609話 祝福の欠点
激しく血が飛び散り、カーミラの身体からは力が抜ける。しかしミネルヴァは更に刃を押し込み、地面へと縫い付けた。
『さぁ誓え。我に従うと誓え。まだ死なぬだろう?』
しかしカーミラは答えない。
沈黙したまま、身じろぎすらせずにいる。
『誓え。このミネルヴァが貴様の王だ!』
苛立ちを露にしたミネルヴァは、槍を捩じった。すると柄が脈動し、カーミラの内側から無数の刃が突き出る。まるで劔撃そのものが生物のようだった。
「ぁ……」
流石のカーミラも痛みで呻いた。出血は激しく、もしも彼女が人間であれば失血死している。そして何より心臓までも破壊された。如何に吸血種の始祖といえど、危険な状態だ。
ミネルヴァは待っている。
自分にとって良い返事が聴けるまで、カーミラが死ぬ直前まで待ち続けるだろう。
「私は」
血が噴き出て言葉は堰き止められる。
濃い赤色が地表で結晶化してカーミラを覆い始めた。ミネルヴァは始祖が死にゆく瞬間だと嘲笑い眺めていた.
だが、やがてそうではないことに気付く。
『抜けぬ。貴様は……この期に及んで抵抗するというのか! 死を恐れないのか!?』
劔撃を引き抜こうにも、結晶で固定されてどうにもならない。魔力を流し攻撃力を底上げしても無駄であった。瘴血は魔力を阻害するのだから。
そればかりか彼女の血は侵蝕し、劔撃を喰らっていく。
『馬鹿な。わざとだとでもいうのか! わざと我の槍を受け入れ……こんな……ッ!』
ミネルヴァはそこでようやく気付く。
周囲は赤い霧に覆われ、そして塔のような影が無数に見えている。ここは先ほどまでいた場所ではない。荒廃したサンドラ帝都郊外ではない、全く別の世界だった。
次の瞬間、カーミラはその身を爆散させる。その全てを霧に変えて世界へと溶け込んだ。
「私は……決して責任を放棄しません。私という種より始まった吸血種について、その責任を取らなければなりません。あなたへと委ねはしない」
カーミラは再び身体を凝集させた。
そして無造作に蛮骨で攻撃する。ミネルヴァは全く反応できず、吹き飛ばされてしまった。その先に会った血晶の塔に激突してようやく止まるも、塔が崩れるほどに叩きつけられたせいで意識が飛ぶ。ただそれも一瞬のことで、ミネルヴァはすぐその場から飛びのいた。
そこへ蛮骨が叩きつけられる。
『なんだ。この場所は何なのだ!?』
「《鮮血の月》。私にとっての全てがある場所。そしていずれは吸血種の故郷となるべき場所です。だからそれ以外の全てを拒絶する」
ミネルヴァは無慈悲に血晶で覆われていく。魔物のように異形の姿ではあるが、素体は人間だ。スルザーラという名前の人間であった。血の通った生物であるならば、この世界で存在するだけで死に至る。
鞭のように迫る刃はミネルヴァに回避を強要し、少しずつ追い詰めた。もはやカーミラを圧倒していた頃の姿は影も形もない。
『馬鹿な。見えない。なぜ見えない。なぜ《視覚》が機能しない!? 第十階梯の祝福がなぜ!』
鎧のような外骨格すらも瘴血に侵され、もはや意味をなさない。濃霧のために視界も制限され、カーミラを目で追うこともできない。死角から迫る蛮骨によって膝を叩き潰され、遂に倒れてしまう。
そんなミネルヴァを血晶が覆い、捕らえられてしまった。
霧の奥から姿を見せたカーミラを見て、どこか怯えを見せる。そして大声で喚いた。
『私はスルザーラだ! これはスルザーラの身体なのだぞ! 貴様とも旅を共にしたはずだ。感情というものがないのか化け物め!』
「そうですね。私は怪物。人間の世界にいるべきではないのでしょう」
『開き直るか!』
槍はすっかり赤色に覆われ、朽ちてしまった。そしてミネルヴァもまた細胞の一つ一つが血晶へと置き換わり、死へと向かっていく。
カーミラはただ手を伸ばし、彼の胸に触れた。
「あなたの中にはもうスルザーラさんの魂はない。あなたが食べてしまった」
ほんの少し、指先が沈み込む。
するとミネルヴァに流れる血はカーミラへと流れ込んだ。吸血種の存在を定義する特性、吸血である。そして彼女は始祖の権能として、血を選別できる。ミネルヴァはスルザーラを素体として劔撃の他、幾つかの蟲魔物が混じっている。
だからその中のスルザーラだけを吸血した。
スルザーラの部分だけを体内で選別し、それ以外は全て捨てた。異形の血はカーミラの背中から霧となって排出され、血晶となる。
『やめろ。止めッ! 止――』
赤い月の光の下、新たな塔が生まれた。
◆◆◆
カーミラが霧の世界から戻ったとき、そこにはよく知る人物が立っていた。その特徴的な魔力はこの世にただ一人しかいない。
「シュウ様……」
「人と魔は交わってはいけない。それが理解できた旅だったと思うが?」
「そうかもしれません。ですがそれを引き起こしたのはシュウ様だったのではありませんか?」
「違う。元から火種はあった。そして薪も。大火が世界を焼くことを回避し、傷を小さくした。俺がやったのはそういうことだ」
「……力を手に入れるため、とは言わないのですね」
「なんだ。知っていたのか?」
「『黒猫』さんの血から記憶を読みました」
「そうか」
個人的な目的があったことも否定はしない、ともシュウは言う。ただそれは関係なかった。重要なことはただ一つ。今回の戦争の果てに起こった結果である。
「人と魔は決して対等になれない。必ず魔の支配構造が生まれる」
「神器も……そうなのですか?」
「そうだ」
人類は神器に希望を抱いた。あまりにも大きな力だ。人々は神器を求めずにはいられない。だが希望などではなかった。
彼女はよく理解した。
「カーミラ! 無事かカーミラ!」
空から声が降ってきて、二人は見上げる。すると巨体がゆっくりと降りてきて、すぐ傍に着陸した。竜にも似た獣、ウェルスである。ウェルスはその巨体を収縮させ、カーミラのもとへと飛んでいく。またルークとネオンも同じように降り立ち、カーミラへと駆け寄る。
「無事でよかった。ネオンがとんでもない魔力を感じて……」
「二人とも下がってください」
厳しい口調のため二人は驚き、思わず立ち止まった。そしてもう一人の人物へと目を向ける。
「冥王……」
「俺の正体を知っているか聖守」
「初代様の言い伝えです。容姿は絵となって残っています」
「どんな風に?」
「悪ではない。しかし害である。だが抗うことは難しい。まさしく『死』である。そのように」
「興味深い」
シュウはそれだけ告げて、指差す。その相手はルークであった。
今の彼は頭部から異形の角、そして体表には鱗がある。とても人間には見えない。魔族だと言われても文句は言えないだろう。
「神器同化のやり過ぎだ。後戻りできないところまで来ている。あの男と同じように」
「あの男……? スルザーラのことか!? あいつをどうした!」
スルザーラもまた、神器に多くを捧げていた。こうしてずっと探していて、スルザーラは見つかっていない。まさか、という考えが浮かぶ。
「もうこの世にいない」
「お前ッ!」
「待ってください。あの人は私が――その人に手を出してはいけない!」
カーミラが制止するも、ルークは止まらなかった。
嵐唱の電撃が閃光となって宿り、威圧的な魔力を放つ。それに対してシュウの周りから闇が広がり、地面を黒い紋様が覆った。それは這うようにして広がっていき、ルークたちの場所にまで到達する。
「がッ!?」
その瞬間、ルークは全身に強い衝撃を受ける。目の前が真っ白になり、火花が散ったような気がした。そして気が付けば嵐唱を手放して倒れ、ネオンに治療されていた。
呼びかける声によって意識を取り戻す。
「あ……?」
「よかったルーク! どうしたのですか!?」
「わか、らない」
ルークの肌には木のように枝分かれした火傷跡が残っていた。ネオンの魔術で治癒されていくが、この特徴的な傷には心当たりがある。
「電撃の魔術?」
「違うな。自滅だ」
ネオンの答えを否定したのはシュウであった。
「そいつは神器の力に耐えきれなかった。だから雷が自身を傷つけた。それだけのことだ」
「あり得ません! 彼には《耐電》の祝福が……」
「それは異界では機能しない。ここは俺の世界だ。祝福は届かない」
「そんな馬鹿なことが!」
ルークの身体は黒ずみ、朽ちるようにして崩れていく。嵐唱の雷は物質を破壊する。その効果がルーク自身に及んでいる証拠だった。
衝撃を受けつつもネオンは《聖捌》の光を放とうとする。しかし僅かな輝きすら灯ることがなかった。祝福は反応しない。
シュウの言葉が真実であるということを実感させられた。
「祝福にはそういう重大な欠点がある。覚えておいてもあまり意味のない欠点だがな。死ね」
死の王が命を奪い去る。
心臓の鼓動が、あっさりと、何の脈絡もなく止まった。
◆◆◆
驚く間もなかった。
そして悲鳴を上げることもなかった。ただ言葉が詰まった。
「ルーク……?」
彼の身体から力が失われ、一切反応もしなくなる。まさかと思って脈を確認すると、それを感じることはできなかった。そんなはずはないと何度確認しても結果は変わらない。
悪ではない。しかし害である。だが抗うことは難しい。まさしく『死』である。
まさしくその通りであった。
「カーミラ! 彼が……彼の心臓が……」
「見せてください」
すぐにカーミラも駆け寄って確認するが、やはり死んでいた。ただそれは念のためである。まずはルークの死体状態を確認する。
(同化している部分まで破壊が及んでいますね。それほどルークさんの嵐唱への適正は高く、一方で身体は力に追いついていなかった。《耐電》の祝福がなければ自滅してしまうほどに)
火傷の傷は特徴的だ。電撃が皮膚を走ったことで枝分かれした木々にも似ている模様だ。その部分で特に損傷は激しい。嵐唱が発生させる陽電子による破壊痕であった。
「ネオンさん、諦めずに彼の身体を治療してください」
「蘇生できるのですか!?」
「まだ間に合います。そのためにもまずは傷を治さなければなりません」
動揺していたネオンも気を奮い立たせ、治癒の魔術に力を注ぎ込む。治癒の魔術は死体であっても作用する。ルークの身体はすぐに修復され、さらに驚くべきことも起こった。
「見てください。ルークの同化した部分が……」
「人間に戻っています。好都合です。続けましょう」
頭部の巻き角は崩れ落ち、鱗のような模様と共に黒ずんでいた皮膚が元に戻っていく。手や足といった末端部はどうにもなっていないが、顔に近い目立つ部分は元通りだ。
だが人間らしい姿に戻ったとしても、生きていなければ意味がない。
「ネオンさん、今より見せる術は誰にも告げてはなりません。そして何も言わず、ただ見ていてください」
カーミラは《祝祷》を止めて、ルークの胸に両手を当てた。すると黒い術式が現れて、ルークの身体を這いまわる。一瞬にして遺体全体を覆うほどにまで広がってしまった。
思わずネオンは止めようとしてしまったが、先の彼女の言葉を思い出して留まる。ただカーミラを信じ、何が起こるのかを見続けた。
(シュウ様はいつの間にかいなくなっています。そしてあの言動……スルザーラさんの殺害まで被ってくださったようでした)
黒い術式が完全に覆い尽くし、その脈動を止めた。すると僅かにルークの身体が光る。ほんの一瞬程度だったが、ネオンは見逃さなかった。
そして彼女は反射的にルークの胸元へと耳を寄せ、息を止める。
「……動いて、います。心臓が動いています!」
「蘇生は成功しました」
「吸血種化ではないのですよね?」
「はい。死者を蘇らせる唯一の法、反魂の秘術です。成功して本当に良かった」
ネオンが継続して治癒の魔術をかけ続けると、やがてルークはゆっくりと目を開く。何があったのか理解していないようで、泣きそうなネオンに疑問を抱いている。ただその答えを知るより早く、抱きしめられた。
「よかった。本当に。本当によかった」
荒涼とした風が吹く。
サンドラの地は破壊され、死が振り撒かれた。本当に酷い戦いだった。だがカーミラはただ冷静に、今の状況を告げる。
「まずは生き残りを探しましょう。地下都市ならばまだいるかもしれません。そして人がいてもいなくても、準備を整えて移動するべきです。炎帝は取り逃してしまいました。まだ戦争は終わっていません」
「そうです! すぐに追いかけないと!」
「いえ、私たちはあまりにも失い過ぎました。戦うための力が足りていません」
「それは……」
「ルークさんも蘇生したばかりで万全ではありません」
現にルークは再び気を失ったらしく、浅い呼吸を繰り返している。
それにネオン自身もこの戦いで出し尽くした。一度休息しなければならない。ふと見上げれば空は白み、朝の兆しが戦いの終わりを教えてくれているようだ。
「そう、です……ね……」
気が抜けたのだろう。
幾つもの死線を渡り歩くような戦いだった。ネオンもまた、意識を失ってしまう。カーミラは焦ってすぐに確認したが、眠っているだけだった。
(迷宮の地下都市で二人の目覚めを待ちましょう)
地下都市リベラストラであれば生き残りもいるかもしれない。そんな希望を胸に、移動を始めた。




