611話 確かな絆
ルークが体力の回復に努めている中、カーミラは炉を訪れていた。相も変わらず酒場の地下に拠点は存在しており、表向きの組織ではない。ただすでに探索ギルドを魔神教団から取り戻すという目的を果たした今、組織が存続する理由はない。
ただすぐに解体というわけでもなく、彼らは復興支援の組織として働いている。今のリベラストラは崩壊寸前だ。地上の帝都は消滅し、統治者もいないのだから。誰一人として無駄にはできない状況で炉も身を潜めるわけにはいかなかった。
「カーミラ、よく来たな」
そこで待ち構えていたのはシュウである。
カーミラは炉というよりも、密会に適したこの酒場地下を目的としてやってきた。仲介となった『黒猫』はここにおらず、二人きりで部屋にいる。
「珍しいですね。シュウ様が私を呼ぶとは」
「お前には役目を与えたいと思ったからな」
「役目……?」
「吸血種としての役目だ」
どういうことか、もうこの時点で想像できた。カーミラは始祖だ。吸血種の始まりである。そしてサンドラの吸血種はカーミラから始まった。その責任を取るということがどういうことか、少し考えればすぐ分かる。
「私が吸血種の王になるという意味ですか? 『黒猫』さんが言っていたように」
「あいつも言ったのか……そうだ。それとこの世界から追放しろ」
「どういう意味ですか?」
「お前が煉獄の内部に作った世界があるはずだ。赤い月の世界。霧で満ちたあの世界に全ての吸血種を収容しろ」
「私は不要になった、と?」
「違う。言ったはずだ。人と魔は分かれるべきだ」
サンドラと封魔王国の戦争だけではない。サンドラ帝国という国の在り方が問題だった。炎帝をはじめとした吸血種たちは支配者として君臨し、人間を虐げた。人間牧場や血税が最たる例である。二つの種族は融和せず、支配構造だけを作った。
カーミラの厭う、弱い者が虐げられる世界となった。
原因は明らかである。
「棲み分けだ。人と魔は共存できない」
「それは……」
「俺は強制しない。だがもしもその役目を請け負うのでなければ、吸血種を全滅させるしかなくなってしまう」
「気に入らないから殺すと?」
「そうだ。端的に言えばそうなる。吸血種はやり過ぎた」
シュウからは本気が伝わってきた。決してただの脅しではないし、不可能なことでもない。吸血種という存在がこの世から消えてなくなるまで狩り続けることだろう。
「俺は二百年待った。お前が吸血種を律し、理想的な国を作るまでな。気の長い決断だと、俺は思っている。宣告は突然だが、猶予は与えられていた」
「そう、ですね。私には為せませんでした」
「炎帝は野心を燃やし、魔族と融和し、最終的には戦争も引き起こした。俺が管理しなければもっと悲惨なことになっていた」
「吸血種はもはや必要なく、この世から排斥されるべきだというのですか? しかしそれでは血がッ! 緩やかな滅びを与えるということですか?」
赤い月の世界はこの世から隔絶され、瘴血に満ちている。たとえ人間を連れ込んだとしても、半日すら生き残れないだろう。そして吸血種は急速に死へと向かう欠陥種族だ。人間の血を取り込み続けなければ理性を保てない。
つまりシュウの要求を呑めば、吸血種は滅ぶ。魔装を覚醒させたカーミラ以外は確実に滅ぶだろう。
「理解している。種として消滅させるつもりはない。妥協案も出そう」
「妥協案、ですか」
「そうだ。俺が最初に言った、お前の役目とも関係してる」
カーミラは始まりから終わりまで、全てを聞いた。何が目的で、何をさせたくて、それがカーミラにとっても利となるのか。それを言い聞かせるためにシュウはどんな質問にも答えた。
やがて彼女が納得するまで。
「……分かりました」
「そうか。それともう一つ、これを渡しておく」
「これは?」
手渡されたのは杯であった。カーミラはそれが神器・聖杯だということにすぐ気付く。元はミリアムの所持品だったはずが、なぜかシュウの手元にあった。
「スウィフト家に引き渡せ」
「今度は何をするつもりですか?」
「特に理由はない。だがシュリットに持ち帰られるくらいなら、こちらに置いておく方がいい。特にスウィフト家なら魔神教団の手に渡る可能性が低くなる」
「破壊しないのですか?」
「一度破壊された神器も再び蘇る可能性はある。行方不明のまま別の誰かに渡るくらいなら、管理者を置いておいた方がいい」
「神器が蘇る? ハーケスさんの瀑災渦のように?」
「創造者の気まぐれで起こり得る話だ。今回の件で聖杯の価値は大きく増した。悪用する輩がいないとも限らない」
「シュウ様が壊さず管理するというのは?」
「神器は手元に置いておきたくない」
いつ盗聴器になるか分からないからな、と続ける。その意味はカーミラにはよく分からなかった。ただ都合が悪いのだろうということだけは悟った。
◆◆◆
ルークは一人、屋敷のテラスに立って空を眺めていた。時間は夜だ。迷宮内も暗闇となり、各所の篝火がなければ完全な闇に染まっていることだろう。
考え事をするには丁度良い。
「スルザーラ……本当に」
彼は今、戦友のことで思い悩んでいた。
出会いは決して友好的といえず、対立していた。しかし戦いを通して仲を深め、最大の友になった。その彼はもういない。まるで心に大きな穴が穿たれたような、そんな空虚さだけを感じていた。
「俺、何も守れなかったんだなぁ」
腰に差した嵐唱へと手を伸ばし、撫でるようにして触れる。家宝の嵐神像の中に隠されていた神器は、戦いにおいて大きな武器となった。もしも嵐唱がなければ戦い抜くことなどできなかっただろう。
だが、それでは意味がない。
戦いの果てに全てを失っては意味がないのだ。
「なぁ。嵐唱」
『何だ』
「お前はこの戦争に意味があったと思うか?」
『我は力。我は武器。戦いのために存在する。その意義を考えるのは担い手だ』
「そればっかりかよ」
『神器とはそういうものだ。我に捧げよ。さすれば力は与えられる』
「捧げる、ねぇ」
手や足は真っ黒に染まり、皮膚はひび割れている。その模様はまるで鱗のようだ。戦いの中ではより同化が進み、身体の大部分が嵐唱と一つになっていた。
「あの時、なんで俺の意思に反して動いたんだ?」
いつのことなのか、という問い返しは嵐唱に必要なかった。玉蟲の業魔となり、更には二柱目の魔神となったミリアムを討つあの瞬間である。
「ミリアムの魔石に触れたとき、俺はあいつの過去を見た。絶対悪だと思えなかったんだ」
『ならば殺さぬと?』
「……それは」
『それが答えだ。我は貴様の願いを叶えた』
ルークは明確な答えが出せなかった。果たしてミリアムを赦してよいのかと聞かれたとき、間違いなく否定する。それほど彼女のしたことは悪だった。しかしミリアムという人物そのものが悪かどうかは難しい。彼女なりの正義で動いていたのだから。
『善や悪などという曖昧なことを基準とするから戦争は起こるのだ。人間は皆、己が善だと思っている。価値の合わない他者は悪だと見なす。話し合いでは決して分かり合えない。戦って決着するしかない』
「ああ。そうかもな。それに戦いはこれからも続く。ネオンやカーミラの予測は正しいと、俺も思う」
『ではどうする』
「それを悩んでいるんだよ。ああ、もう……」
独り言を呟いたり、頭を抱えたり、空を見上げたり、とにかく奇行を繰り返す。ただルークにとっては真剣な悩みだった。
そんなことをしていたので、すぐ隣に人がやってきたことにも気付くのが遅れた。
ふと気が付いたルークは驚きのあまり叫びそうになってしまう。
「ネオッ……ン……」
「どうしたのですかルーク。もしかして嵐唱と話していましたか?」
「あ、ああ。ちょっとな。これからどうしようかずっと悩んでいて、それで戦争のことも相談してた」
「そうでしたか。それで、答えは出ましたか?」
「まだ、分からない」
ルークは手すりに体重を預けて空を見上げる。月も星もない、作り物の空。迷宮の空は吸い込まれるような深い黒だった。ネオンも真似をして空を見上げる。
二人は少しの間、口を噤んだ。
やがてネオンがその沈黙を破る。
「こうしている間にも、終わらない戦争の犠牲者が出ているのでしょう。そして私たちは止める術を持っていない。無力ですよね。私たちは世界を終わらせたあの怪物をも倒したというのに」
「そうだな」
「早く、止めなければなりませんね」
「うん」
ルークはふと隣に目を向けた。
暗闇ではあったが、篝火が彼女の横顔を照らしている。目を閉じ、祈っているようにも見えた。
「ネオンは……ネオンはこれからどうするんだ?」
「そうですね。まずは本国に戻り報告を。それからは聖守としての役目を果たすために邁進します。サンドラと封魔連合の混乱を平定し、いずれは……」
「いずれは?」
「……いずれ、私は魔神を討たねばならないでしょう。西方の黒き宮殿にいるという悪の根源を。魔神を討てば悲劇は止まるはずです。魔神を討ち、魔族を滅し、人々の本当の平和を勝ち取る。私はそのために戦い続けます」
「そっか。戦い続けるのか。ネオンは……強いんだな」
「私の役目ですから」
ルークは嵐唱を手に取り、それをじっと見つめた。
「俺、なんて無力なんだろうって思ったんだ。俺なんかが何かできるのかって」
「ルーク、そんなことはありません」
「でも失敗ばかりだった。俺は何も守れなかったんだ」
目の前が滲んでいく。言葉にして己の無力さに打ちのめされる。ネオンはそんなルーク近づき、そっと手に触れた。
「自暴自棄にならないで。あなたは何者にでもなれます。ミリアムの手から世界を救った英雄なのですから。今からでも決して遅くないんです。まだ生きている人々のため、できることは必ずあります。私もそれに従事するつもりです」
「俺は……俺が、できること」
「そうです。ですから一緒に行きませんか。まだ世界のためにできることはあるんです。それにルークも言っていたではないですか。祖国を再興すると。ここからまた始まります。違いますか? それに……片腕のあなたの助けにもなりたい」
真っ暗で何も見えない闇の中を彷徨っているようだった。戦争の勝利を為せず、今も終わっていない。何をするべきかすっかり見失っていた。
そんなルークにとってネオンの言葉は灯火だった。
「驚かずに聞いてください。私はあなたと離れたくないと思っています。これからもあなたと共にいたい。あなたとならば、もっと素晴らしい世界にできる。私はそう確信しています」
「ネオン、それって……」
「ルークはどうですか? 答えを、聞かせてください。直接あなたの口から聴きたい」
ネオンは寄り添い、告白する。
篝火に照らされてか、別の理由か、近くに迫った彼女の頬には紅が差していた。ルークは心臓が五月蠅いほどに鳴っていることを自覚する。
口にするべき言葉は決まっているはずなのに、喉で引っかかって出てこない。
もどかしさを乗り越え、ようやくルークは答えを告げる。
「ありがとうネオン。でもごめん。俺はこの地でやるべきことをするよ。戦争を終わらせるためにはネオンのやり方が一番いい。でも、そうしている間に傷つく人は増えていく。サンドラの人間牧場や、他の街で虐げられている人たちも解放しないといけない。国を建て直すための戦いは……俺の戦いはまだ終わっていないんだ」
「そう、です、よね。ごめんなさい私――」
「でも!」
ルークは彼女の手を握り返した。力強く。それでいて優しく包むように。
「俺は君を迎えに行く。この戦いに本当の決着をつけて。だから待っていてくれないか」
「ルーク……あなたは酷いですね」
「ごめん」
「私は大人しくしている女ではありません。遅くなるようでしたら私から会いに行きますからね」
「ちゃんと行くさ」
二人の距離は少しずつ近づいていく。
そして耳元でネオンは囁いた。
「ですから今日は印だけ、くださいませんか」
「ああ」
篝火が揺らぐ。
そして二人の影が、ゆっくりと重なっていった。
◆◆◆
出発の日、三人はリベラストラから地上に出ていた。そこにはスウィフト家の者も付き添い、幾人かで見送りしようとしている。スウィフト家の中には当主のアルマーニまでいた。
「ルークさん、ネオンさん、私たちはここからそれぞれの目的のため動きます。少し寂しくなりますね」
「カーミラはネオンの方を手伝うと思っていた。同じ方向だし」
「私は吸血種ですので、シュリットまでは行けません」
「だったら俺を手伝ってくれても……」
「すみません。やるべきことがあるので」
「ルーク? もしかしてカーミラと一緒が良かったのですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
今日はそれぞれの出発日だ。
ルークは南東の故郷へ向けて、ネオンとカーミラは共に西方へ。
ネオンがルークを問い詰めている間に、アルマーニはカーミラへと近づく。
「カーミラ殿、あの件で。その、やはり」
「聖杯ですか?」
「ええ。はい」
「ミリアムが持っていた危険なものですが、正しく活用すれば復興にも役立つはずです。勿論、封印して隠しておくという選択肢もあります。私は使い道までは干渉しません」
「わかりました。厄災の二の舞にはしません。そう誓いましょう」
「お願いします」
シュウの頼み事は数日前には果たしていた。当然ながらアルマーニも驚き、受け取ろうとはしなかった。それは聖杯が危険物であるという認識が強かったからだ。
保有しているだけで魔神教団にも狙われるかもしれない。そんな代物なのだ。
まだどうするかは決めていない。
ただ最終的に所有は引き受けることにした。
「皆さん。私たちサンドラの民は返しきれないほどの恩を受けました。炎帝の暴虐から解放してくださったのですから、まさしく英雄です」
「いや、俺たちは……」
ルークは自分を救世主だとは思えなかった。
ミリアムは倒した。それで確かに世界は救われたはずだ。しかしサンドラ帝都の状態を見ると、とても救われた跡だとは思えない。
それが小骨のように胸の内に刺さっている。
「……これからです。俺たちが英雄になるのは」
ただルークは前を向いた。
「そうですね。私もシュリットから頑張ります。また戻ってきますね」
「各地の吸血種は私がどうにかします」
ネオンもカーミラも同じだ。
各々がこれからの戦いに身を投じるため、一度ここで別れる。
「ネオン!」
女二人は共に西方へ行く。それはウェルスに乗ってネオンをシュリット近くまで送るためでもあった。そのためルークにとってはここが別れとなる。
既にウェルスの上に乗っていたネオンは、呼びかけられて振り向く。
「俺、絶対に約束は守るよ!」
「ええ、楽しみにしています」
それがどういったものか、お互いにだけ伝わる。
「どんな約束ですか?」
「秘密です。カーミラにも。大切な約束ですから」
「大切な約束ですか。それは聞けませんね」
それが果たされるのは、まだ先の話だ。ウェルスは羽ばたき、一気に地上から離れていく。ルークの姿もあっという間に小さくなっていった。




