617話 影の領域
続けて5章スタートします。
100年くらい飛ばしますよ~
黒い空、赤い光、爆音と絶叫。
鼻に突くのは血の匂い。肌には死が張り付く。
鋭敏な五感が戦場を鮮明に感じ取ってくれる。
「はぁッ! はぁッ!」
「どうした新人。怖くなったか?」
「いえ! 行けます!」
「キツイときは深呼吸しろ。まずは落ち着け」
新兵は言われるがまま、何度も深い呼吸を繰り返す。支給されたばかりの装備品は汗でぐっしょりと湿り、血や肉片、そして硝煙の匂いが染みつく。
まだ幼さを残す顔は煤で汚れ、何度も拭った跡がついている。
その一方で上官は驚くほど身綺麗で、戦場における実力差が如実に現れているようであった。
「落ち着いたか?」
「はい」
「なら作戦を言ってみろ」
「私たちはクローディア自治領で新たに発生した『影の領域』を破壊するために――」
「違う」
少し強い否定の言葉を浴びせかけられ、新兵は肩を揺らした。
「俺たちがするべきは影の領域の破壊じゃない。影の領域を生み出す赫魔の巣を発見し、座標を特定することだ」
「わ、分かっています! 私はただ前提を――」
「だったら簡潔に説明することだ。戦場でだらだらと知識を披露する暇はないぞ。ここは学校じゃない。お綺麗な聖石寮と同じだと思うなよ。俺たちは傭兵だ」
ぴしゃりと叩きつけられた正論で、新兵は酷く肩を落としているようだった。ただ上官はそんな新兵の肩を軽く叩き、小さな塹壕から外の様子を観察する。
「ほら見ろ。別動隊も戦っている。俺たちも前に詰めるぞ」
「ッ! 分かりました! いつでも行けます!」
「新人の割には思い切りがいい」
「私、こんなくらいじゃ落ち込みませんから!」
「兵士種が正面左側の部隊と激突中だ。俺たちは横っ腹を突く。準備はいいな?」
「はい!」
二人は同時に塹壕から飛び出し、身を低くして前へ前へと詰めた。新兵は前に飛び出し、新型の魔術銃を構える。引き金を引けば指先ほどの小さな火球が連射され、前方で爆発を引き起こした。
横方向から不意打ちされた赫魔の群れは混乱し、統制を失い、容易い的になり果てる。
「よくやった新人」
上官は軽く跳び、その一瞬の内に混乱する赫魔の中から目的の個体を見つけ出した。兵士種を統率する騎士種である。
そして銃もなく手元に青白い火球を生み出し、発射した。火球は寸分違わず騎士種の頭部に直撃し、大爆発で周囲ごと焼き尽くす。勿論、標的は木端微塵だ。
「ここはあいつらに任せればいい。俺たちはもっと前に出る」
「でも私たち二人だけじゃ……」
「心配するな。それに死を恐れる必要はない。俺のいる場所が最も安全だと教えただろう? それに新兵、一度くらいは赫魔の巣をその眼で見ておけ」
二人は隠れながら戦場の奥深くへと食い込んでいく。非常に危険な行為だったが、この二人のために他の部隊は奮戦しているのだ。恐れをなして隠れているわけにはいかない。
赫魔の多くは味方が引き付けてくれている。
しかし、やはり完全ではなかった。
「ッ! 前方に赫魔が!」
「奴隷種か。あれは知能が低い。俺たちに匂いで寄ってきただけだ。このまま進め」
「無茶苦茶です……」
奴隷に区分される赫魔は等しく獣だ。知能はなく、本能だけで動く。血肉の匂いを感じ取り、殺し尽くすために戦う。少なくともここで戦って時間を浪費してよい相手ではなかった。
上官は魔術で空を飛び、新人も地面を割るほど蹴って高く跳躍する。迫る赫魔の群れは軽く飛び越え、再び走り出した。
「追ってきますけど!?」
「無視だ無視。いいから走れ」
「ああもう!」
赫魔は背後から追ってくる。新人は怖くて振り返ることができない。いつ、その爪が背中に突き立てられるのかと恐怖し、足を速めた。
唸り声が耳に届く度に心臓が高鳴り、頭の中を恐怖が埋め尽くしていく。
戦場の高揚がなければ身体が動けなくなっているほどだ。
「見えてきた。目標を発見した」
「はぁ……はぁ……」
「喋る余裕もないか。さっさと発信機を撃て」
「……ぃッ!」
疲労困憊の中でも訓練で染み込んだ動きは淀みがない。新人は腰に下げた小型の銃を引き抜き、目の前の目標に向けて引き金を引いた。
スポン、と間抜けな音がして発射物は弧を描く。
それは見事に目標の、赤黒い大木へと直撃した。
「やった……」
「いいぞ新人。大手柄だ。あとは生きて帰るだけだな」
「でも、赫魔が」
「心配するな。これがある」
新人は目の前に突き出された六枚の札を見て理解した。
「あ、術符」
「そういうことだ」
淡く輝いた六枚の術符は、一瞬にしてただの紙へと戻る。だがそれを代償として迫る赫魔の群れを大爆発で吹き飛ばしてしまった。後には燃え盛る炎が残り、辛うじて生き延びた赫魔たちを焼き尽くしていく。
「そんなものがあるなら先に使ってくださいよ」
「これは帰りの道を突破する用だ。作戦の終わりまでを見通して手札は使え。そうしないと装備切れで死ぬぞ」
「はい……」
「反省会は無事に帰ってからだ。まずはここから離れる。発信機は人面樹に貼り付けた。本命の攻撃がそろそろ来る。巻き込まれたくはないだろう?」
「はっ! そうでした! 早く逃げないと!」
上官は懐から小型の銃を取り出し、真上に向けて引き金を引いた。小さな衝撃と共に光の軌跡が昇っていき、やがて破裂する。放たれる強烈な光によって、不気味な暗さの戦場は昼間のように明るく照らされた。
「閃光信号も出した。撤退するぞ。俺たちネロの仕事は終わりだ。あとは王政府軍に任せる」
「はい……シュウ隊長」
暗黒暦二一〇四年。
シュリット神聖王国およびプラハ帝国は再び赫魔による侵攻によって悩まされていた。それぞれの国家は自国を守るために技術力を高め、また戦力需要から傭兵を派遣する民間軍事会社も増えていく。その中でもハデスグループ傘下、軍事会社ネロは特にシュリット神聖王国から重用されていた。
◆◆◆
深淵渓谷に潜む赫魔は、かねてより大きな被害を出していた。プラハ帝国、シュリット神聖王国はおよそ三百年前に協力関係を結び、掃討作戦を実施したのだ。その結果として赫魔の被害は鳴りを潜め、その姿を目にすることはほとんどなくなっていった。
だが平和な時は永遠ではない。
およそ五十年前から再び赫魔は活発な活動を開始した。それも以前より激しく、特異的なものだった。
「信号、受信しました。ネロは任務を達成したようです」
「これで作戦は成功したも同然だ。発信機の示すところまで移動せよ。影の領域がある限り地上の様子は見えんからな。注意は怠るなよ」
「はッ!」
影の領域は、別名で赫魔の巣とも呼ばれている。
昼間であっても光を通さない影の世界が広がり、地上を侵食している。これは三百年前にはなかった脅威であった。影の領域では大量の赫魔が繁殖し、その地域を蹂躙する。そして広がった赫魔は新しい影の領域を作り出してしまうのだ。
赫魔は拠点を生み出し、少しずつ戦線を押し上げるという戦い方を覚えてしまった。
「反応、ありません。間もなく発信機の示す地点に到着します」
「順調だな。兵装チームにも連絡せよ。攻撃準備だ」
「はッ! 艦橋より兵装庫へ通達。間もなく目標地点。間もなく目標地点。爆弾投下用意」
「ふん。赫魔共め。獣には理解できぬ文明の力を思い知るがいい」
進化したのは赫魔だけではない。人間もまた、成長する生き物だ。特に三百年前に三国条約でプラハ帝国の資本が流入して以降、シュリット神聖王国は基礎自然科学を大きく発達させた。数学、物理学、化学、魔術学といった各種学問は大きく伸びて、革命的な発展を遂げている。
特にここ二十年でシュリット神聖王国は『空』へと手を伸ばし始めていた。
「獣には届かぬ天空の脅威、思い知るがいい。全弾投下せよ。人面樹を焼き滅ぼし、影の領域を滅ぼし尽くすのだ!」
シュリット神聖王国、王政府空軍。
飛行船団戦略爆撃部隊が、その腹に抱えた兵器を吐き出した。
◆◆◆
影の領域が炎で埋め尽くされる。
既に脱出した傭兵派遣会社ネロの面々も、外からその様子を眺めていた。
「凄い……」
「ああ。どうやら王政府軍の実験兵器も無事に動いているらしいな」
「空を飛ぶなんて信じられません。どういう仕組み何ですか?」
「原理は簡単だ。軽い気体を風船に詰め込んで、その浮力で浮かんでいる」
「……全然簡単じゃないです」
落ち込む新人を笑いながら、シュウは改めて見上げる。
赫魔による脅威に対抗するため、ここ最近の人類は発展が目覚ましい。元より技術水準の高かったプラハは勿論、シュリット神聖王国も勢いを増している。その結果、あのような空を飛ぶ兵器までも作り出すに至ったのだ。
(終焉戦争からおよそ二千年。ようやくあの頃の水準に戻ってきたか)
シュウとしても長かったと思わされる。つい百年ほど前までは、まだ剣や槍が主要な武器であった。だが今では銃火器が発達し、航空兵器まで登場している。当然、機械化車両も軍用として普及中だ。やはりプラハ帝国の資本が各国に流れたことが大きなきっかけとなった。
(久々のハデスにエレボスも張り切っているし、上手く聖石寮や王政府にも食い込めた。今のところは順調に進んでいるな)
爆炎は闇に覆われた領域を吹き飛ばした。
その一つを攻略するだけでも多大な犠牲が伴うとされた影の領域。それが僅かな死傷者のみで消されていく。まさしく科学力の発展がもたらした成果であった。
「凄い。聖石寮が六聖を投入してようやく潰せた影の領域を、私たちだけで……」
「影の領域の核、人面樹さえ焼き尽くせばあの通りだ。そして俺たちは空から一方的に攻撃する手段を手に入れた。今日のように人面樹の位置さえ特定すれば……ああなる。運が良かったな新人。ちょっとでも昔に入社していたら今日みたいに生きて帰れなかったかもな」
「はい。生きていてよかったです」
新人は頭の防具を脱ぎ捨てる。
すると押し寄せる熱波に煽られ、長い髪が揺れた。
「そういえば新人。名前はなんだ?」
「アルネです。アルネ・リンディスといいます」
「リンディスねぇ……」
「できればアルネと呼んでください」
「いいだろう。初戦を生き残った期待の新人だ。今日は社長が奢ってくれる。楽しみにしておけ」
「き、緊張します……」
「畏まる必要はないぞ。たぶん、すぐに打ち解ける」
シュウはどこか遠い目で告げた。
首を傾げるアルネは後に、その意味を知ることになる。
◆◆◆
影の領域攻略、という知らせはすぐにシュリット全土へと知らされた。通信網の発達に伴い、一瞬にしてあらゆる情報が駆け抜ける時代になっている。一般人でさえ、新聞を通して国内外の様々な情報に触れることができた。
「そうですか。作戦は成功。大変良い知らせです。ありがとう、君は下がりなさい」
「はッ!」
クローディア自治領セシリアス。
そこに駐留するシュリット神聖王国王政府軍は、最も早く吉報を受け取った。そして影の領域に勝利したことを喜んだ。これまでも影の領域を攻略したことはあったが、これほど素早く、犠牲も少なく攻略に成功したのは初めてである。
空軍の有用性が明らかに証明された瞬間であった。
「ロマノ閣下、これであなたの立場も王政府軍の中で確固たるものとなるでしょう」
「ありがとう。皆、ありがとう。これも私の持ち込んだ空軍計画に賛同して付き従ってくれた君たちのお陰です」
「そのようなことは! 皆、閣下に惚れ込んでいるのです。もう下級士官の道楽研究部だなんて言わせませんよ!」
「私がそんなこと言わせません。これまで苦労をかけましたね。ですがここからですよ、君たち」
「勿論です。我々は一層気を引き締め、次の計画に取りかかります」
「期待していますよ」
ロマノと呼ばれた作戦の総責任者は皆の労苦をねぎらった。そして部下たちも誇らし気であった。今日の作戦成功は歴史を塗り替えるほどの大戦果である。ただ影の領域を打ち破ったというだけに留まらない、技術的な価値があった。
空軍はまだまだ実験性の高い部隊だ。これから装備、運用、そして人員も洗練されていくだろう。この価値を知った王政府軍内でも多大な予算が振り分けられるはずだ。
だからロマノは上機嫌であった。
「ロマノ」
そんな中、気安く彼の名を呼ぶ者がいた。
彼は若々しく、輝くような黄金の髪を後ろで縛っている。そして最大の特徴として肘から先の右腕がなかった。少年のような風貌だったが、剣呑な雰囲気が鋭い刃を思わせる。
「君か。どうしましたか?」
「飛行船の有用性は分かった。だけど本当の目的に繋がっているようには思えない。赫魔とやらを倒して成り上がるのが目的か?」
「それも必要なことですね。ですが他にも理由はあります。一つ、上層部に対して空軍の有用性を示すこと。二つ、クローディア自治領に恩を売ること。これらが重要なのです。今後のことを考えれば軍における立場も、ですが」
「……よく分からないな」
ほんの少し、肩を竦めるロマノ。
そこで彼は近寄るようにと手招きし、声をすぼめつつ耳打ちした。
「クローディア自治領の成立はおよそ四百五十年前にまで遡ります。ある民族がシュリット神聖王国に対して交渉し、赫魔と戦うことを代償としてこの土地を手に入れたのです。その民族の王の名はアラフ・セシリアス・ラ・ピテル。そして息子、クローディア・セシリアス・ラ・ピテルの時代に自治領として認められるようになりました」
「ッ! ラ・ピテル……」
「ご想像の通りです。どうですか? 私のしたことは目的に繋がっているでしょう? シンク君」
「ああ。その通りだな。ロマノ・スウィフト・ラ・ピテル」
「分かっていただいて何よりです。期待していますよ。終焉戦争以前の『剣聖』」
シンクと呼ばれた人物は刃のような雰囲気を収めて引き下がる。
そうしてロマノは再び部下たちと歓談を始めた。
1999年 魔神復活
2104年 5章スタート
西暦超えたねぇ




