613話 英雄たち、幸福な時
世界は再び平和の方向へと向かっていた。
炎帝が倒れ、『赤い夜』を境として吸血種もこの世界から姿を消した。聖レベリオ=アスラン王国となったことで、人々は新しい始まりを得たのだ。
ルーク王はそのために奮闘し、各地の復興を支援した。また魔族兵の残党を狩り、魔物を減らし、人々の安全を守った。自ら最前線に出て戦う王の姿は全ての民を勇気づけた。二国の王という特別な事情ゆえに実質的な統治へとかかわることは少なかったが、それでも圧倒的な象徴としての在り方が復興を加速した。
「ルーク」
そう呼びかけられてルークは顔を上げる。するとそこには今まで見たこともないほど美しいネオンがいた。薄い紫の布が幾重にも重ねられ、金糸が織り込まれた衣装。白磁にも勝る肌と鮮烈な赤の唇。そして宝石のような瞳。思わず言葉を失ってしまう。
「あの、似合っていませんか?」
「……驚きすぎて、その、相応しい言葉が見つからないよ。とても似合っている。世界一美しいよ」
「ふふ。ルークも似合っていますよ。しっかりしてくださいね。本番はこれからです。人々の前に立ち、婚姻の誓いを結ぶのですから」
「ちゃんとやるさ。俺たちだけの問題じゃなく、国同士にとっても特別な日になる」
これは世界が望んだ結婚であった。勿論、二人もこれを望んでいるし喜んでいる。だがルーク王と聖守ネオンの結婚ともなれば、政治的な部分はどうしても絡む。
そもそも聖守は本来、未婚であることが推奨されている。明文化された規則ではないものの、結婚するべきではないという考え方には一種の妥当性もある。それは聖守という公共の最大戦力が、公に反した偏った行動をしてしまいかねないというものだ。
ただ今回はそのリスクを上回る利があると判断された。
「結婚は私たちだけのものではありません。これによってルークにも義務が与えられてしまいます。本当によかったのですか?」
「いずれは魔神を討てってやつだろ? そんなのはその時に考えればいいさ。俺はただ、ネオンを愛している。俺の一生を君のために使いたいんだ。どんな苦難も気にならない」
「ルーク……私もです。私もあなたと一緒なら、どんなことでも乗り越えてみせます」
この結婚によってシュリット神聖王国と聖レベリオ=アスラン王国は更に深く結びつく。シュリットは魔神討伐の悲願を託せる英雄を得られた。聖レベリオ=アスランは国王が聖守と結ばれることによって人々に更なる安心を与え、権威を示すことができた。
二国は同盟となり、大きな勢力圏を築くことになる。
それは南のプラハ帝国が封魔連合へと復興支援を行い、資本的な支配を狙っていることにも起因する。勢力を伸ばすプラハに対する牽制という意味でも、二人の婚姻は歓迎された。
「ルーク陛下。最高神官様がお越しになりました。どうかご面会いただけますでしょうか?」
ここで二人の待機室へと訪れた神官が、そんな風に告げる。今回の婚姻式典は聖教会の最高神官が執行する。つまり総責任者だ。
無論、ルークは断ることなどない。
頷くとすぐに法衣の男が入室し、まずは小さく会釈した。
「この度はおめでとうございます。神官一同、心よりお喜び申し上げます」
「こちらこそ。まさか聖アズライール教会で式典を執り行ってくださるとは」
「いえいえ。ルーク陛下はまさしく東方の雄。そしてネオン様は守護の象徴たる聖守です。お二人の御結婚ともなれば、最大の御支援をさせていただきますとも。特に陛下は左腕のこともあります。不自由はありませんか?」
「お気遣いに感謝する。これが両国の良き繋がりになってくれることを願う」
「ええ。聖教会としても望むところです。先の大戦で私たちは多くを失いました。特に大聖石を三つ失い、更に劔撃を失ったことは大きい」
当時の衝撃は相当なものだった。シュリットに帰国したネオンは、まずヴァナスレイで顛末を報告した。聖石寮にとってはまさに青天の霹靂。失われたものの大きさは勿論、九聖の中に二人も裏切者がいたという事実に激しく動揺した。
そこからはネオンによる鶴の一声で内部調査が行われ、その影響は聖教会にも波及する。結果として幾人もの魔神教関係者が潜入していたことが判明し、一斉検挙が行われた。これは国が揺らぐほどの大事件であった。
「もしもあの時の揺らいだ内情のまま『赤い夜』を経験していれば、我々は大敗していたかもしれません」
「そのことについては何度もお礼をしていただきました」
「いえ。何度でも私は礼を尽くしましょう。それほど私たちにとっては危機でした。それに『赤い夜』は終わっていません。あれはいつ訪れるかも分からない厄災です」
「……そう、ですね」
「だからこそ私たちは協力関係を強く結びたい。決して解けないほど強く」
彼の言葉には少し力が入っていた。それほど切実ということだ。
ただ婚姻式典前にするべき話ではなかったと思い直したのだろう。深く腰を折り曲げ、頭を下げる。
「失礼しました。ともあれこの祝いの日を喜びましょう」
本当に挨拶だけのつもりだったらしく、彼はすぐに出て行った。最高神官として式典の責任も背負っている。忙しいという理由もある。
それに続くようにして他の者たちも部屋を出ていき、二人きりとなる。式典が始まるまでは特にすることもない。そんな状況だからこそ、普段は言葉にできないことを口にし始めた。
「『赤い夜』……カーミラ」
「ルーク。私たちは彼女を悪にしなければならなかったのでしょうか」
「あいつも言っていただろ。誰かが吸血種をまとめ上げなければならない。そうしなければ吸血種を全滅させるか、人が再び支配されるか、どちらかの世界になるって」
「ですがそのために今や彼女は世界の悪です。私たちと共に戦った英傑だというのに」
「無闇に吸血種を増やしてしまった責任を取るためだって言っていただろ?」
「それは……そうですけれど」
「『赤い夜』があるから……いつ吸血種が襲ってくるか分からないから、俺たちは団結できている。と、そう思う。俺たちの力不足だ」
ルークはネオンを慰める。
『赤い夜』はカーミラ=ノスフェラトゥの呼び名であると同時に、厄災を示す名でもある。鮮血のような満月が空に上り、地上を不気味に照らす夜。吸血種が現れて人々を襲い、血を奪う。だがそれ以外の時、吸血種は影も形もない。
五年前に起こった吸血種との決戦以降、世界から全ての吸血種が消えた。
「あの時は嫌な戦いでした」
「吸血種との決戦の時か」
「はい。カーミラとは二度と会えないのでしょうか」
「さぁな。あの戦いの後、カーミラも吸血種の軍勢も霧の中に消えていったし、今はどこにいるかも分からない」
私たちは交わってはいけなかった。
それが最後に聞いたカーミラの言葉だった。その意思が変わっていないのだとすれば、二度と再会することはないだろう。少なくとも友としては。
「なぁネオン」
「どうしましたか?」
「俺たちの式が終わったら、ヴァナスレイとか俺の国の王都にも行ってお披露目があるだろ? しばらく忙しくなるし、スルザーラのお墓に行っておかないか?」
「そうですね。しばらく国を離れることにもなりますし、挨拶しておきましょう」
「だな」
その内に係の者が現れ、式典が始まることを告げられる。聖アズライール教会の聖堂で式は行われ、その後は一般のお披露目もある。
二人にとっても、世界にとっても、大きな節目となる日が始まった。
◆◆◆
ルーク王と聖守ネオンの結婚式典そのものは一般公開されず、シュリットの国王や王政府高官、聖教会や聖石寮の高官のみが出席した。ただそれではシュリット神聖王国と聖レベリオ=アスラン王国の同盟関係を強く示すことができない。
そのため式典後は聖アズライール教会から王城までの大通りでお披露目が行われることになった。王都中の民が集まり、二人の英雄の姿を目にしようと騒ぎ立てる。大通りはまさしくお祭り状態だ。
「ほう。あれが隻腕の英雄と名高いルーク王。それと今代の聖守」
「どうだイシュヴァル。来た甲斐はあったか?」
「ええ勿論。冥王様には感謝しております」
シュウもまた、この式典を見るために訪れていた。ただ興味があったわけではない。ある二人の人物がほぼ同時期にシュウへと頼み込み、こうして訪れることになった。
一人はイシュヴァル=ラー・ファルエル・パルティア。プラハの皇帝である。
「見るだけでよかったのか?」
「会談を申し込めばややこしいことになります。一部では反感を買うでしょう。それにシュリットを仮想敵国のままにしておくことで内部もまとめやすい」
「なるほど。セフィラからお願いされたときは驚いたが」
「それは私もです。最高の護衛がいると聞いて来てみれば、まさかあなた様だとは。死の神ほどの御方でも娘のお願いは断れませんか?」
「……お前もか」
「ええ、まぁ。父親というのはそういうものです。皇帝としてはその限りではありませんが。それに偶然ではありますが、噂の『赤い夜』を直に見ることもできましたし、想定以上の結果です」
イシュヴァルはすぐ隣の少女へと目を向けつつ、そんなことを口にする。彼女こそがシュウへと頼み込んだもう一人の人物、カーミラであった。
「まさか各地で頻発する『赤い夜』の正体がこのような少女だとは」
「……まだプラハ帝国側では起こしていないはずですが」
「封魔連邦では起こしているだろう? あちらの議員たちがぼやいていたと報告を受けている。私たちはあの国に復興支援の出資をしているのでね」
「覇権の奪い合いをさせないためです」
「その効果は絶大らしいね。実際、『赤い夜』へと対抗するために彼らは身内で争っている暇もない。いつ赤い月が昇り、吸血種が襲ってくるか分からないのだから。世界は急速に安定へと向かっている。私もそれに乗ろう」
「……ルーインとマーレを切り離し、独立させたのもそのためですか」
「勿論だ。あの二国とは激しく戦争をしてしまった。あちらに吸収させるわけにはいかない。しかしだからと言ってこちらが吸収すれば、国内で騒ぎになる。この情勢に乗じて独立させたというわけさ」
「そうは言いつつも、ちゃっかり傀儡支配しているだろ」
「当然です。ルーイン氏族連邦とマーレは緩衝地としての役目を期待しています。そもそもルーインは我が国の一部でした。そう簡単には手放しませんよ」
大陸南部でも情勢は著しく変化した。
イシュヴァルとしては早過ぎる世界の変動に苦戦する日々だ。毎日のように上げられる報告だけでは判断も難しい。これからまた新しい時代が始まろうとしている。そんな予感があった。
「今後はしばらくの平和が訪れるでしょう。私はそう確信しています。シュリット神聖王国と我が国は赫魔への対処で一時的な同盟関係を作りました。その関係が続く間は……」
「赫魔か」
「あれらの動きは活発化する一方です。山水域の魔族も含め、脅威は多い。できることなら、私の後継者にはこれらの問題を残したくないものです」
「努力次第だな」
彼の皇帝としての治世はまもなく百年となる。後継者のことも考えていなければならない時期だ。彼としてはいかに問題を解決しておくか、ということを気にしてしまう。
そんな彼に向けて、ふとカーミラが尋ねた。
「王という存在はどうあるべきなのでしょうか。私は吸血種たちの王となってしまいました。ですが彼らをどのようにまとめあげればよいのか、分からないのです。皇帝という立場にいるあなたに聞いてみたいと、今思いました」
「私に?」
「その在り方というものを教えてはいただけませんか?」
「皇帝の在り方か……私は常に強い皇帝であることを求められている。そのように思っている。だからこそ何者にも屈しない。人々にとっての大きな光としての在り方だ」
「強さ……」
「たとえ武力や権力があっても、それを使う決断力がなければ意味をなさない。責を負い、力を行使する。その覚悟こそが私の皇帝としての強さだ」
カーミラは思い悩む。
その様子を見ていたイシュヴァルは、今まさにすぐ近くを通り過ぎようとしている馬車を指差した。ルークとネオンの二人が大通りの民衆へと手を振っている。すると民衆は興奮した様子で激しく手を振り返した。
「あのような人を引き付ける魅力。あれを得るために私は強くあろうとしている。君にも備われば、自然と吸血種は従うだろう。自ら進んで君を王と崇めるだろう。私が思うに、君は民の目を気にしすぎているようだ。それは王の在り方ではないな」
まさしくルークとネオンは光の中を歩む者たちだ。影へと潜んだカーミラとは対極である。もう二度と、交わることはないのだろう。
カーミラは小さく手を振った。
今度こそ、本当の別れを告げるようにして。
◆◆◆
ルークは一瞬、動きを止めてしまった。
それに気づいたネオンは手を振りながらも小声で尋ねる。
「どうしましたか?」
「いや……今カーミラがいた気がしたんだ」
「彼女が? 本当ですか?」
思わずネオンも固まってしまったが、それも一瞬のことですぐに外面を取り繕う。表面上は笑顔を浮かべていたが、先ほどよりも少し表情が硬かった。
「本当、なのですか?」
「分からない。ごめん、気のせいだったかもしれない。こんなところにいるはずがないし」
「そうですよね」
「多分見間違いだった。ちゃんと声援に応えないとな」
「ええ」
ルークは無理に話を終わらせる。
しかし彼は気になっていた。一瞬見えた気がした、カーミラのことが。
(なんであんなに……悲しい顔だったんだ)
あるいは幻影だったのか。その正体をルークが知ることはなかった。
もはや道は別たれたのだから。




