しぶりですね」
「ああ、いつぶりか。こうして顔を合わせるのは」
城の中で、同じ年ごろに見える二人の人物が顔を合わせた。
あらゆる政治機能が集約されているため、オルテア城は実に巨大だ。三本の摩天楼からなる皇城では、皇族たちも意図しなければなかなか顔を合わせることもない。
「マリアンヌ、君はいつも澄ました顔をしているな。流石は皇族一の美女と騒がれるだけはある」
「それが関係あるのですかローグ」
「エドリックと呼べ。君はそう呼ばれる間柄にないはずだ」
「……昔は呼んでいたでしょう。あなたも私を、ホリーと」
目が覚めるほどの笑顔でマリアンヌ=ホリー・スレイン・パルティアが返す。するとエドリック=ローグ・スレイン・パルティアは苦々しい表情を浮かべていた。
「聞いたかマリアンヌ。陛下がようやく帝位をお譲りになると」
「ええ。近いうちに、ということでしたが。どうやら時が来たようですね」
「私は譲る気などない。必要なのは力を示すことだ」
「私も譲りません。重視するべきは思想の安定です」
「意見は変わらないか」
「赫魔の動きもあります。今は示威的な態度で外交に臨むことが最適とは思えませんね」
二人は対面するなり、すぐ険悪となった。
それもそのはず。その名に『スレイン』の称号が与えられている通り、二人は次期皇帝候補だ。実力は甲乙つけがたく、それぞれの主張もまた民意を二つに割っている。
「分かっているでしょう? ここでの議論は無意味です。陛下の前で、この続きを」
「望むところだ」
それから一切の会話が途絶える。
今日、プラハ帝国の次世代が決まる。その噂は密かに広がり、オルテア城をそわそわさせていた。
◆◆◆
プラハ帝国がまもなく次の皇帝に代わる。そんな噂は周辺国家にまで及んでいた。今やプラハは大陸に名を轟かせる大国である。その影響力は極めて大きく、次の皇帝次第で各国は様々影響を受ける。
シュリットでも民間メディアが酷く騒いでいるほどだった。
「シュウ隊長、プラハの次の皇帝って二人も候補がいるんですよね」
「ん? よく知っているな。興味あるのか?」
「勿論ですよ。うちの国も影響受けますし」
装備品の整備をするアルネは不意に話題を振る。銃を分解清掃して、手際よく組み立てる合間の話だ。本当に雑談程度のつもりらしいが、ネロとて無関係ではいられない。ハデス傘下の傭兵会社なのだから、政治的な影響は強く受ける。
「候補者は知っているのか?」
「はい。新聞でもよく議論されていますし。うちの国としてはマリアンヌ殿下が望ましいみたいですね。エドリック殿下は外国に対する強硬姿勢が度々騒がれています」
「ああ。そうだな。うちの会社としてもエドリック……殿下が皇位を継ぐのはよくない。あくまでうちはプラハ資本だからな。本国の政治的な姿勢次第で撤退も考えなければならなくなる」
「戦争になるかも、ってことですか?」
「さて。そこまで考えているかどうかは分からないがな」
ハデスグループはかつての条約によってシュリットに入り込んだ企業である。今でこそシュリットにも馴染んでいるが、本社はプラハ帝国内だ。もしも国際的な緊張度が高まれば、ハデスグループそのものが動きにくくなる。戦争ともなれば撤退しなければならくなるだろう。
「ただプラハ国内では一定の支持もある。豊穣の祈りは知っているか?」
「たしか三つの神を崇めるプラハ固有の宗教ですよね」
「……まぁな。それを世界に広め、世界を一つにしようとしている。手始めにルーイン氏族連邦を州として取り戻し、封魔議長国連邦を傘下に収め、アスランをも支配する。最後にシュリットってな。聖教会と豊穣の祈りが二大宗教と呼ばれているのは知っているか?」
「つまりその戦いに勝利することで、ただ一つの教えにしようとしている……そういうことですか?」
「そういうことらしい」
「なんて勝手な!」
思わずアルネは憤慨した。彼女は生粋のシュリット人だ。聖教会の教えや星盤祖を捨てるなど考えられない。必ず、強く抵抗する。
「主にアルザード州や、本州のウルへイス地方で支持されているらしいな。あそこは赫魔や魔族との最前線だし、ウルへイス地方は豊穣の祈り発祥の地だ。そのあたりの民衆はエドリック殿下を支持する割合も多い」
「えっと……プラハ帝国って他にべリア州があるんでしたっけ?」
「ローラニア州もな。昔は不浄大地って呼ばれた不死属系に汚染された土地だった。開拓が進んで、本州直轄から新たにローラニア州になった。初代皇帝の名から取られているそうだ。本州のウルへイス地方以外、ローラニア州、べリア州がマリアンヌ殿下を支持する地域だな」
州の数、民衆の数でいえばマリアンヌが優位だ。
それにもしも彼女が皇帝として選ばれた場合、初の女帝となる。それは歴史的なことだ。女性の社会進出において大きな進歩になると予想する者たちも多い。
「最終的に決断するのは皇帝だ。国の行く先をどのようにするのか。最後の仕事だな」
銃を組み立て終えたシュウは、それを丁寧に収納ケースへと入れる。そしてアルネの方を向き、指差した。
「手が止まっているぞ」
「あ、すみません」
アルネもまた、急いで組み立てた。
◆◆◆
マリアンヌとエドリックにとって、人生でこれほど緊張したことはなかっただろう。現皇帝、アウレリア=クルス・ファルエル・パルティアの床の間で、決断が下される時を待つ。心臓は高鳴り、手には汗が滲んでいた。
「陛下。お二人の功績は目を見張るものがあり、比較するのは難しいでしょう。皇帝としての器は間違いございません。後は思想こそを重んじるべきです。この歴史あるプラハ帝国をどのようにして強くするのか。それを問うことこそ、最後の決断に必要なものでしょう」
「うむ……その通りだ」
皇帝の側近、プリマヴェーラの言葉に深く頷く。すっかり体が弱っている彼は、身体を起こすことすら難しい。そこで二人の後継者候補は、左右に分かれてベッドの傍に座していた。
「まずは……ホリー」
「はい」
「君の思い描くプラハ帝国とは、何か」
「私は国家としての文化的成熟にこそ力を入れたいと考えています」
「それは何故だね」
「プラハの国民は平等に教育を受け、一市民ですら常日頃から多くの情報を手に入れられる状態にあります。多くを知り、多くを議論し、新しい概念を生み出し、その是非を問う。それによって社会の在り方は移り変わりつつあるのです。たとえば女性たちが機会の平等を求める運動をご存じですか?」
アウレリアはほんの僅かに頷くような仕草を見せた。
女性運動の広がりは力強く、皇帝の耳にまで届いている。それは政治的な部分にもかかわってくるからだ。
「今や女性は子を産み、家を守るだけに留まりません。外に出て働き、男性と同じように糧を得ます。ですが未だ女性と言うだけで制限を受ける部分は大きいのです。たとえば官僚試験はそもそも女性に受験資格がありません。同じ職でも給与は男性の方が多い。そもそも女性は嫁入りし、家にいるべきという固定観念を押し付けられ、実質的な高等教育を受ける機会にありません」
「それが、社会に必要なのか?」
「必要です。陛下の時代に、プラハ帝国で奴隷という制度は廃止されました。ですがしばらくの間は元奴隷民という差別的な扱いを受け、非効率的な仕組みは残り続けたのです。元奴隷専用の飲食店、衣服店、専用の歪な税制度。果てには元奴隷民は大通りの利用禁止など。そのために社会は制約を受け、発展に歯止めがかかってしまいました」
「……ああ、あれは私の失敗だった」
「いいえ。決して失敗ではありません。確かに人々が新しい社会に移り変わる過渡期は混乱も大きかったのでしょう。ですが私たちは学んだのです。差別的な制度は、今の社会の発展を阻害すると」
身分を区切り、支配構造を作り、人を駒のように動かす時代は終わっている。市民は平等に知識を学び、自ら動く時代になった。ただ命じられるがままに国家を形成する在り方は過ぎ去ったのだ。
それがマリアンヌの主張であった。
「初めは痛みも大きいでしょう。未だ旧奴隷制度の影響は社会を蝕んでいます。まずは国内の混乱を収め、市民の成熟した文化を育むことで国家を強くする。精神的な柱の補強こそ、私の理想です。文化的先駆者となることで国際的な場においても優位に立ち、剣ではなく言葉によって勝利する。そのような帝国を目指します」
「私の負の遺産を背負う覚悟があると。更なる重荷を背負う覚悟があると。そう語るのだな?」
「ええ。その通りですわ」
「いいだろうホリー。君の思う帝国の未来は理解した。ならば次はローグ」
ゆっくり、少し辛そうにしながらも首を反対に傾ける。
「ローグ、君の思い描く帝国とは何か」
「私はプラハ帝国を大きな力の象徴であると考えております。力とは権威、経済、そして武力。この中でも経済という点で私たちは支配者といえるでしょう。もはやあらゆる国家に我が国の企業が進出し、技術的優位を見せつけています。自国製品よりもプラハ製品を求める声は多いのです」
「うむ。先代、イシュヴァル帝の先見の明であろう」
「権威もまた、それに続くものです。今やプラハの名を知らぬ者は世界におりません。この世全てに轟く覇権国家となりつつあるのです。残るは何者にも侵されない、圧倒的な武力のみ!」
エドリックの言葉は力強く、まさしく力を求める声だった。
死の間際とはいえアウレリアですら気圧されるほど。既に皇帝に相応しい威を備えていた。
「私は皇帝となり、プラハを唯一の国家とします。他の全てを州として組み込み、完全な統一を成し遂げる。豊穣の祈りを唯一とし、文化を統制する。赫魔や魔族を滅ぼし、安寧の世を成し遂げる。私にはその計画があります」
「侵略するというのか?」
「いいえ。その必要はありません。我が国の支配下となるよう策を講じればよいのです」
「ローグよ。君は以前より東方に手を出していたな。君の手の者が動いたことで大きな騒乱が起こったと。私は知っている」
「ええ。ですがプラハ帝国派の国家が勢力を増しました。シュリットも大きな顔はできないでしょう。あの国を完全に包囲し、傘下へ入るよう誘導する。それで世界の統一は成るのです。全てが一つとなれば、争いもなくなる。それこそが私の考える帝国です」
危険な香りはするものの、夢がある。それがエドリックの語る帝国の未来であった。それも彼ほどのカリスマ性を有する人物が語るからこそ、説得力も増すというもの。アウレリアですら心の内に炎が灯ったような、熱くなる何かが込み上げてくるのを感じていた。
(だが次の皇帝は冷たい心を以て選ばなければならない)
呑気に浮遊するセフィラが目に留まり、冷静になれた。
豊穣の女神たる彼女は二人の人物を認めた。そのどちらにも同じ質量の夢と資質がある。違うのはその方向性に過ぎない。
帝国の未来をどうするか、選ぶのはアウレリア自身であった。
「ホリーは多様性と安定を。ローグは唯一性と発展を。それぞれ願うものは違えど、強き皇帝となるであろう。どちらかしか選べぬことを私は惜しんでいる。だがどちらかを選ばなければならない」
決断は下される。
マリアンヌもエドリックも、共に息を飲んだ。セフィラもまた、自由に浮かぶことを止めてアウレリアの言葉に聞き入っている。
空気が張り詰め、全員が次の言葉を待ち緊張した。
「次の皇帝は――ホリー、君だ。私は君にこそ帝位を渡そう。帝国は次の発展のため、力を蓄えている。ローグの考えもまた必要なものだが、今ではない」
アウレリア皇暦二二三年。歴代で最も長く皇帝を務めた男は、遂に皇帝の座を引き渡す。そして五代目となる皇帝は驚くべきことに女帝。
この二十日後には継承式が行われ、正式にマリアンヌ=ホリー・ファルエル・パルティアが皇帝の座に就いたのであった。
初女帝




