572話 サンドラの第二次侵攻
サンドラ帝国の第一次侵攻により、三つの国が滅びた。エドマリア朝アスラン王国、シエスタ、ヴェリト王国の三つである。また滅びるまでは至っていないが、封魔連合のベレス、ウル、アルゲリスも国土のほとんどを占領されて、実質滅亡している。
そして第二次侵攻は同年、第七の月に始まった。
始まりはベルン川。そこは封魔王国、ウル、アルゲリスの領土が重なるところに流れる川である。東西に流れる大河を挟み、二軍は睨みあっていた。
「ついに来るか」
封魔連合王国側の天幕から、遠眼鏡を覗き込んで川の対岸を観察する。アポロヌスは帝国に動きがあることを察知し、開戦を予感する。
彼は自陣の最前線へと赴き、ある人物と合流した。
「ウル公、そちらの調子はどうかな」
「これは陛下……全て予定通りですな」
「そうか。ならば始まりの一手は任せるよ」
ウル公は比較的若い男であった。
おそらくはアポロヌスとそれほど歳も変らない。しかしながら彼もまた一国を統治する王だ。彼は青緑の結晶で飾られた盾を掲げた。
「海翠よ。我が身と我が魔力を受け取り、力をもたらせ」
迷宮神器・海翠は巨大化して大楯に変形する。また盾から腕にかけて青緑の結晶が発生し、ウル公は神器と一体化した。彼もまた連合王国の神器使い。そしてその力は水に関連するものである。
同化したウル公が大楯を地面に叩きつける。
すると彼を中心としてそよ風が吹く。地を伝う小さな衝撃は大河にまで到達し、さざ波を立てた。川の流れにすら逆らう不自然な波は次第に大きくなり、やがて目に見えるほどの変化となる。
「邪な帝国兵を押し流せ、海翠!」
滔々と静かな大河は、その流れを変える。
対岸よりこちらへ渡ろうとする帝国軍に向けて、巨大な津波が解き放たれた。
◆◆◆
ベルン川では遅々とした防衛戦が始まっていたが、それから一日遅れてアドミラル平原においても帝国軍と連合軍は衝突した。
ここはかつて大戦が発生したレギンレイヴ平原より南に位置する別の平野だ。封魔王国との国境線沿いに存在しており、豊かな農地として利用されている。ある種、ここは封魔連合にとって急所の一つであった。ゆえにここは無理にでも抑え込まなければならない。
そんな戦略ゆえに、苛烈な人物として知られるアルゲリス公が陣頭指揮を執っていた。
「迎え撃て! 魔に浸る帝国の所業はここで食い止めねばならん!」
この戦場はアルゲリス軍でほとんど構成されている。封魔王国からも兵や支援物資などは届いているが、八割以上は彼の軍勢だ。
アルゲリスという国は、レギンレイヴ平原での敗北でほとんどの国土を失っている。占領された都市では領民の多くが虐殺の憂き目に遭い、生き残った者たちもどこかへ連れ去られた。吸血種たちの食糧にされるか、あるいは非道な実験に使用されるのだ。
「我らの同胞を救い出すため、サンドラの化け物どもを殺し尽くせ! 我に続くのだ! 行くぞ震戮!」
そのように味方を鼓舞する彼は、まるで異形であった。
人の姿こそ保っているものの、肌は乾燥した岩のようにひび割れている。さらに額からは小さな角が幾つも生えていた。
『捧げよ。この震戮に捧げよ。完全な力はすぐそこにある』
「よかろう」
彼は何の躊躇いもなく了承した。
すると額の角が伸びてより異形の色が強くなる。しかしそれと同時に、彼から放たれる魔力も巨大化した。額には第三の眼が輝き、無尽蔵に魔力を供給してくれる。
アルゲリス公は神器の本体が変形した長柄の棍を振り回した。
大地が揺れて、岩石が槍のように突き出た。それらは最前線に並び立ち、帝国軍の侵攻を妨げる。しかしそれは一般兵に限るものだ。
「血を解放せよ、九血条」
紅の兵団が飛び出し、その中でも最も力ある吸血種が手にした武器を叩きつけた。それは九つに分かれた鞭である。真っ赤な鞭は震戮が作り出した鋭い岩を砕く。道は切り開かれ、そこに大量の吸血種たちが雪崩れ込んだ。
真っ赤な鞭は幾つもの傷を地面に刻み込み、たったの一振りでアルゲリス兵を薙ぎ払う。
「おのれ血に飢えた化生めが!」
「公ッ!」
部下が止めるのも聞かず、アルゲリス公シンビュームは飛び出した。潤沢な魔力を解き放ち、踏みしめるたびに地を揺らす。震戮を振り上げたかと思うと、突き出す岩によって吸血種たちが貫かれた。
だが九条の鞭を振るう吸血種によって再び砕かれ、解放された紅の兵団は傷口を再生させる。それらに襲われ、アルゲリス側の兵士に犠牲者が増え始めた。
「貴様がアルゲリスの王か。覚悟……ッ!」
「レギンレイヴの借りを返してくれる! 百倍にしてな!」
吸血種の動きは素早く、アルゲリス公の背後に回り込んだ。しかし隙だらけのところに叩き込まれた鞭は、アルゲリス公の鎧によって弾き返される。
「何?」
まるで巨大な岩石を殴っているような感触であった。しかしすぐに意識を切り替え、高く跳ぶ。同時にアルゲリス公は右脚を高く上げ、力強く踏み下ろした。
大地が割れて隆起と沈下が起こる。巨大な揺れは自軍兵士すらも巻き込み、戦いを一時中断させた。そして彼は気合の一声と共に、近くでよろめく吸血種を殴る。ただそれだけで吸血種は爆散し、血肉をぶちまけた。
「ジーラッ! 貴様ァ!」
「化生ども! ここが死に場所だ!」
殺し、殺され。
悲惨な戦いがこの地でも始まった。
◆◆◆
「さっきの領域、でかい魔物が多かったな」
「豚鬼です。食欲旺盛で、人を見ると必ず襲ってきます」
「へー」
ルークは慣れないサンドラ語で会話を心がけ、可能な限り練習する。カーミラの能力でサンドラ語の記憶こそ分け与えられたが、やはり初めは発音などに違和感がある。
花河庭園領域を通過し、第一回廊まで到達したカーミラたちはもう間もなくリベラストラに辿り着くところまできていた。
「それにしてもかなりの人とすれ違うな。随分と私たちは見られていたようだが」
「彼らが迷宮探索者ですね。スルザーラさんはこのあたりの人種ではありませんし、珍しいと思われたのかもしれません。申し訳ありませんが当初の予定通り……」
「ああ、私とルークは君の奴隷ということにするのだな?」
「お願いします」
サンドラ帝国は吸血種の国家だ。従って人間の価値は非常に低い。食料階級や奴隷階級の人間もかなりいる。
しかし逆に言えば吸血種であれば身分を保証される。ルークとスルザーラのことを奴隷ということにしておけば、自然と二人も身分が保証されるのだ。二人にとって屈辱的ではあったが、これも炎帝を打倒するためと我慢した。
「ルークさん、腕の調子はどうですか?」
「大丈夫。何もない」
「神器と同化した後遺症です。意図せずスルザーラさんを傷つけてしまったように、何か悪影響があるかもしれません」
「分かっているさ」
「本当に気を付けてくださいね。街中で暴発すれば紅の兵団に捕まりますよ」
カーミラは所々に突き立てられた旗を指差した。
それは真っ赤な布地に白で炎の意匠が染め抜かれた旗。紅の兵団の旗である。サンドラ軍は全て炎を象った紋章を掲げるが、紅の兵団だけがそれを赤く染めることが許されている。最も炎帝から信頼されている証でもあり、権威の証明だ。
「吸血種のみの軍、だったか」
「その通りです。ヴァルナヘル奪還戦にも何人かいました。彼らはたった数人で戦局をひっくり返す戦闘力を保有しています。例外なく黒魔術の使い手ですし、血晶武装も保有しています」
「少なくとも今は敵対しない方がよさそうだな。ルークお前も奴隷に徹するのだぞ」
「分かったよ……」
それからはあまり会話することなく、やがて通路の先に広がった空間が現れる。そこには大量の篝火が焚かれており、相当明るい。そして中心部には大きな街があった。
これまでも人工物は見てきたが、それらは既に滅びた古代のもの。目の前にあるのは、久しく見る現代の都市であった。
「到着しました。リベラストラです」
「凄い……俺たち、本当に迷宮を通って帝国に来たんだな」
「本当に驚いた。私もまさか……本当に……」
ルークもスルザーラも感動していた。
遥か西の蟲魔域から地下に潜り、遂にサンドラ帝国まで辿り着くことができた。まだ帝都ではなく地下都市リベラストラだが、それでも大きな成果が目の前に見えたことで実感が湧く。
「ネオンさん、ルゥナさん、ロニさんもそれぞれ順番に昇ってきています。私たちは先にグリムさんと合流しなければなりません」
「あ、ああ。その通りだな。まずは彼を探さなければ」
「いえ、それは必要ありません」
カーミラはある場所を指差す。男二人は全く同じタイミングでそちらを向き、何もない岩場であることに首を傾げた。しかし次の瞬間、景色が歪み始める。驚いて武器を構えようとしていたが、カーミラが制止した。
少しずつ岩場が消えていき、今まで影も形もなかった二人の人間が現れる。その内の一人はスルザーラの良く知る顔であった。
「グリムか!」
「よかった。作戦通りのようですね」
スルザーラとグリムは互いに駆け寄り、しっかりと手を握って無事を確かめ合う。自然と笑顔が浮かんでいた。後からカーミラとルークも近寄ると、グリムはもう一人の男を紹介してくれる。
「こちらの方はアリヤ様です。スウィフト家御当主アルマーニ様のお孫様にあたります」
「はじめまして。アリヤ・スウィフト・ラ・ピテルです。遥か西方よりよくぞお越しくださいました」
「スルザーラ・アルテミアです。聖石寮の第一席を名乗っております」
「ほう。とても美しい帝国語ですね」
アリヤは感嘆しているようであった。サンドラ帝国での潜入活動を何度も行っているグリムは、必然の技能として帝国語を習得している。そこには訛り一つない。その彼からスルザーラたちは帝国語を習得していないと聞いていたのだ。
またてっきり通訳をすることになると考えていたグリムも驚いている。
「実はカーミラ……彼女の能力で私たちも帝国語を短期間で覚えることができたのです。特別な魔術だとか」
「そんな術が……いえ、ともかく会話ができることはよいことです。まずは移動しましょう。ここに留まっていては目立ってしまいます」
「分かりました。しかし私たちにはまだ仲間がいます。聖守様も来ておられるのですが、私たちとは別行動中なのです。まだ迷宮の奥にいます」
「合計で三十四人とお伺いしております。間違いありませんか?」
「ええ。一人も欠けることなくここまできましたから」
「素晴らしい。ますますあなた方には期待できます」
それから少しばかりアリヤは口を閉ざし、何かを考えて始める。しかしそれもほんの僅かな間の話で、すぐに続けた。
「グリム殿、私は先に参ります。部下を寄こしますので、少しずつ他の方々も屋敷の方へお連れしてください」
「承知しました。では一旦、私はここで待機します」
アリヤは頷くと、右手からある指輪を外して手渡した。受け取ったグリムがそれを身に着けると同時に彼の姿が歪み、空間に溶け込んでいく。そしてあっという間に跡形もなく消えてしまった。
ルークとスルザーラは驚きを露にする。
「魔道具ですね。姿を隠す幻術の」
「よく分かりましたね。では私たちは参りましょうか」
どういうことかと首を傾げるルークに、カーミラは迷宮からの産物であることを教える。道具一つとっても、サンドラ帝国はルークの想像を遥かに超えていた。
敵は強大であることを再確認することとなった。




