589話 アポロヌス王の予感
タイミング、位置取り、まさに完璧であった。
炎帝はロニへと無駄な死体蹴りを慣行しようとしている。ルークの攻撃に気づいてすらいない。そして気が付いた時には嵐唱の刃が首筋にまで迫っていた。
「これで終わ――」
「そんなわけないだろ」
局所的な暴風雨は一瞬にして死ぬ。
嵐唱の刃はシュウによって止められていた。人差し指と親指を使い、摘まむようにして止めていた。ルークの運動エネルギーすらも殺され、彼は空中で停止する。
「おいヘルダルフ。俺は過剰な干渉を禁止されている。余計な手間をかけさせるな。さっさと地獄域に転移しろ」
「黙れ『死』の王。我に命令するな」
炎帝は星環でルークを殴りつけた。怒りのままに殴られ、嵐の鎧も消えたルークは血を吐きながら地面に激突する。そこに向けて炎帝は暗黒点を放とうとしていた。
だが凝縮した黒い球体は強い光に晒され、崩壊する。
「ルークッ! 一旦下がって!」
大穴から赤い獣も現れる。
巨大化したウェルスである。背中に乗るネオンは《聖捌》の光を放射し、炎帝を牽制した。吸血種の赫魔細胞もまた、この光に反応する。皮膚に焼けるような痛みが走り、思わず炎帝も星環を取り落としてしまった。
「何をしている近衛! 紅の兵団! 殺せ!」
炎帝は怒号を飛ばした。
絶対の命令を耳にした近衛の吸血種や紅の兵団が奮起した。落ち着きを取り戻し、仲間と連携して襲撃者を撃破していく。
アスラン戦士団は既に全滅した。残るは炉の戦士とバジルの民だけ。彼らも初めこそ奇襲によって優位を維持していたものの、今ではそれも失われている。宮廷魔術師たちは幾人か殺せたが、吸血種は再生して復帰してしまっていた。
そして正面戦闘になればやはり吸血種に軍配が上がる。
「ここで炎帝を必ず殺します。祖国のためにッ!」
ルゥナもまた、思いもしなかった援軍に希望を見出した。彼女は左手を掲げる。袖口から円盤状の小さな盾が見えた。
「炎の光を吸収させます。時間稼ぎをッ!」
その意味は味方にのみ伝わった。
封魔王国の言葉による指示だ。炎帝を含む帝国側の人間には何をしようとしているのか理解できない。残念ながら炉の戦士にも伝わっていなかったが。
一方でウェルスに乗るカーミラ、ネオン、スルザーラ、そして『黒猫』は上空から戦場を見下ろしていた。三人とも遠距離攻撃を得意とするため、下手に地上へ降りるよりもよい。
「この巨大な人型はなんでしょうか?」
「おそらくアルマーニ殿が仰られた古代兵器でしょう。こんなものを戦いに出すというのか……」
ネオンとスルザーラはすぐ傍の巨兵を気にしていた。今は動いていないが、ここまで続いている足跡は地上に確認できる。大地を踏みしめた跡は深く、大きく、こんなものを地獄域に転送させるわけにはいかない。
「カーミラ、壊せますか?」
「難しいですね。あれは全てオリハルコンです。外装に魔力を感じます。炎帝を止める方が容易いでしょうね」
「殺せるのですか?」
「……不可能、だと思います。炎帝の傍にはシュウ様が……冥王がいますから。あの方の目的がどこにあるのか、私には分かりません。しかし炎帝を唆し、封魔連合で何かをしようとしていることは確かです。炎帝を殺させてはくれないでしょうね」
「冥王……初代聖守様も警戒を厳命した『王』たる魔物ですね」
何よりも大きな壁となっているのかシュウであった。幸いなのはよほどの危機が炎帝に迫らない限り、手を出してこないことだろう。積極的にこちらを殺しにかかれば、もう全滅している。
どうすれば炎帝を止めることができるのか、よく考える必要がある。
「シュウ様を出し抜き、炎帝を殺害します。それしかありません」
「どうするのだカーミラ?」
「あの方も完全無欠ではありません。気を逸らすことができれば、あるいは出し抜けると思います」
「何とかなるということか」
「可能性は無ではありません。やるしかないでしょう」
そしてカーミラは『黒猫』の方にも向いた。
「あなたは協力してくれるのですか?」
「僕は傍観かな」
「そうですか」
『黒猫』の真なる目的が分からない今、味方として数えるのはリスクが高い。傍観するという言葉もどこまで信じてよいか不明だ。
「ッ! 何か来ます」
「え?」
「あそこです」
カーミラはある場所を指差した。
そこは戦場の中心とも呼べる位置である。ネオンもスルザーラも何かを見出そうとしたが、そこには何も見えない。だがそれは目で見て知覚できるものではなかった。むしろ目が見えないカーミラだからこそ知覚できたものだ。
「強い魔力が発生しています」
そう言った途端、空間が歪んだ。
戦場の中心に突如として生じた歪みは、炎の揺らぎにも見えた。だが空から見ているネオンとスルザーラは、明確にそうではないと悟る。歪みの答えは『黒猫』が口にしてくれた。
「あれは空間転移の歪みだね。よほど美しくない術式を使ったのかな? 負荷が大きいと、ああいう歪みができるんだ」
「転移だと!? ならば……」
「まさかミリアム?」
歪みが大きくなることで戦っている者たちも異変に気が付いたのだろう。歪みから距離を取り、何が起こるのか様子を見る。
ネオンとスルザーラの予感は当たった。
歪みの奥から、目を閉じたミリアムが現れたのだ。
「お待たせしましたわ炎帝陛下。どうやら遅刻してしまったようで申し訳ございません。お詫びにここは私がお引き受けしますわ」
そう告げる彼女は、今までと何かが違った。
目を閉じて開かず、耳には見覚えのない飾りがある。そして首の後ろからは白い糸のようなものが空に向かって伸びていた。糸の先を辿ると途中で消えており、どこに繋がっているのか分からない。
不意にミリアムは指を鳴らす。
するとバジルの民や炉の戦士たちは一斉に白い糸で縛り上げられ、宙吊りにされる。
「く、そ……」
ルークもまた、両手両足に糸が巻き付き、空中で拘束されてしまった。
◆◆◆
サンドラ帝国と封魔連合王国の戦線は主に三つ。ベルン川防衛戦線、アドミラル平原会戦、レディラ市防衛戦である。ベルン川は停滞、アドミラル平原はサンドラ優勢、レディラ市は封魔連合優勢だった。だがこれらとは別に、もう一つ戦場がある。
ヴァルナヘル市を舞台に行われているシュリット神聖王国とサンドラ帝国の戦いだった。
ここでサンドラ帝国側の事情について語る必要がある。現在停滞気味のベルン川と、ヴァルナヘル市の戦いは同じ補給線を用いているのだ。つまり補給線を破壊すれば、両方の戦場で優位になれるということだった。
「む? 奇妙だな」
「どうしたレイモン」
「俺が指示した通りに物資が運ばれていないようだ」
「何だって?」
かつてヴェリト王国とシエスタの国境付近にあった都市は、現在サンドラ帝国の補給基地として利用されていた。物資は一度この都市に集められ、ベルン川とヴァルナヘル市の戦場へ送られる。だがこの都市の提督として派遣されている吸血種は、指示した覚えのない物資輸送報告書に首を傾げていた。
「ギール、少し調べてくれ」
「分かった」
ギールと呼ばれた吸血種も、この補給都市の副提督として就任している。早速部下に指示を出し、現場で何が起こったのかを調べさせた。
するとすぐに奇妙なことが分かってくる。
「レイモン、おかしなことになった」
「何?」
「どうやら君が現場に直接現れ、報告書のような指示を出したらしい」
「なんだと?」
「その様子では覚えがないらしいな」
「当然だ。戦線からの要請とは全く異なる輸送になっている。私がそんな愚かな真似をすると思うか?」
勿論ギールは首を横に振った。
仮にも補給拠点の管理者として任命されているのだ。そのような初歩的な過ちを犯すはずもない。
「おい、まさか他にも似たようなことが起こっているのではないか?」
「私もそう思って調べさせた。残念ながら他にも何件か……」
「そうか。そういうことか。幻術か?」
「分からん。現場で目撃証言があった頃、お前は何をしていた? 幻術か、お前自身が操られていたのか。まずはそれをはっきりさせたい」
もう夜中になってしまったが、関係者は叩き起こすつもりだ。所詮は元ヴェリト人の奴隷だ。気遣う必要などなかった。
そのつもりでギールが出て行こうとしたとき、ちょうど同じタイミングで扉が開けられた。開けたのは同じ吸血種の同僚である。
「大変なことになっていますよ。都市内で反乱です」
「何? 奴隷共か? 奴隷印はどうなっている?」
「それが消えてしまったようで。しかも反乱を起こしているのは我が国の兵士です。向こう側には吸血種もいる始末で」
「どういうことだ!?」
意味が分からずレイモンは怒鳴る。
そして状況は更に彼を混乱させた。
「それが……『私こそが本物のレイモンだ。偽物が奇妙な指示を出し、最前線を混乱させている。ここで討たなければならない』と申しておりまして」
「俺が偽物だと?」
「いえ、あちらが偽物でしょう。少し口調が変でした。ですがレイモン殿と深くかかわったことがない方は騙されてしまうのかもしれません」
「面倒な。どうするギール」
「これではっきりしたな。敵はレイモンに扮して我が軍の補給拠点を内部から破壊しようとしているらしい。やるべきことも分かった。そうだろう?」
敵は幻術か変装か、レイモンに成り代わって何かをしようとしている。そして奴隷の印を取り去り、反乱を誘発させた。補給基地においてこれは由々しき事態である。時間をかけるほど、最前線への負荷は大きくなり、取り返しがつかない事態となるだろう。
「反乱者は全員殺せ。言い訳は聞くな。全て殺し尽くせ」
冷徹に、レイモンはそう告げた。
◆◆◆
アポロヌスはアドミラル平原の戦いから離れ、停滞しているベルン川に戻ってきていた。水を操るウル公の海翠が定期的に津波を引き起こし、帝国軍の川渡りを防いでいるからだ。だが帝国軍も決して馬鹿ではない。簡単には渡れないとなると、魔術による砲撃戦を仕掛けてきた。
お互いに巨大河川を挟んだ戦いに発展し、停滞し続けていたのである。
「夜中に悪いね。ウル公、戦いの状況は聞いているよ」
「王よ、大変申し訳なく。して、なぜここに?」
「ずっと嫌な予感が拭えなくてね。アドミラル平原で敵軍を倒しても強まるだけだった。だから別の戦場じゃないかと危惧しているんだ。だから天駆で飛ばしてきたよ」
「そうでしたか。それで今は?」
「変わらないよ。頭が痛くなるほど警鐘が鳴っている。そんな感じだ」
アドミラル平原は劣勢だが、時間稼ぎはできている。ここで戦ってどうにもならなかったということは、別の戦場が重要なのだろう。アポロヌスはそう考え、停滞気味のベルン川に来た。
しかしそう簡単な話ではなかったらしい。
「王、こちらも反撃の準備は整っております。ベレス公が朧典貌で補給線破壊作戦を実行してくださっているところです。数日もすれば好転するでしょう」
「なるほど。考えたね。彼の朧典貌で内部崩壊ってところか」
「そういうことです。あらゆる人物に成り代われる精神干渉の神器。あれほど破壊工作に向いた神器はありませんので」
そう言いながらウル公は紙の束を手渡した。
記されているのは作戦の概要である。朧典貌を保有するベレス公が少数を引き連れてベルン川を渡り、敵地に潜入する。そして補給拠点でサンドラの指揮官へと成り代わり、偽の指示を出すことで内部を混乱させるというものだ。
朧典貌は周囲の人間の認識を完全に書き換え、五感を騙し通す。こういった策はかねてよりベレス国内で検討されていた。まず失敗しない。
「ベルン川を渡るためにルーイン公にも協力してもらったのか」
「ええ。あの方の不徨を応用しまして。同化すれば少人数ならば空間転移も可能ですから」
「ルーイン軍にはヴァルナヘル側を任せていたが大丈夫なのか?」
「この作戦は補給線を潰すことにありますので、成功すればヴァルナヘル市の戦況も改善するはずです」
「ああ、すまない。資料の後ろに書いてあったね」
「いえ」
見る限り順調なはずだ。
だがやはり何か大きな危機が迫っている気がする。蛇のように狡猾で、影のように掴みどころがない。
(俺が把握していないところでサンドラが進軍している? だが遠距離通信魔道具でもそれらしい報告はない。各地に放っている諜報部隊が見つけられないとは思いたくないな)
今夜だ。
何がが起こるのは今夜だ。アポロヌスは漠然とそれだけを予感し、焦っていた。
◆◆◆
ミリアムは現れた途端、目につく敵対者たちを全て糸で拘束した。それらの糸の端は空間のどこかに消えているようで全員が宙吊りにされている。
そんな彼女の傍で、再び空間が揺らいだ。その歪みからはどこかで見たような青年が現れる。
「おや、君のそれは……ともあれおめでとう『鷹目』」
「祝辞に感謝いたしますわ『黒猫』。そうそう。こちらをどうぞ」
すぐ横に現れた『黒猫』に対し、ミリアムは金貨を投げ渡す。
「『幻書』の金貨ですわ。彼、刻命で私を支配しようとしましたの。だから殺してしまいましたわ」
「構わないよ。彼は元『幻書』だからね。裏切者を処分してくれて感謝するよ」
「ご褒美をくださってもよろしくてよ?」
「ははは。そうだね。じゃあここは一つ、こうしようか」
『黒猫』は指を鳴らす。
すると拘束されていたバジルの民の一人が死んだ。いきなり首が転げ落ちたのだ。噴き出す血が周囲を少しずつ赤に染めていく。
これらの光景はウェルスに乗って見ていたネオンは思わず振り返った。そこには表情の消えた『黒猫』がいて、口元だけが笑みを浮かべている。
「僕は君たちの味方をしてあげたんだ。釣り合うように、ミリアムの手伝いもしてあげないとね。あっちの僕もまた『黒猫』。『鷹目』と『死神』を平等に助けるのさ」
いけしゃあしゃあと、そんなことを宣言した。




