571話 すれ違っていく二人②
地下迷宮からサンドラ帝都を目指すネオンたちは、《導護》の導きもあって順調に目的地へと近づいていた。黄金域で番人と邂逅してからさらに四日が経過し、そこである巨大な領域へと到達する。彼らはあまりにも異質な古代文明の痕跡を目の当たりにすることとなった。
「これは……何という」
スルザーラですら思わず唸ってしまう。
他の者たちも同じような反応であった。唯一、ルゥナたちバジルの民は驚きも少ない。しかしながらどこか興奮しているようであった。
「これほど美しい古代遺跡群は初めてです。おそらく古代文明の都市の痕跡でしょう」
「冗談だろ? 昔の人はこんなものを建てていたのか!?」
「ええ。素晴らしい。ルーク殿もこの素晴らしさが理解できますか?」
「いや、凄いってことしか分からないよ」
「よく考えてみてください。古代文明は千年以上前の文明です。シュリット神聖王国では暦の数え方の一つとして、暗黒暦というものを用いていますが、これは古代文明が滅びた後から始まったものと考えられています。今は暗黒暦一八〇九年です。それだけの長い間、この建物は崩れることなく残っていたということになります」
「途方もなくて訳が分からないな……」
彼らの前に建ち並ぶのは摩天楼。
天を衝くほどの巨大な建物たちである。
「ルゥナ殿、もしやあれはオリハルコンではありませんか?」
そう尋ねたスルザーラに対して彼女は深く頷いた。
摩天楼たちは骨格部がむき出しになっているところが幾つもあり、それらは黄金に輝いている。古代遺物として最も代表的なものの一つであり、現代においても加工技術を持つ者はほとんどいない。オリハルコンは軽くて硬く、腐食もしない。
まさに至宝の金属であった。
「どうやら帝国の真下にまで到達したようですね」
「そうなのか?」
カーミラがそう呟くと、思わずルークが振り向く。
彼ばかりか他の皆も一斉にカーミラへと注目していた。
「ここは神奥域の第三回廊。そこにある無為楼閣領域です」
「なんだそれ?」
「神奥域は深く深く、地下へと潜っていく迷宮です。その第三の階層にある領域ですね。かつてここには魔族の国があったと聞きます」
「魔族の国だと? 山水域以外にもあったというのか!」
驚きを露にしたのはスルザーラであった。
魔族といえば山水域というのがシュリット人にとっての常識である。最近ではサンドラ帝国が魔族兵という異形を用いているが、それでも魔神の眷属という印象ではない。
「はい。二百年ほど前、魔族の国とサンドラは戦っていました。私もその戦いにサンドラ側として参戦し、勝利したのです。魔族の王はその時に討たれました」
「かつてはサンドラも人のための国だったということか……いったい何があったというのか」
ルークはカーミラを見遣る。
しかし彼女はこれ以上、自身のこととサンドラのことを語るつもりはないらしい。実際、この場において真実を語ることは正しいとはいえないだろう。
それで彼女は歴史ではなく、もっと実利的なことを口にした。
「サンドラ帝国には探索者ギルドというものが存在します。それは迷宮を探索し、遺物を持ち帰ることを生業とする傭兵たちです。彼らによってこの無為楼閣領域も調査されています」
「なぁ。それってつまり、ここからは人に遭遇するかもしれないってことか?」
「そうですね。第三の回廊まで降りてくる探索者は稀でしょうが、可能性はあります。注意しなければならないしょう。私たちのような集団は目立ちますから」
いよいよ敵地に乗り込んだという空気に変わり、皆が気を引き締め直した。
ここからはより慎重に行動しなければならない。一つの間違いが全てを台無しにしてしまう。
「ネオンさん」
「え!? はい!」
「あの、ここからの行動についてもう少し詳細に詰めておきましょう」
「あ、えっと、そう、ですね」
頼りない返事を返しつつも、ネオンはおそるおそる近づいてきた。今も気まずい関係は続いており、特にルークとは目も合わせない。
(こういったことは時間を置くことで余計に解決が難しくなる場合もあります。私と、サンドラのように)
仕事の話ならば割り切って会話にも応じてくれるが、心の内までは踏み込ませてくれない。むしろ時と共に壁は厚くなる一方だ。
「ネオンさん、ここでこの人数の行動は目立ちすぎます。隊を分けて行動するべきではないでしょうか」
「あの、その、まず探索者ギルドというのに見つかるのは良くないのですか?」
「彼らが不審者を迷宮で発見した場合、炎帝にまで情報が伝わる可能性があります」
「そう、ですか……」
カーミラの腕が裂けて、大量の血が流れ出た。
それらは小さな蝙蝠の姿となってネオン、スルザーラ、ロニ、ルゥナの肩に留まる。条件反射で武器を構えそうになる者たちも多かったが、ようやくカーミラの能力にも見慣れてきたらしい。悲鳴などを上げる者は一人もいなかった。
「私の眷属であり、私の感覚器官でもあります。これらを通して私が道案内をします。様子見のためルークさんと二人で先にいくので、順番についてきてください。それと……」
血の蝙蝠は分裂し、十体以上に分かれて小さくなる。
「これらで周囲を警戒し、人と会わない道程を選択します。リベラストラに到着するまではこのままで。窮屈で申し訳ありませんが」
「カーミラ。リベラストラって何だ?」
「すみません。説明できていませんでしたね。リベラストラはサンドラが擁する迷宮内の都市です。探索者ギルドの重要拠点にもなっていますし、私が頼りにしている方もここに住んでいます。彼を頼れば私たちが身を隠す場所も提供してくださるはずです」
「それは……信用できるのですか?」
ルゥナが渋い表情で尋ねた。
これについては皆、気になるところだろう。これまでの実績でカーミラへの信頼は積み重なっているが、それでも吸血種の知り合いなのだ。警戒も仕方がない。
「そう、ですね。スウィフト家の方々と連絡を取るまでの間、身を隠す必要があると思ったのですが……申し訳ありません。出過ぎた真似でした」
「いえ、そのようなつもりはありませんでした。こちらこそ申し訳ありません。カーミラ殿が善意で提案してくださっていることは分かっているのです。ところでネオン殿、この辺りについては?」
「グリムが先に帝都へ辿り着いているならば話が通されているはずです。彼のことですから、問題はないと思いますが……」
当初の手順では、グリムが地上から先行して帝都に侵入し、スウィフト家と接触してこちらを迎え入れる手筈であった。しかしあくまでも最善の場合である。もしも何等かの理由でリベラストラでの迎えがない場合、しばらく身を隠して情報を得る必要がある。
(問題ないはずです。グリムはもうすでに帝都に……本当に? 私の判断は正しいのでしょうか?)
ここでの選択は作戦成功の可否を決定づける。もしも怪しまれてしまえば一巻の終わり。全てが水の泡となってしまうだろう。そのリスクが彼女の判断を鈍らせる。
グリムを信用するか、カーミラの知り合いを信用するか。
(ええ、カーミラのことは信頼しています。彼女は私の……友人、です。ええ。ですが彼女の知り合いが本当に私たちに協力してくださるのでしょうか。信用していい話なのでしょうか。もしもロブの二の舞となってしまったら、私は、私は……)
過るのは九聖だったロブの裏切り。
彼の企みは失敗に終わったが、それでも残った毒素はじわじわと蔓延していた。今も尚、仲間の中に裏切者がいるのではないかと疑ってしまう。そしてその度に自己嫌悪してしまう。
そんな中、ルークが声を挙げた。
「カーミラを信じればいいだろ。合流するにしても隠れ場所があるのはいいことじゃないか」
悪気のある発言ではなかった。
単に合理性を考え、またカーミラへの信頼があったからこその言葉でしかなかった。しかしそれを聞いてカーミラは思わずため息をつき、スルザーラは頭を抱えてしまう。
二人が恐れた通り、ネオンは怒りを爆発させた。
「あのですね! 勝手なことを言わないでください!」
「いや、だって」
「私には責任があるんです。皆を導き、炎帝を倒し、魔族の支配から解放しなければなりません。私はそのために生まれ、そうあれと育てられてきました。あなたのように簡単には考えられないんです!」
「俺が考えなしみたいにいうのかよ!」
「ええ。だってそうではありませんか! ルークはいつだってカーミラ、カーミラ、カーミラのことばかり! それ以外に周りが見えていないのですか! 確かにカーミラはいい人ですよ。私だって認めます。ですが私はそんな贔屓目で物事を判断してはならないんです!」
「はぁ? なんでここでカーミラが!」
「だってあなたカーミラと逢瀬していたではありませんか! 皆から隠れて! 霧に紛れて!」
一瞬、空気が凍り付いた。
思わぬ発言にルークですら言葉を返せず、カーミラもまた混乱する。しかしネオンはそんな周囲を置いて加熱するばかりだ。
「だからルークは『私の』仲間ではなく、カーミラの仲間を信用するというのでしょう!?」
「い、意味わからないこと言うなよ! 何の話だよ!」
「言い訳しても無駄ですよ。私は見たんですから!」
「知らねぇよ! 黄金域のことといい、俺が何をしたっていうんだ!」
「だ、だって私の手を握って……カーミラがいながら破廉恥なことしたじゃないですか!」
「緊急事態だっただろうが! ふざけんな! てか手を握ったからって何だよ! 子供か!?」
「誰が子供ですか! 手を握るなんて、ふ、夫婦がすることじゃないですか!」
「純粋か!?」
もはや直接掴みかからんとする勢いだ。
流石に放置しておけないと考えたらしく、カーミラがネオンを、スルザーラがルークを引き離す。しかし二人とも激しく抵抗していた。
「止めてください二人とも!」
「落ち着けルーク!」
恐れていたことが起こったと思った。
引き離された後も二人は睨みあい、激しく敵意を剥き出しにする。引き離したことで直接的な暴力は防ぐこともできたが、その口を止めることはできない。興奮状態の二人はお互いを攻撃してしまう。
「そんなんだからカーミラの方が頼れるんだよ!」
「あなただって考えなしの猪じゃないですか!」
「なんだと!?」
「なんですって!?」
二人の怒りはまさに最高潮に達しようとしていた。
しかしその瞬間、ルークの身体から電撃が走った。特に腕の部分から放出された電撃は激しく、彼を羽交い絞めにしていたスルザーラは弾かれるようにして倒れてしまう。
これには一同驚き、そしてネオンとルークも喧嘩を止めた。
「スルザーラさん! 動かないでください。治癒します」
まず動いたのはカーミラであった。
倒れた彼の衣服を掴み、血の刃を使って切り裂く。白の衣服は彼の血で内側から滲んでおり、かなりの傷であることが見えずともわかった。裾を裂いてはだけた腕は酷い火傷で、赤い跡が根のように這っている。
急ぎ血を操って傷口を固めた。続けて《祝祷》を発動し、少しずつ治していく。治癒の際に衣服の繊維が巻き込まれないよう注意し、ひとまず傷は塞がった。
「く……助かったカーミラ」
「まだ痛みますか?」
「問題ない。この程度ならば」
「後で追加で治癒をしましょう。身体の中にまで火傷は届いていました。無理をするべきではありません」
「承知した。また頼む」
無事どうにか対処できたことで、ようやく止まっていた時が動き出した。慌ててルークも駆け寄り、スルザーラに声をかけ頭を下げる。
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「分かっている。しかし神器の力か? まさか抜いていない時にも効果を及ぼすとは」
「本当にごめん。俺も分からないんだ。神器を使ったつもりもなかったし、意識を向けたわけでもなかった。勝手に体から雷が……」
ルークに攻撃の意図はなかった。
ただ感情が高ぶり、強い怒りを覚えると同時に雷が放出された。嵐唱でもなく、ルーク自身から。これも奇妙なことであった。
「すみませんがどいてください。私も治療します」
ネオンも駆けつけて光の魔術で治療する。彼女が本来得意とするのは攻撃的な魔術ではなく、癒しだ。カーミラでは治癒し切れなかった部分もすぐに再生し、スルザーラはすっかり元通りになった。
治療のために裂いた衣服は脱ぎ捨て、予備を着る。それは術師の正式衣装ではないので、少しばかり傭兵らしくなってしまっていた。
「スルザーラ、すみませんでした。私のつまらない言動で傷ついてしまって」
「聖守様は気になさらずともよいのです」
「しかし……」
「それより、ここはやはりグリムを頼りにしましょう。まずは少数でリベラストラとかいう迷宮内の都市に潜入し、グリムと接触するべきです。それまでは迷宮内に潜み、帝国での潜伏先が確保されるのを待つべきです」
それは無理な話題転換だった。
一方で元に返ったともいえる。ルークとネオンの言い争いも、潜伏先についての話題が始まりだったのだから。
「カーミラ。君の提案はありがたいが、できる限り当初の予定でいきたい。だが感謝しよう」
「いいえ。気にする必要はありません。それと今の内にサンドラ語を習得していただいた方が良いでしょう」
「可能なのか?」
「私の記憶を分け与えます。術をかけた水を飲むだけです」
「ほう。そういったことも可能なのか」
皆が驚いている中、ルークは思い当たる節があったのか納得の表情を浮かべている。
術をかけた水と誤魔化しているものの、その正体は血の一滴を混ぜたというだけの話。あまり気持ちの良い話ではないだろうと考え、あえて本当のことは言わないようにしていた。
勿論、そんな便利なものがあるならと皆が賛成する。
「ルークさんと私で先にリベラストラに行きます。グリムさんと合流するのであれば、術師の方も誰か来てくださいませんか?」
「では私が行こう」
すぐにスルザーラが手を挙げた。
同じ九聖なので面識も深い。最適な人物であった。
ほんの少しの休憩の後、ここから分かれてリベラストラへと昇っていく。しかしルークはもやもやとしたものを抱えたままであった。




