618話 傭兵会社ネロ社
クローディア自治領の最大都市セシリアスは祭りのように賑わっていた。それもそのはずである。赫魔の侵攻を退け、影の領域を破壊したのだ。それは大変喜ばしいことで、人々は皆勝利に浸る。
「生還に乾杯! なのですよ!」
ある酒場では、傭兵会社ネロが貸し切りでお祝いをしていた。戦いに参加した社員は全員が集まり、皆が杯を掲げる。社長の音頭で一斉に杯を打ち鳴らし、騒ぎ始めた。
「アイリス社長ー! 俺らの武勇伝聞いてくださいよぉ!」
「はいはい。聞いてますよ。貴族種を討ったのですよね?」
「そうなんすよ! 給料上げてくださいよ!」
「ちゃんと上乗せするのですよ」
「社長! こっちにも来てよ!」
「はーいなのですよー」
傭兵派遣会社ということもあって、基本的には男所帯だ。やはり女子は珍しいし、それが美人社長ともなれば人気になる。
アイリスは様々な席を周りながら社員たちの活躍話に加わっていた。
そんなテーブルの一つにシュウとアルネはいた。
「社長って……あんな陽気な人だったんですね。それに綺麗な人」
「意外か?」
「はい。とても」
「俺としてはアルネの方が珍しいが? その若さで女が傭兵なんてな。何歳だ?」
「今年で十五です」
「聖石寮の予備学生と同じくらいか。何でネロなんかに入ったんだ」
「いえ、その……あの……」
踏み込み過ぎたのか、アルネは口籠る。
こういった事情を語り合うにはまだ関係が浅かったらしい。シュウは空いたグラスに酒を注いでやる。
「まぁ話す必要なんかない。社員は大体、自分の過去は話したがらないからな。傭兵なんて職業に就く奴はどこか後ろ暗い過去の一つや二つ、持っているもんだ」
「……隊長も、ですか?」
「ん? 色々とな」
シュウもまた詳しいことを口にするつもりはない。周囲の喧騒とは対照的に、二人の間には沈黙があった。少し気まずくなったので、シュウの方から話題を変える。
「そういえば実戦はどうだった。生き残った感想は?」
「あ、はい! なんだか夢心地です。あれが赫魔なんですね。私、シュリッタット育ちで学生時代もヴァナスレイにいたんです。だからこんな戦いがあるんだって知識で分かっていても実感がなくて」
「赫魔は怖かったか?」
「初めは。でも作戦で頭がいっぱいで、段々と麻痺してました。でも今思い出すとやっぱり怖いです。あんな獣に追い回されるなんて……今夜の夢に出てきそうで」
「ふ……繊細だな。やっていけるか?」
「が、頑張ります……」
お酒を口にして火照ってきたのか、彼女の頬は真っ赤だ。
首筋にも汗が浮かんでいるように見える。
「ちょっと暑くなってきましたね。飲み過ぎました」
「上着を脱げばいいだろ」
「いやぁ……そのぉ……肌を晒すのはちょっと……」
「まるでお嬢様だな」
「そそそそんなことありませんよ!?」
冗談なのか、本当に慌てているのか、そこを探るのは野暮だろう。それに邪魔も入ってきた。
「シュウさーん。女の子を口説いているのです?」
「そう見えるならお前の目は節穴だ」
「酷いのですよー」
「社長!? え? 社長!?」
背後から飛びついてきたアイリスを、シュウは丁寧に引き剥がす。そのまま隣の席に座らされると、彼女は適当に飲み食いを始めた。当然、アルネは目を白黒させて驚く。
「アイリス、こいつが例の新人だ。発信機を人面樹に撃ち込んだ作戦の功労者だよ」
「ああこの子がそうなのですね。大手柄なのですよ。ちゃんと報酬上乗せするから期待してくださいねー」
「は、はい。恐縮です」
「お堅いですねー」
「お前が社長だからだろ」
「ネロじゃそんな気にしないのですよ」
「アルネは新人だからな。まだ空気感が分かってない」
「すぐに慣れるのですよ! 期待しているのです!」
それだけいってアイリスは別の席へと移っていった。まるで嵐のような人物で、アルネは未だに現実へと戻ってこれない。
「なんだか……凄い人ですね」
「言葉を選ばなくていいぞ。素直に頭が悪そうだと言っても」
「言いませんよ!?」
「冗談だ。それにああ見えてもあれは天才だ。ネロの社長としての腕前は心配するな」
「はい。心配はしていません。福利厚生は最高ですし、支給される装備品もハデス製の最上級品ばかり。ここがいい意味で普通じゃないことは分かっています」
「それはそうだ。ネロはハデスグループ傘下の会社だからな」
「え……? 初耳です」
「傭兵会社なんて一般には需要がないし、知らなくて当然か。そもそもアルネはよく入社できたものだな。表立って募集なんかしていないのに」
「知り合いの伝手で教えてもらいまして……」
ネロを紹介できる人物となると、聖石寮や王政府軍の関係者だろうか。かなり絞られてくる。アルネは身元を隠したがっているようだが、ついうっかり個人情報に繋がるような単語を落としてくれる。
もしかしたら酒が入って口が軽くなっているのかもしれれないが。
「誰だか聞いても?」
「ロマノ・スウィフトさんです」
「スウィフト家か。二十年前に聖レベリオから亡命してきた軍派閥の貴族だな」
「よくご存じなのですね。シュウ隊長の若さだとまだ子供の頃ですよね」
「……王都ルーク事変は有名だ。あれで聖レベリオ王国は実質崩壊したからな。今は統一アスラン王国になったんだったか?」
「そうです。あの二国は共に祖を同じとするレビュノス王家で、ずっとどちらの王家が正統支配者なのかを言い争っていましたから」
大陸東部はここ数十年で大きく変わった。
かつてルーク・レビュノス王を祖とする聖レベリオ=アスラン王国は、彼の息子の時代で分割された。しかし両国は非常に仲が悪かった。というのも、初代王と同じく両レビュノス王家は唯一の王家として二重王国を治めようとしたからである。
聖レベリオ王国の背後にはシュリット神聖王国が、アスラン王国の背後には封魔議長国連邦を介してプラハ帝国が存在していたので、火種は燻っていた。
「確か聖レベリオの有力貴族は多くが処刑されたんだったな」
「一部はシュリットに亡命して、今はこちらの貴族になっています。当時は聖レベリオ奪還を求めていたみたいですけれど、丁度……その、赫魔が活性化した時期で」
「ああ……よく知っているな。歴史が好きなのか?」
「一般教養の範疇です」
「優秀だな」
そんなことはない、とアルネは謙遜する。しかし隠し切れない知性が会話の端々から溢れ出ていた。シュリットでも教育の義務化が浸透して久しい。教育の充実こそが国力を高めるというプラハの考えを取り込み、一定年齢の子供に対して様々な教養を与える学校が誕生した。
科学、経済、武術、魔術、そして歴史などの基礎は誰もが手に入れられる知識となった。そこから高等学校に進むかどうかは個々人の実力や経済力に委ねられる。統一アスラン王国などの外国史にも知識があるアルネは、間違いなく高等学校水準だった。
(スウィフト家の伝手といい、充分な学力といい、いいところのお嬢か? そんなのが十代で傭兵会社に飛び込みとは……訳アリみたいだな。普段単独で動いている俺にアルネを付けたのはアイリスの判断だ。ということはあいつは何か知ってるのか?)
当初は若手新人に対する過保護だろうと考えていたが、もっと政治的な理由を孕んでいる可能性もでてきた。アルネという少女には何か秘密がある。
「アルネ、今日の内に色々な奴と話しておけ。俺たちは戦場で背中を預ける仲だ。彼らと友好を深めておくことも命を守ることに繋がる」
「は、はい!」
「分かったらあっちの席にいってみろ。あいつは麦酒が好きだから、注いでやれば機嫌がよくなる」
「やってみます! あ、隊長はどうですか?」
「俺も別の席に行く」
夜が更けてもセシリアス市は騒がしくなっていく。
だが喜びだけがこの都市を占めているわけではなかった。
◆◆◆
クローディア自治領はシュリット神聖王国の傘下にありながら、非常に歴史が古い。深淵渓谷に潜む赫魔への盾として存在し続け、シュリット神聖王国に対して多大な貢献をしてきた。
赫魔との闘いの歴史を支えてきた一族こそが、セシリアス家であった。
「――どうか首を縦に振ってくれませんかセシリアス公。いえ、こう言いましょう。第七十八代王アランデル・セシリアス・ラ・ピテル陛下」
「ロマノ君、私は何度でも言うよ。私の役目ではない」
セシリアス大公は優し気だが、どこか困ったような表情を浮かべていた。しかし対面に座るロマノは必死さのあまり強くテーブルを叩いてしまう。
「私たちは時を経て再会しました。これは運命ではないのですか! あなたがそう仰っていたではありませんか」
「これは運命だった。しかし先に続くのは君の望む運命ではないよ」
「ッ! あなたに何が分かる!」
「分かるとも」
そう強く言われるとロマノとて言い返せなかった。セシリアス家の力はロマノがよく知るところだ。ラ・ピテルにおける最も象徴的な能力、未来視である。
だがロマノとて引き下がれない。
「……ならばこそ理解していただきたい。今、我々は力を欲しているのです。赫魔どもが広げる影の領域でクローディア自治領も被害に遭っているはず。それに魔神バアル・ゼブルは多大な犠牲を払って封印している状況です。十五年前に二十代目聖守アロセスが命を賭けて魔神の封印を強化しました。しかもそれ以降、新しい聖守は誕生していない。どういうわけか、新しい聖守の預言がないまま十五年が経ってしまいました。だから魔の脅威に対抗する別の力が必要なのです。我らが祖の力、黄金要塞の力が!」
力強い言葉で語りかけ、説得を試みる。
だがこれでもアランデルは頑として首を縦に振らなかった。
「何度でも言おう。幾たびでも繰り返そう。私の役目ではない」
ロマノは酷く落胆した。
彼はもはや何も言うことなく、立ち上がって一礼する。そのまま出て行ってしまった。無礼な行いだったが、アランデルは決して咎めない。真っ白な髭を触りつつ、どこか憂いを帯びた目をしていた。
「青いな。しかしいずれ分かる。君は鍵を握る人物だ。いずれ望みも叶うだろう。しかしそれが幸福な道とは限らんのだ。不幸な道へ進もうとする子をどうして見逃せようか」
彼の右目は宝石のように青く輝いていた。
◆◆◆
ヴァナスレイは初代聖守の名を冠する、シュリット神聖王国で第二の首都ともいえる都市である。聖石寮本部を構えるという性質上、軍事的な役割が強い。次世代の聖石寮幹部を輩出する予備学校は勿論、様々な軍事関連企業が集まっている。
だがその力の象徴たる聖守は不在。
養成中というわけでもなく、本当の意味で不在だった。
「ダンカン最高神官殿、改めてお伺い申し立てる。二十一代目聖守様は本当に預言されていないのですな?」
強く責め立てるような口調で聖石寮本部長が問いただした。
しかしながら対面する最高神官は、ただ困ったような、戸惑ったような表情を浮かべるのみ。勿論、返答はいつも通りで変わらない。
「何度も申し上げますが、預言はなかったのです。先代の聖アロセスはその身を犠牲にして魔神バアル・ゼブルの封印を強化しました。本来であればその日、その瞬間に新たな聖守が告げられるはず。ですが二十一代目を告げ知らせる『声』はなかった……」
「くぅ……」
小さく唸る本部長は、両腕を振り上げて力強く叩きつけた。テーブルは壊れるかと思うほど揺らされ、お茶が零れる。
「……十五年。十五年が経った。本来ならば新しい聖守をお披露目せねばならない年だ。だが我々には聖守様がいらっしゃらない。どうすればよいのだ。どう説明すればよいのだ……」
「分かりません。主は答えてくださらないのですから」
「見放されたというのか。我々は」
「いいえ。星盤祖は大いなる力。決して私たちから離れません」
「だがそうとしか思えない!」
本部長は頭を抱えていた。激しく掻き毟り、そのせいでパラパラと髪の毛が抜け落ちる。相当なストレスなのだろう。心なしか、以前より痩せているように感じられた。
ダンカンとしても彼の有様は痛々しかった。
「本部長殿……」
「ああ、確かに我々は情けない限りだ。十五代目の聖グランベル以降、五人の聖守様が現れた。聖パラドリアル、聖ベル、聖フィル、聖リリアーヌ、聖アロセス。だが彼らは皆、活動から四年と経たずに亡くなられてしまった。星盤祖は情けない聖石寮を見放されてしまったのだろうか」
「そのようなことはありません。聖石寮は力の限りを尽くし、信仰を示されたではありませんか。彼らは皆、魔神バアル・ゼブルへと果敢に挑んだ者たちです。特に聖フィルは封印まで成功させました。まさしく魔神討ちの大英雄、聖ネオンにも匹敵する偉業です」
しかしこれらの言葉は慰めにもならない。何度も聞かされ、いい加減飽きてきた。聖石寮にとって重要なのは、やはり今代の聖守だ。過去の栄光ではない。
民は物語の英雄ではなく、自分たちを助けてくれる救世主を求めている。
「分かっているでしょうね本部長殿。魔神は……」
「倒してはならない、だろう? 理解している。だから封印という手段が有用であることも。だが民は真実を知らんのだ。まさか今更情報公開するわけにもいくまい。魔神バアル・ゼブルの正体がかの大英雄たちであるなどと」
「……そうですね」
「赫魔のことも忘れてはならん。再び女王が動き出した。人々は英雄を求めている。何でもいい。希望の光となる英雄が現れてくれと私も望んでいる」
現れるべき聖守が預言されない。
その苦しさをシュリットは抱えていた。




