585話 睡蓮
夢の中の睡蓮魔仙は見上げるほどに巨大だ。
それこそ山と間違うほどに。
「逃がさぬ。逃がさぬぞ!」
「我ラノ夢幻カラハ逃ゲラレヌ!」
耳を塞ぎたくなるような怒声であった。
そして巨大な手を振り上げ、平手で三人を叩き潰そうとする。するとスルザーラが劔撃の魔力矢を放ち、迫る掌に穴を空けた。激痛のためか、睡蓮魔仙は振り下ろしを中断して悶える。
次にルークが神器同化を果たし、刀身から放出される巨大な雷撃で睡蓮魔仙の胸を貫いた。高電流、高電圧の刃が血を沸騰させ、陽電子が内部から破壊する。
「無駄ダ」
しかし次の瞬間、睡蓮魔仙は元通りに戻ってしまった。
そして今度は拳を振り上げ、叩きつける。巨大な土煙が舞った。
「危なかった。避けて正解だったな」
スルザーラはルークとネオンの腕を掴み、すぐに飛びのいた。倒せたと思って油断していた二人だけでは逃げ遅れていたことだろう。
ひとまず土煙に紛れつつ、適度に風の魔術で吹き飛ばして視界を確保する。今の一撃でレビュノス家の屋敷はすっかり壊れてしまい、隠れる瓦礫には困らなかった。
「助かりましたスルザーラ。あなたに怪我は?」
「大丈夫です。聖守様も無事でよかった。ルークもな」
「助かったよ。でもあれは……」
「ああ。奴のアレは治癒でも再生でもない。文字通り、致命傷をなかったことにされた。ここが夢の中ということが関係しているのだろうさ」
スルザーラは理解が早く、状況を正確に分析していた。
ここは睡蓮魔仙の見せる夢の中。言い換えれば敵の腹の中である。三人の記憶を消し、あり得ない世界を作り出したほどの幻術だ。何が起こっても不思議ではない。
「問題はどうすれば倒せるか、ですね。幸いにも神器や祝福の力は使えるようです。それに私たちの存在そのものや、攻撃方法を無効化するような理不尽もありません。何かの穴があるはずです」
「……そもそもなぜ私たちは本当の記憶を思い出せたのか。それも気になります」
「おそらく現実世界の本体が何かの理由で弱ったのでしょう。『声』が教えてくれました」
「そっか。カーミラだ」
ここにはいない、もう一人の仲間。カーミラが何かしてくれたに違いない。だから繰り返す一日から抜け出すきっかけを得られた。
「だったら話は早いだろ。現実でカーミラがあの魔族と戦ってくれている。俺たちは夢の中であのクソ野郎を殺せばいい」
「同感だ。それに個人的な恨みもある。こんな厄日を何度も見せてくれた借りを返さなければな」
「私も少し腹が立っています。やりましょう」
三人の意見は一致した。
とにかくあの巨大化している睡蓮魔仙を倒す。その方法論はともかく、方針は決まった。
「有効打になりそうなものといえば、聖守様の《聖捌》か聖王剣ですね」
「魔族と同じ弱点なら、胸の中の魔石さえ砕いてしまえば倒せます。ですが夢の中まで同じ弱点かどうかの保証はありません」
「結局やってみるしかないだろ。考えていたって答えは分からない」
「ふふ。ルークの言う通りですね。まずは試してみましょうか」
土煙が晴れていく。
そしてルークはまだ土煙の舞う場所に飛び込み、できる限り姿を隠したまま睡蓮魔仙への接近を試みた。嵐の鎧で空を飛び、最高速度で睡蓮魔仙の足元に潜り込もうとする。
またスルザーラは別の場所に移動して身を潜め、弓形態の劔撃に魔力矢を発現させた。こうして待機している間に攻撃力は蓄積され、その威力を増していく。可能ならば最大威力を打ち込みたい。
最後にネオンはその場に留まり、《聖捌》の祝福を少しずつ練り上げた。
◆◆◆
「第十、第九、第八――」
カーミラは一つずつ《聖印》を解放していく。その度に魔力が爆発的に放射され、常識を超える出力を見せつけた。
睡蓮魔仙も警戒し、闇属性の魔術で抵抗する。第三階梯に位置する《無象鋭鎗》という魔術だ。物質のエネルギーを崩し、不定形物質として操ることができる。低位の魔術だが、汎用性が高く使い勝手がいい。
地面が闇色に染まり、それらは周囲を侵食しつつ鋭利な刃を生やしていく。睡蓮魔仙を中心に広がった闇の剣山はすぐカーミラのところにまで迫った。察知していた彼女は《聖印》の解放を中断し、霧化して逃れる。
「嫌な魔力だ」
「危険ダナ」
霧の中では魔力も阻害される。だが睡蓮魔仙は出力で押し返した。霧による阻害を上回るよう、強引に術を使う。そうまでして防がなくてはならないと本能が警鐘を鳴らしていた。
「《熱風》」
「《大爆発》」
二つの精神があるからこそ、同時に二つの魔術も扱える。あらゆる水分を蒸発させるほどの熱風と、炎を伴う爆発が赤い霧を吹き飛ばした。
瘴血の霧も所詮は水分だ。熱気で蒸発してしまう。
カーミラも炎に巻き込まれないよう、急ぎ実体化して離れた。
「第七――またですか」
四つ目の《聖印》を解放しようとして中断させられた。黒い槍がこちらに向けて発射されたのである。カーミラは回避に専念し、再び霧化して物理攻撃を透かした。
(先ほどの炎魔術は私の逃げる先を限定するためでしたか。誘われましたね)
解放した《聖印》は常に魔力を放射しており、次第に消えていく。ずっと開放し続けるわけにはいかない。だからといって再封印しても、少し減った魔力で初めからやり直すことになるだけだ。
(ウェルスがいてくれれば時間を稼いでくれたのですが)
まだ地上で暴れているであろう眷属を想う。
このまま邪魔され続けるなら、再び《鮮血の月》を発動して腹の内に取り込んでしまうしかなくなるだろう。だがそれでは業魔族を殺せないことを実証している。次なる可能性が、この魔術なのだ。
(いっそ最終手段の《万象貫通》を……ですが使えば魔力をほぼ全て使い果たしてしまいます。敵地で血に渇くのは危険ですからね)
悶々としつつ、ひとまず無駄に放射される魔力を血晶に変換し、飛ばした。
◆◆◆
「嵐唱、久しぶりに行くぞ」
『こちらからすればすぐ前のことだがな』
粉塵の内側から雷光を放射した。
睡蓮魔仙の顔に直撃して、皮膚や眼球を傷つける。魔族と言えど痛みという感覚を持った生物だ。雷に打たれたら怯むこともあるし、痺れで動きが鈍る。そこにスルザーラの魔力矢が飛来し、目に突き刺さる。その間にルークは背後に回り込み、もう一つの顔を切りつけた。
「よくやってくれましたルーク、スルザーラ! 次は私です」
ネオンの《聖捌》が天に打ち上げられる。巨大な光の塊は上空で弾け飛び、そして雨のように降り注いだ。巨体の睡蓮魔仙は全身を毒の光に打たれ、苦しみ悶える。
その隙にルークは嵐唱の刀身へと雷を集めた。またスルザーラも劔撃に攻撃力を蓄積させ、狙いを定める。
「ぶった切るッ!」
巨大化した雷の刀身が睡蓮魔仙の右腕二つを切り落とした。眩いほどのエネルギーを放ち、焼き切ったのだ。
「くそ。頭を切ってやろうとしたのに避けられた」
精神世界だからだろうか。魔力の消耗は感じない。第三の眼による供給というわけではく、単に魔力が減った気がしないのだ。これはスルザーラも実感していた。
「最大威力、出し惜しみはなしだ。脳天を射抜くぞ劔撃」
『完璧だ。射よ』
劔撃の魔力矢はほとんど空気抵抗も受けず、重力による落下もなく、一直線に睡蓮魔仙の頭部を穿つ。その威力のために血が雨のように飛び散り、肉片や骨片までもまき散らした。
しかし次の瞬間、睡蓮魔仙は元通りになってしまう。
これまで与えたダメージは全て無となってしまった。
「また振り出しかよ」
ルークは再び雷光を発し、刀身を巨大化させた。
◆◆◆
「第七、第六を解放ッ!」
一瞬、睡蓮魔仙の動きが停止した。カーミラはすかさず聖印を解放する。
さらに二つを解放したことで魔力の放射は激しくなり、余剰魔力を血晶にして射出した。
「《粘液弾》」
「《激流》」
二つの水属性魔術が血の槍を受け止め、押し流した。血晶はすぐに分解して霧となり、睡蓮魔仙の視界と魔力知覚を阻害する。
霧の奥から蛮骨が伸びてきて、睡蓮魔仙の脇腹に突き刺さった。血の刃が体内に混じり、内側から破壊する。すぐに再生するとしても、痛みはかなりのものだ。
「体内の血を魔力で掻き消しましたか」
噴き出す血液は瞬時に霧となり、カーミラの手足として睡蓮魔仙を脅かす。あくまでも七仙業魔を完全に殺すための実験だ。簡単には殺さない。
痛めつけるような戦いは、睡蓮魔仙の精神を掻き乱した。
◆◆◆
睡蓮魔仙の毛皮がドロリと溶ける。巨大化している分、流れる血も多い。真っ赤な湖がその足元に出現することになった。
「なんだ? どうしたというのだ?」
少し遠くから狙いを付けていたスルザーラは疑問を口にする。ネオンかルークが何かしたのかとも思ったが、そんな様子はなかった。空を飛ぶルークも戸惑っているようで、距離を取っている。
巨大な睡蓮魔仙が苦しみ悶えているため、今は近づけない。
「しかし好機だ」
ネオンも同じことを考えたのか、巨大な光線が睡蓮魔仙を貫いた。聖なる光は体表を焼き、その内部にまで毒として浸透する。皮膚という防護が溶けてしまった今、睡蓮魔仙は激痛に苛まれた。
そこをルークの雷撃が追撃し、スルザーラも魔力矢で首を抉る。
◆◆◆
「ぬぅ……」
「グ……」
現実世界の睡蓮魔仙が唸った。
再生が止まり、膝を突いた。聖印を解放させまいと次なる魔術を準備していたにもかかわらず、それすら中断される。
これはカーミラにとって最大の好機だった。
「第五、第四、第三、第二、第一を解放」
全開放された聖印により強い魔力が放射される。
それらはセフィロトの術式に流れ込み、その根源にまで到達した。
「彼方より流出する有界の無限。光より始まり、光に終わる」
その瞬間、霧が晴れた。だが霧は消失したわけではなく、凝縮し、睡蓮魔仙の足を固めた。睡蓮魔仙ほどの力があれば血晶を砕いて抜け出すことも叶うだろう。だがそれまでにかかる僅かな時間が命取りだ。
カーミラは手を差し向ける。
青白い、巨大な光が発せられた。
「《無限光》」
反魔力の光は収束し、人を飲み込むほどの光線となって放たれた。睡蓮魔仙はその中へと消えていく。
精霊秘術における最高峰がこの術式だ。《聖印》に蓄積した魔力を全開放し、その出力を以てして反魔力を再現する。高出力の反魔力は万物を根源から消滅させる。半分魔物の魔族にとっては致命的な毒の光だ。
『ガアアアアアアアアアッ!?』
二重の悲鳴が光の中から聞こえた。
◆◆◆
この瞬間、精神世界の巨大な睡蓮魔仙にも変化が現れた。
巨体の皮膚のみならず、肉や骨までもが溶け始めた。特徴的な二つの首、四つの腕が骨格まで露となり、消えていく。いや、解けていく。
無機質な『鎖』となって解けていく。
「これはいったい……」
「聖守様、一度下がりましょう。ルークが大技を仕掛ける気です」
見上げればルークはこれまでにないほどの雷をその身に宿していた。おそらく常人では耐えきれないほどの大電流である。これを《耐電》の祝福で押し留めていた。
『ここは現実ではない。ゆえに身体を捧げずとも我は力を与えることができてしまう。まったくもって不愉快な取引だ』
「文句あるかよ嵐唱」
『いや、使い手に終極の同化を見せるのも悪くない。絶大な力だ。必ず酔いしれることだろう』
雷はますます激しくなり、空には暗い雲が渦を巻く。滝のように雨が降り出し、大風のせいで吹き飛ばされそうになった。ネオンとスルザーラは互いに身を寄せ合い、この暴風雨の中を耐える。
そしてネオンは見た。
(怪物……?)
雷のせいで眩しく、目を細めていた。それでも影は見えていた。
ルークの姿は変容し、全身が黒く、そしてひび割れた皮膚に変わっていく。額からはねじれた角が二本も生えて、髪は真っ白になるまで色を失っていた。まるで雷の中から現れた獣だ。獣が嵐唱を掲げていた。
そして次の瞬間、視界いっぱいに光が飛び込んでくる。少し遅れて雷鳴が轟き、耳を塞いだ。それでも音は全身を貫き、骨が軋む。反射的に叫んでしまったにもかかわらず、自分の声すら聞こえない。
(ルーク! スルザーラ!)
口に出したはずなのに、声が耳に入ってこない。
今の轟音で鼓膜が破れてしまったのだろうか。そんな心配をしたとき、不意に金属が壊れたときの高い音が聞こえた。そしてネオンは真っ白な視界の中で確かに目撃する。
(鎖……?)
砕け散った鎖と、光に飲み込まれて消えていく睡蓮魔仙。
そして彼女は察した。
睡蓮魔仙が死んだ。いや、滅んだのだと直感した。そして彼女の意識は少しずつ遠くなっていった。




