574話 もう一つの裏切り
スウィフト家の屋敷で起こったアリヤ・スウィフトの裏切りは達成されることなく終わった。彼が連れ込んだ紅の兵団も全員拘束され、抜け出すことができない。また血晶の拘束は口をも塞いでいるため、アリヤ以外は誰も話すことすらできない状態であった。
「さて、尋問ですね」
「カーミラ様、どうか手荒なことは……これでも私の孫なのです」
「分かっています。ただ血の記憶を読み取るだけです」
アリヤは茫然としたまま、何も言えずにいた。紅の兵団たちも必死に拘束を解こうとしているが、血の支配力でカーミラに及ぶはずもない。相手が吸血種である時点でカーミラに負けはないのだ。
彼女は血の刃でアリヤの皮膚を軽く傷つけ、浮き出た血を指で掬い取る。指の皮膚が裂けたかと思うと、彼の血はカーミラの体内へと取り込まれた。
「……そういうことでしたか。急がなければならないようですね」
「おい、一人で納得していないで説明してくれよ」
「移動しながらにしましょう。アルマーニさん、『黒猫』は分かりますか? その様子だとご存じのようですね。彼を頼ってください。この屋敷も安全ではないでしょう」
アルマーニはただ首を縦に振って、この部屋の扉の方へと視線を向けた。早く行くべきだと語っているようで、ルークとスルザーラもそちらに向かって走り出す。
「どうか生き残ってください。スウィフトの末裔の方」
最後にそう告げて、カーミラも同じく走り出した。
◆◆◆
カーミラは元来た道を可能な限り速く駆け抜けていた。それに続くルークとスルザーラは既に神器と同化しており、臨戦態勢に入っている。
「それでどういうことなんだよ」
「襲撃されたのは私たちだけではありません。ネオンさんの方もです。先ほど、私が付けていた血の蝙蝠がやられました」
「何だと!? どうなったのだ! 聖守様は無事か!?」
「落ち着いてください。申し訳ありませんが眷属がやられたので分かりません。しかし襲撃してきた相手は分かります。宮廷魔術師です。ミリアムはこちらを罠にかけたようですね」
反応したのはルークであった。
無意識なのか風が強まり、嵐唱の刀身に電撃が走る。
「ルークさん、心を落ち着けてください。怒りに呑まれては余計な力を消耗してしまいます」
「ああ、分かっているさ!」
「……アリヤさんはミリアムの配下だったようですね。いえ、どちらかといえば信奉者と言った方が適切かもしれません。ミリアムは『人ならざるものへの進化』を是としていました。その考えに惹かれたのでしょう」
「なんと愚かな」
「そう否定ばかりするものではありませんよ。スルザーラさんの立場からすれば当たり前なのかもしれませんが。サンドラでは吸血種は特権階級者です。その立場に憧れるものは少なくありません。スウィフト家は多くの貢献をしてきましたが、人の血族であるからと様々な悪意にも晒されてきたようです。アリヤさんはそれを目の当たりにしてきたのでしょう」
カーミラが読み取ったものの中には、アリヤがこのようなことを決意した根底にある記憶もあった。スウィフト家は宮廷においても実権を有する名家だ。しかし吸血種ではない。それゆえに他の吸血種から僻みがあったり、嫌がらせがあったり、様々な苦労をしている。
こういった歴史の果てにアルマーニは炎帝の支配を終わらせることを選び、アリヤは自分たちも吸血種になることを選んだ。
この二人の決断の違いは、始祖が既にサンドラ帝国を見限っているということを知っていたか否かだ。
「しかしどこから私たちの情報が漏れたというのだ? この作戦は聖石寮内部でもごく一部にしか知られていないはず。もしやロブは既に情報を流していたのか?」
「そうか! ミリアムは魔神教団だから、そこを経由して帝国にも伝わったかも!」
「私たちが来るのをずっと待っていたというのか……しかし何という手際の良さだ」
しかしスルザーラの予測をカーミラは否定する。
「よく思い出してください」
「何をだ?」
「私たちを出迎えてくださったのはアリヤさんの他、誰でしたか?」
「それは――まさか!」
「はい。そのまさかです」
カーミラが何を言いたいのか、スルザーラはすぐに思い至った。しかしそんなはずないとすぐに否定する。ルークもしばらく意味を考えて、ようやく彼と同じ結論に至った。
「なぁ、もしかして」
「いや、あり得ないことだ!」
先ほどのことで衝撃が大きく、すっかり頭から抜けていた。
ルークは思い当たった可能性を口にしようとして、スルザーラは食い気味に否定する。それはあり得ない。いや、あってはならないことだ。半ば願望すら混じったスルザーラの言葉は切って捨てられる。
「裏切者はもう一人いました。グリムさんです」
◆◆◆
「そんな、どうして」
「私は初めから敵だった。それだけのことですよ聖守様」
捕らえられ、両手と両足を縛られたネオンは絶望を吐露していた。そんな彼女を見下ろすのは良く見知った男、グリムである。九聖の第四席としてよく彼女を支えてくれた男だ。スルザーラ同様、信頼を置いていた。
しかし今、彼は帝国の宮廷魔術師たちと談笑までしている。
「よくやりましたわねグリム」
「ありがとうございます。これもミリアム様のご指導あってのこと。それに私はあなたの忠実な部下です。長く苦しい潜入でしたが、あなたを思えばこそ乗り越えられました」
「流石は私の七衆ですわね」
グリムは今までに見たこともないような恍惚の笑みを浮かべていた。どこか狂気に染まったようにも見える。今の彼は、ネオンの全く知らない顔をしていた。
(私、本当にダメな聖守です。身内に二人も裏切者が……いえ、あるいはもっといるのかもしれません。見抜けない私は本当に、本当に無能ですね)
どうして宮廷魔術師に奇襲されたのか。
答えは簡単なことだった。グリムが情報を流し、待ち構えていただけのことだった。思えばこれまでサンドラ帝国に動きを読まれていた理由も、あるいはグリムが何か情報を流していたからかもしれない。グリムにロブに、九聖という幹部にまで魔神教団の手が及んでいるとは思いもしなかった。
「……私は殺さないのですか?」
「殺しませんわ。だって私の目的は聖王剣ですもの。大聖石と違って、聖王剣は聖守が死ぬと機能を失ってしまうのでしょう? だからあなたは生かしておかないと」
「聖王剣が狙いですって!?」
「これらは儀式の触媒として素晴らしい効果が期待できますのよ。グリムが大聖石を三つ持ってきてくださいましたし、聖王剣まであれば充分ですわね。私の目的も達成できそうですわ!」
彼女がそう語ると、グリムは三つの大聖石を手に取って見せつけてきた。一つは九聖として彼に与えられたもの。そして残りは彼が預かっていたはずの二つである。
「それはロブとアガネアのッ! まさかグリム……本国へ持ち帰らずに!」
「ええ勿論ですとも。残念ですが、術師の方々は皆殺しにさせていただきました。私は本国へ一度も帰らず、そのままの足でサンドラ帝国に来たのですよ」
「グリム! あなた!」
「そう怖い顔をしないでください。騙された聖守様が悪いのですよ」
「あなたは! エルムレアの出身で魔物を恨んでいるとッ!」
「嘘に決まっているじゃありませんか。ああ、そうそう。私の親も魔神教団でしてね。エルムレア事件の主犯の一人は父なのですよ。彼は残念ながら魔族になれませんでした。魔神様への貢献が足りなかったのでしょう。ですが私は必ず魔族となります。親の意思を継ぐ、良い子供だと思いませんか?」
もはや何も耳に入ってこなかった。
信頼していた仲間の裏切り、自分の無能、他の仲間の危機、仲間の死、様々なことが混ざっていく。渦のように巡り、毒の濃度を増していく。
(ああ、本当に、ごめんなさい)
誰に対しての謝罪か、それはネオンの中でもはっきりしていない。
ひたすら後悔だけが募っていく。
「用事は済みましたわね。では行きましょう」
「承知しました」
「楽しみですわ。聖守を使った魔族がどんな風になるのか……魔物を厳選しなくてはいけませんわね」
待ち受ける未来のことすら、ネオンには何も響かなかった。
◆◆◆
「くそッ! いない!」
ルークたちは遅れてやってきた。
リベラストラに入ってきたとき通った迷宮路は既に誰もいない。ただ戦闘の跡と思われるものだけが残っている。そしてここに残っていたグリムの姿もなかった。
「とても信じられない……グリムが裏切者だと?」
「ですが」
「分かっている。この状況を見れば信じるしかない。私も愚かだ。近くにいた裏切者を見抜けないとは。しかも二人も九聖に……」
スルザーラが受けた衝撃は相当なものだ。
今も現実を直視できない。
「……追跡は難しそうですね。おそらく空間転移のような魔術を用いたのだと思います。血の匂いが途切れていますから」
「まさかそんなことも可能だとは。伝説級の魔術ではないか。聖守様は無事なのか? 分からないのか?」
「殺されたのか、連れ去られたのか。そこはまだ分かりません。まず私たちの安全を確保しなければ。どうやら狙われたのは術師の方々のみのよう。アスランの方々、バジルの方々は無事です」
しかし作戦の前提は崩れた。
帝国側と内通していたはずのグリムが裏切者だったのだ。つまり二重スパイだったということになる。こちら側の情報はほぼ全て漏洩していると考えていいだろう。この状態で炎帝暗殺など叶うだろうか。そもそもネオンは無事なのか。仲間たちは無事なのか。様々な不安が過る。
「スルザーラさん、落ち着いてください。私はネオンさんは生きている可能性も高いと思っています」
「なぜ……?」
「魔神教団が魔神を信奉しているのだとすれば、不利になるようなことはしないでしょう。聖守は死ねば新しい聖守が生まれます。それならば無力化して生かしておく方が効果的でしょう」
「なるほど、確かにそうか。いや、そうに違いない」
希望的観測でも、今はスルザーラの慰めになった。
◆◆◆
シュウにとってサンドラ帝国の未来も、聖守の命も、魔神教団の目的も興味の外だ。滅びるも繁栄も長い歴史の中の一部でしかない。長い時を生きたからこそ、一つの時代における興亡に頓着しない。より大きな目的を見ているからだ。
「聖守……生贄の人間か。哀れなことだな」
「どう、いう……意味です、か」
十代目聖守ネオンは捕らえ、魔神教団の拠点に閉じ込めている。ここは人間牧場の一つで、研究所でもある場所だ。職員の多くは魔神教団に属する者となっているが、一応はサンドラ帝国の公的施設である。そのため設備も潤沢で、魔力が優秀な人間を束縛する装置も揃っていた。
ネオンは両手両足を拘束され、体内魔力を乱す装置に繋がれている。
そのためまともに魔術も祝福も使うことができない。
「少し、聖守という生き物と話してみたくてな。時間をもらった」
「あなた、は……」
「俺は質問に答えない。ただお前が話すだけだ。答えたくなければ口を閉ざせばいい。これは拷問じゃなく、俺の興味だからだ」
ネオンは理解できないものを見る目をしていた。
しかし配慮せず、シュウは問いかける。
「お前、知らない『声』を聴いたことはあるか? 誰もいないのに『声』が聴こえたことは?」
「……あり、ます」
「夢の中で預言や予知を受けたことはあるか?」
「はい」
「なるほどな」
ダンジョンコアは夢などを用いて人を動かす。だがその果てにあるのは個人や人類の幸福ではない。ダンジョンコアの計画が一つ、進むだけのことだ。
聖守という存在はダンジョンコアが有する最も強力な駒の一つに過ぎない。
「……もう四百五十年も魔神は倒されていない。国内での聖守の評価はどうだ?」
「聖守は……聖守とは国を守る柱です。人々の安寧を――」
「もはやシュリット人の多くは聖守という存在に期待していないらしいな」
「――ッ!」
分かりやすく彼女の眼が揺れた。
そして魂も。
動揺していることはすぐに分かった。
「少し言い過ぎたか? まぁ少なくとも魔神を討伐するという点において期待されていない。二百年前、クローディア自治領ができてからは特にな。山水域との緩衝地帯を作って無事にシュリットは安全地帯になったわけだ。民の関心は魔神討伐ではなく、魔物から自分たちを守ってくれるかどうかにある。聖守である必要とはなんだろうな?」
「それ、は……」
はっきりと言い返すことができなかった。何か反論するべきだということは分かっているのに、理論的な言葉が浮かんでこない。
「人々からすれば聖守など誰だっていい。何なら、聖守の顔も名前も知らないかもしれないな」
言葉の殴打がネオンの心を砕き、破片は柔らかな部分に突き刺さる。じくじくと痛む胸を抑える手すら、今は縛られている。
完全に口を閉ざし、もう何一つ話さないと判断したのだろう。
シュウは背を向けてどこかへ行ってしまう。そして入れ違いでミリアムがやってきた。彼女は俯くネオンの姿を見て、何があったのかおおよそ察する。
「心を壊されてしまったみたいですわね……聖守を使った魔族、とても楽しみですわ!」
ネオンとは対照的に、明るい表情を浮かべた。




