605話 結合、実を結ぶ
同時期、冥王アークライトと紡ぐ叛威の戦いも始まっていた。
ただ戦いと言っても形勢は少々一方的である。
冥王側が紡ぐ叛威を追いかけ、攻撃を繰り返している。そして紡ぐ叛威は攻撃を躱しつつ、逃げようとしていた。
「しつこい。幾年月を経ても我を追うか」
「ああ。お前を追い詰めるためにこの二百年を準備してきた」
「この結界が厄介だ。実に厄介だ」
アポロヌスへと受肉した影響か、こちら側の言葉を理解している。そのため対話による解決を求め、何度も言葉を投げかけていた。
だが当然、シュウはそれらの言葉を切って捨てた。
文字通りの意味で。
「会話にみせかけて支配か。変わらないな」
シュウは自身に張り付く糸を死魔法で引き裂き、逃げようとする紡ぐ叛威を追跡する。糸のような魔力を張り巡らせることで阻んできても、その全てを力づくで突破した。
紡ぐ叛威は焦る。
己の敷いた法が通じないことで苦しい。
「旭陽、分かっているな?」
『……』
糸で繋がれた旭陽の先に火球が生じた。それは神器・旭陽より放たれる大魔術だ。シュウに向けて灼熱球が発射され、その直後に大爆発を引き起こす。
「雷霆花、海楼」
雷を放つ大槌、激流に乗る三叉の槍がそれぞれ飛来する。
ところがこちらの狙いはシュウではなく、セフィラであった。だが次の瞬間、黒い斬撃が十字に奔り、二つの神器を弾いたのだ。
「死魔力で消せないか。呪詛で守ったな」
巨大な爆発の中からシュウが姿を現し、その周囲には幾つもの円環が浮かぶ。それらは黒い術式が鎖のように繋がったものだ。特徴として、これらを軌道として鎌のような黒い刃が動き回っていた。
円環は瞬時に拡大し、鎌の軌道上に紡ぐ叛威も捉えられる。
すぐに回避しようとしたが、遅かった。鎌は目にも留まらぬ速さで軌道上を走り抜け、受肉体を切り裂いたのである。
「ぐ……《結》!」
その口からはこの世のものとは思えない発音が紡ぎ出され、切り裂かれた身体が縫い合わさっていく。虚無たちは精神的な存在で、受肉先がなければこの世に留まることもできない。アポロヌスの肉体という繋がりを失った瞬間、虚無の世界に逆戻りだ。
「その娘……その娘だ。我が力を食らい尽くそうとしている」
「ああ。《精霊聖樹》は領域内に捕らえた存在の力を食らう。俺たちが欲しいのはお前のその力だ。結合呪詛、頂くぞ」
「あり得ぬ。我が力をここまで容易く……ッ!」
「二百年前にサンプルは手に入れた。解析するには充分過ぎる時間だったよ」
紡ぐ叛威は足搔く。
アポロヌスの肉体と魂を手に入れ、それを足掛かりに物質側の世界で力を付けるはずだった。だがその第一段階の達成と同時に叩き潰されようとしている。
許せないことだ。
これは許せないことだった。
「無駄な足掻きは止めておけ。この空間はお前を完全に閉じ込めている。空間や時間すらも解き、縫い合わせる呪詛を持っているわけだ。こうして閉じ込められることなんて、想定していなかっただろう?」
シュウは迫る糸を死魔力で消し去り、神器の掃射すらも《死の鎌》で叩き落とす。どうやら神器には時空の織物を被せているらしく、死魔力がすぐには届かない。そのため一瞬触れた程度では破壊もできないようだ。
だがこうして時間を稼いでいるだけでもシュウは勝利に近づく。
喘ぐ紡ぐ叛威をさらに絶望させるため、シュウはある場所を指差した。
「聖樹の枝の先は見えるか?」
枝、というにはあまりにも太く逞しい。そして森のように生い茂った大樹の姿。その頂上付近には、ここからでも良く目立つ黒い果実があった。実りはたったの一つだが、代わりに酷く大きい。
「あの果実にお前の力が集められている。俺たちはお前の力を奪い取り、ああして手に入れる。そうすればもう不要だ。受肉体はさっさと破壊させてもらうし、太陽型の魂も回収させてもらう」
「あれが……あれさえ取り戻せばッ!」
紡ぐ叛威は両目をぎらぎらと輝かせ、聖樹の頂上にある果実を目指して飛翔し始めた。天駆の羽衣が光を残し、まるで流星のように昇っていく。
そのまま到達すれば、果実に溜め込まれた結合呪詛は取り戻されてしまうことだろう。
しかしシュウは動かず、寧ろ鼻で笑っていた。
「単純な奴」
力を奪われ続けた紡ぐ叛威は冷静さを失っていた。脱出路を奪われ、己の象徴たる結合呪詛すら通用せず、動揺は大きくなっていく。
そこで耳にした一発逆転を可能とするような情報だ。
思わず飛びついてしまう。
罠が仕掛けられているという発想に思い至ることもなく。
「はーい。しっかり網は張っているのですよー」
世界が止まる。
紡ぐ叛威は肉体の一切を動かせないことに気付いた。あらゆる音が消え去り、空気の流れすらも感じられない。
「時間を歪めて遅くしておいたのですよ。あ、呪詛で改変しないことをお勧めするのです。下手に弄ると時間流が乱れて、空間ごと受肉体がくちゃぐちゃになっちゃうのですよ」
それがどういうことか、紡ぐ叛威にも理解できた。呪詛の応用技として空間や時間も操るのだから、そういったものに対しての造詣も深い。自分が複雑な時間の網に囚われてしまったということにも気づけた。
人間の女がすぐ傍にいる。
だが指先一つ動かせず、この怒りをぶつけることも叶わない。
(罠にかかったというのか。網を張る者たる我が)
こうしている間にも紡ぐ叛威から力が奪われていく。全てを奪い、望むままに与える大樹は果実を完成させようとしていた。
このままでは糸が解けるように、この世界から消えてしまう。力の全てを奪われ、受肉できなくなってしまえば虚無へと戻るだけだ。紡ぐ叛威は本来、こちら側の住人ではないのだから。
「セフィラちゃん。さっさと吸い尽くしちゃいましょう」
「うん。すぐに終わるよ」
まるで狩りだ。
そして己は誘いこまれた獣だ。
これでは紡ぐ叛威の目指す在り方とは大きく乖離してしまう。赦せないことだ。とても許容できることではなかった。
(我が……我が、獲物? あり得てはならない。赦してはならない。あれはまるで……傲慢なる白痴のようではないか!)
虚無の世界には絶対で唯一の『王』がいる。
他の全ての『王』たちも、元を辿ればそこから流れ出た。勿論、紡ぐ叛威もその一つだ。そして彼は命じられた。
紡ぐ叛威であれ、と。
逆らう者として存在せよ、と。
故にそう生きた。糸を巡らせ、網を張り、叛逆を織る。
(白痴が! あの白痴が! 私に存在意義を与え、そして奪った。虚無の奥底へと封じ込めて無かったことにした。赦さない。許せない。あのような傲慢を我は認めない)
時空の網は紡ぐ叛威を捕らえて決して離さない。そして間もなく、最後のひと欠片すら力を奪われてしまうだろう。
(あの虚無の奥底には戻りたくない。我は……我はッ!)
奥底へ引きずり込まれる感覚。
もはや肉体に留まっていられる猶予もないだろう。
「我は、紡ぐ、者。我は叛威、で、ある。何者にも、縛られ、ない」
己に残された結合呪詛を使い、時空を解いた。その瞬間、緻密に編み込まれた時空は爆発する。あり得ぬ形へと無理に繋ぎ止められていた時空が、本来の形へと戻ろうとしてその力を暴発させる。
アポロヌスの肉体は爆散し、肉片が、骨片が、そして僅かに残った呪詛が散っていく。ただしその呪詛はセフィラの世界に奪われ、養分となり、果実を完成させるだけとなったが。
「び、びっくりしたのですよ」
「最後は自滅を選んだか。しがみつくようなら飼い殺しにして呪詛を抽出するつもりだったが」
「でもこれで必要な量は揃ったのですよね」
「ああ」
シュウが見上げると、丁度セフィラが黒い果実を回収しているところだった。彼女はそれを携えてこちらにやってくる。そうしている間に世界は元の姿を取り戻し、白亜の塔を覆っていた聖樹も消え去った。まるで今までの世界が夢だったかのように、一切が消えてなくなった。
「お父様、はいこれ」
「今回はよくやってくれた。聖樹世界もよくできていた」
「頑張って創ったんだよ!」
果実を受け取ったシュウは、すぐに冥界へと送り込む。死の世界へと放り込んでおけば、何者であろうと奪えはしない。それにあの果実の存在は可能な限り隠しておきたいのだ。
「これで長い戦いを終わらせられそうですねー」
「まだ使える形に変える必要がある。それに媒体も必要だ。本来ならミリアムにそれを担ってもらうつもりだったが……それは望めなさそうだな」
シュウは北の方をじっと見つめる。
それはサンドラ帝国のある方向だった。
「残念ながら今の世界が終わりそうだ。少し、救ってくる」
「世界一似合わない言葉なのですよ」
「ママ、すごい失礼なこと言うね」
「……行ってくる」
ほんの少し、傷ついたような顔をしつつその場から消えた。
◆◆◆
劔撃の矢は世界を貫く。
それは周囲の空間を歪ませ、時すらも貫いた。
ただ速いだけなら、玉蟲の業魔も余裕をもって防げた。そもそも蚊に刺された程度の傷すら負わないだろう。通常の魔族以上に迷宮魔力の守りは強く、ただの攻撃はほぼ全て遮断してしまうのだから。だからこその油断があった。
『がッ!?』
そんな呻き、あるいは叫びが思念となって放たれた。
何の防御もしなかった玉蟲の業魔の胸には、深く魔力矢が突き刺さっている。周囲の肉すら破壊し、黒い液体が滝のように噴き出た。
呪いの歌も中断させられ、胸を抑えながら苦しみ始める。
『主の守りを貫いて私の魔石を……どういうことですの?』
巨大な女性体からすれば、劔撃の矢は針のようなものだ。剣も槍も跳ね返す魔族の堅い身体に加え、巨体というのもまた武器となる。その刃を決して急所に届かせないからだ。
だが針のように小さな刃は、確かに玉蟲の業魔へと届いた。
「やってくれました。スルザーラですね!」
「魔石に当たったようです……が、まだですね。この好機を逃してはなりません」
カーミラの警告通り、未だ玉蟲の業魔は蟲を生み出し続けている。もう間もなくこの付近にいる全ての人間は蟲魔族に変えられてしまったのだろうか。そちらの増加には滞りも見えてきた。
ウェルスが小さく鳴いたかと思うと、再び距離を詰め始めた。
「終わりだミリアム!」
だがそれよりも早く、ルークが追撃を放つ。目を開けられないほどの眩い閃光と共に、轟音が落ちた。雷など容易く凌駕する大電流が駆け抜け、生まれたばかりの蟲を焼き滅ぼしていく。そればかりか共食いにより進化した蟲すらも地に落としていった。
彼の真なる狙いはその先だ。
群がる蟲に守られた玉蟲の業魔、その胸に埋まる魔石である。
『邪魔ですわ!』
まるで虫でも払うかのように、玉蟲の業魔は手で薙ぎ払う。するとそこから黒い風が発生し、己の生み出した蟲たちすらも引き裂きながらルークへと迫った。
ほとんど反射で回避するも、そのせいで体勢を崩してしまう。一瞬、己の上下すらも見失い、失速してしまった。そうなればもはや的も同然である。
『私は導く者! この愚かな世を終わらせ、新時代を築く者! 救済の歌い手ですわ!』
――私は呪い、私は叫ぶ
――滅びあれ、破壊の大門よ開け
その歌は世界を呪い、破滅を願う。旋律となって放たれた黒い風が今度こそルークを真っ二つにするかと思われた。風は同心円状に広がり、面上の全てを切断していく。その様子は蟲が切り裂かれていくことでよく見えた。ただし、外からの話だ。
ルークからはそれが見えていなかった。埋め尽くすほどの蟲のため、視界を塞がれていた。
「いけない! ルークが!」
ネオンは目の当たりにしていた。黒い風が、今にもルークを引き裂こうとしているところを。
しかし届かない。
手を伸ばそうとしても、その腕の何百倍もの隔たりがある。
(届かない……じゃない! 届かせます! 私自身で届かせます!)
手は届かない。
魔術も届かない。
この大きな隔たりを超えるために、ネオンは大きく息を吸い込んだ。
――私は歌う、星の威力を歌う
――天の門は開け、栄光の戸の閂よ外れよ
次の瞬間、ルークに黒い風が直撃した。




