578話 『鷹目』のミリアム
奇妙な縁だ、とカーミラは思う。
それと同時に『詰み』という言葉も浮かんだ。『鷹目』の情報網を頼りにしていたというのに、その本人が敵なのだ。これではどうしようもない。
「御機嫌よう『死神』。それとも始祖様とお呼びすればよろしいかしら?」
「まさかあなたとは思いもしませんでした」
「そうですの? ではここで私を殺しますか?」
「いえ、それは私がするべきことではないでしょう」
「律儀ですのね」
そもそもこの場で彼女を殺せるとも考えていない。もしもそのような素振りを見せれば『黒猫』が対処するだろう。実際、こちらに警戒の目を向けている。今は会話する方が有意義だ。
「口振りからすると私の正体は知っていたようですね。なぜ会おうと考えたのですか?」
「勿論、『鷹目』に相応しい役目を果たすためですわ」
「宮廷魔術師でもあり、魔神教団でもあり、黒猫の幹部でもある。あなたは今、『鷹目』としてここに?」
「ええ」
黒猫という組織に、一連の目的は存在しない。ただ十一人の幹部たちが好きなように振る舞い、個々人の目的のために動く。ただそれを支援するだけの組織である。強いて言えば『黒猫』が人材確保するための組織だろうか。
そのため『鷹目』として現れたとしても、それはミリアム自身の目的を果たすためかもしれない。
決して油断はできない。
警戒を解こうとしないカーミラを見て、ミリアムは苦笑する。
「欲しがっている情報は差し上げますわ。聖守は生きておりますの」
「魔族にするためですか? それとも魔神への脅威を手元に置いておくためですか?」
「聖守は殺せば次の聖守が生まれますの。魔神様には時間が必要ですのよ。だからできるだけ長く生かしますわ」
「本当で――」
「というのは嘘で、魔族の実験に使いますわ」
まるで悪戯が成功したかのような、そんな笑みを浮かべていた。
希望を与え、そこから絶望に転じさせる。その落差に苦しむことを期待していた。しかしカーミラは一切表情を動かさない。ミリアムはつまらないと言わんばかりである。
「全く揺れないのですわね」
「私は平然とそんなことをするあなたの精神性を疑います」
「残念ですわ。嫌われてしまいましたわね。でもその通りですの。私、人って種族を蟲だと思っておりますもの」
「……それはエルムレアのことがあったからですか?」
ミリアムから表情が消えた。
怒り、悲しみ、あるいは憎悪。複雑な負の感情が湧出する。カーミラにはそれが見えていた。
「驚きましたわね。そんなことまで調べましたの?」
「偶然知っただけのことです」
「ええ。確かに私はエルムレアで酷い仕打ちを受けましたわ。でも同時に悟りましたの。人は進化しなければならないと。不完全な存在から脱却することが救いだと。その点、始祖様のことは尊敬しておりますのよ? 私に似ているから」
「……」
同情に親愛。そんな感情が見えた。
彼女の言葉に嘘はない。カーミラのことを知っており、自分の幼少と重ねている。カーミラ自身に幼い日の記憶はないが、それでも何があったのか知識だけは知っている。自分のルーツを探るため、調べたことがあったからだ。
確かにミリアムとカーミラは似ているだろう。
そして違いは記憶があったのか、なかったのか。そこだけだ。その違いが生き方を大きく変えている。
(もし私に記憶があれば……生家を恨んだのでしょうか。人を恨んだのでしょうか)
ミリアムはあったかもしれない可能性だ。
だからこそ、哀れに思ってしまう。敵であるはずなのに、敵意を維持できない。
「ふふ。話が逸れてしまいましたわね。聖守を魔族にすれば、その性質をそのままに無限の寿命を与えられるかもしれませんの。そうすれば新しい聖守は生まれない。魔神様の脅威は消えてなくなりますわ。可能性は低くとも、試す価値はありますでしょう? それにこれは救いですのよ?」
「救い?」
「ええ。劣等たる人間を卒業し、上の位階に到達する。それが魔族化ですの。それに聖守が魔神様を倒したところで……まぁこれはいいですわね」
「それはどういう……いえ、魔族も人間と変わりません。吸血種も。ただ欲に動かされる者たちは一定数存在する。それだけのことです。一部の人間を見て、それが全てであるとは思わないでください」
「滑稽ですわね。まさか吸血種の始祖様に庇われるなんて。本当に人間って滑稽ですわ」
彼女はどこまでも人間を嘲笑う。
心の底から嫌っていて、憎んでいて、そして人を人だと思っていない。獣か、あるいは害虫のようなものだと認識している。もう彼女の心を変えることはできない。カーミラはただそう悟った。
「魔族化は明日の正午に行いますの。場所は探索ギルド本部の地下にある魔神教団の実験場ですわ」
「ッ! 炎帝の出陣と同じ日に?」
「あら、ご存じでしたのね。数を減らし、グリムの協力もないあなた方に両方を同時に攻めることができまして?」
これがミリアムの真の目的だった。
情報は隠すだけにあらず。それを用いて敵を自在に動かすことこそ、『鷹目』の真骨頂。ミリアムは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
炎帝か、聖守か。その二択を強いるためにここへ来たのだ。カーミラはこの答えに至った。
「そうそう。言い忘れておりましたわ。炎帝陛下は解廊鍵を使って神奥域から空間転移されますの。迷宮内に限り、自在に空間を飛び越える奇跡。魔神様から賜った秘密兵器ですわ。それを使って地獄域まで飛びますのよ」
「それは……ッ!」
「どんな答えを出すのか。楽しみにしておりますわ」
ミリアムは席を立つ。
言うべきことは言ったということだろう。
この情報をどう扱うべきか。カーミラは酷く頭を抱えた。
◆◆◆
酒場の地下にある炉へと戻ったカーミラは、得た情報を包み隠さず伝えることにした。隠すにしても、二択をカーミラ自身で選ばなければならない。皆を騙すこともできなかった。
「そんな……聖守様が……」
話を聞き、スルザーラは絶望的な声を漏らした。
明日の正午には魔族化の儀式が行われる。失敗すれば死に、成功すれば死より惨い。何としてでも阻止しなければならないことだ。
しかし一方で、ルゥナやロニからすればもう一方も聞き逃せない。
「炎帝が転移で封魔王国に急襲ですか。どうにか止めなければなりませんね。あそこを戦場にするわけにはいきません」
「その通りです。アーガス王子殿下もおられる。何としてでも炎帝を殺害せねばなりません」
予想通り、意見が二つに割れてしまった。
問題となるのは炎帝が転移によって移動してしまうことである。普通であれば後ろから追いかけるという方法があるため、追い付いての暗殺も叶う。しかし空間転移で封魔王国まで移動してしまった場合、どう考えても間に合わない。
ネオンの魔族化実験も、炎帝の出陣も明日。
「今すぐ行動したら間に合うか?」
「ルークさん、流石に無策は危険です」
「だけど……」
「最低でもどちらかは必ず成し遂げなければ全てが無意味となります」
「どちらか、ではありません。炎帝暗殺こそ成し遂げるべきです」
ぴしゃりとルゥナが告げる。
だがやはりスルザーラは納得しない。だが反論は許されなかった。
「私たちは炎帝を殺すためにここまで来たはずです。あらゆる犠牲を払い、進み続けてきました。今回は残念ですがネオン殿の番だった。それだけのことです。それにこうなったのも聖石寮に裏切者がいたことが原因でしょう? 自業自得ではありませんか」
「なッ! 初めに私たちを頼ったのはそちらではないか!」
「シュリット神聖王国はサンドラの侵攻を抑えることさえできれば役目を果たしたといえます。その点では感謝しているといっておきましょう」
「だが聖守様の力なくして炎帝を討てるというのか!?」
「ルーク殿とカーミラ殿がいます。お二人がいれば問題ないのでは?」
そう言われるとスルザーラも反論できない。
実際、ルークは嵐唱を驚くほど使いこなしている。またカーミラに至っては厄災を超えた魔物すらも滅ぼしている。炎帝を暗殺するのに不足はない。
「……すまない。私は聖守様を助けたい。あの方を失うことに耐えられない」
スルザーラはそう、絞り出した。
しかしルゥナはあまり気にしていないようだ。それならそれで好きに動けばいいと考えている。
「ルーク殿、あなたは炎帝を殺すために動きますよね?」
「俺は……俺は……」
「ルーク様! アーガス殿下と約束されたではありませんか! あなたはアスラン王国を背負う御方となったのです!」
「ロニ将軍……でも、俺は、どうしたら」
ルークは深く悩んでしまう。
思い出されるのはネオンとの言い争いだ。本当に些細なことから大きな喧嘩をしてしまった。正直、今もなぜ彼女が怒ったのか分かっていない。
そこをルゥナも指摘した。
「ルーク殿は聖守殿と酷く言い争いをされていたはずです。それに対して炎帝は仇のはず。仲違いした女性一人と、自身の願い。どちらが大切ですか?」
「ルゥナ殿! その言い方はずるい! いいかルーク。確かに聖守様は理不尽なことをされた。しかしそれはあの方も感情を制御できなかったからだ」
「スルザーラ殿の言葉に耳を貸さないでください。それは感情論です。先も言いました。これまでも多くの犠牲を払ってきたのですよ? 全ては炎帝を討つためです。全てを無駄にするおつもりですか!」
歯を食いしばり、ルークは必死に考える。
答えのない二択に苦悩する。
(正しいのはルゥナさんだ。それにロニ将軍も言っていたように、アーガス殿下から国の未来を託されている。炎帝の方に行くのが正しい。正しい……はずだ)
ふと、カーミラの方に目を向ける。
だが彼女が何を考えているのか、さっぱり読み取れない。ネオンを救出することに賛成なのか、あるいは炎帝の方に向かうべきなのか。しかし視線に気が付いたカーミラは、ただ首を横に振るだけだった。
もう導いてくれる人はいない、ということだろう。
自分の責任で、自分で判断しなければならない。きっとスルザーラは一人でもネオンを助けに行く。そしてルゥナとロニはどんな結果になっても炎帝暗殺のために動く。
「俺は……俺は」
絞り出したその答えとは――
◆◆◆
ミリアムは魔神教団の実験設備へと戻った後、すぐにネオンのもとへと訪れた。動けぬよう、金属の鎖を使って拘束されている。また魔力を乱す装置のせいで魔術も使えない。
碌に食料も与えられず、お陰で元気がなかった。
「調子はどうですの?」
「……」
「元気がなさそうですわね」
ネオンは項垂れたまま、何も返さない。
もうすっかり気力を失ってしまっていた。
「シュウ様も困ったものですわ。あんな酷い言葉を投げかけて。でも仕方ありませんわね。聖守なんてそんなものですわ」
意識はあるはずだが、やはり反応がない。
ミリアムは溜息を吐いた。よほど思い詰めているらしい。シュウの言葉もそうだが、グリムの裏切りが相当効いたのかもしれない。
「先ほどカーミラ様と会ってお話しましたの。明日あなたを魔族化すると言ったら酷く驚いておられましたわ」
「ッ!」
「ようやく反応しましたわね」
完全に光を失っていた瞳に、意識が灯っていた。そして彼女は次の言葉を期待している。カーミラがどう答えたのか、知りたいと願っている。
浅ましいことだ、とミリアムは嘲笑った。
「ふふ。でも炎帝陛下も明日、帝都から発たれるという情報も教えましたの。空間転移の奇跡を使って、封魔王国を奇襲すると。もうどちらかを選ぶしかありませんわ。あなたか、国か。お仲間たちはどちらを優先するのでしょうね?」
「……そん、な」
「楽しみですわ。一番簡単なのは意見が割れて戦力を分散してくださることですけれど……そうなれば各個撃破しておしまいですわね」
あり得る話だ。
目的こそ同じだが、元は別の国の人間が集まっている。理念も優先事項も人それぞれだろう。
(スルザーラは……こちらに来ます。彼ならば一人でも。ですがルゥナ殿やロニ殿は炎帝を殺すために動くでしょう。国がかかっていますから。カーミラは……分かりませんね。彼女は友ですが、情に動かされる人ではないはず。あとルーク……ルークは……)
ルークが助けに来てくれる瞬間を想像する。
彼は情動的で、いつだって考えなしだ。こちらに来てしまう可能性はある。だが、それは普段の話。
(ありえません。だって私は……彼を……彼に酷いことをしてしまいました。あんなの、最低な女です)
ずっと心が乱れていた。
蟲魔域であのことを目撃してしまってからは。
霧に紛れ、ルークとカーミラが逢瀬していた。二人は密着していたように思える。もしかすると口づけでもしていたのかもしれない。そう考えるだけで胸が痛くなる。鉛でも埋め込まれたかのように重くなる。
「ルーク。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
不意に、謝罪の言葉を口に出してしまった。
罪の意識に耐えきれなかった。
だがこれを聞いたミリアムは思わず吹き出してしまう。そしてこらえきれず、大笑いした。息継ぎもできないほど笑い続け、涙すら浮かべる。
「本当に、人間って滑稽ですわ。こんな時に男の名前が出てくるなんて。恋人ですの?」
「え? 私、今……」
「無意識でしたのね。よほど想っていらっしゃるのかしら。それなら愛の力で助けに来てくださるといいですわね。ふふ……面白いものを見せてもらいましたわ」
ミリアムはまだ笑っている。聖守という存在の中に見えた人間性がよほどおかしかったのだろう。もはやここにシュリットを導く救世主はいない。彼女はただの少女でしかない。
「本当に面白い。お礼ですわ。また何か動きが分かれば教えて差し上げますわよ」
それだけ言って、彼女は出ていく。
また薄暗い部屋に、ネオンは一人残された。
「ルーク。あなたは来ないのでしょうね。きっと。そうするべきです。世界の、ために」
不安と期待。それらが混じり合う。
自然と小さな嗚咽が漏れた。覚悟は、できていた。
◆◆◆
「俺は――明日、炎帝のところに行きます。奴を倒すために」
そしてルークもまた自身の覚悟を表明した。
ずっと次の『鷹目』は温めていたんですよね。私にとっても思い入れは強いので。




